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「先生。遠藤先生ッ」
運ばれる潤の側へ、和彦は群がる野次馬を掻き分け急いだ。
ダラリと担架から落ちた血だらけの腕に、目を背けかけたが、勇気を振絞って、側に駆け寄る。
「ダメだよ。近寄らないで」
救急隊員にそう叫ばれて、遮られる。
「お願いです。助けてください。先生を助けてください」
「わかってるよ。落ち着いて」
一人の救急隊員が、和彦を押さえながらうなづいた。
「先生。遠藤先生・・・。潤。潤ッ」
和彦は思わず叫んでいた。
その時だった。
担架の上の潤がピクリと動いた。
「意識が!?」
隊員達がギョッとして、応急手当の手を止めた。
「おまえが無事で良かった・・・。怜」
パチリと目を開けて、確かに潤はそう言った。
隊員達が、弾かれたように、突っ立ている和彦を見た。
一瞬のことで、すぐに再び潤は意識を失ってしまった。
「運びます。来てください。レイさん?」
潤を救急車に収容してから、隊員の一人が和彦に声をかけた。
「貴方も一緒に」
「はい・・・」
和彦は、涙が溢れて止まらなかった。
声は似ていない。声は似てない筈なのに・・・。
でも、いい。ともすれば、どこか遠くへ行ってしまいそうな儚い潤の意識を、今繋ぎとめておければ。
例え自分は怜でなくとも。怜にはなれなくても・・・。
「潤。頑張って。先生。遠藤先生。潤・・・」
和彦は、許され、潤の傍らに付き添った。
バタンと救急車のドアが閉まる。

知らせなきゃ。
とにかく、この車を降りたら、知らせなきゃならない。
和彦は、潤の手を握り締めながら、目を閉じた。
先生。あの人を連れてくるよ。
10年間以上もの間、互いを「潤」と「怜」と呼び合ってきて。
その名に特別な想いを忍ばせて、今でも貴方が呼び続けるあの人を。
ああ。先生は。
ずっと、ずっと。ずっと・・・。
あの人の名前を呼びたがっていたんだね。
我慢していたことわかっていたのに。
わかっていて、傷を広げるようなことを言って。
体を傷つけて・・・。
そして。それ以上に、心を傷つけて、ごめんなさい!
あの人を。連れてくるよ。手遅れになる前に。
手遅れになる、前に・・・。
あの人を呼ぶから。絶対に呼ぶから・・・。
耳の隅で不吉なサイレンを聞きながら、和彦は心の中でずっと潤に、そう呟き続けていた。
だから。待っていて。
遠くになんか、行かないでくれよ。
頼むから。待ってていてくれ。
そこで。そこで。そのままで!!!

****************************************************

「ちくしょう」
怜は病室に戻ってきては、興奮のあまり、部屋にある物にやつあたりをしていた。
見舞いにもらった雑誌やらをボスボスとあちこちに放り投げていた。
「なんでだよ。どうしてこうなっちまうんだよッ」
しまいには、自分のカバンを床に叩きつけた。
パアンッと音がした。
ハッとして、怜はカバンを持ち上げた。
潤から貰ったCDケースにヒビが入ってしまった。
「くそッ」
それを拾いあげながら、怜はそのCDをジッと見た。
パンッとベッドにそのCDを放り投げ、怜は髪を掻きあげた。
割れちまった。潤から貰った大切なもの・・・。
退屈な病院で、CDディスクで、最近ずっと聞きつづけていた。
潤の好きだった曲。
「ちっ」
舌打ちしながら、怜は頭を掻き毟っては、息を吐いた。
興奮して投げ捨てたものを、渋々ベッドに拾いあげた。
雑誌、ティッシュケース、菓子折り、その他もろもろ。
最後に、自分のカバンを拾いあげる。
その時だった。カバンからはみ出て床に落ちた携帯が目に入る。
着信のランプが点滅する。
「!?」
確かに電源は切っておいた筈なのに。
そう思いながら拾いあげた。
不思議と、着信音が耳に入らなかった。
ディスプレイに「着信・潤」と浮かび上がったその瞬間。
その緑色に光るディスプレイに、怜は目を疑った。
この携帯は、今、潤と繋がっている。
怜は思わず手を震わせて、携帯を握りしめた。
「潤!?」

そして。
電話の向こうから聞こえた声は、最悪な事態を告げていた。
怜は、電話を切ると、パジャマ姿のまま病院を飛び出した。

**********************************************************
「おまえ。手当たり次第そうやって罪つくりなことしてると、いつか刺されるぞ」
「なんで!?いいじゃん。皆俺が好き。俺も皆好きだもん」
「博愛主義者。フンッ。あんまり食い過ぎるな。虫歯になる」
「へへへ。おまえ幾つ貰った?」
「5個」
「勝った!俺なんかねー。えと、えと。13個だぜ〜」
「そん中に幾つ本命チョコがあると思うんだよ」
「本命!?さーね。そんなのどうでもいいじゃん。興味ねえよ」
「寂しくねえか?そーゆー生き方」
「るせえな。勝手だろ。なんだよ、これ?」
「昨日な。絵里に買物つきあわされたんだ。お礼にヤツから貰ったンだけど、おまえにやる。ほらよ。バレンタインデー」
「チョコかよ?へえ。サンキュ。これで14個だ」
「言っておくが、俺のだけが、きっと本命チョコだぜ」
「絵里から貰ったチョコだろーが」
「気持ちの問題だろ」
「なら、3/14日には、おまえが大好きな、この俺の体を、プレゼントしてやろうか?リボン付きで♪」
「バカじゃねえの、おまえ・・・」
高校3年の時だった。
互いにバレンタインに貰ったチョコを、放課後の教室で見せびらかしていたっけ。
あの時の呆れた潤の顔は今でも覚えてる。そうだ。俺は本当にバカだった。

気づかなかったんだよ、潤。
だって、俺は「恋」なんてしたことなかったから。
女とも。ましてや、男となんて。
両親の離婚。
おふくろが若い男を作って、オヤジから逃げたのは小学校6年の時。
周囲から大恋愛だと言われ続けてきた両親の、あっという間の崩壊だった。
捨てられた親父は、あっという間に心を病んでのたれ死んじまった。
おふくろなんて・・・。女なんて・・・。恋愛なんて・・・。誰が信じるもんか。
おふくろを失い、親父まで失い、俺は自然に荒んじまった。
中学の頃なんか、もう、最低。
酒に煙草に暴力に女、女、女。
一人になってしまった俺は、とにかく寂しくて。悔しいけれど、人肌を求めて、女とつきあいまくった。
『好きなのよ、小川君』
『怜のことが好き』
『大好き』
通り過ぎて言った幾つもの『好き』
誰の言葉も受け入れ、誰の言葉も突っぱねていた。
「好きよ」「俺も」「好きだ」「アタシも」
廻り廻る言葉のじゃれあい。体のじゃれあい。
言えば一時は心が満たされ、抱き合えば心が暖かかった。
けれど、離れれば、すぐに終わってしまう。
誰も俺を追って来ようとはしなかった。深入りしてこなかった。
お互い様だ。利益が一致しただけの時間。
そうだ。誰もが、一瞬の快楽と安堵を求めて生きてるんだ、
と思った。
けれど。密かに。ホントに密かに。
俺は、少年漫画で読んだ「友達」っつー存在に、憧れていた。
こんなふうに、互いを理解しあうことが可能なんだろうか?
なんの打算もなく・・・。
そう。体すら繋げずに、ただ心だけの繋がりだけで。
本当に?
漫画の中だけのこと・・・と思いながら、俺はそれでも憧れていた。
友達。友達。友達。
高校に上がってからは、ずっと捜していた気がする。
友達という存在。
だが、中学の時にためたツケは、高校になってもまだ清算出来なくて、相変わらず俺は皆から煙たがられていた。
そこへ。
潤が現れたのだ。
突然。本当に突然、潤は、俺の後ろに立っていた。
そして、気づけば肩を並べていた。
最初の頃は、なんとなく疑わしくて、潤を試すような真似ばかりしていた。
だが、潤は、俺がどんな揉め事を起こしても、決して逃げなかった。一緒に、側に、いてくれた。
これが友達なんだ・・・と俺は思った。
漫画みてーなこと、現実にあるんだ・・と俺は思って、嬉しかった。
俺は潤との関係を「友情」という言葉で表せると自信を持っていた。信じていた。純粋に、信じていた。
ずっと、ずっと。俺達は「友達」を続けていける。潤となら。潤となら・・・。
そこまでいける、と思った瞬間に。
おまえが壊したんだ、潤!
無理矢理、俺を抱いて。
おまえは、無理矢理、俺に押しつけたんだ。
廻る言葉と、体のじゃれあいを。
潤は、俺に告白した。
「友達なんかじゃなく、おまえのことが好きだ」
・・・と。
友達じゃない「好き」ってなに!?
俺には、わからなかった。
情けないことに、俺は本当にわからなかった。
「好き」なんて、女とヤる為だけにしか使わない。
欲求満たす為だけの、単なる言葉の道具。
じゃあ、潤は。
俺で、欲求はらしたいのか?
そういう特殊な人種がいるのは、知ってた。
男にしか欲情出来ないタイプ。
ああ。おまえもか。おまえも・・・。
俺と、他のヤツと・・・、おまえも一緒だったんだ。
悲しかった。辛かった。
けれど。気づいたら俺には、もう潤しかいなくて。
潤しか、いなかったんだ。
だから、俺は耐えた。本当は、そんなことしたくないのに、潤が求めてくるまま、体を開いた。
いつか。いつか。潤は正気に戻ってくれると思いながら。
そうすれば。俺達は、また「友達」に戻れる。
潤ならば。戻ってくれるに違いないと思ってた。
だが。時を重ねるごとに、俺は絶望した。
潤は、いつも俺に「好きだ」と言う。
そして、体を重ねたがった。
もうダメだ。言わなきゃわからない。
言わなきゃ、潤は気づいてくれない。
別れの言葉を言うことで、潤とは元に戻れると思った。
「おまえと友達になりたいんだ」
あの時の、潤の顔を、未だに覚えている。
「恋人じゃ・・・なぜダメなんだ?俺達が男同志だから?」
その無邪気な、潤の台詞を聞いた時。
俺は、自分が決定的に間違えていたことを知った。
恋人?恋人?恋人?
これは恋!?もしかして、恋?
潤は、俺と、恋をしているつもりだったのか?
俺の好きは・・・欲求はらすだけの言葉の道具。潤もそうだと思っていた。
こんなこと、言えるかよ・・・。
同情なんかより、性質悪い。
おまえの「好き」を、俺は最初から、信じてなかった!なんて。
未来なんて。そんなことが怖かったんじゃない。未来が怖くて、言った台詞じゃねえんだよ。
そこまで、俺は到達してなかったんだから。
俺は。恋を知らなかった・・・。
言葉の意味は知っていても、それが自分にふりかかっている現実だとは、理解出来ずにいた。
好きだと毎回囁く潤の言葉の裏に。
どれだけの真実がこめられていたかを知ろうともせずに。
まさか。おまえが、俺に「恋」してるなんて。
気づかなかったってどうして言えたよ?
恥かしくて。申し訳なくて。辛くて。嬉しくて。
全ての感情が俺を襲った時に、潤はうなづいていた。
「わかったよ。友達に戻ろう」
17歳の時。
告白と同時に、おまえは、友達という関係を捨てた。
それは、先に「好き」という感情があって、その感情に付随して涌きあがる欲望を、実現する為に。
けれど、俺には「好き」っつー感情が欠落してたんだよ。
二階堂っつーガキは、自分の感情が「恋」だと知っていた。
あの頃の俺と同じ歳で。でも、俺は・・・。そんな感情を知らなかったんだ。
まったくマヌケな話だと思った。

そうして潤との関係を自ら壊して・・・。でも、変わらず潤は側にいてくれて。
その時になってようやく気づいた。
体が目当てじゃない、好き・・・。
壊してみて、初めて気づいた。
17歳のあの頃。潤が俺に抱いていた感情。
好きがあって、それから体がある、友達を超える感情。
潤は、それが言いたかったのだ。
「友達なんかじゃない、好き」
ようやく理解した時は、俺達にはもう距離があった。
俺が無理矢理作った、大きな距離。
潤は俺の言葉を忠実に実践しようとしていた。
恋を排除した「友達」関係を築き上げてくれようとしていた。
それならば。
自ら壊した関係だ。どうすることも出来ない。
俺がリードを取らなければならないと思った。
例えこれが「恋」だと気づいても。
潤の気持ちを知り、自分の気持ちを自覚しながらも、それでも踏み出せなかったのは、再びなにかがあった時に、
今度こそ自分は潤とダメになってしまうと思ったから。
恋人はむろん、友達でも、なくなってしまう。
それがイヤだったからだ。それがイヤで、ずっと耐えてきた。
自業自得だと納得させながら。
だが。もっと早く。踏み出さなければいけなかったんだ。
別れを切りだしながら、その瞬間に潤の気持ちに気づいた時に。
自分も潤が「好きだ」という感情に気づいた時に。
マヌケといわれようが、なんと言われようが。
素直に潤に告白しなければならなかったのに。
俺達は。
友達にはなれない。友達には、なれないんだ。
この、感情がある限り。
そのせいで、潤をずっと、ずっと、苦しめた。
あの日の屋上で、二階堂に教わった。
二階堂の存在に、徹底的に打ちのめされた。
逃げてなんかいられない。
今度は俺が「好きだ」と言わなければならない。
俺の。この俺の、マヌケな告白を、潤、聞いてくれよ。
今更じゃねーかよ、と笑われても、怒鳴られてもいいから。
10年分の想いを込めて、言うから。
あの雨の日、おまえは「聞きたくない」と言ったけど。
おまえが今も俺を好きならば、絶対に聞きたい筈の言葉なんだ。
俺も、言いたい。もう、もう、もう。我慢なんて、出来ない。
おまえが好き。好きだ、好きだ、好きだ・・・。
10年分、ちゃんと、言うから。心を込めて言うから。
頼むから。
俺の目を見て、俺の言葉を、その耳で受けとめてくれ。
そして、俺を。
その体で受けとめてくれ。

無我夢中で潤の運ばれた病院へ向かって怜は走っていた。
走り、乱れた息の合間に、うわ言のように怜は幾度も潤の名前を呼んでいた。

聞こえるように。潤に、聞こえるように。
自分の声が、潤に届くように・・・。

続く

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