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「なにやってんの?」
帰ってきた途端に、玄関前は大騒ぎだった。
「見りゃわかんだろーが。引越しだ」
泪は、汗をかきつつ、荷物を纏めている。
「知らなかった。じゃあ、俺、大学やめるべき?」
「ボケ」
バシッと泪に蹴飛ばされて、玲はケケケと笑った。
「この騒ぎが一段落した頃を見計らって帰ってきたようだな」
ダンボールを抱えながら、泪は玲を睨んだ。
「知ってたら、帰ってこねーって」
「おまえは昔から、なんだかんだとついてるヤツだった。その点、光はいつも貧乏クジだ」
「アイツは、要領悪いンだって」
泪を避けて、玲は家へと入った。
「泪兄の嘘つき〜。どこが荷物が少ねえだよ〜。もう疲れた〜」
2階から、光の声が聞こえた。
「んとに、要領のわりーヤツ」
玲はその声を聞きながら、2階に上がった。
廊下の隅では、繭がアイスクリームをハグハグと食べていた。
「繭ちゃーん、ただいま」
と玲は手を振ったが、「フンッ」と繭は玲を無視した。
「おー、次男坊。やっとお帰りか。なんでも外泊連チャンだそーで」
「わーお。野瀬っち。元気そーじゃん。相変わらずタラシてる?」
「人聞き悪いコト言うなよ。たらしてりゃ、こんな所で引越し手伝ってねーってサ」
泪の部屋からダンボールを持って出てきたのは、泪の昔からの友達野瀬高弘だった。
「こんな暑い時に狩り出されて、気の毒に」
「まあ、いいさ。可愛い光ちゃんと2人でラブラブ荷造りだから」
「そりゃ、良かったね〜」
ヒョイっと玲は泪の部屋を覗いた。
部屋の中では、光が一生懸命荷造りをしている。
「元気か?」
玲の声に、光はハッと振り返った。
「元気じゃねーよッ」
ブンッと灰皿が飛んでくる。
「あぶねッ」
「てめえ。マジで、2晩も遊び惚けたな」
「みやげ買ってきてやったから」
「いらねえよ」
プイッと光は顔を反らした。
「なんで怒ってるんだよ。おまえも大概兄離れ出来んやっちゃな」
「ふっざけんなよ。とっくにしてらー」
「じゃあ、毎回、毎回。どうして不機嫌かな?」
「アンタの未来を心配してるんだろ。も1回ダブる気かよ」
「気楽な大学生活。何年もやりたいもんだ。ウン」
玲は、そこらに置いてあるダンボール箱の上に、ポンッと包みを置いた。
「おまえの好きな肉まん」
「このクソ暑いのに、そんなの食うかッ。だいたいな、そこに置くんじゃなくて、そのダンボール下に持ってけ〜」
光は、喚いた。
「へいへい」
玲はヒョイっとダンボールを抱えて、1階へと降りていった。


「ご苦労であった」
日も暮れる頃。泪は、居間で労いの挨拶。
「とくに、光。おまえには世話になった」
「へいへい」
出前で注文した寿司やらピザやらがテーブルにズラリ。
「ということで、光と高弘は特上。あとからフラフラ帰ってきた玲は並!ここらへんで人生は平等だっていうことをしらしめる!」
「ひでーの」
玲は肩を竦めた。
「ま、とにかく!泪の左遷。前途を祝して、おめでとーっつーことで」
野瀬が音頭をとって、「乾杯」をした。
「かんぱ〜い」
ソファでは、光がグッタリとしている。
「光ちゃん。大丈夫?」
そんな光を野瀬は、ヒョイと覗きこんだ。
「あー。高弘さんが来てくれて良かったよ。一人であの大荷物を任されるところだった」
シクシクと光は、涙を拭う仕草をした。
「いつまでも嫌味は止せ」
玲は、ビシッと光を指差した。
「肉まんじゃ誤魔化されない!」
「じゃあ、なにで誤魔化されるとゆーのだ」
「当分、家事やれよ」
「男子厨房に入るべからず」
しれっと玲は言い返す。
「ほんまに、やなヤツ〜」
光はグッと拳を握った。
そんな2人のやりとりを、泪と野瀬は笑いながら見ている。
「仲いいな。おまえんとこの兄弟は」
「仲がいいと言うか・・・。ん?おまえの家は相変わらずか?」
泪は、野瀬に聞いた。
「根性ナシの兄貴のせいで、俺はいつも苦労する」
グビッとビールを飲みながら、野瀬は溜め息をついた。
「ダメな兄貴を持つと、弟はシッカリするらしい。うちがいい例だ。うちの光はイイ子だ」
泪は、光を見てはニコニコと言った。
「なに言ってんだよ、人様の前で」
素直な光は、照れッとしつつ、泪を睨んだ。
「うーん。確かに光ちゃんは、イイ子だ。おまけに可愛い。俺とつきあわない?」
野瀬は、ツツツと光ににじり寄った。
「高弘さん。彼女、いや、彼氏はどーしました?」
避けつつ、光は野瀬に聞く。
「いるにゃいるけど、たぶんそろそろヤバイ。俺は、新しい恋を求めている。光ちゃん、どう?」
「ど、どうって・・・」
と、二人の間に、ドカッと玲が乱入した。
「野瀬っち。兄貴から聞いてるぜ。見合いを勧められているってな」
「ぎょっ。やめてくれよ〜。その話は」
野瀬は、頭を抱え込んだ。
「なーなー。どんな女なんだよ。美人?」
「って、おい!痛いってば、玲兄。俺の脚を踏んでるぞー」
「痛いならば、てめえが移動しろ」
ギロッと玲は光を睨んだ。
「なんだよ、コイツ」
ぶうぶう言いながら、光は泪の隣に移動し、腰かけた。
「今日はありがとな、光」
「どーいたしまして」
寿司を平らげ、光はピザに手を伸ばした。
「でも、きっと。もう少し世話をかける」
「え?」
その泪の言葉を、その夜、身をもって知った光だった。


9時。御手伝いの香苗さんの出勤時刻。
光はベッドを抜け出て、香苗さんを迎えに玄関に走った。
香苗さんは居間に入るなり、「まあ〜。よほど盛りあがったんですねぇ。昨夜のお別れ会は」
と、言ったきり黙りこんでしまった。それも仕方あるまい。

彼女が丹精こめて育てていた植木鉢はひっくり返って粉々で、居間のあちこちにはスチール缶が転がっている。
テーブルの上は、食べカスが散乱しているし、なによりも部屋にこもる酒の匂いに、煙草の煙。
・・・タコ部屋である。
「ごめん。一応、色々妨害はしたんだけど・・・」
光は目を擦りながら、ボソリと言った。
「やめてくれ〜」と叫んでも殴っても、ぶっ飛んだ酔っ払い達には、そんな制止の言葉は通用しない。
こういう場合、酒に酔えない体質のものが1番苦労するのである。
「ホホ。まあ、まあ。光坊ちゃんも、眠そうですね。あとは私に任せてください」
「ごめんね、香苗さん。泪兄、15時に出発だから、お昼には起こして」
「畏まりました。繭ちゃんは?」
「繭は部屋で寝ているから、大丈夫。いい子にしてる」
「そうですか。あとで一緒におつかいに行って来ます」
「よろしく〜」
ヨロヨロしながら、光は自分の部屋へ戻ってからハッとする。
ベッドには玲がいるからだった。
酔っ払うと、玲はいつも光のベッドを占領するのだ。
『おまえのベッドのが寝心地がいい』とほざく。
そりゃそうだ。眠るという行為をとても大事に思っている光は、その環境に対して金を使うことを惜しまなかった。
バイト代をはたいて、良いベッドを購入したのである。
その点、玲のベッドはパイプベッドだから、お粗末なものなのだ。
「寝心地が悪い筈ねーんだよ」
バンッと思いっきり自分の部屋のドアを閉めて、光は玲の部屋へ向かう。
バフッと玲のベッドに横になり、目を閉じた。
あ。玲兄の、匂い・・・。
そんなことを考えながら、光は玲の枕をギュッと握りしめた。


香苗さんに起こされて、皆でぞろぞろと玄関に向かう。
東京駅まで見送りに行く予定だったのに、泪は「NO」と言った。
玄関までで、良いと言う。
「なんで?」
光は泪を見上げた。
「光ちゃん。野暮は言うなって」
野瀬が、頭を掻きながら、笑った。
「あ」
そうか。東京駅には、きっと泪兄の恋人が見送りに・・・。
「けー。ならば、起きてくんじゃなかったよ」
玲は、アフッとあくびをしながら言った。
「おお、玲。それが遠くに行く兄への見送りの言葉か。嬉しいぞ」
ゴインッ☆鉄拳!
ザマーミロ。キシシと光は笑った。
「ま。俺も邪魔しねー程度に見送ってから帰るから」
野瀬も相当酔っていたから、辛そうだった。ヨロヨロとタクシーに乗り込んでいく。
玲は、助手席の泪にヒラヒラと手を振っている。
「繭ちゃん、元気でな」
香苗さんの腕の中で、繭はムスッとしていたが、泪が声をかけると、フニャッとした顔になった。泣き顔だ。
「あらあら。まあ、お兄ちゃんがいなくなって寂しいんだわ」
香苗さんが、繭の頭を撫でている。
「最後の最後で、汚名挽回」
泪はVサインだった。
「昨日の晩、眠っている繭の部屋に乱入して怯えさせたくせに、ずりい」
玲がムッとしている。
「おめーらも元気でな」
泪は手を振った。
「まるっきりついでの挨拶だな」
野瀬がクスクスと笑っていた。
「泪兄。向こうで、酒の飲み過ぎはダメだからな」
光がドアにへばりついて、言った。
ウンウンと泪はうなづいている。
「あっちで遊びすぎるなよ。戻ってこれなくなるぜ」
光の背後に立ち、玲が冷やかに言った。
「そんなヘマすっかよ」
泪も軽くあしらう。
「お名残惜しいですが、そろそろ、出発ですよ」
野瀬が、そう言ってタクシーの運転者に合図した。
「ちょっと待て。玲」
泪が玲の名を呼んだ。手招く。
「んだよ」
玲は、光を押しのけた。
「気をつけろよ」
「なにを」
「色々とな。わかってんだろ、俺の言いたいコト」
そう言って、泪はニッと笑った。玲はその言葉に、僅かに顔を赤くしてから、チッと舌打ちする。
「さっさと行っちまえ!」
バンッと拳で、窓を叩いて、玲はプイッとそっぽを向いた。
「?」
2人のやりとりを、光はキョトンとしつつ見ていた。
やがて、車が、去っていく。
兄弟の中で、1番おちゃらけた長兄が家を離れていく。
きっと、とても、静かな家になってしまう・・・と光は思った。
天然で明るい末弟の潤と違い、泪は計算された明るさを持っていた。
それに救われたことが何度もあったけれど・・・と光は思う。
とうとう本格的に泪が去り・・・。
2人っきり。この際、繭は置いといて。
物心ついてから、2人きりで家に居ることなんて、そういえばなかった。
大抵は誰かがいる賑やかな家だったからだ。
ったく。4人も兄弟がいて、なんでよりによって、俺と玲兄が2人きりになるんだ。
神様って意地悪だ。これが、俺と、泪兄か潤だったら、なんの問題もない。
なんでよりによって「玲」なんだろう。ホント神様って意地悪だ、と光は思った。
なにも変わらない。変えてはいけないのに。
2人きりという状況に、光の心臓が不思議と跳ねあがる。
なにを期待している?
期待することなんて、なにもないと思いつつ。
ドクン、ドクンと心臓が、深いところで鳴っている。
自分の耳には、ハッキリ聞こえる。
玲に。聞かれては、まずい、この不自然な心臓の音が。
これからも静かな家に、ドクン、ドクンと響き続けていくのか?
完全に、泪を乗せたタクシーが見えなくなってしまったのに、光はそこに立ち尽くしていた。
気づくと、胸に手をやっていた・・・。


泪が去ったその晩。
香苗さんが作ってくれた晩飯を三人で食べた。
一人欠けただけで、恐ろしいぐらいいつもと違う食卓の空気。
そう思うのは、自分だけか。不自然な心臓の音。今も響いている。
目の前に座る玲に気づかれてはマズイと、光はつい、玲を避けてしまう。
おかげで、会話がブツリ、ブツリと途切れる。
さすがに、玲は眉を寄せてしまう始末だ。
わかっていても、どうしようもない。
「繭ちゃん。好きキライはいけねえよ。ほら、食う」
光の隣にちんまりと座っている繭に、必要以上に構ってしまう。
「いや。キライ。ピーマンはいやよ」
「そんなんじゃ、大きくなれねーぞ」
「いいもん」
ブンブンと繭は首を振っては、椅子を降り2階へと行ってしまった。
「もー、仕方ねえな〜」
ハアと、力尽きそうになった光を、ジーッと玲が見ている。
「なに、その目。なんか言いたそうだな」
光は、持っていたスプーンを握りしめ、キッと玲を見た。
「なんかさ。ふと思ったり。おまえってさ、所帯じみてるよな」
ウッと光は詰まった。
21歳の男を捕まえて、所帯じみてる???
ショックを受けている光に、玲がたたみかける。
「ガキあやしたり、メシ作ったり、掃除したりしてさ」
ピクッと光のこめかみに筋が浮いた。
「いい主婦って感じだよな」
スッと玲の切れ長の瞳が、細められる。
「なにが言いたいんだッ」
「俺のところに、お嫁に来ない?」
玲はニッコリと笑った。
「ちょうどよく、血も繋がってないことだし」
「・・・」
光は、まじまじと玲を見た。
「笑えねえ冗談」
「ブラックジョーク」
「・・・」
言い返そうとして口を開いては、うつむいて光は唇を噛んだ。
うまい返しが、思いつかなかったからだ。
沈黙が痛い。
光は、そろそろと顔をあげて玲を見つめて、ビクッとした。
冷たい、冷たい玲の瞳。その、視線。
「固くなってんじゃねーよ。泪一人欠けたところで」
「!」
光の胸に、その玲の言葉が、グサリと突き刺さった。
玲はガタンと立ちあがった。
「泪兄に聞いたのか?」
光は、スプーンをテーブルに置いて、玲を見上げて聞いた。
「・・・」
「泪兄に聞いたのかよッ」
フッと玲は振り返っては、笑った。そうして、次の瞬間には、言った。
「なにを・・・?」
・・・と。
可哀相な俺の心臓。こんなに、こんなに、鳴っているのに。
光は、悲しくなった。
「わりーけど、これから約束あっから。たぶんまた帰らない」
「・・・わかった」
この音が聞こえても。聞いていても・・・。
玲は、玲兄は。
無視して通り過ぎて行こうとしているのだ・・・。
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