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「野瀬くん、ごめんね。僕、これから帰るよ」
リツは、未だに、駅前のステーションホテルにステイしたままだった。
帰ったというのは、嘘である。
だが決して。野瀬を待っていたのではない。リツはリツで、恋人を待っていたのだ。
「彼。野瀬くんと寝たって言ったら、もー大変。今から迎えに来るってさ。だから、僕は帰る」
「はーあ。そうですか、そうですか。君一人幸せで良いね」
引きずってきたスーツケースをポイッと投げ捨て、野瀬は、ベッドに寝転がった。
「スーツケースごとポイされた野瀬くんには、申し訳ないけど」
リツは転がったスーツケースを足でポンとやり過ごして、ニコッと笑う。
「顔笑ってるぞー」
「幸せだもん。あー、昨日、野瀬くんと寝ておいて良かった♪」
十代はいいね、無邪気で・・・と野瀬は心の中で渇いた笑いを漏らす。
「こっちは最悪だよ、チクショウ」
「ノン気に惚れた方が悪い」
グッサ〜!野瀬は、バフッと枕に突っ伏した。
「しかも、あーんな、絵に描いたような幸せな家庭を作ることが出来そうな真面目でお堅い公務員なんぞ。野瀬くんがバカなんだよ、野瀬くんが」
ガバッと野瀬は、頭を起こして、リツを睨んだ。
「君も言うねー。人の仲を壊しておいて」
「獣になった貴方が悪いんでしょ」
「そうですが」
シュンと野瀬はベッドの上に胡座をかいて、項垂れた。
「野瀬くん。ノーマルな人はダメだよ。僕たちみたいな嗜好は、決して歓迎されやしないんだ。受け入れられないんだ。たまたま僕たちの周りには、小野田兄弟や、
敦みたいなやつらが多かったけど。まだまだ、絶対的に僕たちは迫害される人種なんだよ。理解しなきゃ、ダメだ」
「だよな。うん、わかったよ。今回のことで、よくわかった」
「そ。ならば僕はもう行くよ。このまま彼がここへ来たら、きっと野瀬くんはボコボコにされちゃうし。ここは好きなだけ泊っていいよ。支払いは、僕宛にしてもらうし。野瀬くんには、
協力してもらったし。感謝してる」
リツは、スポーツキャップを目深にかぶりながら、野瀬に手を振った。
「ヤツと幸せにな」
「うん。でもね。きっと野瀬くんとつきあってる方が幸せだと思うんだ。今でもね。それでも、僕は、彼と幸せになりたいんだ」
「よくわかるよ。俺だって・・・」
言いかけて、野瀬は止めた。
「ま、俺はいいや。じゃあな。この部屋、しばらく借りるぞ。仕事、ちゃんと片付けてから東京に戻るから」
「了解。またマンションに遊びに行くから。じゃあね」
リツは、静かに部屋を出ていった。
見送ってから、野瀬は窓に映る、田舎の中心部の夜景を眺めた。
東京とは、全然違うまばらな光の点。
野瀬は、瞬きしながら、その点を眺め、さっきのリツの言葉を噛み締めていた。
『それでも、僕は彼と幸せになりたいんだ』
よく、わかるよ。リツ。
俺だって。
きっと、ちゃんと自分を理解してくれるヤツとつきあった方が幸せになれるんだ。
けど。遥さんと、幸せになりたかったんだ・・・。
遥さんと・・・。
「ちくしょー・・・だよな」
野瀬は、シャッとカーテンを閉めた。

**********************************************************

こんな時にでも頭が動くというのはイヤな感じだ。
あんなことがあって・・・。
どうやって眠って、どうやって起きたのか覚えてない。
しかし、松井はこうやって、職場にいる。
松井は、よろよろと会議室に向かった。
今日の午前中は大事な会議だということを覚えていたのだ。
だが、この会議さえ終われば、とりあえずは、どうでもいい。

そうだ。どうでも、いいんだ。
仕事なんて、本当は。
松井は、冷静に考える時間が欲しかった。
会議ならば、聞いてるふりして、考え事が出来る。
適度な空調、静寂。

あの部屋では、ダメなのだ。
野瀬でいっぱいになってしまった、あの部屋では。
どこを見ても、なにしても、野瀬のことが頭に浮かんでしまうから。
落ち着いて考えることが出来ないのだ。

目を閉じて、考える。そして耳を澄ます。
『早く』
昨日から。ずっと、ずっと、聞こえない振りをしていた。
『早く行かなきゃ』

「松井さん、松井さん。部長が睨んでますよ。目、開けてください」
隣の席の後輩の上田が、囁きながら、ドンッと肘で合図してくる。
「松井さん。部長がこっちに来ます。早く目をあけてください。マジで寝てるんですか?早く起きてくださいよ。松井さん、早く!」
「そうだ。早く、だ」
カッと目を開いて、ガタンッと松井は立ちあがった。
白川部長が、ギョッとした。資料を持って、松井のすぐ側まで来ていた。
「松井くん。どうしたのかね?どうもちゃんと会議の内容を聞いていなかったようだが」
「すみません。なんだか、耳鳴りがしていて。気分が悪く・・・」
「耳鳴り?」

『早く。早く。早く行かなきゃ』

「はい。ずっと、なんだか・・・耳が鳴っていて」

『早く。早く。早く行かなきゃ。野瀬くんが行っちゃうよ』

「そうか。それならば。とりあえず病院へ行ってきたらどうかね」
不審気な目を向けつつ、部長はそう言った。
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
そそくさと、松井は会議室を後にして、廊下に出るなり、走った。

『早く。早く。早く行かなきゃ。野瀬くんが行っちゃうよ』
『野瀬くんが、行っちゃうよ。パパ・・・』

「きゃっ」
廊下で、書類を持った女性の職員と擦れ違うが、走っていた松井はぶつかってしまう。
「すみません」
とりあえず書類を拾って、松井は再び駆け出す。
急がなくちゃ。なんだか、そんな気がする。
とにかく、早く、野瀬のところへ。

バタバタと、勤務時間中だというのに庁舎を抜けだし、松井は走る。
少し、不便なところにある、野瀬が勤務する運送会社へ。
一緒に暮らした1ヶ月の間に、何回かはそこへ行った。
野瀬と、飲んで帰るために、迎えにいったのだ。
だから道に迷うことはない。どうせ小さな町だ。
息を切らし、松井は運送会社のドアを叩いた。
こんな寂びれた町の運送会社だ。
洒落た受け付けもある訳でなく、どこか雑然とした小さな事務所だった。
足を踏み入れると、社員らしき若い金髪の男が、椅子に腰掛けてなんだか書類を書いていた。
「すみません。私、市役所の松井と申しますが。ここに野瀬くんが勤務していると思いますが、野瀬くんは」
「ん?野瀬くんならば、出ていったよ、さっき」
「!」
松井の背が、スーッと冷えた。だが、しかし。
「残念だったねー」
「出ていったって!さっきって。さっきですか?」
「ああ、車で行くって言ってた」
「車ってどこに置いてあるんですか」
「裏口だよ、いつも」
「裏口ってどこです」
「そのドアの向こうの突き当たりだよ」
金髪の男は、キョトンとしつつ、事務所の奥まったところにあるドアを指差した。
「ちょっと失礼します」
松井は、事務所の奥に歩を進めると、ドアを開けた。
「あ、ちょっと。部外者は立ち入り禁止だよー」
「すみません。急いでるんです」
と、男のデスクの電話が鳴った。
「ああ、もう!はい。××運送」
男が電話を取っている間に、松井は廊下に出た。
確かに、男の言うとおり、廊下の突き当たりにドアが見える。
あそこが裏口に繋がっている。

もしも。まだ、野瀬の車があれば。
間に合う。
それにしても、こんなに早く出ていってしまうとは。
そして。
俺は、間に合わないのか?
そんな。そんな・・・!
「がーっ。暑い!本当にこんなところに、顧客表があんのかよ、まっさーん!」
バムッ☆
裏口に向かって一直線の廊下には、ドアが幾つか並んでいた。
そのドアの一つから、野瀬が出てきたのだ。
「埃はひでーし。もう、やだよ、俺」
どこからか、「俺も必死で探している。頑張れ、野瀬坊」とエコーがかった声が聞こえてきた。
「ったく〜。んじゃ、俺、こっちの倉庫を探し」
頭を掻きながら、野瀬は、フッと振り返った。
「あ・・・?あれ??はる・・・かさん?」
松井と野瀬は、バチッと視線を合わせた。
「どうしたの?遥さん。俺、なんか忘れモンした?」
野瀬が走ろうとして、ピタッと立ち止まる。
野瀬より早く、松井が走ってきたからだ。
「野瀬、野瀬、野瀬」
「遥さん、どーし・・・」
ゴンッ☆
いきなり、飛びついてきた松井を受け止め切れずに、野瀬は開きっぱなしになっていたドアに頭をぶつけつつ、ドサドサと埃だらけの部屋に雪崩れ込んだ。
「いててて」
松井を庇いながら、野瀬は体を起こした。
すると、腕の中の松井は泣いていた。
「遥さん、ちょっと、どーしたんだよ。なんで、泣いてるんだよ」
なにがなんだか、野瀬にはわからない。
「遥さん、はる・・・」
ガンッ☆
再び、松井が力まかせに野瀬に抱き付いてきたので、
野瀬は、床に倒れこんだ。そして、言葉は途切れる。
松井が重ねた唇に、云いかけた言葉は吸い込まれる。
「んんッ」
キスならば、何度もしたけれど。
このキスは・・・。
なんだか、すげえ、切ない気がする。
泣きながら、遥さんが、泣きながら、どうしてか俺にキスをしている。
夢見てんのか?俺・・・。
「言うとおりにするから・・・」
なぜか松井に組み伏せられながら、野瀬は、暑さと、ぶつけた頭の痛さと、松井とキスしている事実に、混乱を極めていた。
「え?」
「言うとおりにするから。君の、言う通りにする。君が俺と寝たいならば、そうする。だから、俺を置いていかないでくれ」
「!」
野瀬は、自分を組み敷いている松井の顔を見上げた。
「お願いだ。一人にしないでくれ。君が、好きなんだ。だから、出て行かないでくれ。お願いだ・・・」
野瀬の胸に突っ伏し、松井は呟いた。
「遥さん・・・」
野瀬は松井の頭を撫でた。
「俺、もしかして、夢見てるのかな」
と言って、松井を抱き締めようとした時だった。
ドアのところで、まっさんがジーッと2人を見ていたのだった。
「あ、っと。いやー、なんか、滑っちゃって〜」
松井を跳ね除けて、野瀬は、立ちあがった。
ドカドカと松井は、ダンボールの海に放り出された。
「えへへ。み、見てた?まっさん?」
そそくさとドアのところにいき、野瀬は頭を掻いた。
まっさんは、ジロッと野瀬を睨んだ。
「と、いうより聞こえた」
「なんだ、じゃあ、いいや」
バッと野瀬は松井を振り返った。
「ご、ごめんね、遥さん・・・」
松井は、目を擦りながら、ダンボールを避けて立ちあがった。
「偽善者」
ボソリと言われて、野瀬は「うっ」と、胸に手を当てた。
「だっ、だって〜。バレて困るのは、遥さんじゃん」
「俺はもう。怖くない。そう思うことにした」
「え?」
「君と同じ場所に行くことにしたから。もう、いいんだ」
「は、遥さんッ」
ガバッと野瀬は、松井を抱き締めた。
「まっさん〜。ドア閉めて」
「バカタレ。いちゃいちゃすんのは、後にして、これから午後の配送じゃねえかっ。とっとと行けッ」
エコーのかかった声が、廊下に響いた。


「はあ。社長さんでしたか。この度はどうもとんだところを・・」
松井は、カアッと顔を赤くして、うつむいた。
野瀬が、「まっさん」と呼んでいた男は、正真証明、「××運送」の社長、廣井まさのりであった。
あの後、野瀬は配達に行き、松井は事務所に案内された。
まっさんは、麦茶を、松井に勧めた。
「社員の方が、野瀬は出ていったと言われたので、慌てまして。出ていったというのは、午後の配達のことだったんですね。私はてっきり・・・。すみませんでした。
部外者が無断で倉庫に入り込んで」
「いや。そういう事情ならば、勘違いもするでしょう。ハハハハ。ですがね。そうなりそうではあったんですよ。今朝、来るなり野瀬坊が、辞表を出したもんですから。
おかしいなーとは思っていたんですよ」
「その辞表、受理されたんですか?」
「いんや。しまってあるよ。野瀬坊は、突然うちに来た子だが、とにかく明るくて、真面目で、働きモンだ。手放すには惜しいと思ってな」
まっさんは、言いながら、煙草に火を点けた。
「そうですか」
「まー、なんかあるとは思っていたが。恋愛関係とも思っちょったが。まさか、男相手とはね」
かんらかんらと、まっさんは笑った。
「で。よーわからんが、アンタのさっきの派手な告白で、野瀬はウキウキと午後の配達に行ったが。大丈夫かね。元の鞘かい?」
あ、穴があったら入りたい・・・と松井は、更に顔を赤く染めながらも、どもりつつ言った。
「あ、あれで、野瀬が考えを改めたかどうかは、わ、私も自信がありません」
「ふーん。そーか。でもまあ、にやけきったツラしとったから、大丈夫だろ」
「そ、そうでしょうか?」
実のところ。松井もよくわからない。
野瀬の答えを貰う前に、この目の前の男に、引き離されたのだから。
「とにかく。もう1度帰りに寄ります。ですから、社長も、その辞表は・・・」
「破っちゃったよ。もう必要ないだろ。ま、必要あったら、また書かせりゃいいし」
かんらかんらと、再びまっさんは笑った。
「なあ、松井さんよ。あの子は、今時の若いモンにしちゃ、出来た子だ。色々あるんだろうが、きっと、アンタの選択は間違ってねーよ」
その言葉に、松井はハッとした。
「ありがとう・・・ございます」
「うまくといいな。ま、その。色々とな」
「はい」

野瀬が、また家に戻ってきてくれればいい。
というか、戻ってこないと、自分は困る。
途方に暮れてしまう。
松井はそんなことを考えながら、昼休みを1時間もオーバーして職場に戻った。
耳鳴りの原因は、恋愛のゴタゴタのせいでした、と、白川部長に告げたらどういう顔をされるだろう。
考えて、松井はプッと笑いつつ、ハッとした。
自分も大分。
野瀬に感化されてきているようだと思い、誰も見ていないのに、
一人で咳払いをしつつ、部長室のドアを叩いた。

続く
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