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秋桜番外編

寂しかったから・・・。
その理由だけで、野瀬に鍵を渡した自分。

得体のしれないホモの男を、部屋に招き入れてしまった自分の迂闊さを後悔しても、もう遅い。


あの夜のように。
野瀬は、開きっぱなしであった扉をくぐってきたのではない。
自分が渡した鍵で、この部屋の扉をくぐってきたのだ。
開けたのは野瀬でも、招いたのは自分だ。

寂しさに・・・。そう、負けたから。
寂しさに・・・。
でも、本当に!?
何度も、何度も自分に問いながら、日々を暮らす。
野瀬と一緒に迎えた朝と夜。
30回を越えたある日。

目を背けてきた自分自身への問いに対面することになった。

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いつものように、観光客を相手に松井は、忙しく働いていた。
次々とやってくる客に、地図を渡したり説明したり。

女の子の集団を相手にしている時だった。
ドアが開き、サングラスにTシャツ、ジーパン姿の男が入ってきた。
どことなく、常人とかけ離れたオーラをその身から発してる男で、松井は、女の子達の肩越しに、その客を訝し気に見た。
男は、キョロキョロと観光案内所を見回している。
「あ、すみません。ちょっとお待ちください」
と松井が言うと、男は、うなづいた。
松井の声に、女の子達は、背後の客を振り返る。
と、一人の子がギョッとしたような声をあげた。
「え?え?もしかして、リツじゃないの?」
「へっ!?」
その子の声に、女の子達は全員、振り返った。
「きゃーーー!そうよ。リツだ。リツだあああ」
松井は、彼女達の奇声に、ビックリした。
「ども」
そう言って男は、軽く手を挙げた。
「さ、サインくださいッ」
「しゃ、写真撮ってください」
ギャアアアアと、狭い観光案内所の空気が、一瞬にしてピンクのハートに染まってしまう。
男は、別に嫌そうな顔もせずに、サングラスを外した。
「!」
確かに。松井ですら、良く知った顔だった。今、人気の十代のアイドルグループのメンバーの一人だった。娘の結花が好きだったので覚えている。
荘田リツとかいう芸名だった筈だ。
「迷惑だから、外出てからね。あ、お兄さん」
そう言って、リツは松井を見ては、ニコッと微笑んだ。
さすがにアイドルやってるだけあって、その微笑み方は、的を外さない嫌味のなさである。
女の子達は、観光名所への行き方を説明してもらっていた状況を、皺瞬にして忘れてしまったかのように、荷物を持ってはとっとと案内所を出ていった。
彼女達の背を見送ってから、リツはクルッと松井に向き合った。
「外出る前に教えて欲しいんだ。えとね。ハイム中井の203号室の場所」
「は!?」
「お兄さん、松井サンでしょ。俺、野瀬クン訪ねてきたんだ。家、教えて」
「・・・」
松井は唖然としたが、慌てて地図をコピーした。
1ヶ月前に野瀬にしたのと同じように赤いペンで、該当部分に○をした。
「うん。ありがと。観光してから、夕方お邪魔します」
松井から地図を受け取ると、リツは再びサングラスをかけ、ドアを開け外に出ていった。
外から、また、きゃーーーー!という大歓声が起こる。
「どういうことだ・・・?」
訳がわからず、松井はずり落ちた眼鏡を慌てて戻しつつ、首を傾げた。
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夕方。松井が家に戻ると、予告通りにリツがいた。
ドアに寄りかかって、座っていた。
「おかえりなさーい」
無邪気な明るい声だった。
「野瀬クンより、松井さんのが先に帰ってくるんだ。さすが奥さん」
「わ、訳のわからないことを言わないでくれ。誰が奥さんだッ」
近所の手前、松井は大声で否定する。
「へへへ。じゃあ、松井さんがダンナさんなのかな〜」
「う、うわ。と、とにかく、中へ」
これ以上、よく通る声でベラベラ言われてはかなわん!と思って、松井はリツを部屋の中に押し込んだ。
「知らない男を、気軽に部屋に連れ込むと野瀬クンに怒られるヨ」
「き、君が、わ、訳のわからないことを言うからじゃないか」
松井は、カッと頬を赤くしながら、しどろもどろに言った。
「おっじゃましまーす」
無邪気に、リツは声を張り上げて部屋に上がった。
「へえ。男二人の住まいにしてはキレー。野瀬クン、綺麗好きだからね。いいダンナでしょ、あれ」
リツは、自分の後ろから歩いて来る松井を振り返って、ニコニコと言った。
「さっきから・・・。妙な例えをしないでくれないか。幾ら君が野瀬の知り合いだって言っても・・・。近所の手前、困る」
「野瀬なんて、他人行儀な〜。高弘とか言ってないの?」
と言いながら、リツは勝手に手前の部屋のドアをバンッと開けた。
「うっわーお。俺がいるじゃん」
リツが開けたのは、娘の結花の部屋だった。
そうだ。結花の部屋には、リツのポスターが貼ってあったのだ。
結花の部屋は、生前のままだった。
2LDKの狭いこのアパートに、野瀬が転がりこんできても、この部屋を譲ることが出来なかった。むろん、野瀬も、そのことについてはなにも言わなかった。
「野瀬クンの部屋!?・・にしては、どうも子供っぽい気が」
「それは。娘の結花の部屋だ」
リツは、口笛を吹いた。
「野瀬クン。子持ちのオジサンの所へ嫁いだんだ」
「オジサン・・・」
言われてショックなものの、確かにリツぐらいの少年にならば言われても仕方あるまい。
「さっきから、嫁ぐとかなんとか。本当に止めてくれ」
松井はムッとしつつ、言い返す。
「なんで?仲間の間では有名だよ。野瀬クンが田舎町に嫁入りしたって。いちいち否定するのも疲れるよ。野瀬クンがホモだって、貴方知らない訳
じゃないでしょ」
スッパリ言われて松井は、リツから目を背けた。
「・・・知ってるが・・・。俺達はそういう関係じゃない」
松井が言うと、リツは目を見開く。
「嘘でしょ。あの手の早い男が・・・。貴方みたいに綺麗な人と一緒に住んでいて、なんもない訳ないでしょ」
「止めてくれ。だいたい、一体なんなんだ、君は」
リツは、フフフッと笑った。
「そういう質問は、いの一番にすべきじゃないの?綺麗なオジサン」
ムッカッと松井は、本格的にリツを睨んだ。
「綺麗とか言うのも止めろッ!なんなんだ、一体」
すると、リツはキッパリと言った。
「俺、野瀬クンとセックスしに来たンだ。去られて気づいた野瀬クンの良さっていうの?率直に言えば、俺、貴方から野瀬クン、取りかえしに来たの」
松井は、その言葉に目を剥いた。
「なんだと!?」
「野瀬クン帰ってくるまで、居ていいよね?なんなら、娘の結花ちゃんにサインとか、写真とか色々してあげるよ」
ニコニコッと悪びれなくリツは笑う。
「・・・」
「ねえ。結花ちゃんは?もうガッコ終わったんでしょ」
キョロキョロとリツは部屋を見渡す。
「死んだ」
松井は言い捨てると、スーツを脱ぐ為に、寝室へと移動した。
腹立たしいせいで、足取りが乱暴になる。
バンッと寝室のドアを閉めると、
「すみませんでした」と、ドアの向こうで、しおらしい声が聞こえた。
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勤労青年の野瀬が帰ってきた。
「あー、今日も1日疲れました〜」
と、玄関で叫んでいる。
「遥さーん。今日はメシ、外で食いませんか?俺、作る気力ねえっす」
大声で言いながら、野瀬はリビングに向かって歩いてくる。
「しーッ」
松井は慌てて、廊下を歩いてくる野瀬に向かって、人差し指を口に当てて合図する。
「へっ?」
野瀬はキョトンとしていた。
「静かにしろ」
「なんのこっちゃ?あ、メシ出来てるじゃないですか〜」
チラッとキッチンを見ては、野瀬は嬉しそうに笑った。
「遥サン、ようやっと手作りで出迎えてくれる気になったんですね〜」
両手を広げて、野瀬が松井に駆け寄ってきた。
「ち、違う、誤解だッ」
避ける間もなく、ガシッと、松井は野瀬に抱きすくめられた。
「俺、なんか幸せかも〜」
「違うって言ってるだろ。は、離せ!」
「遥さ〜ん」
ゴロゴロと甘えてくる野瀬を、むきになって引っぺがし、松井はぜえぜえと肩をあえがした。
「君に、お客様だ」
と、松井が言うと、タイミング良く寝室のドアが開いた。
そこには、ドアにもたれたリツがいた。
「コンバンハ、野瀬クン」
リツは、僅かに引き攣った顔をしつつ、野瀬を見ていた。
「わあ。俺を捨てた男がいる・・・」
野瀬は、顔はギョッとしつつも、口調は変わらなかった。
「再び拾いに来てあげたよ。嬉しいでしょ?」
その言葉を無視して、野瀬は松井を軽く睨んだ。
「遥さん。俺の居ない間に、男を連れ込みましたね・・・」
「冗談言ってる場合か。俺は迷惑してるんだ」
松井はキッと野瀬を睨んだ。しかし、その松井の睨みをも無視し、野瀬はなおも言った。
「おまけに、俺には絶対許してくれない寝室を、あんな美少年に許してしまうなんて」
「野瀬ッ!」
松井の怒声に、野瀬は、笑っていた顔を引き締めた。
「ですね。リツ。なにしにきやがった。まったく」
「セックスしに来たんだよ。さっき松井さんにも説明したよ」
あっけらかんと、リツは言った。
「へえ。俺とのセックスは、超つまんね〜とか言っていたくせに!?」
「離れてみると、良かったって思ったの。これも説明済み」
野瀬は松井を覗きこんだ。
「どーも、すみません。なんつーか、どうにもあけっぴろげなヤツで。よく言えば素直って感じですが」
「どーでもいい。とにかく、ちゃんと話し合ってやれ」
プイッと松井は、野瀬から目を背けると、リツを寝室から追い出し、自分が寝室におさまった。
「邪魔ならば、しばらく出て行くぞ」
松井は、ドアに向かって、叫んだ。
「ご心配なく。出て行くのは、この美少年ですから」
と言う野瀬の呑気な声が返ってくる。
「ご心配なく。出て行く時は、二人一緒ですから〜」
懲りずにリツもそう言い返した。
「勝手にしろ」
寝室のオーディオの電源をONにし、ラジオをつけ、ボリュームを最大にして、松井はベッドに腰掛けた。
なんだか胸がムカムカするのを不快に感じ、ゴロリと横になった時だった。
ドアが開き、野瀬が顔を出す。
「遥さん。ちょっと、外出てきます」
「外!?」
ガバッと起きあがって、松井は野瀬を見た。
「邪魔ならば、俺が出ていってもいいぞ」
「そんな。ここは遥さんの家じゃないですか。大丈夫です。ちょっとだけだから」
「わかった」
ぶっきらぼうに言い返すと、野瀬はクスッと笑った。
「大丈夫ですよ」
「え?」
「ちゃんと、帰ってきますから。待っててくださいね、遥さん」
クスクスと笑う野瀬に、松井はムッとした。
それを察したのか、野瀬は、真顔になって再び繰り返した。
「待っててね、遥さん」
そう言って野瀬は、パタンとドアを閉めた。

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電話の音で松井は目を覚ました。
「?」
ゴソゴソと布団から腕を伸ばし、枕元の子機を手にした。
「遥さん、起きてる?遅刻しちゃうよ。早く起きて。これ、モーニングコールだよ。帰れなくて、ごめん」
受話器から聞こえてきた野瀬の声に、松井はボーッとしていた。
「遥さん。起きるんだよ。このまま寝ちゃダメだよ」
受話器の向う側では、野瀬の声。
「わかった」
ボソリと言って、松井は受話器を置いた。
重度の低血圧である松井は、そのまま再び布団に潜りこんだ。
毎日、毎日、妻を困らせた起床の時間。
妻がいなくなった今では、その役目を野瀬が引き継ぎ、やはり相変わらず困らせていた。
妻は長年のつきあいで、別れる寸前までは、本当にギリギリの時間までは松井を放っておいた。従って、朝食は抜きだった。
出勤時間ギリギリで跳ね起き、松井はいつも会社に走っていった。
しかし、妻から野瀬にバトンタッチをした今は、そうじゃなかった。
野瀬は、いつも根気強く松井を起こしに来た。
一人暮しが長かった野瀬は、とにかくなんでも出来る男で、朝食もきちんと用意して、松井を起こす役目に燃えていた。

だから。こうやって、モーニングコールなるものをしてくるのだ。
「なにが、モーニングコールだ・・・」と、毛布にくるまりながら、松井は呟いた。
が、その瞬間にハッと覚醒した。ガバッと起きあがった。
「帰って・・・来なかった!?」
起きあがると、松井はリビングに走った。
2つしかない部屋。一つは主のいない結花の部屋。一つは妻と自分の寝室。
身の危険から、松井は野瀬を決して寝室には、招き入れなかった。
だから、野瀬はなんでもリビングを起点に行動していた。
今日も野瀬は、リビングかキッチンに・・・。

が、当然の如く、野瀬はいなかった。
カーテンから差し込む光が、リビングのフローリングの床におちている。
その光を見て、松井は目を細めた。
いつもと変わらない朝なのに。
いる筈の男がいなく、用意されている筈の朝食がない。
とてつもなく、寒い気がして、松井は唇を噛んだ。
こうして。一人の朝を迎えることなんて、慣れていた。
つい最近までは、日常だった。
妻がなく、娘がなく。たった一人。それは、松井の日常となっていた。
寂しいから。寂しいから・・・。
ただ、それだけの理由で、野瀬と暮らすようになって。
松井は軽く溜め息をついた。
「イイ歳こいて、なにが、寂しいだよ・・・」
自重気味に、松井は呟いた。
「こんな生活。初めから、間違っていたんだ」
脳裏に野瀬の顔が過った。
寝室に。
アイツを招いてやることが出来なければ、いつかは破綻が来る。
傷つける前に。手遅れになる前に。
「終わらせなければ」
掌で顔を覆って、松井は溜め息と共に呟いた。

ただ一緒に居るだけで満足出来る自分と、そうではない野瀬。
野瀬のペースに流されるまま甘えてきたが、いつかは必ず突き当たる。
野瀬と自分の違い。

返さなければ。野瀬を、野瀬が、ストレスを感じることのない環境に。
そして、自分も戻らなければならない。
一人で居ることが当たり前だった環境に。

今ならば、まだ間に合う。
野瀬を欲しがる手が、あるのだから・・・。


続く

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