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10年振りに訪れた母校の職員室で、怜は見覚えのある後姿を見つけて叫んだ。
「よっ。小竹センセー。久し振り。俺、覚えてる?」
突然言われて、ギョッとしたように小竹は振り返った。
そして、目の前に立ち尽くす怜をジロジロと見ては、「元3年C組。小川怜」と言った。
「きゃ〜。感激デス。小竹先生に覚えてもらっているとは〜」
「忘れん。おまえのせいで、俺は何度教師人生を転落しそうになったことか」
「いやー。それを言っちゃオシマイっすよ」
バンバンッと小竹教師の背を叩いて、怜はキョロキョロと職員室を見渡す。
「なにしに来たんだ、おまえ」
小竹に言われて、怜は頭を掻きつつ、「潤。あ、遠藤先生、いる?」すると、小竹は目を見開いた。
「おまえら。まだつるんでいたのか?」
「えーえ。相変わらず腐れ縁ですがな」
テヘヘと怜は笑う。
「ほーお。おまえと遠藤がね。遠藤はよく道を踏み外さなかったなァ」
「どーゆー意味っすか」
「だいたいキサマ。こんな時間に、いい歳こいた男がなんでここにいるんだ」
小竹はギロッと怜を睨んだ。
「まさか。その歳で、まだフラフラしているなんて言わないだろうな」
「ギョッ、ギョッ。すげー怖い目。懐かしいなァ。昔に戻ったみてー」
「小川!」
「ちゃんと働いてマスよ。営業って職業柄、時間は適当にやりくり出来るんですってば」
フンッと小竹は鼻を鳴らす。
「相変わらず適当に生きているんだな。ったく・・・」
「や、やだな。あの頃の俺と、今の俺は違いますってば。ご心配なく」
「どうでもいいが、遠藤までおまえのチャランポランの人生に巻きこむなよ」
「わ、ひどーい!」
おちゃらける怜を、小竹は呆れた目で見ていたが、やがてフッと笑顔になる。
「変わらんな、おまえは。まあ、元気そうで良かった。きっかけはどうであれ、
卒業生の元気な姿を見れるのはなによりだ。遠藤は・・・」
小竹は職員室をグルリと見渡した。
「今、席にはいないみたいだな。まだ帰ってないと思うけど。探してみろ。
かつて知ったる場所だろ。あの頃とほとんど変わってないから」
「そうっすか。わかりました。じゃあ、先生。これからも元気で頑張って下さい」
「おまえもな」
「失礼しまーす」
怜は職員室を慌しく出て行った。
それと同時に、書類の山の間から、家庭科教師の家山が小竹を呼んだ。
「小竹先生。今の誰ですかァ」
「ん?ありゃな、約10年前の卒業生だ。ったく、今思い出しても俺の教師人生20年の中でも
5本の指に入る問題児だったんだよ」

すると、家山がクスクスと笑った。
「なんか、あっかるい人ですねぇ。遠藤先生とお友達には見えない」
「ああ。そーだな。10年前も思ったもんだよ。優等生だった遠藤が、やたらとあの小川の世話をやいていてな。
妙な取り合わせだった。
いまだに続いているとは驚きだよ」
「へー。ところで、遠藤先生、さっき帰りましたけど」
家山の言葉に、小竹はギョッとした。
「い、家山先生。それを早く言いなさい」
「アハハ。すみませーん」
「ったく。ま、いいか。どうせ来たんならば、懐かしの校舎見学でもしてきて、また戻ってくるだろ」
小竹は、そう言って、居残りさせている生徒のことが気になって、生物教室に走って行った。


「探せったって。広いんだけどよ、この学校」
呟きながら、怜は廊下を歩いていた。幸い、授業が終わっているので、生徒も少ない。
部活動、掃除当番、委員会。そう言った用のある生徒だけがウロウロしているのだ。
「でも。懐かしいな。マジで。どっこも変わってねーじゃん」
体が覚えている。あの角を右に曲がると、購買。左に曲がると非常階段。
さっき、擦れ違った生徒に、潤の担任クラスを聞いていたので、怜はまっすぐに2年C組に向かった。
偶然にも、2年C組は、当時の自分と潤のクラスだった。
迷うことなく、2年C組の教室に辿りつくと、怜は開けっぱなしの教室をヒョコッと覗いた。
誰もいなかった。ただ、夕日が放課後の教室を強烈に照らしていた。
一瞬、怜はその眩しさに目を細めた。
12年前。この教室で、俺と潤は毎日を過ごしていた。


「なー。潤。俺、もうダメ。落第してもいい。居残りかったりー」
「なに言ってんだよ。怜。マジメにやれよ。せっかく俺がつきあってやってんだからさ。ほら、やれよ」
「勉強キライ。それよかさ、ナンパしに行かねー?」
「ダメ。ちゃんと勉強しろよ」
「いいんだ、俺。おまえみたく頭良くねーもん!なんの取り柄もないし。いいのは顔くれーなもんだもん。
大学なんて、どーでもいいよ」

「怜。いいかげんにしろよ。おまえはな。確かに頭は良くねー」
「殺すゾ」
「でもな。おまえの長所は、その明るさと、憎めねー性格だよ。なんだかんだ言っておまえは皆に好かれているぜ。
そーゆーの、いいじゃんか。
立派に取り柄っつーの?長所だぜ。生かす場はいっぱいある。頑張れよ」
「生かす場って?」
「うーん・・・。そうだな。その物怖じしねー性格で、バリバリの営業マン」
「フーン。営業マンか。確かに俺に向いてそ」
「おまえならば、きっといい営業マンになれるぜ。応援すっから、頑張ろうぜっ」
「バーカ」
「へっ?」
「バカだから、バカっつったの。バーカ」
「な、なんだよ、それ。なんで、俺がバカなんだよ・・・!」


ふと、怜の脳裏に当時の会話がよぎった。思わず笑ってしまう。
あの時は。
あの時は、なんだか照れくさくって。思わず誤魔化したけど。
あんなふうに、言われたの、初めてだったんだ。
長所とか、なんとか。
皆、俺のことを、上辺でしか見てなくって。
深く、突っ込んで俺のことを見てくれている人なんて誰もいなくって。
女は、俺の顔と体が目当てなパーばっかりだったし、ヤローは、そんな俺を逆恨みして、ほとんど近寄ってもこなかった。
そんな中で、潤だけが違った。潤の、あの言葉は。とても嬉しかったんだ・・・。
「あの、すみません。ちょっと、ごめんなさい」
怜は言われて、ハッと背後を振り返った。
そこには、女性が立っていた。
「家庭科教師の家山と言います。実は、さっき小竹先生との会話を聞いていて、うっかり言うタイミング逃しちゃって」
「は?」
「遠藤先生。さっき帰られたんです。だから、もう学校にはいません」
「あ、それはどうも」
家山は怜を見上げて、ニッコリと微笑んだ。
「どういたしまして。それじゃ」
「先生。わざわざすみません。ありがとう」
「いいえ。せっかくですから、ゆっくり歩いていって見てください」
そう言われて、フムと考え込んだ。
そうだな。せっかくだから・・・。
教室に差しこむ夕日を見ていたら、懐かしくなった。
よく授業をふけたり、居残り授業から逃れる為に、屋上に行ったっけ。
あそこから眺める景色は最高だった。
「行ってみっか」
屋上は、夕日に照らされて一面金色に輝いていた。
「うわー。なつかしー。そう、そうこの景色だぜ」
目の奥まで染まりそうな、燃えるようなオレンジ色。
少し、風が吹いていて、その風が怜の髪を揺らした。
「気持ちいー。昼寝してー。あ、もう夕寝か」
風に逆らい、怜は歩き出す。高く張られた金網が風にカタカタと揺れていた。
「!」
そして、怜は、屋上のアスファルトにダラリと寝転がっている人物を見つけて、ギョッとした。
足音に気づいたのか、ソイツは、ハッと弾かれたように起きあがった。
「アンタ・・・」
「おまえ・・・」
驚いたことに、寝そべっていた人物は、先日潤の家で擦れ違った少年だった。
「なんで、アンタがこんなところに」
和彦は、こんな所で出会う筈もない人物、小川怜を見て、思わずそう言っていた。
「それはこっちの台詞だ。なんでこんなところで寝てやがるんだよ」
怜も、疑問を口にした。
「っせーな。居残り授業がたるくってフケてたんだよ。関係ねーだろ」
「・・・」
和彦は、黙ってしまった怜を見つめた。
「なにしてんの?」
「え?」
「こんなところでなにしてんだよ。もしかして、遠藤先生に会いに来たの」
「それこそ、てめーにゃ関係ねーだろ」
怜はプイッと和彦から目を反らした。
「もしかしなくても・・・だよね。アンタがここにいる理由はそれしか考えられないもんな。でも、残念でした。
先生は帰ったよ。なんでも妹サンが
交通事故起こしたって電話が来てサ」
「絵里が?」
怜は、ギョッとした。そして、パッと踵を返す。
「ちょっと待ってよ。いい機会だから、ナシつけよーぜ」
「るせーな。それどころじゃねーよ」
和彦は、怜の腕をガッと掴んだ。
「慌てるなよ。軽傷だってサ。先生にちゃんと聞いたんだ。だからさ。いいだろ」
「離せよ。てめーとなんの話すんだよ」
バッと、掴まれた腕を、怜は振り払う。
「決まってんじゃんか。俺の恋人の話」
「なに?」
「遠藤潤の話だよ」
和彦の言葉に、怜は目を見開いた。そして・・・。思わず吹き出した。
「恋人?アレが、おまえの恋人?」
怜はギャハハハと笑った。
「笑わせんなよ、腹いてー」
そんな怜の態度に、和彦は冷静だった。
「アンタがヨユーこいている時期は終わったんだよ、怜サン」
切れ長の和彦の瞳が、スッと細められた。
「聞いたよ。色々とね。アンタひどい人だね」
その言葉に、怜はキッと和彦を睨んだ。
「てめーになにがわかるんだ」
「なーんにも、わかんねー。わかりたくもねーよ。あんたの恋愛事情なんてね」
「だったら口挟むな」
「勘違いしないでよ。口挟む気なんてねーよ。今更あんたにどーのこーのされても困るからさ」
口元に笑みを浮かべて、挑戦的な目をこちらに向ける和彦を見て、怜は眉を寄せた。
苦手だ。こーゆータイプ・・・と即座に思った。

「俺。あの人が好きだ。すごく好きだ。この気持ち軸にして、俺あの人を幸せにする。だ
から。頼むから、これ以上あの人に
関わらないでくれるかな?」
マジな目だった。怜はその迫力に、目を反らしたいのをなんとか堪えて和彦を睨み続けた。
しかし、和彦は平然と続けた。

「あの人の前から消えてよ。中途ハンパに、うろつかれるの目障りなんだよ。最初から。
あの人のこと、好きじゃなかったくせに。同情で寝たくせに。
すげー淫乱だぜ。アンタ」
その言葉に、怜はカッとした。
「あれは、アイツが無理矢理・・・」
「無理矢理?無理矢理ヤられたら、その後もズルズル一年もセックスなんてデキねーだろ。
結局は、淫乱じゃん。好きだったんだろ、セックス。あの人、
上手だもんねぇ。あの人に抱かれて、
よがることが好きだったんだろ。
イヤ、イヤ言いながら、実は悦んでいたんじゃねーの?」
フッと和彦は笑った。怜はその笑みに、心底カッとなった。
「ふざけんなっ!俺はっ。俺は。好きじゃねえよ。セックスなんて」
「そー。じゃ、やっぱり、アンタあの人のことマジに好きだったんだ」
怜は、瞬間、カーッと頬が熱を持つのを感じた。
ヤバイと思ったが、どうしようもなかった。
そんな怜の顔を見て、和彦は僅かに目を見開いた。
「顔赤いよ。やっぱりね。実は、その反応が返ってくるのが楽しみだったんだ」
こんなにモロな反応返されるとは思ってなかったけどねと和彦は心の中で付け加えた。
「純情だったんだね、アンタ。俺なんか考えもしない未来のこと考えて、10年前のアンタは、きっと好きに歯止めをかけたんだろ。
でも、それは間違っていたよ。
少なくとも、今となってはね」
「うるせえっ。うるせー。なんなんだ、てめえ、一体」
怒ったり、顔赤くしたり、青くしたり。すげーわかりやすい男だと、怜を見て、改めて和彦は思った。
「俺はアンタみてーに純情じゃねえ。儚い未来になんてなんの夢ももってねーぜ。今、この瞬間の、
好きって気持ちが1番大事だ。だから。アンタいらねーんだよ。
頼むから、退いてね」
和彦はニヤリと笑う。
「俺さえ出てこなければ、アンタは純情ごっこ続けられたかもしれねー。けどね、それがあの人をどれだけ傷つけるか知っているんだろ。
だったら、退き時って
モンを心得てやんねーとね」
怜の握りしめている拳が震えるのを、なんとなくジッと眺めながら、和彦は続けた。
「感謝してよ、俺に。あの人苦しめるの、アンタだって辛かったんだろう?誰かに線引いて欲しかったんだろ?
望み通り引いてやっからサ。あとは任せてよ」

その時だった。バンッと屋上の扉が開いた。
「こらっ。二階堂。こんな所にいやがったのか」
小竹だった。
「げっ・・・」
小竹はズンズンとこっちに向かってくる。
「探したんだぞ。案の定、サボリくさっていやがって。なんだ、小川も一緒か?知り合いなのか、おまえら」
「遠藤先生通してね」
和彦は、そう言って笑いながら怜を振り返る。
しかし、怜はアスファルトに目を落としたまま、無言だった。
「ふむ」
顎を撫でつつ、小竹はチラリと怜と和彦を見た。
「ああ、そうか。なるほどな。二階堂。おまえはこの小川とよく似ているんだ。だから、遠藤がおまえに構うんだなァ。
いつも気になっていたんだが、やっと気づいた。
そうだ。おまえら良く似ている」
そう言って小竹は、ガハハと笑った。
「遠藤も、この手のタイプとはどーも縁が切れないようだな。友人に、生徒に」
小竹の言葉に、反応したのは、怜のが早かった。
アスファルトに落としていた視線を持ち上げて、小谷に反論する。
「冗談じゃねーよ。先生。俺は、こんなに可愛くねーガキじゃなかったぜ。コイツ、すげー生意気。
歳誤魔化してんじゃねーの?アバズレたガキだぜ」

「こっちだって。いい歳こいた大人のくせに、いつまでもガキみてーな純情振りまわしているよーなヤツとは似てるもんか」
そう言って二人は、互いを睨むとフンッと顔を背けた。
「な、なんだ?どーしたんだ。おまえら・・・」
間に入った小竹が、?と言う顔をして、二人をキョロキョロと見た。
「先生。俺、もう帰る」
「何言ってんだ、ばかたれ。さっさと残りの課題片付けろ。片付けるまで帰さないぞ」
小竹は、むんずと二階堂の学ランの襟を引っ張った。
「離せよっ」
「うるさい。ところで、小川。おまえもいつまでもサボッとらんで会社へ早く戻れ。家山先生に聞いたんだろ。
遠藤はもうここにはいないんだからな」

「わかりました。んじゃ」
怜はジタバタ暴れている二人を冷やかに見ては、今度こそ踵を返した。
「怜サン。さっきの言葉、よーく覚えておいてよ」
「るっせ。怜サンなんて呼ぶな。虫唾が走る。さっきの言葉なんて忘れたよ。
俺は、物忘れが激しいことでゆーめーなんだよ。クソガキ」
バアンッと怜は乱暴に屋上のドアを閉めた。
その勢いに驚きつつ怜の背を見送っていた小竹が、ハッとした。
「なにがあったかは知らんが、確かに小川は物忘れがひどいぞ。当時、忘れ物が多いワースト1だったくらいだ。
重要なことならば何度でも言わんと、マジに
忘れている可能性があるぞ、二階堂」
「ご忠告、アリガト。何度でも言う予定だよ、センセ」
小竹に襟を掴まれて、暴れながらも和彦はそう答えた。
何度でも言ってやる。退けと。ただ、退け・・・と。でないと、あの人は俺の手に入らない・・・。

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「ごめんね、お兄ちゃん。心配かけて」
「いや。いいんだ。良かったよ。怪我大したことなくって」
妹の絵里は、ベッドの上で林檎を食べていた。
「一応検査しなきゃならないんだって。大したことないのに」
「いいじゃねーか。会社堂々とサボれるんだから」
「フフフッ。そうよね。たまにはいいわよね。怜ちゃんみたく堂々とサボる勇気ないからね。私」
「・・・」
「ね、お兄ちゃん」
「・・・」
「お兄ちゃんってば」
「え?ああ、どーした」
「どーしたじゃないわよ。いきなり虚ろな目しちゃってサ」
絵里がキョトンした顔でこらちを見ていて、潤は、ハハハと笑って誤魔化した。
怜に。もう1ヶ月近くも、会ってない。あんな別れかたをしてから・・・。
そのせいか、最近「怜」と言う言葉に反応しまくっている自分が情けないと思う潤である。
「すまん」
「どったの。元気ないみたい。もしかして怜ちゃんと喧嘩している?」
「してねーよ。別に」
食べ終わったら林檎の皿を潤に渡しながら、絵里はジイッと潤を見つめた。
「してる、してる。お兄ちゃってさ〜。怜ちゃん絡みになると、すげー顔に出るんだよね。普段クールな癖してさあ」
キャハハと絵里は笑う。
「んなことねーって。何言ってんだ、おまえ」
サイドテーブルに、空いた皿を片付けながら潤は言い返す。
「なんだか知らないけど、さっさと謝っちゃいなよ。怜ちゃん、女王サマなんだからさー」
「うるせーって。なんだよ、それ」
「お兄ちゃん。怜ちゃんには絶対服従だもん。惚れてるよねー。でも、その気持ちわかるんだ。
怜ちゃんって、そういうところあるもんね。
なんだか構いたくなるんだよね・・・。放っておけないってカンジ。
女で言えば、母性本能くすぐられまくり。お兄ちゃんは父性本能刺激されまくっているんでしょーね」
「だったらいーけどな」
絵里の言葉ほど単純だったら、どれだけ救われたことかと潤は思った。
「違うの?」
無邪気に絵里は聞いてくる。
そんな絵里を見ていたら、潤はふと
全てを告白してしまおうかと言うやけっぱちな気持ちになった。
そんな単純じゃねーんだよ。俺の怜への気持ちは。打ち消しても、打ち消しても。込み上げてくる。
10年の歳月に勝てない。
時間が経つのを、ジッと待つしかないとわかっていても。
今は、ただ、辛く苦しかった。
「惚れてんだよ」
「え?」
「俺は、マジにアイツに惚れ」
その言葉は、荒々しく開かれたドアの音にかき消された。
「絵里ちゃーん。聞いたぜ。事故ったんだってなーーー!」
にぎやかな声と共に、大きな花束を持った怜が病室に現れた。
「怜ちゃん!きゃー、わざわざありがとう〜」
絵里は跳ね起きた。
「だいじょーぶか?大したことねーって聞いたけどな」
「うんうん。平気。お見舞い来てくれたのねっ。嬉しいーー」
絵里は、怜から貰った花束を抱えては嬉しそうに微笑んだ。
「すごいマヌケな事故だったの。対向車が運転うまい人で、避けてくれて。私ね。犬を避けたんだ。
だって急に飛び出して
くるから、思わず」
「そっか。怪我なくて、良かったぜ。相変わらず優しいな、おまえは。俺なら犬、跳ね飛ばしちゃいそうだぜ」
怜は絵里の頭を撫でながら、うなづいた。
「うっそ。ずーっと前に、怜ちゃんが飛び出してきた猫を避けて原チャリで事故ったの知ってるもん」
「そうだっけ?」
「そーよ。あん時は、お兄ちゃんが大騒ぎだったもん。覚えてる」
絵里が言いながら、チラッと潤を見た。その視線に気づいて、怜は潤を振り返った。
「なんだ、おめー。いたのか」
「いちゃ、悪いかよ」
潤は壁によりかかった姿勢で、怜の言葉を受けとめた。
「悪くねーけど」
怜はバサッと花束を絵里から受け取って、それを潤に投げてよこした。
「花瓶に入れてこいよ」
「・・・」
潤は、無言で花束を受け取ると病室を出て行った。
急に、絵里が心配そうな顔で、怜を見上げた。
「喧嘩しているでしょ」
「誰と?」
「兄貴と」
「いつだってしてるぜー。喧嘩なんてしょっ中」
ヘヘと怜は笑う。
「仲良くしてやってね。お兄ちゃん、怜ちゃんのこと大好きなんだから」
「マジな顔して、どったの?絵里」
「いや。お兄ちゃん、シリアスだからサ。なんかね」
ニャハッと絵里は笑う。
「たまには、シリアスな喧嘩も必要なんだよ、俺達。今までなさすぎた」
「つきあい長いもんね。怜ちゃん達」
「そうだな・・・」
そう言って、怜もふと真顔になった。
「長すぎたのかもしんねーな」
「え?」
「あ、いや。なんでも。それよりな。雑誌買ってきてやったぜ。これ読んでおとなしくしてるんだぞ」
「うわーい。怜ちゃん、気がきくぅ。さすが営業マン。ぬかりなし」
「まーな。こう見えても、俺会社でトップよ、えいぎょー成績」
怜は胸を張って自慢する。
「ホント?今度私にも教えて。営業のノウハウ」
「おーよ。任せな」
そんな二人のやり取りを、花瓶に花を生けてきた潤は、相変わらず部屋の隅の壁によりかかって見ていた。
そういえば。昔、怜は絵里のことが好きだって言っていたっけ。それがキッカケで仲良くなれたようなもんだ。
いきなり「おまえの妹しょーかいしろよ」と来たもんだった。絵里も怜には昔から懐いている。
案外似合うかも、と潤は思った。
他の女に怜を持っていかれるならば、絵里のが断然いい。
そうしたら・・・。
ずっと怜とは、また一緒にいられる・・・。
そんなことをぼんやり考えている時だった。
いきなり、目の前に怜の顔があった。
「!」
「なに、ボーッしてやがる。そろそろ帰るぜ。面会時間過ぎた」
怜は時計を指差した。
「あ、ああ。そうか」
「怜ちゃん。お兄ちゃん、さっきからずっとボーッとしてんの。早く仲直りしてやってよ」
絵里がベッドの上から手を振りながら、言った。
「わかった、わかった」
怜はちょっと苦笑しつつ、絵里に手を振り返す。
「じゃーな。おとなしくしてるんだぜ」
「絵里。また来るからな」
「ありがと、二人とも」
7時を過ぎて、絵里の病室を出た。互いに無言で病院の廊下を歩いていた。裏口まで来て、気づいた。
雨が降っている。いつのまに・・・。
怜が潤を見上げて、聞いた。
「傘持ってるか?」
「持ってねえ」
「ちっ。仕方ねーな」
そう言う怜も持っていなかったようだ。二人はなす術もなくボーッと雨を眺めていた。
沈黙に耐え切れずに、潤が煙草に火をつけた時だった。一台のタクシーが、裏口の玄関に滑りこんできた。
そして、人を降ろしている。怜は雨の中を走り出した。潤も慌てて煙草を消すと、その後を追いかけた。
空車になったタクシーにタイミングよく乗り込むことが出来た。
「おまえの家。先に回ってもらうぞ」
潤が言うと、怜は無言でうなづいた。潤はタクシーの運転手に行き先を告げた。
そして。再び車内に沈黙が訪れる。
怜は、右の窓から雨に濡れる町を見つめていた。
潤は、左の窓から同じように濡れる町を眺めていた。
今更沈黙が気になる間柄でもない。喧嘩だって、山ほどしている。
それでも、この沈黙はかつてないくらいの重苦しさだった。
互いに息を潜めて、出方をうかがっているような、そんな感じだった。

対向車のヘッドライトが、薄暗い車内を照らして行く。
その光に、怜は目を細めてやりすごす。
雨はやまずに、どんどん激しくなっていく。
雨粒が、音を立てて窓を叩いて行った。
「着きましたよ」
運転手の声に、二人は同時にハッとした。
怜はカバンの中からタクシーチケットを取り出して、運転手に押しつけた。
「潤。降りろよ」
「え?」
「おまえ、降りねーと俺、出れないだろ」
「ああ」
潤が外に出る。怜は続いた。
そして、運転手を振り返り、「ご苦労サン。行ってください」と言って、バンッとドアを閉めた。
「あ、ちょっと」
潤は、走り出したタクシーにギョッとした。
「怜!なんでだよ」
「うるせーな。いいから、来いよ」
グイッと潤の腕を掴んで、怜は歩き出す。
「怜」
無理矢理怜のアパートに連れてこられて、潤は不審に思った。
怜の行動の意味がわからない。
「傘、貸してくれよ。このまま電車で帰るから」
タクシーから、アパートまでの僅かな距離を歩いただけでも、二人とももうずぶ濡れだった。
玄関まで来ると、怜は掴んでいた潤の腕を離した。
そして、潤を振り返り、怜は言う。
「帰らなくていーよ。泊ってけよ、今日」
「・・・」
「帰さない」
そう言うと、怜はまた潤の腕を掴んで家へと押し込んだ。
「なんなんだよ」
潤は、掴まれた腕を振り払おうとした。
「欲情する?俺に触れられて・・・?」
突然、怜が言った。触れた手に、更に力を込めて。
「いいよ。しろよ。相手してやるよ」
「おまえ、何言ってるんだ」
「セックス。しよーって言ってんだ」
目を見開いた潤を見上げ、雨に濡れた髪を片手で掻きあげながら、怜は笑った。
「しようぜ・・・」
掴んでいた腕を離し、怜は潤の頭を引き寄せて、その唇に自分の唇を重ねた。

続く
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