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薄暗い部屋が、煙草の火で、一瞬明るくなった。
「ん・・・」
「あ、ごめん。起こした?」
怜は、振り返った。
「ん、いいよ。そろそろ起きなきゃって思ってたから」
同じ会社の総務の関口加奈子は、フアッと欠伸してから、怜に向かって手を伸ばした。
「私にもちょーだい」
怜は、煙草を一本彼女にあげた。
「加奈ちゃん。俺さー、いつ海外行くんだろ」
すると、加奈子は、「怜ちゃん次第じゃないの〜?」と軽く言った。
「俺次第!?いい加減な会社だなー。辞令とかさ、あるだろ」
すると、加奈子は、目をパチクリさせて、怜を見た。
「小野田ぶっちょー、あれからなんも連絡くれないでさ。予定たたないじゃん。引継ぎとかあるしさ」
「怜ちゃん」
加奈子は、裸の胸を震わせている。
「ん?」
「怜ちゃんって、旅行に行くのに辞令をもらっていくの?」
「はあ?」
「ぶはっ」
加奈子は煙を吐き出して、大笑いしている。
「旅行って、俺、イギリス転勤だろ〜」
「やだー。知らなかったの?矢田ちゃんからも聞いてないの?
私達女の子の反対運動は、めでたく実を結び、怜ちゃんの転勤はナシになったの。うふふ」
「げっ。ちょっと待ってよ。マジかよ」
「そうよ。でも、怜ちゃん。肺炎で一週間以上も入院したから、旅行も、もう無理ね」
「うっそ〜」
怜はポロッと煙草を指から落した。
「きゃー。怜ちゃん、シーツ燃えちゃう〜」
加奈子は悲鳴をあげた。
「なんちゅーことしてくれたんだよ〜」
「アハハ。まあ、反対運動っていうのは冗談でさ。最初からそうだったらしいよ。矢田ちゃんが言ってたのはガセで、元々転勤っていうより、
遊びに来いっていう意味だったらしいわ。部長が課長に電話したのは、怜ちゃんに有給取らせてやってね♪っていう小野田部長からの
優しい心遣いだったのよ」
「ぐはっ。さ、サイテー」
「へーえ、怜ちゃん、転勤するつもりだったんだ。でも、ダメでしょ。怜ちゃん、英語からっきしじゃん」
ケタケタと加奈子に笑われて、怜はムッとする。
「どーせ、俺はさ」
「ダメよ。怜ちゃんは、日本を離れちゃ。悲しむ子いっぱいいるし。友達だって、たくさんいるでしょ」
「いねえよっ」
ガバッと怜は毛布をかぶって、横になる。
「なーに怒ってンの?さては勘違いが恥かしいんでしょ〜」
キャハハと笑って、加奈子は怜に覆い被さった。
「内緒にしておいてあげる」
そう言って、加奈子は怜の唇に、自分の唇を重ねた。
目を閉じて、それを受けながら・・・。
潤。おまえが、英語を教えていたのは、きっと俺だよな。
おまえの言うとおり。俺はとくに英語が苦手だった。
ああ・・・。俺って、こういうふうに勘違いで、バカなんだよな。
そんなことを怜は、ぼんやり考えていた。


結局海外転勤は怜のとんだ勘違いで、おまけに加奈子の言ったとおりに、病欠で休暇を使い果たし、怜は海外旅行にも行けなかった。
そして、いつもと変わらぬ毎日。
得意先を回って、おべんちゃら使って契約取って、接待、デート。
とにかく、家に落ち着いて一人で居る時間を、怜は徹底的に作らなかった。
結局、早とちりと言えぬまま、怜は潤との関わりを一切断った。
絵里にも、事情を説明しなかった。
いつかはバレるだろうが、それまでは放っておこうと思っていた。
なんどか潤からの電話があったようだ。
最近は留守電は解除しているが、着信履歴からわかった。
忙しく、ここ何ヶ月は家に帰るのは深夜だし、電話に出ることは出来なかった。
もっとも、家にいても、着信が潤からであれば、電話には出ないつもりの怜だった。
そのうち、引っ越そうとも考えた。この家に、何度か潤は来ている。
もしかして、記憶を取り戻してしまったら、ひょっこり現れるかもしれない・・・。
そう考えて、怜は首を振った。
「ねえな」
自重気味に笑いながら、窓の外の景色を見て、季節が変わろうとしていることに気付いた。
ゆっくりと。でも、確実に。自分と潤の時間は離れていっている・・・。
怜はそう思った。


怜は、外回りで、潤の住む街に来ていた。
ひょっとして遭っちゃうかも・・・と思いつつ、期待してんのか?と自分でハッとする。
待ち合わせまで時間があるので、適当に喫茶店に入り、煙草に火を点けた。
怜は窓際に座り、潤の住む街の人々が行き過ぎるのを見つめていた。
潤と怜の家は、近くはなかった。互いに、職場に近いところを住まいとして選んだのだ。
普通に暮らしていれば、街中で擦れ違うことはまず、ない。
けれど。ここを通り過ぎて行く人々は、何気ない日常の中で、潤と擦れ違うことがあるのだ。
そんなことすら羨ましいと思ってしまう自分に、悲しくなる怜だった。
本当に。つくづく、本当に、遠くなってしまった・・・。
前は。いつでも潤に会えた。会いたい時に、すぐ会えた。
酔っ払って、いつも転がりこんでは、介抱してもらっていた。
けれど、あの日。二階堂とドア先で擦れ違った時。
あの時から、すべてが、すごい勢いで変わっていってしまった。
コーヒーを飲み干し、怜は時計を見た。
そろそろ、動くかと思い、レジで会計を済まし、店を出た。
カランと店のドアについていたベルが、涼やかに鳴った。
そして、その音のせいなのか、近くを歩いていた男が振り返った。
「!」
怜は、目を見開いた。
しまった・・・!考えていたら、会っちまった。
振り返ったのは、潤だった。
さすがにあれから、3か月は経っていたので、もう怪我もすっかりよいようだ。普通に歩いている。
潤は、瞬き1つして、怜をジッと見ていた。
怜は、慌てて視線を反らすと、ササッと歩き出した。
「!」
呼ばれた気がする。
怜と。怜と。怜と呼ばれた気がする。
だが、怖くて振り返ることが出来ない。
なんでだよ。今日、平日だぞ。仕事、どーしたんだよ、アイツはッ。
そのまま怜は、走り続け・・・。
気づいたら、よくわからない所にいた。
「どこだ、ここ・・・」
辺りを見回しても、全然わからない。
「ぐわあああ!どこだっ、ここは〜。ま、間に合わねえっ」
通り過ぎゆく人達が、奇妙な目で怜を見ては、ささっと足早に去って行く。
時計を見て、さすがの怜も青褪めた。
当然待ち合わせの相手との時間に間に合いそうもなかった。
「動揺しちまって、ばかじゃん、俺」
たかが、バッタリ遭っただけで。
「よお」
ぐらい声かけて、冷静に去りゃいーじゃん。
俺って、本当にバカだぜと思いつつ、怜はハッとした。
よお、どころの騒ぎじゃない。
俺は、確か、海外に行ってることになっている筈。
「あー・・。やべ。潤のヤロウ、気づいてねえといいんだが」
モロバレ間違いない。
「・・・」
あんなに堂々と、海外赴任宣言して、挙句に怒鳴りつけて帰ってきて、それっきり。
事実を知られたら、記憶を失っていようと、潤が潤であるならば、大笑いされること確実な、赤っ恥丸だしの自分である。
「会社辞めて、マジに引っ越そうかな・・・」
怜は頭を掻きながら、ブツブツと呟いていたものの、前から来た美人主婦らしきを目にすると、そそくさと近づいた。
ニコッと営業スマイルで
「すみません。ここはどこでしょう。駅はどっちでしょうか?教えていただけると助かるんですが」
と、聞いた。
必要以上に丁寧に説明してもらい、駅までの道程を辿りながら、怜は考えていた。
潤に。怒る筋合いなんて、自分にはないのだ。
忘れ去られてしまっても。思い出してもらえなくても。
それは、確実に自業自得である訳で。
潤の「恋」を知りながら、退けていたのは自分なのだから。
怜は空を見上げた。
空は、遠かった。

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「先生。どうしたの?」
二階堂に言われ、潤はハッとした。
今日は、平日だか、創立記念日で学校は休みだ。
二階堂は、昨日から泊っていた。
「なんだか。顔色良くねえよ」
「なんでもないよ」
すると、二階堂は溜め息をついた。
「怜さんに関係すること、なんか思い出したりしたんだ?」
「・・・」
「先生がそういう顔する時って、いつも怜さんのこと考えてるんだよ」
「すまん」
「なにがあったの?」
「さっき本屋に行った帰り。怜に会ったんだ。偶然に」
「だって、あの人、海外に行ってるって」
「ああ。どういう理由か知らないが、あれは確かに怜だった」
見間違いかも、と言わないところが、先生らしいと二階堂は思った。この人が怜さんを見間違える筈はないのだ。
「それで、先生は。難しい顔をしているんだね」
来るべき時が来たな、と二階堂は思った。

そうだ。いつも、俺には、この不安がつきまとっていた。関係ない。振り向かせて見せると、どれだけ強く思おうと、
自分のその想いを凌駕する勢いで、先生は怜を強く想う。
それが、愛でも憎しみでも絶望でも。どんな想いでも、怜への想いは、先生の中では1番強いのだ。
それを、記憶を失った先生と生活を共にしていると敏感に感じた。記憶を失ってから、なお。以前よりもずっと。
先生は怜のことを考えている。
こんなふうになること。
きっと、自分は大分前から気づいていたのだろう。不思議と、二階堂の心は落ち着いていた。
自分のせいで、自分を庇った為に、先生は事故で傷を負った。
それは、誰に責められることなくても、自分の中での罪だ、と二階堂は思う。
それに対する罪は、償わねばならない。
潤に記憶を失わせたのは、自分がキッカケであるからなのだ。
「先生。気になるならば、ちゃんと決着つけた方がよいよ」
「和彦」
「先生は覚えてないかもしれないけど、俺が先生とつきあうキッカケになったのは、俺が怜さんに似ているからだよ」
「・・・」
「先生は、ちゃんと教えてくれたんだ。怜さんとのこと。俺に告白してくれていたんだよ。
そして、俺はそれを承知で貴方を愛していくって決めた。なにもかも承知だったけどさ。
でも、やっぱり辛い」
「わかった。和彦、もういい」
潤の顔色が、サッと変わった。
「なにがいいの?よくねえだろ?ねえ、先生。俺が辛いんだよ。わかってよ。
そんな顔して、怜さんのこと考えてる貴方見る、俺が辛いんだよ。どうにか、してよ」
「和彦。すまない」
潤は、二階堂を抱き締めようとして手を伸ばした。
だが、その手を弾かれる。
「ゴメン。今は、抱き締められる気になれない」
二階堂はうつむいた。
「怖いけどさ。すげえ怖いけど。先生。なくした記憶を取り戻す努力をするべきだよ。ねえ。
俺のこと、大事に思ってくれているならば、そうして欲しい。そうじゃないと、俺は。なんだか本当に、
怜さんの代わりに側にいるみたいで落ち着かない」
潤は、天井を見上げた。二階堂の言うことは、もっともなのだ。
「・・・」
「ゴメン。俺、ひどいこと、言う。先生。先生は、自分を救う為に、俺と怜さん2人を傷つけたよ」
「!」
二階堂は、潤を見た。潤も、天井から視線を、二階堂に移した。
「おまえの言う通りだ・・・」
「すまないと思うならば、今からでも遅くない。記憶を取り戻す努力をしてよ。その結果が、俺か怜さんか。
先生が選択するんだ。俺はそれを受け入れるよ」
「和彦」
「結果は見えてる気がするけどね」
ハハハッと二階堂は笑いながら、クルリと踵を返した。
「怜さんにフラれたら。ちゃんと抱き締めてあげるよ。だから、安心して、怜さんのところへ確かめに行ってきな」
「おまえはどこへ行くんだ」
「俺は今日は家に帰るから」
そう言って、二階堂は部屋を出て行った。
追いかけようとしたが、そうすることは、余計に二階堂を傷つけることになると思い、とどまる。
二階堂の言っていることは、正しい。
俺は、なんということをしてしまったのだろう、と潤は思った。
記憶を失ったのは、自分を救う為だった。
そのせいで、二階堂と怜、2人を同時に傷つけたのだ。
だから。
俺は、記憶を取り戻さなければ、ならない。
そうでなければ。自分は二階堂を抱く資格はないのだ、と潤は今更に思う。
二階堂とは別の意味で、それは怖い。
怖いけれど・・・、でも・・・。
潤は、踵を返すと、すぐに受話器を手にした。
退院し、自分の家に戻ってきてしばらくして。
自分の部屋、物、色々なところに「小川怜」の痕跡を感じて戸惑った。
電話。短縮の1番最初のbヘ「怜」携帯電話の登録も同じだ。1番最初が怜なのだ。
家族をすっ飛ばして、怜なのだ。
歯ブラシ、パジャマ、煙草、冷蔵庫の奥の、自分の好みとは違うビールの銘柄。
ああ。覚えてはいないけれど。
確かに、ここには、アイツが居たのだと、潤はなにかを噛み締める想いで、夢中で、怜の痕跡を探った。

そして。二階堂が言ったように、自分にとって「小川怜」が特別な存在であったことが、現実となって押し寄せてきた。
だが、しかし。何度かけても繋がらない電話。そして、携帯。怜は、宣言通り、海外に行ってしまったのだ・・・と思った。
そういう諦めが心を過り、けれど。きっと、それで、怜も良かったのだ・・・と納得させた。
俺が、自分を忘れてくれて、良かったと思いながら行ったのだ、と。
俺のこの想いは、絶望だったのだ・・・と二階堂は教えてくれた。そうだ、と思う。
怜の残していったなにかを見て、心は騒いでも、それは、恋愛独特のあの高揚感とか、女みたいに言えば、トキメキがない。
どこか、寂寞とした、なにか諦めにも似たような想いが通過していく。
この想いは、一方通行だったのだ。
なくした記憶は、過度のストレス。それは、きっと。
一方通行で、相手に負担にしかならない想いを、自分が抱えているのが辛かったのだ、と考えた。
何度も、何度も、そう考えて。けれど。
今日、怜に会った。間違いなく、あれは怜だった。
海外にいる筈の、怜。
俺を見て、逃げ出した。
どうしてあそこに、怜がいたのか、わからない。
けれど。
「怜」と、自分が、本人を目の当たりにして呼んだ時。
少なくとも、細胞のどこかは疼いた。
怜の残していった物を目の辺りにして、感じてた諦めにも似たような、あの寂しい感情では、なく。
もっと、違う。もっと、なにか。
ずっと、ずっと、大事に、大事にこの胸に抱えてきたような。
なにか、とても、ひどく、強い感情。

呼び出し音はするが、電話は繋がることはない。潤は、ガシャンッと受話器を置いた。
やはり、この番号は怜のものではないのかもしれない。
海外赴任も、長期であれば、賃貸ならば解約していくのだろう。と、すれば、むろん電話も、解除だ。
あれは確かに怜だったが、行ったきりでなければ、こちらに時々は戻ってくることもあるだろう。
今日は、そんな偶然が、自分達を引き合わせたのかもしれない。
そう思って、潤は、ソファに座りこんだ。
そして、目を閉じる。
どれだけ、そうしていただろうか。
やがて目を開けて、時計を見た。
既に、真夜中だった。
喉が渇いていたので、ビールを飲もうとして、冷蔵庫を開けた。
チラリと、冷蔵庫の奥にあるビールを見て、潤は唇を噛み締めた。
行ってみよう。
そう思った。怖がっている場合では、ない。
二階堂に背を押してもらったことを、無駄にすべきではない。
バタンと潤は、ビールを取らずに冷蔵庫のドアを閉めた。
部屋にあるアドレス帳を掴んで、潤はそれをリュックに放りこんだ。
怜の住んでいた家に。場所に。
たぶん、俺は、そこに何度も行ったのだろうから。
なにかを思い出せるかもしれない。
この胸に湧く、強い感情を。

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取引先のお偉いさんを20分待たせたことで、相手は当然のごとく不機嫌だった。
そのせいで、取れた契約が引っくり返ることはないものの、かなり気を使わねばならないものとなってしまった。
怜は、自腹をきって、取引先のお偉いさんを、接待する派目になった。
けれど。その日は、それで良かったのかもしれない。
余計なことを考えず、ひたすら相手の気を良くすることだけに、頭と体を使っていれば、いい。
元々、そういうのは、怜の得意とするところだった。
「いやー。君はなんか、憎めないねえ。小川くん」
取引先の部長が、顔を真っ赤にしながら、怜の背中を叩いては、豪快に笑った。
「うちの秘書達も、君が来るのを密かに楽しみにしているらしい。今日は、明るいハンサムなあの営業マンくんは、
来ないんですか?って。どうやら、君に茶を出す順番を競っているらしいぞ」
「本当ですか?では、部長のところで拾っていただけますか?不肖小川、喜んで嫁いで参ります〜♪」
「ほう。本当かね?いや、でも、まだ、まだ。この仕事がきちんと終わったら考えてやらんこともないがね。
うちの秘書達は、美人で頭の良い子が多いから、滅多なヤツにはやらんぞ」
「はい。ご期待いただいて結構でございます。誠意を尽くして、この仕事に、取り掛からせていただいておりますから」
怜は、ササッと部長のグラスにビールを注いだ。
「期待しているよ」
ニカッと部長は笑った。
そんなこんなで、怜は本日の仕事を終えた。
部長とその部下をきっちりとタクシーで送り、そして、自分も家に戻る。
「お客さーん。大丈夫ですか?」
タクシーの運転手が、心配そうにミラー越しに聞いてくる。
「大丈夫ですよ〜」
「だったら、いい加減に本当の家を教えてくださいよ。ト○ロの森に住んでいるとか言ってねえでさ〜」
タクシーはさっきから中々発進出来ない。行き先がわからないから、走りようがないのである。
「よかろう。では真実を。俺は国会議事堂に住んでいる」
エヘヘヘと怜は、上機嫌である。
「あのねー。国会議事堂まで行くならば、その近くの桜田門で降ろしちゃいますよー」
「おっさん、うまいねー」
ポンポンと、怜はオヤジの肩を叩いては、ニコニコしていた。
「では、本当のことを言おう」
シャキッと怜は背筋を伸ばした。
「はいはい」
「潤の家」
「はあ?」
タクシーの運転手は、キョトンとしている。
「遠藤潤の家。潤のアホの家。連れて行って〜」
途端に怜は、ダラ〜ッと後部座席に、倒れこむ。
「知りませんッ。あー、もー、ひでえ酔っ払いだなぁ。ったく、さっきまでは、シャキシャキしてた癖によぉ」
運転手は頭を抱えこんだ。
「お客さんっ。いい加減にしてくださいよ」
勢いよく運転手が振り返った時だった。
「××区×××町3―7」
冷静な声が聞こえた。
「!」
運転手はハッとして、怜をまじまじと見つめた。
怜は目を閉じたまま、後部座席に寄りかかっていた。
「おにーさん。役者だねぇ」
苦笑すると、運転手は、アクセルを踏み込んだ。
しばらく走ってから、運転手はボソリと言った。
「酔えないんですかい?」
「てんで、酔えませんね」
テンポ良く返ってくる、落ち着いた声。
相変わらず目を閉じたままの怜に、運転手はそれきり声をかけることを止めた。
単調な振動に身を預けたまま、そして、怜は1度だけ目を開けた。
「雨が・・・」
呟いて、怜は再び目を閉じた。
「雨が降り出してきやがった、ちくしょう」
雨は、キライだ。あの日以来、キライだ。
肺炎になった。潤に逃げられた。告白出来なかった・・・。

続く
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