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仕事から帰ってきた野瀬は、ドアの前で呆然とした。
ドアが、開かない!
「まじっすか〜」
野瀬は、鼻の頭を掻いた。ジーンズから鍵を取り出す。
「合鍵。無駄なあがき?」
呟いては、鍵を差し込む。
ビーンッ!
「やはり」
野瀬は、ガックリと頭を垂れた。
チェーンがかかっていた。
「遥さーん!開けてください〜」
ノブをガチャガチャ言わすが、反応がない。
「チェーン、邪魔。遥さーん」
しばらくすると、ドカドカと足音がして、
ドアの向こうに松井の姿が現れた。
スーツケースを引き摺っている。勿論、野瀬の、である。
「・・・」
スーッとチェーンを取ると、松井はダンッと、スーツケースを野瀬の前に置いた。
「東京に帰りなさい」
松井は静かに言った。
「人のモン。勝手にいじりましたね」
野瀬は苦笑する。
「ああ。すまんが勝手にいじらせてもらった」
野瀬は、ドアに手をかけ、グググッとドアをこじ開けた。
「後から気づいたものは、君の住所に送る。とりあえず気づいたものだけでも」
バンッ!
「!」
その音に、松井はビクッと竦みあがった。
ドアを全開にして、野瀬はニコッと微笑んだ。
そして、松井を避けて、部屋に上がりこむ。
「こらッ、人の話を聞け」
「後で。スーツケース、玄関に置いといてください。オレ、喉渇いてるんっす」
言うなり野瀬はキッチンに飛び込んだ。
冷蔵庫から、ミネラルウォーターのボトルを取り出して、一気にゴクゴクと飲み干す。
「は」
フウッと野瀬は息を吐いた。
「今日。遅刻しなかった?遥さん」
あとをついてきた松井を振り返り、野瀬は再びニコッと微笑んだ。
「しない」
松井は短く言い返す。
「そ。良かった」
ポンッと、空になったボトルをゴミ箱に捨てて、野瀬はリビングに向かう。
「さて」
ドカッと野瀬は、フローリングの床に座り込んだ。
「ごめんなさい。約束を破りました。外泊しました」
ペコッと野瀬は頭を下げた。
松井は腕を組んだまま、野瀬を見つめていた。
「怒ってる・・・んですよね」
野瀬は、立ち尽くす松井を見上げた。
「なんのことだ?別に俺はなにも怒ってない」
「そりゃないでしょ。チェーンで威嚇して、スーツケース纏めて。そんでもって、帰れなんて。それで怒ってないですと?」
「怒ってないぞ、別に。迎えが来たから帰れって言ってるだけだ」
「昨日の美少年ならば、俺を残して東京に帰りました」
「一緒に帰れば良かったんだ」
松井の言葉に、野瀬はズキッと傷ついた。
この外泊を理由に・・・。松井が自分を追いたてるかもしれないという危惧はあったのだ。一向にほぐれぬ松井の態度。
最近は、ふとした瞬間に、なにか考えている松井の瞳に、遭遇することが多かった。気づいては、いたのだ。
だから・・・。でも。
「なんで?あれは昔つきあっていた過去の男。今現在進行中の男を残して、なんで俺は帰らなきゃいけないんですか?」
キッと松井は、野瀬を睨んだ。
「進行してない」
「そうかもしんないけど。進行する可能性はあるんでしょ」
「そこだ」
「はい」
「今日1日考えた。たぶん、進行することはないだろう。これからも」
「それ、仕事中に考えたンですか?」
クススと野瀬は笑いながら、頭を掻いた。
「当たり前だ」
「当たり前か。そうだよね。俺が他の男と外出しても、モーニングコールされるぐらい熟睡出来るンだもんね」
野瀬は、テーブルに置いてあった煙草に手を伸ばした。
「悪いか?」
「悪くはないかもしれませんが、悲しいですね。俺としては」
カチッとライターで煙草に火を点けながら、野瀬は言った。
その横顔をみながら松井は、今日1日ずっと疑問に思っていたことを聞き出す為に、言葉を進めた。
「君が清らかな夜を過ごしたとは思えないから、お相子だ」
「そうですね」
サラリと返ってきた言葉に、松井は目を見開いた。
「遥さんの言う通りです。俺に悲しむ権利はないです」
「・・・」
用意していた言葉を、松井は全て飲み込む派目になった。
野瀬は。事実を隠す、と松井は思っていたのだ。
誤魔化して欲しかった・・・。心の中で呟いてから、ハッとする。
野瀬の、怪訝気な視線に気づき、松井は全然関係ないことを口走ってしまう。
「き、君はどうしてあんな有名人と知り合いなんだ?」
「言いませんでしたっけ。俺、某広告代理店出身なんです。その仕事で、アイツとは知り合いました。業界柄、芸能人なんてチャラいやつらと知り合う機会は幾らでもあるんですよ」
煙を吐きだしながら、野瀬はボンヤリと言った。
「一緒に住んでいても、そういえば遥さんは、俺にほとんど質問なんてしませんでしたね」
「・・・。君はお喋りで。いつも一人で喋っていた。聞く暇なんてなかった」
そうだ。野瀬は、人一倍口数の多いヤツで。
今日会社でどんなことがあった、とか、このテレビは面白いだの、つまんないだの。一緒に居て、いつも喋っていた。
松井は、野瀬をジッと見た。
「そーいや、俺。一人でいつもベラベラやってましたね。遥さん、途中で寝ちゃうこととか多かったですよね」
「そうだ」
一人だった空間に、テレビとか音楽以外の「音」が在った。
野瀬という男が紡ぐ「音」
それが心地よくて。耳によくて。
聞きながら、眠ってしまうことがよくあった。
「俺もよく辛抱しましたよね。眠っちゃった遥さん抱っこして、寝室に連れて行って、そのままリビングで眠ってさ」
笑っていた野瀬の顔が、ピクリと歪んだ。
「遥さん。絶対ベッドを許してくれなかったからさ〜。正直、すげえしんどかったんだよ」
ギュッと煙草を灰皿に押しつけて、野瀬は松井を見上げた。
怒っていないと言いながら、松井の顔は明かにムスッとしている。その顔を見て、心のどこかでまだ期待を込めて、野瀬は聞いた。
「俺とは寝てくれないくせに、俺が他のヤツと寝ると怒るの?それ、嫉妬でしょ。遥さん」
野瀬の視線。松井は、即座に言い返す。
「違う。誰がそんなことを言ったんだ!話を都合よく曲げるな」
「じゃあ、なんで怒ってんのさ」
「だから、怒ってなんかいないって言ってる」
「そのムスッとした顔。怒ってない筈ないじゃん」
指摘されて、松井はウッと詰まった。
「君には、迎えに来てくれる人がいて、羨ましいと思っただけだ。俺にはもう誰も迎えに来てくれる人はいないから」
クスッと野瀬は苦笑する。
「羨ましいと、遥さんは怒る訳?」
「怒ってないって言ってるじゃないか!」
むきになって、松井は言い返した。
「俺がいるじゃん。遥さんがどっか行っちゃっても、俺はちゃんと迎えに行くよ」
「君は・・・違う」
「どう違うんだよ」
「俺は、君みたいな愛し方は出来ないから、君には応えられない。だから、君に迎えに来られても困るんだ」
「それって、いわゆる自分は、ホモじゃないからってこと?」
「帰りなさい」
「だから、俺に帰れっていうの?」
「とにかく、家に戻りなさい」
チッと野瀬は舌打ちした。
心の中での期待がガラガラと崩れて行く。違うと否定され、帰れと言われ・・・。これはもうどこにも、自分には救いがない。
目を背けていた事実が、恋しい人の口から告げられて。
それなのに。
それでも、まだ、心のあちこちが、反応する。
あの唇にキスしたいと。
その体を抱き締めたいと。
目の前に居る人が、欲しいと・・・。
無理矢理にでも奪って、なにも考えさせずに、
自分だけに捕らえてしまいたい!と、未練がましく思ってしまう。
「嫉妬だよ。アンタは違うと思いたいだけだ!」
バンッと野瀬はテーブルを叩いた。
「動揺しているんだ。そうだろ、遥さん。そうだって、言えよ」
自分を納得させるために、気持ちだけは祈りたい気分で、野瀬は叫んだ。
「大きな声を出すな。あっ」
ガッと、野瀬に足首を掴まれて、松井は「アッ」と叫んだ。
ドッと床に倒れたが、野瀬が両手で松井の頭を支えたせいで、頭は打たずに済んだ。
「つまんねえこと考えてねえで、素直に抱かれちまえば楽になるよ」
「は、離せッ」
「イヤだ。離さない」
野瀬は、グイッと松井の顎を掴んで、その唇にキスをした。
「ん!」
1ヶ月以上ぶりに触れた野瀬の唇の感覚に、松井の頭が、瞬時にスパークした。
「ん、ん」
逃げようとしても、野瀬の力が緩まない。
強引に差し込まれた舌に、松井は眉を寄せた。

野瀬は、松井の腕を頭の上で一纏めにして、床に押さえ込んだ。
そして、松井の体に馬乗りになる。
空いた右手で、野瀬は松井のワイシャツに手を伸ばした。
松井はスーツの上着は脱いでいたし、ネクタイも外していた。
襟元をグッと広げ、アンダーシャツの上から、野瀬は松井の乳首にキスをした。
「!」
敏感な部分を、布一枚隔てているとはいえ、舐められて、松井はカッと顔を赤くした。
「止めろッ」
バタバタと松井の足が暴れる。
「遥さん。貴方だって、この体、持て余していたんでしょ。
奥サンいねーし、俺とだって全然ヤッてないし」
松井の乳首を交互に舐めては、噛みながら、野瀬はチラリと松井を見上げた。
「うるさいッ」
「我慢は体に毒だよ。こんなふうにね」
そう言って、野瀬は、下敷きにしている松井の股間をズボンの上から撫でた。
反応しているのが、わかった。
「頭で納得したくないなら、体から染めてやる」
「イヤだ、離せ。野瀬っ」
「離したくない。アンタを抱きたい、抱きたい、抱きたい」
言いながら、野瀬は、松井のアンダーシャツをビリッと破いた。
「あ、野瀬ッ!」
「アンタだって・・・」
野瀬は、松井の耳元に囁いた。
「抱かれたがっているよ・・・」
そう言って、野瀬は松井のたちあがった赤い右の乳首に、指で触れた。
「ふざけ・・・るな」
「ふざけてなんか、ねえよ」
震える松井の唇に、野瀬は再びキスを繰り返す。
そうして、目を開けば。
「!」
松井が泣いている。
野瀬は、しばらくそんな松井を見つめていたが、溜め息をついた。
「ちくしょー。遥さん。ずるいぜ・・・。泣くなんて、ずるくねえ?」
「おまえこそ。嫌がるヤツを無理矢理こんなふうにして。おまえは、俺を抱ければそれでいいのか?俺の意思は無視なのか?体さえあれば、いいのか?」
松井の言葉に、野瀬は目を見開いた。
「遥さんの意思は、俺には抱かれたくない・・・と。そーゆことか。だったらさぁ・・・。だったらよぉ!なんで鍵なんかくれたのよ?ねえ。それってすごく残酷じゃないか?
こうなることなんて、ちゃんとわかっていたんだろう、遥さんッ!」
野瀬は叫んだ。
「!」
松井の瞳から、更に涙が溢れた。
「・・・」
それを見て、野瀬は静かに首を振った。
「ごめん。俺が悪い。突然訪ねていってさ。強引だったよね」
軽く野瀬は溜め息をついた。指を伸ばして、松井の涙をすくう。
「俺の愛情、遥さんの寂しさを癒してあげること、出来なかったね」
「・・・」
「1ヶ月ちょっとじゃ、それも無理か。でもさ、本当はもっと、もっと、待つ予定だった。待てると思ったよ。遥さんが、振り向いてくれるまで。でも、アイツが現れ、思った以上に、
自分の体が餓えていたことに気づいた。いつか、この体の餓えが、心を凌駕しちまうかもしれねーと昨日はドキッとした。ドキッ、どころじゃねーな。いつかもクソもねえじゃん。今だよ」
そう言って野瀬は、ハハハと笑った。
「俺、恋愛の修羅場って慣れてるし、幾らでも惨めになれるけど、そんなことしたら、今回は遥さんが困るンだよね。遥さんをこれ以上気づけることは出来ないもんな」
野瀬は、トンッと松井の胸に顔を埋めた。
「好きだった。本当だよ。貴方が好きだった。一目惚れだったんだ。そのケもない貴方を好きになっちゃって、ごめん。泣かせて、ごめん。怖がらせて、ごめんな・・・」
バッと野瀬は、顔をあげた。
松井は一瞬、野瀬が泣いているように見えた。
しかし、現実には、野瀬は泣いていなかった。
それから、松井のはだけたワイシャツを、指で元に戻した。
「遥さんの涙。弱いんだ。出会いがそれでしょ。だから、さ」
野瀬は松井の体から降りると、立ちあがった。
「帰ります。今まで御世話になりましたッ!」
ペコッと野瀬は頭を下げた。頭を下げたまま・・・。
「余計なことかもしんないけど。早く貴方の傷を癒してくれる女の人、現れるといいね。あんなふうにまた、泣いているとさ、俺みたいな男にとっ掴まる可能性大だよ。注意、注意」
野瀬は、そう言いながら、顔を上げて、合鍵を松井の目の前に差し出した。
松井は、野瀬から鍵を受け取った。
「それじゃ」
大股で玄関に向かい、置いてあるスーツケースを持って、野瀬は部屋を飛び出した。

階段を降り、しばらくは上を向いて松井の部屋の様子を眺めていた。
が、ドアは、追って開くことはなかった。
「・・・」
ゴロゴロッと音を立て、野瀬はスーツケースを引き摺って歩き出す。
「いつかは、来る結末だったんだよな」
そう呟いて、とぼとぼと野瀬は駅に向かった。

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