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なんだかボーッとしてしまう。
光は、デート中だというのに、溜め息をついた。
「光。今日は、妹、いいのか?」
今つきあっている男、水野が、渋い顔をして聞いてきた。
「うん。今日は大丈夫・・・」
と言ってから、ハッとする。
またしてもデートを忘れていて、慌てて飛び出してきたから、お手伝いの香苗さんに「泊り」を頼むのを忘れていたのである。
泊りを頼むのを忘れていた光である。
「あー。ダメだ。一旦出直してくる。繭寝せてから、行く。どーする?Dだったら、割引チケット持ってるよ」
「わかった。そこで待ち合わせな」
水野は、不安気な顔をした。
「なあ、光。おまえ、俺とつきあってて楽しいのか?」
「え?」
「最近、難しい顔ばっかりしてっぞ。デートはすぐ忘れるし」
「・・・。ゴメン。すぐ上の兄貴が失踪中でさ。なんか・・・」
「玲さん?どーしたんだ?喧嘩か」
「うん。一週間も家留守にしやがって」
「子供じゃねーんだから、そんなに心配すんなよ」
「そうだけど」
玲兄は、俺のことが嫌で出ていったんだ。俺の気持ちが嫌で。
そりゃ、負担なのはわかるし、気持ち悪いっつーのもわかるけど、別にどうこうしてくれって迫った訳じゃない。
だいたい、向こうが先に、イチャモンつけてきたんじゃないか。
まあ。俺ももしかしたら、物欲しそうな顔していたのもしれないが。
だから、どうしても気になってしまうのだ・・・。
「大丈夫か?おまえ」
水野の手が、ポンッと光の頭を撫でた。
光はハッとした。
今目の前に、恋人がいるのに。別のこと考えている場合ではない。あっちはあっちで楽しくやっているのだ。自分だって、楽しまねば。
「ゴメンね、水野。なんでもねーから。気にしないでくれ」
「ああ。おまえがそう言うなら」
水野はイイヤツだ。なにも不満はない。カッコイイし、優しいし。
「じゃ。俺、一旦家にモドルわ。妹寝かせてから、来る」
光は伝票を持って立ちあがった。
「オッケ。じゃ、22時頃にな」
水野とはそんな感じで喫茶店で別れた。


家に戻ると、相変わらず静かだった。玲はまだ戻ってきていないようだ。
香苗さんが、繭を抱えて玄関まで迎えに来てくれた。
「それじゃ、私は帰りますね」
「ご苦労様でした」
香苗さんが作ってくれたハンバーグを食べて、繭は上機嫌だった。食後に絵本を持ってきて、「読んで」とねだる。
光は、本を読んでやりながら、時間を気にした。
「繭ちゃん。もう寝よ」
「いや」
プイッと繭はそっぽを向いた。
「眠くないもん」
「でも。早く寝ないと、明日、起きれないぞ」
「いいのー。ねえ、ひかりにー。このね、コイツがわるものなのー」
繭は絵本を指差して言った。
「すっごいわるいヤツなのよー。いっつも、えばってるのおー」
「ふーん。いかにも悪いって顔してるもんね」
「そうなの。れいにーみたい」
ウンウンと繭は嬉しそうだ。
「そりゃ、ひでーな。ま、アイツはいつもえばりんぼだけど」
光の膝の上にチョコンと座って、繭は絵本に夢中だ。この光景を、前は潤と繭のペアでよく見かけた。
潤もよく、繭にこうやって絵本を読んでやっていたっけ。
何時の間にか、フニャンと繭は光の腕の中で眠ってしまった。
21時30分。
「ギリギリ。やっべ」
光は汗を拭いつつ、繭を寝室に運んで寝せた。
「まあ、遅れても、どうせアイツは部屋にいるんだし」
水野とは、ラブホで待ち合わせなのだ。
初めてのセックス。
勿論、別に初めての経験という訳ではないが、新しい相手とのそーゆー行為はそれなりに緊張する。
「風呂は、向こうで入ればいいか」
光は支度をしながら、繭をチラッと見た。
「繭ちゃん。おとなしく、寝ててくれよ」
どうせ、2時間程度だし、繭は1度寝たら滅多に朝まで起きることはない。
「すぐ戻ってくるからな」
光は鍵をかけ、戸締りをして、家を出た。


22時を10分過ぎて、光は待ち合わせのラブホDに到着した。
携帯で連絡しあっているから、部屋はすぐわかった。
「ごめんな」
「おー。妹、大丈夫か?」
「んー。眠ってるからたぶん。でも、俺、終わったら帰るから」
「え。泊れないのか」
「うん。玲兄が帰ってきてねーから、ヤバイし」
「複雑だなー。てめえんち」
「ここ最近ね。あ、俺、シャワー先、いい?」
そういえば。このラブホって、玲兄に教わったんだっけ。
男同志でも平気だから、おまえも使えば?って。
割引券とかもらって。玲兄のお気に入りのホテルなんだよな。
もしかして。今もこのホテルのどこかで、玲兄は誰かを抱いていたりするかも・・・。
そうかんがえて、光はブルッと頭を振った。
関係ない。
玲兄がなにをしていようと。誰と抱き合っていようが。
俺は。玲兄とは恋人になれないんだから。
なにもなかったように。これからも。ずっと、これからも。
そうだ。そうしなきゃ。
と、ドアが開いて、水野が手招く。
「ん?」
光はシャワーを止めた。
「携帯。なんか、すげーしつこく鳴ってる」
「ほんと?」
「玲さんからみたい。着信がそーなってる。あ、切れた」
「玲兄?」
光は慌てて、体の泡を流し、体を拭いて水野から携帯を受け取った。
慌ててコールバックすると、電話の向こうの玲の声は慌てていた。
「てめえ、どこにいる」
「え?」
「繭はどこに行ったんだ。繭は」
「繭って。繭は部屋に寝かせてきたけど」
「いないぞ」
「玲兄、今どこだよ」
「家に決まってるだろ!」
「繭、いないの?」
「いねえよ」
光は携帯をゴトッと落した。
「どした、光」
「水野。マジ・・・、マジ悪い。俺帰る」
「!?」
「ごめん。ちょっと急ぐ。ごめん」
光は水野を押しのけ、慌てて身支度を整えてホテルを飛び出した。


家に着くと、玲が蒼白な顔をして門の所に立っていた。
警察官も何人か自宅の周りをうろうろしていた。
「繭は?」
光は、髪も濡れたままの格好で玲に走り寄った。
「探してもらってる」
「俺も探してくる」
「俺はここに待機してくれって言われたから」
「ああ」
玲は厳しい顔をして、光を見た。
「・・・」
なにも言えない。
どうしよう。繭は、どこに行ったんだ。
繭は。あんな小さな子が。
「って、まさか、強盗とかじゃないよな、玲兄」
「部屋は荒らされた様子がない。だが玄関の鍵は開いていた」
「俺は閉めて出ていったよ」
「だから。繭がたぶん、自分で家を出たんだ」
「!」
もしかして。俺がいなかったから?俺を探しに、繭は家を出たのだろう。
まさか、繭にそんなことが出来るようになっていたとは。いつのまにか、あの鍵に手が届くほど背が伸びていた、ということか。
「繭・・・」
光はバッと踵を返して走り出した。
「繭、繭!」
妹の名を呼んで、夜道をあちこち走った。
どうしよう。こんなことになるなんて。
小さい妹を家に一人で残し、恋人と寝る為だけに、出かけてしまったなんて。
今更後悔しても遅いが、自分は、なんてとんでもないことをしたんだろう。
繭が起きない保証なんて、なかったんだ・・・。


一時間後、繭は見つかった。
ぬいぐるみを片手に持って、婦人警官に抱っこされて家に戻ってきた。
駅付近の道をトボトボ歩いていたのだという。
警察の後始末やら、なにやらは全部玲が片付けた。
光は、ただ、繭を抱き締め、謝ることしか出来なかった。涙が止まらなかった。
そうしてるうちに、繭が寝付いたので、光はしばらく繭の寝顔を眺めていたが、部屋のドアを閉めて、キッチンに降りて来た。
暗いキッチンで、玲が煙草を吸っていた。
「ごめん、玲兄。すげえ迷惑かけた」
光は、椅子をひき、ドサリと腰かけながら、言った。
「謝るな。俺も一週間も留守にしてたし。おまえのこと責められない」
そういえば。一週間ぶりに見る玲の顔だ、と光は思った。
ズクッと心の奥が、なぜか疼いたのに気づいて、光はうつむいた。
「でも。やっぱり悪いのは俺だよ。留守にしていくんじゃなくて、ちゃんと玲兄に帰ってきてもらえば良かったんだ」
「それは。まあ、そうかもしれない」
玲は光の向かいに腰を下ろした。
「・・・」
「水野くんから電話があってさ。一応状況は伝えておいた」
「忘れてた。サンキュ」
しばらくの沈黙のあと、玲は口を開いた。
「あのさ。今まではずっとこうだったじゃん。俺達、互いにラブホとかいい場所教えあってたし、互いにつきあってるやつらと遊んだり。
あんまり、俺とおまえにタブー、なかったよな」
「そ、だね」
「ホテルに行きたかったなら、ちゃんと言えよ。俺、帰ってきて留守番したさ。繭一人残して、どっか行くなんてすんなよ」
「うん、ごめん」
「おまえ。どうしちまったんだよ」
玲が目を細めた。光はその玲の目を見て、唇を噛み締めた。
「ごめん」
「光」
「ごめん」
「なに謝ってんだよ。顔上げろよ、光。こっち見ろ」
「ごめんなさい」
「光」
「ごめん」
「おい。俺を見ろよ、顔あげろ」
光は、顔を上げて、玲をまっすぐに見つめた。
「俺さあ。家族失格。なんか、すげーダメ」
「?」
「血が繋がってないから?繭んこと、どーでもいいって思っちゃったのかな?そうじゃねえんだよね。俺、薄情なんだよ。
きっと、これ血筋だね。俺を捨てた家族みてーにさ。俺さ。俺ね。水野に抱かれに行ったんじゃねーんだよ。そりゃ、
現実としてはそうだったかもしれない。けどさ。玲兄。俺の頭の中、玲兄のことばっか。一週間も留守にして。アンタが
誰かを抱いてること想像してたら、悔しくなって。じゃあ、俺も好きにしようって思ったんだ。ホテルに行っても、繭のこと
心配しなかったし、水野のことも考えてなかった。玲兄のことばっか」
「光」
「ねえ。いつから俺の気持ち、気づいてた?気持ち悪かった?ごめんね。ああ、ホントーにすまなかったと思ってる」
光は前髪を掻きあげながら、改めて玲を見つめた。
「だからさ。頼むから。そんなに俺を憐れんだような目しないでくれる?」
「してねーよ」
「してるよ」
「してねーよ」
「してるよッ。俺、すげえ惨め。玲兄にそんな目で見られるの」
「興奮してんじゃねえよ。繭は無事に見つかったんだ。その煽りで興奮して、どうでもいいことグタグタ言ってんな」
「どうでもいい!?」
「そうだよ」
「どうでもよくないよ。そもそも、こんなふうになったのだって、アンタが俺を避けたからじゃん。今回は俺に非があるけど、だいたいは、
それが発端じゃんか」
「だから、もうどうでもいいって」
「どうでもいいことなんか?アンタ、弟に、これからもつきあっていく弟に、告られたんだぜ。少しは考えろよ」
「考えてどーなんだよ」
「え?」
「考えてどーすんだ。おまえは俺とどうにかなりてーのか?」
「!」
光は目を見開いた。
「弟としてつきあっていきてーと望むならば、余計なことベラベラ言うなよ。告ったりなんかすんなよ。俺にどうしろってんだ」
玲は煙草をギュッと揉み消した。
「弟でいてーのか?恋人になりてーのか?おまえ。言ってること、バラバラだぜ」
玲は苦笑した。その玲の『笑い』が、光を突ついた。
昂ぶっていた感情が一気に、堰を切って溢れ出した。
「なんだよ。なんだよ。どーせ俺は頭が悪いよ!泪兄や玲兄や潤とは違うんだ。出来が違うんだよ。あんたらは、皆、揃って優秀だもんな。
こんな支離滅裂な俺とは全然違うよ。弟でいたい?そりゃいてーよ。だって、俺、この家出たら行くところねーもん。恋人になりたい?
そうだよ、なりてーよ。だって、俺、玲兄のこと、好きなんだから!」
堪えていた涙が溢れた。
「光、おまえ・・・」
玲は言いかけて、言葉を飲みこんだ。
「玲兄。帰ってきてよ・・・。ずっとそう言いたかった。俺と繭2人じゃ、寂しいよ。玲兄。好きだ。好きなんだ。
ずっと前からそう言いたかった。言えずに、いつも、いつも、叶わない想いと知りながら、せめてそれじゃあ、と
玲兄が行く道を追いかけていたよ」
ボタボタと涙が止まらない。泣きながら、光はハッとした。小さな足音が耳に聞こえたからだ。
「れいにー。ひかりにーのこと苛めてる!」
パタパタと繭が階段を降りてきた。
「どーしていじめるのよー。どうしてひかりにーのこといじめるの?なんでひかりにーがないてるのよー。どうしてよ〜」
びぇええ〜と繭が泣き出した。
「ま、繭」
光は慌てて繭を抱き上げた。
どうやら口論が、上の部屋の繭にまで聞こえてしまっていたらしい。
「ご、ごめんよ。なんでもないんだ。繭は心配しなくていいんだ。さ、2階に行こうな」
「れいにーなんか、ダイッキライ!じゅんにーもひかりにーのこともいじめて。ダイッキライ」
「繭。玲兄は、意地悪じゃないんだよ。俺が悪いんだから」
ひっくひっくと泣く繭の頭を撫でて、光は必死に繭をあやした。
玲は黙って、2人のことを見つめていた。
「玲兄。俺、繭と一緒に寝るから。今日は、迷惑かけてごめん」
「・・・」
「今俺が言ったこと、忘れてよ」
「忘れられるか」
「忘れる努力してよ。俺もするから」
「うるせえ。さっさと寝ろ」
「おやすみ」
光は繭を連れて、2階に上がっていった。
しばらく、玲は黙って座っていた。
2階の物音を聞きながら、暗いキッチンで玲は目を閉じた。


次の日。
遅く起きた玲は、テーブルの上に書き置きを見つけた。
『潤のところに遊びに行ってきます。光&繭』
と書いてあった。
「逃げやがったか」
玲はそのメモを見て、苦笑いした。
「それでは。今度は、俺があとを追おうとしましょーか」
ヒラッと、玲はメモをゴミ箱に捨てた。
「悪役はゴメンだぜ」
呟いて、玲は顔を顰めた。
水辺の町のその海に。
壊れたもの、壊したもの、全部流してしまおう・・・。

続く

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