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『明日、朝一で帰るから、待ってて』
名乗らず、挨拶もなく。
強引にそう告げる電話の声に、どういう訳かドキッとしてしまい
「別にゆっくり来ればいいだろ」
と、ぶっきらぼうに言い返してしまう。
『やだよ。夜明けと共に行ってやるっ。秋也、忘れてチェーンとか、かけないでよ。じゃあね』
「ああ、じゃあ、明日な」
電話が切れる。
「・・・」
秋也は、カパッと携帯を閉じた。
「なんで赤くなってんだよ、バカじゃねえの、俺」
ガラス越しの自分の顔に、秋也は思わず舌打ちした。
タイミングよくスーパーに買い物に来ていた時に潤からの着信があった。
「適当に買って帰るか」
秋也は、食材をポイポイとカートに放り込んだ。



「秋ちゃ〜ん」
買い物を終えて帰って、車から荷物を取り出していると、小夜子が寄ってきた。
「すごい荷物。もしかして、週末用?潤ちゃん、今晩帰ってくるの?」
「いや、今日は飲み会あるらしいから、明日朝一で帰るって」
「まあまあ。まるで、旦那のお帰りをお待ちしている妻だわね。ヒヒヒ」
小夜子は、この〜っと秋也を肘で押して、からかう。
「うるさい」
ひやかしを無視して、秋也は、荷物を抱えた。
「それ、あんまり日持ちしない食材とかあんの?」
小夜子は後をつけてくる。
「なんで?」
「だって。今週末ぐらいは、このアパートにいない方がいいと思うわよ」
「?」
秋也は、歩くのを止めた。
「こんなになって初めての週末でしょ。ゆっくりしたいでしょーが」
「俺よか、潤がな。きっとそう思ってるだろうけど」
こっちは仕事に変化はないが、潤は、私生活と仕事が同時に変わってる。
「でっしょ。だから余計よ。邪魔されるわよ。私だったら絶対にするもん」
「・・・」
柚、か。なるほど、と秋也は思った。
「明日朝一で迎えに行って、どっか避難した方がいいって。出来れば温泉とかがいいでしょうけど、急じゃ無理だろうし」
「そうだな。わかった。どっか宿、今から当たってみる」
今回ばかりは、素直に小夜子の忠告に従う秋也だった。
「そうしなさいって」
柚子の性格を考えれば、妨害工作は十分にあり得る。皆、彼女の性格を知り抜いている。
「じゃあ、これ、小夜子さんにあげる」
ガサリと小さな袋の方を、秋也は小夜子に渡す。
「えっ」
「肉とか魚とか。そーゆーのだから。こっちは日持ちする酒とかだから、やらねえ」
「あら。そっちも引き受けるって」
「これは、潤の」
「うふふ。それじゃあ許してあげるわん。潤ちゃんによろしくね。食材サンキュー」
小夜子に軽く手を振り、秋也は部屋に戻った。
とりあえず潤に了解を取ろうと、携帯に電話をしたが、出なかったので勝手に決めることにした。
どうせ行くならば、どっか温泉がいいよな。けど、今からじゃ無理か。
秋也は、パタン、とノートパソコンを開いた。
「取れた!」
前にテレビを観ていて、潤が行きたいと言っていた温泉旅館の予約を取る為にパソコンと格闘すること二時間。
奇跡的に取れたので、そのことを潤に告げたくて、さっきから何度も電話をかけているのだが、繋がらない。
イライラが募り、秋也は、とうとう携帯を放り投げた。
「いい加減にしろよ。どんだけ忙しいんだよ」
そんなことをしてしばらくして、携帯が鳴ったので、秋也は携帯がどこにあるのかわからずゴソゴソと探す羽目になった。
切れてもいいだろ的なぐらい着信音が鳴り続ける。相手は、諦めないでコールし続けているようだった。
「わりい。携帯、見つからなくて」
ようやく探し当てた携帯は、雑誌の下に潜り込んでいた。
『こっちこそ、ごめん、何度も電話くれたのに出れなくて』
電話の向こうから聞こえてくる潤の声を聞いた途端、さっきまでのイライラが不思議とピタリとおさまった。
「なんなの。避けてんのかよ?出なさすぎ」
声が聞けてホッとした癖に、照れ隠しみたいに、可愛い気のないことを言ってしまう。
『避けてる訳ないだろっ。飛行機乗ってたの、今まで』
「はっ?飛行機って」
『今、S市。なんか急な出張に連れてこられちゃって』
「出張?おまえ明日休みだろ。帰ってくるって・・・」
『ごめん。帰れない。日曜日にこっち出るみたいで。急すぎて全然連絡してる暇もなくて。ごめん』
「ふーん、わかった」
『土産買ってくから。じゃあね』
ツーツー。
ヒクッと秋也の顔が強張った。
そこへ、タイミングよくドアが開いた。
「秋也。ご飯食べに行かない」
「・・・」
クルッと振り返って、秋也は、柚子を見た。
「なっ、なによ」
その物騒な視線に、柚子は、ちょっと後ずさった。
「おまえ。週末に潤の出張、むりくり入れたろ」
ギクッと思い当たった顔をして、柚子は肩を竦めた。
「当たり前じゃな〜い。週末にラブラブなアンタ達なんて、見たくもないもの」
と、そこへ、廊下を通りかかった小夜子が合流した。
「なにやってんの〜」
「秋也を食事に誘ってるだけですよ」
柚子は、小夜子を警戒しつつ、言った。
「ダメダメ。秋ちゃんは、明日のダンナ様の帰宅の準備で忙しいのよ。飯食ってる暇ないから。あたしといこ、柚」
小夜子は柚子の腕を引っ張った。
「帰ってこないわよ、小野田くん。出張だもの」
けろっと柚子が言った。小夜子が、えっ?と顔を顰めた。
「S市に出張よ。適当な理由をつけて、行かせたの」
ふふん、と柚子は、長い髪を手で払って、勝ち誇ったように笑った。
「ったく。柚、アンタって子は・・・」
だから言ったじゃないの・・・というような視線で、小夜子は秋也を見た。
「ね。だから、秋也。あたし達も週末出かけない?」
柚子は秋也を誘い出そうと必死だ。
「それは無理。俺、明日、小夜子さんと温泉だから」
「えっ」
小夜子と柚子は同時に声を上げた。
「なあ、小夜子さん。そうだろ。俺と温泉だよな」
ゴゴゴ、と背中になにかを背負ってそうな勢いで、秋也に詰め寄られ、小夜子はコクコクと頷いた。
「えっ、ええ、まあ、そーかな。あはは。なんでか、そういうことに」
「あたしも行くわっ」
柚子が声を上げて、二人の間に割り込んできた。
「ご勝手に。それじゃ明日、車に10時集合」
秋也は、短く言うと、二人を追い出し、ドアを閉めた。
廊下で女二人がなんか言いあっているが、聞こえないふりをして、秋也は部屋に戻った。
潤のヤツ。
アイツのせいじゃないけど、なんだかアイツに腹が立つ。
潤のヤツ。潤のヤツ〜!!
秋也は、近くにあったスリッパ立てに八つ当たりをした。
ドカッ。
スリッパ立てがグラリと倒れ、潤がいつも履いていたスリッパが、廊下を滑って、スポーンと飛んでいってしまった。
スリッパまですっ飛んでいきやがる。
チッと舌打ちして、スリッパ立てを起こし、拾い上げたスリッパを元に戻した。



はー。
潤は、ビジネスホテルの窓に映る自分を見て、溜息をついた。
怒涛の一週間だった。
かなり一生懸命やった自信はあるが、犠牲にしたものも大きかった。
俺。この一週間、秋也の顔、見てねぇ。
バンッと潤は拳で窓を叩いた。
ありえない、ありえない。この俺が秋也と一週間も離ればなれなんて。
「あきなり〜」
夜景が素晴らしく美しいというのに、堪能する気分になどなれない。
「帰りたいよぉ〜」
弱音を吐きかけて、ハッとし、潤はブンブンと強く首を振った。
自分で決めたことだ。
柚子との面倒なこと、本当だったら秋也の言う通り、回避してもよかった。
けれど、そうしなかったのは・・・。
目を伏せた。
そうしなかった理由を頭に思い浮かべたら、秋也に申し訳ない気持ちになったからだった。
「ええいっ。今更ひけねえっつーの。半端な気持ちでなんかやんねーぞ、俺はっ。バスケだってなんだって。
こうと決めたら、てっぺん取ったる」
こつん、と潤は窓ガラスにわざと頭をぶつけた。
「ああ。秋也、抱きたい」
自分がツンデレ好きだとは思わなかったなぁと苦笑した。
俺はわかりやすいタイプだし、そーゆーのが好みだと思っていたんだけど。
「たまんねえよなぁ〜」
電話してても、そっけない口調なんだけど、切ったあとって、絶対に秋也は、照れてる筈。
俺の声が聞けたって、ホッとしてるに違いない。
そーゆー時の秋也の顔って、マジ可愛いんだよな。
「やば〜い。禁断症状」
ごそりっと潤は下半身に手をやった。
どうにもおさまりそうになかったので、仕方なくシャッとカーテンをしめたと同時に、
ドアがノックされた。
「はい」
ドアを開けると、今回一緒の先輩の西脇が立っていた。
「おっ、小野田」
西脇は真っ青な顔をしていた。
「はい」
「この書類さっきチェックしていたんだけどさ」
差し出された書類には、今回の仕事の流れが書いてある。
お得意様のパーティーに、指定された品を届けるという簡単な業務だった。
品自体は、本社から発送されて、もうパーティーの開催されるホテルに届いている筈だった。
かなり昔からのお得意様なので、必ず品物の確認要員とご機嫌伺い要員を用意しなければならなかったのだ。
それが潤と西脇の役目だった。
「今回のお土産に指定されていたのは、かぐらなんだけど、この書類、かぐやになってるぜ」
「え?かぐらですよね。俺、ちゃんと柚子さんに確認しましたよ」
柚子の会社の品物は、似たような名前がたくさんあるので、仕事を進めていくうえではかなり厄介だった。
「似てるから、すごい気になって何度も確認しましたもん」
書類に目をやり、潤は言ったものの、確かに打ち出された書類には、かぐやと書いてある。
「バッカ。柚子さんに確認すんなよ。彼女海外から帰ってきたばっかりで、昔と色々変わってるんだから、
わかんねーことも多いんだよ」
「ええ、マジっすか」
西脇が引き攣った。
「まさか本社からの配送、かぐやで来てねえよな?」
「・・・えっ」
2人は顔を見合わせた。
「荷物!ホテルに来てるよな、もう」
「多分」
ベッドの上に放り出しておいた鞄をひったくるように抱え、潤と西脇はビジネスホテルを飛び出した。
さっきまでの下半身の衝動は、とっくにどこかへ行ってしまっていた。



「えっ?」
柚子は、窓の外を見て、持っていたビールをゴトリと落とした。
窓の外。秋也がポケットに手を突っ込んだまま、こちらを見ていた。
電車はもう、動き出していた。
「やだ、秋也。ちょっと、あんた、まさか」
柚子が、窓を開けようとしていたが、ガタついてスムーズにいかない。
小夜子が手伝い、窓はガタッと軋みながら、開いた。
「秋ちゃ〜ん。今回の件、高くつくわよー。潤ちゃんによろしくねーー」
小夜子が手を振りながら、片目を瞑った。
走り出した電車がガタンと揺れて、窓から風を呼び込んで車内を駆け抜けていく。
「秋也の嘘つき。だましたのね、ひどいわ、こんなの!」
柚子が小夜子を押しのけて、叫んだ。
「んなのお互い様だろ。せいぜいのんびり、湯に浸かってこいよ」
ヒラヒラと秋也は手を振り、そして。
ふっ、と微笑んだ。
「!」
柚子は目を見開いた。
「なにニヤけてんのよー。小野田くんに会いに行けるのがそんなに嬉しいのっ?秋也のばかぁぁぁぁ」
ガタンゴトン、という電車の音と共に、ホームに立つ秋也が遠のいていった。
さすがにもう声は届かないと諦めた柚子が、仕方なく座席に座った。
「なに今の、秋也の嬉しそうな顔!久しぶりに見たわよ」
向かい合って座っている小夜子に、ぶすくれた顔で柚子が言った。
「秋ちゃん、いい顔してたねー。今のアンタはブスだけど」
ふふん、と小夜子が、柚子を見て、笑った。
温泉に行く。
昨夜の約束通り、秋也の車に集合し、三人で出発した。
途中からは電車だというので、市内の駅まで車で行った。
車を駐車場に停め、電車に乗り込むまでの時間に弁当やら酒やらお菓子やらを買いこんで、特急が来るのを待った。
一旦は座席に着いた秋也だったが、缶コーヒーを買ってくる、と言って電車を降りた。
発車のベルが鳴り響いても秋也が戻ってこないので、柚子が窓の外を見たら、秋也が立っていて、ドアは定刻通りにプシュッと
閉まったという訳だった。
秋也は最初からこの電車に乗るつもりがなかったのだ、と柚子はその時に気づいたのだった。
「温泉行きは嘘?小夜子さん、最初から知ってたのね」
「知ってたわよ。宿泊場所もちゃんと聞いてるよ。すっごいいい所だから、楽しみよ、柚」
「わざわざ取ったの?」
「潤ちゃんと来るつもりだったんだと思うよ。アンタが邪魔してくるの想定内だったから、アパートから出るつもりだったのよ。
けど、潤ちゃんを出張にやっちゃうとはさすがに考えなかったからね」
柚子は憮然とした表情で、脚を組んだ。
「あの秋也が、小野田君追いかけて、S市まで行くと思う?」
2人は顔を見合わせた。
「どーだろーね。意外とアパート帰って寝てるかもよ」
ふっ、と小夜子は肩を竦めた。
「どう。次の駅で降りる?柚よ」
からかうように、小夜子が柚子に聞いた。
「降りないッ。さっきの秋也の顔見たら、絶対にアパートになんか帰らないわよ、アイツ。小野田君のところ、行くわ」
悔しい、と柚子は爪を噛んだ。
「そうかしら。ダラダラした男じゃない、アイツ」
そうだけど、と柚子は小夜子に同調しつつ、
「春はわかりやすい男だったけど、秋也は違うでしょ。でも、アイツがああいう風に笑う時って、ほんと、素直になった
時だけなのよ。小夜子さんだって知ってるじゃない」
まあね、と小夜子は頷いた。
お互いの性格は、よく知っている。小さな水辺の町で育った者同士。
「小野田家の熱い血が、クールビューティーな秋ちゃんをついに動かしたか」
小夜子は、窓の外を眺めながら、
「あの日から、時間を止めていた子が・・・。いよいよ、この地から、外に飛び出していくのね。走っていくのね」
感慨深げに呟いた。
「しかも恋人を追いかけてなんて。きゃあ、ロマンチック」
小夜子が、胸の前で手を組み、うっとりとした顔で、空中を見つめている。
「ちょっとぉ。ぜんっぜんロマンチックじゃなく、むしろこの上なく不愉快なんですけどぉ」
柚子の白い視線を受けても、小夜子は「いゃあん、私も恋がした〜い」とクネクネと身をくねらせていた。
どこまでもマイペースな小夜子であった。



一方。
「うーん。切符ってどう買えばいいのか。てか、切符って必要なのか、今!?」
よくよく観察してみると、切符ではなく、カードを改札でタッチしている学生達がいて、秋也は首を傾げた。
あのカード、なんだ??
数年間、ほとんどひきこもり+車生活の秋也は、特急券の買い方がわからず、いまだに券売機の前で
ウロウロしていた。
走り出すには、まだ時間がかかりそうだった。


続く

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