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純情な恋情

夏の風が吹いた。

末弟が部屋から出ていって、もう半年が経とうとしている。
主なきその部屋は、日当たりがよく風通しがよく、小野田家の2階での家族の団欒の場となっていた。

いつものように、集いたるは潤の部屋。
「玲兄。潤元気かな?」
「死んだとは聞かねえから、元気なんじゃん」
「そっか」
「って。最近まで会ってただろーが。どーした?潤がいなくて寂しいか?」
「俺じゃなくってね。俺じゃなくて・・・」
光のジーンズの脚には、5歳の妹の繭がくっついていた。
「じゅんにいーーー!」
わうわうと繭は泣き出した。
持っていた絵本が、ブンツと廊下に飛んで行った。
「どーしたんだよ、うちのお姫様は」
玲は、読んでいた雑誌から顔をあげて、繭を見た。
「ほら。少し前まで親父の為に、潤がこっち帰ってきていただろ。それの名残みたいでさ・・・」
よいしょと、光は繭を抱き上げた。
しかし、繭はイヤイヤと首を振っている。
「ったく。兄離れが出来ねーヤツだな」
「まだ出来ねーよ、この歳じゃ」
玲は、かけていた眼鏡の縁を押さえて、うめいた。
「潤坊、男に狂って飛び出して行っちゃったしな〜」
「汚い言い方すんなよ!恋に走ったって言えよ」
「どっちでも同じ。狂ったことにゃ変わらん」
「そりゃ、そうだけど。繭は潤オンリーだったから、どうにも最後の最後で、俺じゃ役不足で。うまく泣き止んでくれねーんだよね」
ひっく、ひっくと繭は泣いていた。
「光。おまえが自信をなくしてどーする。潤以外に繭がなついているのは家族ではおまえしかいねーんだぞ。俺なんか」
と言って、玲は繭の頭を撫でようとして手を伸ばしたら、
小さな手で繭はバシッとそれを振り払い、キッと玲を睨んではギャアアアと泣き出す。
「これだもんなァ。俺こそ兄としての自信をなくす」
「・・・さんざん、潤を苛めたから、側に居た繭が覚えているんだろ。泪兄・玲兄、覚えてやがれーとか潤ってば、しょっちゅう言ってたもんな。
繭ちゃんの中で、泪兄と玲兄はすげー悪者なんだよな、きっと」
「俺よか泪のが苛めてたぜ」
「そーそー。泪兄なんて、目の前とおっても、繭は知らん振りしてるぜ兄貴のことなんか、繭ちゃん眼中にナシっ!」
「それってえらい惨めじゃん。やった、俺のが勝ってる」
「低次元な争い。はあ。にしても、繭、どーしよ・・・」
光は唇を尖らせて、玲を見た。
「こういうことって、しょっちゅうあっちゃマズイよね。どうしよう。これからもあるのかな・・・」
「潤が帰ってこない限りはな」
玲の言葉に、繭はピクッとする。
「じゅんに〜」
ギャアアアと泣き出す。
「これだよ・・・。繭ちゃん。潤兄はいないの。その代わり、光兄がいるっしょ。光兄と遊ぼーッ」
パフパフと光は、繭の頭を撫でた。
繭は、しゃくりあげながら、光をジッと見上げている。
「ま。そーゆー感じで、ひとつよろしく頼むわ」
読んでいた雑誌を放り投げて、玲は立ちあがった。
「そーゆー感じって、どーゆ感じだよ!おいッ」
玲は、パンパンとジーンズの膝をはらって、眼鏡を外す。
「俺、これからデートなんだわ」
光の言葉をまるっきり無視して、玲は言う。
「きったねーぞ、玲兄。なに一つ解決してくれねーで。てめえはさっさとデートに逃げるのか!」
と、玲は、開け放った窓を見た。
「ん。こんないい夏の夕方だもん。遊ぶっきゃねえだろ」
「俺だって遊びてーよ!」
「おとなしく繭とお家で留守番してな」
ニッコリと玲は笑う。窓から入ってくる夕日が、その笑顔を照らす。
フワリと入ってくる夕方の風が、玲の髪の毛を揺らしている。
光は、一瞬ボーッとそんな玲の横顔を見つめていたが、ハッとした。
「その、爽やかで気持ち良さそーな笑顔。てめえ、今日お泊りだな」
光は、片手に繭を抱きながら、キッと玲を睨んだ。
「そんなの相手次第サ。ま、俺に口説かれて帰れる女がいるとは思えねえけどな」
いつでも自信満々な男である。光は、ヘッと笑った。
「今日の相手は女か」
「明日は男だ」
ヒランと手を振って、玲はドタドタと階段を降りていった。
「このヤロー!やり過ぎて、死ねッ」
玲が読んでいた雑誌をバシッとドアに叩きつけて、光は叫んだ。
ハハハハと笑い声が階下で響いている。
「じゅんにー」
繭はまだ、あふあふと泣いている。
「繭ちゃん。光兄じゃダメ?潤兄はいないんだよ。ねえ、繭ちゃん。潤じゃなきゃダメ?潤に似てなきゃ、だめ?」

小野田家は。
母親は亡く、父親は海外赴任。
長男の泪は、繭の眼中にはなく、次男の玲は嫌われている。四男の潤が大好きだった繭。
しかし、彼は、自分の恋心に従って水辺の町へと走っていった。
残ったのは、俺。三男の光。
繭には、嫌われてもいないが、好かれてもいない。いや、好かれてはいるかもしれないが、中途半端。
完全には、信頼してくれてないのかもしれない。いつも、中途半端な俺。
優秀な兄貴に、優秀な弟。
綺麗な顔・顔・顔・・・。「似てないね」と言われる度に。
「ブサイクでゴメンなさい」と、心の中ですねて、言い返した。
そういえば・・・。
決して声にも顔にも出してないつもりだったのに。
幼い頃のある日。
すぐ上の兄、玲だけには気づかれてしまった。
「ひねくれんなよ。光。おまえは綺麗じゃなくって、可愛いンだから」
「あのね。玲兄。男が可愛いって言われてなにが嬉しい」
「フンッ。だったら、綺麗って言われても嬉しくねーぞ」
「そう?俺は嬉しいぜー。綺麗・美人。いいじゃん」
「泪兄は黙ってろよッ」
なぜだか、最後は玲と泪が大喧嘩していたっけ。
似てないの、当たり前。
俺は、この綺麗な兄弟達とは血が繋がってないのだから。
従って、おフランスの祖父ちゃんの熱い血も、俺の体内にはないのだ。
「ひかりにー」
繭は、ボケッとしてしまった光の目の前で、小さな手を振った。
「ひかりにー。おきて〜」
「あう。ご、ごめん。起きてるぜッ。繭ちゃん、機嫌治ったか?あとで、潤兄に電話してみよーな。それから2人で、カレー食べような」
お手伝いさんの香苗さんが作っていってくれたカレーが、1階のキッチンに置いてある。
「うん」
なんだかちょっと拗ねた顔で、繭はコクッとうなづいた。
すぐ間近にある、小さな、けれどクリッとした繭の瞳の色は、やはり泪達と同じヘーゼルなのだった。

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「で。おまえはデートを忘れていて、慌てて繭を背負って、デートに行ったら、相手のヤローは怒って帰ってしまった、と」
ギャハハハと泪は笑った。
残業+同僚達との飲み会で、夜中に帰宅した小野田家の長男は、この真夜中だというのに居間に光の姿を見つけては、
声をかけたのだ。冴えない顔をしている弟を不審に思って、問いただした結果、玲のデートを妬みつつ見送ったくせに、自分も
デートがあったことを忘れていたというのだ。相手から携帯にメールをもらって、気づいたとのこと。
中々マヌケな感じである。
「ふ、ふん。そうだよ、悪いかよッ」
「相手には悪いだろ、そりゃ」
カバンをソファにドサッと放り投げながら、泪は言った。
「いいじゃん。繭ちゃん、寝てっからおとなしかったんだぜ。それに、最近つきあい出したんだから、即ホテルじゃねーもん。
どうせ会ったって、酒飲んで世間話だもん」
光は、とくとくとグラスに麦茶を注いでいる。
20歳は過ぎているが、飲めてもあまり酒が好きじゃない、光らしい。
「だからといってな。ホテルのバーでも、居酒屋でもさ。ガキ背負ってるヤツとなんか飲みたくねえよ。誰だってサ」
「店に行けば、繭ちゃんは降ろしたよ!」
光の台詞に、泪はハアと溜め息をついた。
「そーゆー問題じゃねーんだよ、光。デートにガキ連れて行くな」
「泪兄がさっさと帰ってきてくれりゃ、俺は一人で出かけられたぞッ」
「なら、携帯に電話くれればとっとと帰ってきてやったさ。デートの約束、忘れていたのはおまえだろ。おまえが悪い」
泪に言われて、光はハッとする。
「そ、そりゃ。まあ、覚えてなかったけど。そか、俺が悪いよな」
光は、首を傾げながらうなづいた。
背広を脱ぎながら、泪は光を振り返った。
「俺や玲にゃ考えられねーことだよな。デートを忘れるなんて」
「俺は、あんたらみたく、マメじゃないだけさ」
光は、グッと麦茶を飲み干した。
「そうじゃねえよな、光」
「なに?」
「おまえさ。恋愛って興味ねえとか?」
「まさか。好きだぜ、恋愛。泪兄や、玲兄ほどマメじゃねーだけで」
「じゃあ、今つきあってるヤツが好きじゃないんだろ」
「なんでさ。好きだぜ」
「そうか?ならば、なんで約束を忘れる?おまえを置いてさっさとデートに行った玲のツラを思い出してみろよ」
「・・・」
「楽しそうだったろ?本来は、デートなんて、そういうモンじゃねえのか?」
夕日の中で、玲は幸せそうに笑っていた。
その笑顔を思い出して、チッと光は舌打ちした。
「玲兄は、快楽主義者だから。ヤれりゃなんでもいーんじゃん」
「ふふふ」
意味あり気に泪は、光を見て笑った。
光は「?」と思いつつ、ムッとした。
「玲兄なんてッ!相手をとっかえひっかえ。ったく、あの歳で、ちっとも落ち着かねえで」
「人のこと言えるかよ。おまえが一人の相手と1年続いたのって、聞いたことねーぞ」
「俺はフラれるんだ!玲兄のようにフッたりなんかしねーもん」
「えばんな」
パンッと頭をネクタイで殴られて、光はプウッと頬を膨らませた。
「繭は泣くし、潤はいねーし、玲兄はフラフラ、泪兄もフラフラ。こーゆー時、1番真面目な俺が、1番損をする」
バッと泪からネクタイを奪い返して、光はバシバシネクタイで、泪を殴った。
「いてて。よせって。とにかく!おまえの存在には、救われているぜ。感謝してるって」
「口ばっかりだ。非協力的なくせに。泪兄も、玲兄も。潤だって!」
光からネクタイを取り上げながら、泪は光を覗きこんだ。
「なに苛々してんだ。玲が帰ってこねーからか?」
「なんで!?アイツが帰ってこねーの、いつものことじゃん」
「おまえこそ、どうした。顔がマジに怖いぞ」
「だって。この夏、すげー暑いんだもん。なんか、暑くてムカつく」
「おいおい」

光は、バッと泪から目を反らした。
この長兄は、中々勘が鋭くて。
ボヤボヤしていると、分析されてしまう。
光はフウッと心の中で溜め息をついた。
さっき。
開け放った潤の部屋の窓から、夏の風を感じて・・・。
咄嗟に夏から、「海」を連想した。
そして。
潤のことを思い出した。
約束された未来を捨てて。
進学も、バスケも、家族・妹すら、放り出して。海辺に住む恋人の所へ行ってしまった弟。
恋ゆえに。恋だけのために。前から素直だったが、ああまで見事に素直に行動されてしまうと、羨ましいが高じて妬ましくなってくる。
ずるいと思う。いいな、と思う。
走っていけて。
感情の赴くまま、走っていけて。
だって。俺は走れない。
素直には、自由には、走れない。
恋ゆえに、恋のためだけに。
それだけは、決して出来ない。
「わっ」
目の前に、缶ビールをつきつけられて、光はドキッとした。
何時の間にか、泪は缶ビールを取りにキッチンに行ってきたらしい。
「いらねえよ。酒、あんまり好きじゃない」
「そうは言わずにつきあってくれよ」
「いやだ」
しかし、泪は強引に光にビールを押しつけた。
「光。兄ちゃんな。転勤決まったんだわ」
泪の言葉に、光はギョッとした。
「転勤!?転勤って、なんで、急に・・・」
「転勤は急なものなのだ。で、今日は俺の左遷記念日!つきあえよ」
「左遷って。泪兄・・・」
「会社がくだした判断だから・・・仕方ねえし、俺も自業自得ってこと」
そう言って、泪はニッと笑った。
「飲んで、祝ってくれよ」
「祝っていいのかよ?」
「フン。俺は必ず戻ってくる。何年かは、骨休みだ。休みをくれる会社に感謝。だから、祝いでいいの」
「意地っ張り。休みすぎて、ダメになるなよ」
「俺はそーゆータイプじゃねえよ」
サラリと泪は言った。
「ちっ。ったく、どいつもこいつも、自信家。家系だよな〜」
ボソッと言いつつ、光は、泪のビールに自分のビールをガシャッとぶつけた。
「頑張ってこいよ、泪兄」
「おう。明後日には、出発するから」
「明後日?すげー、早くねえか?」
「男の一人身は、荷物がなくて、楽チン。つか、荷物より俺はこっちでの人間関係を清算する方が大変だ」
「自業自得だろーがよー」
まったく。知ってはいたが、とんでもない兄貴だ、と光は思った。
「女子社員、泣くだろーな」
「言ってろ」
泪は、フッと光を見た。
「そーだな。後始末は、玲に頼むとすっか」
「え・・・?」
クピッとビールをあおりながら、泪は言った。
「ってことで、家のこと、この小野田家の全てを、おまえに任せるからな」
全部任せる・・・って。
ああ、そうか。父さんも、弟も、既に居なく。
とうとう兄もこの家を出ていってしまうのか。
そうか。俺と玲兄しかいなくなっちまうのか。
え?
まさか。
これから、しばらく玲兄と2人っきり?
光はギクリとしつつ、ハッとして、慌てて泪に言い返す。
「や、やだよ。なんで。玲兄がいるじゃん。玲兄に任せていけよ。困るよ、俺。金銭感覚ねーし、繭ちゃんにはあまり信用されてねーし・・・」
「アイツは恋愛以外は、アテにならん」
「ひでー言いようだ」
「邪魔者がいねー間に、みっちりとキョウダイの仲を深めておけ。ねっとりとな。スキンシップも好きなだけやれよ。フフフ・・・」
泪の言葉に、カッと光が顔を赤くした。
「な、なんだよ、それ。気持ち悪い言い方すんなよッ。俺は別に玲兄と仲が悪くないぞ!良くもねえけど。みょーな言い方すんなよなッ!」
ヒュウッと泪は口笛を吹いた。
「光くん。君は、繭ちゃんの存在を忘れてます。アニイモウトと書いて、キョウダイと、無理矢理読ませたりするんですけど。俺はいなくなるし、
玲は俺がいなくなりゃ、更にハメをはずして家になんぞ戻ってこない。だからな。その隙に、繭ちゃんとおまえはって・・・言う意味で」
「!」
シーン・・・。
「あ、そか・・・。なんか、だって。泪兄の言い方がおかしくて・・・」
更に光の顔が赤く染まっていく。
「やべ。俺、こんなんだから、繭ちゃんに信用してもらえねーんだ」
光は、ほてった頬を両手で押さえた。
ニッと泪は笑った。
「なあ、光。前から思っていたんだが。おまえって、玲のことが好きなのか?」
「え?」
光は、それだけ言っては、目を見開いて泪を見つめた。
「今のは。確かに、俺はずるい言い方をしたんだが。その顔だと・・・。大当たりか?俺」
掌で顔を押さえて、泪はクククと笑っている。
「・・・卑怯だ。あの言い方は・・・」
「そうか。ごめんよ。でも、確かめたかったんだ」
光は唇を噛み締めて、うつむいた。
そう。俺は、潤のようには、走っていけない。
愛には、走れない。
俺は。俺は。
昔から。
玲が。
すぐ上の兄、玲が好きなのだ・・・!

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