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「で。俺らのお姫様、どこ行ったの?」
びょおおおおお〜。
吹きすさぶ風。ホテルの玄関で、立ちつくす長身の男2人。
「さあ」
顔を見合わせる、潤と野瀬。
あの後。
野瀬の乱入により、あの部屋の雰囲気がガラリと変わった。
潤とに西脇は、最初からの作戦「謝り倒し」を実行し、事情を知った野瀬がフォローし、大目玉をくら
ったものの、取引中止という最悪な事態は避けられた。
それもこれも、すべて野瀬のおかげだった。
初めて、あの兄貴が役に立ったぜ、と潤は胸を撫で下ろした。
その後控室を出て、潤が野瀬に食事に行こうと引き摺られていくのを、西脇が万歳三唱で見送ってくれ
て、ホテルの玄関に辿りついたのが、今という訳だ。
どっちの携帯にも連絡はつかなかった。
「目撃者情報でもあたってみる?」
呑気に潤が言った。
「遥さ〜ん。俺が悪かったぁぁぁ。戻ってきて〜」
野瀬が叫んだ。
「あの人、真面目だからさぁ。君の須貝くん追いかけて、多分一緒にどこまでも行っちゃったんだよ。
だからね、潤。須貝さんさえどこにいるかわかれば、なんだよ」
潤の携帯をジィッと見つめる野瀬だったが、
「そんなこと言ったって。秋也、携帯の電源切っちゃってるし」
あは〜と潤はお手上げのポーズ。
「なにやってんだよ、おまえはっ」
「ごめんなさい。忙しすぎて、秋也のこと、放っておいたんで怒ってるのかも。この着信数、ぱねぇも
ん。でも、まさか・・・」
ポッと潤の頬が赤くなる。
「追いかけてきてくれるなんて、ありえないっ」
うおおお〜と潤は、喜びの雄叫びをあげた。
「いや、今の状態のがありえないから。おまえっ。遥さん見つからなかったら、どーすんの。俺、今晩、
親父に紹介すんだぞっ」
「えええ。あの会長に、カミングアウト?わあ、野瀬っち、今回はマジなんだね」
勇気あるぅ〜と潤は野瀬を肘で突いた。
「遥さんには内緒だけどサ」
野瀬がデレデレしたが、二人同時に我に返った。
「んなことしてる場合じゃねえって」
タクシー乗り場に行って、情報を得る。
どうやら、二人はタクシーでS駅に向かったようだった。
「まずいな。この時間のロス。慌てて新幹線に飛び乗られたら、もう出てるぞ」
野瀬が時計を見た。
「いや。松井さんがくっついているんじゃ、秋也もそんな無茶は出来ない筈。絶対駅付近で止まってるよ。
行こう、野瀬っち」
「おう」
2人はタクシーに飛び乗った。
しばらく走ると、野瀬の携帯が鳴った。
「もしもし、遥さん!?駅前の居酒屋にいる。うん。わかった。すぐに行くね」
隣で聞いていた潤は、ハッとした。
「居酒屋?やべ、秋也、飲んでるのか。だとしたら、松井さんが危ねえ」
「え、なんで?」
野瀬がキョトンとしながら、携帯をポケットにしまった。
「いや。うちの秋也、酒乱っていうか。酔うと迫る癖があって」
「なぬっ」
やばいな、どーしょーと潤は、頭を掻いた。






「あの。もう、飲むの、止めておいた方が」
「えっ。なんですか」
どばば〜。グラスから酒が溢れた。
「んなことより、松井さんも飲んでくださいよ」
「いえ、私は、洋酒は・・・」
「苦手ですか?俺の口移しでも飲めません?」
「は?」
居酒屋の奥のスペース。
衝立で仕切られた小さな席に、秋也と松井は向かい合って、座っていた。
「くっ、口移しって」
松井が動揺した。
「野瀬さんじゃなくて申し訳ないですが、俺だって、悪くないと思いますよ」
くいーっと秋也は、指で松井の顎を持ち上げた。
「貴方、完璧な顔ですね、松井さん」
「須貝さん。酒癖悪いんですね」
松井は、秋也の指をそっと、払う。
「悪いですよぉ。そのせいで、ずっと禁酒してたぐらいです。けどね。もういいや〜」
秋也は、かぱっとグラスの酒を口に含むと、松井の隣に移動し、グイッと肩を引き寄せた。
「須貝さん、ちょっ。んんっ」
抵抗する松井を避けて、ヒョイと秋也が酒を口移しした。
「あああッ」
悲鳴が上がったので、秋也が振り向くと、そこには野瀬と潤が立っていた。
ちなみに悲鳴を上げたのは野瀬である。
「おっ、俺の遥さんに〜。いや、でも、なんか絵的に美しかったから、いいかも・・・って、違う」
バッと、松井の体を守るように抱き込み、野瀬は、
「貴方の相手は、そっち!」
と、潤を指差した。
秋也は、傍らに立つ潤を見上げた。
こらちを見下ろしている潤と視線が合ったが、さすがに潤は今度は逸らすことはしなかった。
むしろ、まじまじと茶色の瞳で見つめられてしまって、秋也は、あせった。
「ふんっ」
「いや、ふんって」
グイッと秋也は潤を押しのけ、元の席に座った。
ポケットに手を突っ込んだまま、潤も、秋也の横に自然に腰かけた。
「遥さん、遥さんっ」
クタッとなってしまった松井を野瀬が揺さぶっていた。
「ま、まずい。今晩のオヤジとの対面が」
サーッと顔色を青くして、野瀬は松井の肩を支えて、立ち上がった。
「わ、悪い、潤。俺ら帰るわ」
「おう。大丈夫、野瀬っち」
「いや、大丈夫じゃねえけど。おまえのカノジョのせいで」
野瀬はニッと笑い、秋也を見下ろした。
秋也は「松井さんに、すみませんとお伝えください」とぺこりと頭を下げた。
「了解。須貝さん。今度は俺と飲みましょうや。また今度ね」
と片手を挙げて、ドタバタと慌ただしく野瀬らは去って行った。
ばいば〜い、と潤は野瀬と松井の背に手を振っていた。
そうして落ち着いたところで、潤は隣の秋也に質問をぶつけてきた。
「なんで秋也、こんなとこにいんの?」
「酒飲みたかったからだ」
当たり前だろ、と秋也は言い返した。
「じゃなくて。S市」
「暇だったからだ」
即答した。
「暇?」
潤が、キョトンと首を傾げた。
「おまえがいなくて、暇だったから、遊びに来た」
「遊びに来たって。柚子さん、来なかったの?ここぞとばかりに押しかけてきそうだけど」
「小夜子さんと温泉」
「へ、へえ。微妙なペアですこと」
潤が片頬を引き攣らせた。
秋也は、ひっくとしゃっくりをしながら、
「ごめんな。おまえが真面目に働いているのに、来ちゃって。おまえは仕事で俺は遊びで。さすがに不
謹慎だよな」
と言った。
「!」
潤が驚いて目を丸くしていた。
「なっ。なんか、秋也、素直なんだけど」
まあだよな。俺だって自分の口からこんなこと言ってるの、信じられねえよ。
酒の力ってすごいと改めて秋也は思う。
「るさい。・・・俺、バカみてえ。わざわざこんな遠くまで」
「い、いや、そんなこと。バカなんてことねえよ。来てくれて嬉しい」
言葉とは裏腹に、どこか怯えたように潤が秋也を見つめて、言った。
その気持ちは痛いほどわかる。
こんな俺、俺だって不気味だよ。
「ってことで、おまえ、仕事続けてこい」
これ以上不気味なことを口走らない為に秋也は、しっしっと手で潤を追い払う。
「え?終わったし」
なに言ってんの、と潤は長い脚を組み替えながら言った。
「なら、ホテル帰れ。俺はここで朝まで飲む」
空になったグラスにまた注ごうとした手首を掴まれた。
「朝まで飲んでる暇があったら、一緒にホテル行こうよ」
秋也はその手を強引に振り払う。
「なんで俺がっ。冗談じゃない。おまえとホテルなんて」
「冗談じゃないって。そりゃ全然冗談じゃないよ。俺と秋也が一緒にホテルに行ってなにが悪いの」
「今日はそういう気分じゃない」
「なに言ってんだよ。酒飲んでりゃ、その気になる筈だろ。迫るならば、俺にしとけよ。てか、俺はもう、
そういう気分しかねえよっ。一週間も離れてて。早くホテル行こう」
ばあんと潤がテーブルを叩いたので、その音に驚き、秋也はビクッと片目を瞑った。
シーン。
店の奥の一角だけが、妙に静まり返った。
ホテル、ホテルと連呼している男同士の会話を耳をそばだてて聞いているに違いない。
「なあ、潤」
秋也は、グラスに酒を注ぎながら、潤の名を呼んだ。
「なに?」
諦めたのか、潤は、店員を呼んで生ビールを注文していた。
「俺さぁ。酒癖悪いだろ」
「かなりねぇ」
赤くなった秋也の目元に指で触れながら、潤が頷いた。
「俺さ、酒飲むと、迫り癖があるんだよね」
「ええ、よく知ってますよぉ」
迫られて食われましたからねぇと遠くを懐かしむ目を潤は、した。
「今日は酔って、松井さんと寝ちゃおうかなぁって思った」
秋也がそう言うと、潤は、ブッと吹き出した。
「野瀬っちに殺されるって」
はははと潤が苦笑した。
注文したビールを店員が持ってきて、潤は「ありがとう」とにっこり微笑んで受け取った。
そんな様子を横目で見ながら秋也は、
「本当のところ、迫り癖っていうか、俺さ。酒飲むと素直になんの」
グラスの氷をカラカラと鳴らしてみせた。
「ああ、そういうことだね」
グビクビと潤は生ビールをあおった。
「そう。だからさ。禁酒の誓いを立てたあの日もさ。一時帰国してた柚を、無理やり襲っちまったんだよな」
「!」
さすがの潤も驚いたようで、触れていた肩がピクンと揺れたことに、秋也は気づいた。
「秋、也?」
「アイツの気持ち、俺は知ってたし、春を亡くしてから時間も経っていたからさ。酒飲んでストレート
に行動しちゃったんだな、俺。柚な。今はあんな態度のくせに、泣いたんだぜ。止めてくれってね」
秋也は、その時を思い出して、目を伏せた。
「もちろん途中で止めたぜ。バカなことしたって。それ以来、酒飲むの止めた。俺が素直になるとロク
なことになんねえ。俺は、あの場所で、じーっと身を潜めて生きていくことに決めたんだ。死ぬまでの
間、親の残した店継いで、土地守って。結婚もしないで、ジジイになったら、老人ホームにでも入れる
ように金貯めてとか。そーゆー風に生きていこうって決めてたのになぁ」
秋也は、軽く溜息をついた。
「おまえが来てさ・・・。なんか、もう。静かだった俺の世界が様変わりしちまった。潤。電車ってな。
今、切符じゃなくてもカードとかで乗れるんだぜ。知ってた?」
「知ってるって」
潤が笑った。
パタッと秋也は、テーブルに顔を伏せた。
「あの町からもう一生出ないって決めてたのに、この俺が特急やら乗り継いで、こんな知らねー土地に、
年下のガキ追っかけて。なんかなぁ。不思議な気分。おまえが来るまで、俺は一人で全然平気だったのに。
外から帰ってきて、寒い部屋なんて、あそこに住んでりゃ当たり前だったのに。そーゆーのがひとつひとつ
平気じゃなくなってきてて。まいる・・・」
ああ、俺やっぱり酔ってるなぁと秋也は思った。
なんか、泣きそう。
「おまえが来て、俺は淋しさへの耐性がなくなっちまった。小夜子さんも川端のおばちゃんもいて。俺
の周りはなんにも変わってないんだから淋しくなんてない筈なのに。昔馴染みの柚子も戻ってきたし、
もっと淋しい筈なんか、ないのに」
秋也は、顔を上げた。
「おまえがちょっといないだけで、俺は、こんなにも淋しくなっちまって。どうしてくれるんだ、バカ」
涙が零れた。
我慢したつもりだったが、出来なかった。
「どうしよう。秋也。俺にもわからない」
潤が、眩しいものでも見るように茶色の目を細めて、秋也を見つめた。
「そんなこと、秋也が言ってくれるなんて」
伸びてきた潤の長い指が、秋也の目から零れた涙に触れた。
「酒の勢いだからな。明日になれば、忘れるから、おまえも忘れろ」
グシッとしゃくりあげて、秋也はいつもの口調で、言った。
秋也の涙を指ですくいながら、潤はコクリと頷いた。
「いいよ。忘れてあげる。なにもかも忘れてあげるから。秋也も、酒の勢いで、そのまま素直に」
答える間もなく、潤に抱きしめられた。
「俺に抱かれて。一晩中」
潤の匂いだ、と抱きしめられながら、胸がきゅん、となった。
「一言いっていいか」
「拒否は、なし」
きっぱり言う潤に、秋也は、その胸に顔を埋めながら、笑った。
「そーじゃなくて」
「なに」
「おまえ。スーツ似合わない」
言い終えた途端、グイッと顎を引き上げられ、秋也は、潤に唇を奪われた。
「ホテル、行こう」
耳元に囁かれて、秋也は、目を閉じ、頷いた。


続く

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