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「すごい、大きな会社っすね」
柚子の実家が経営しているのは古くからある銘菓の会社だった。
「所詮は、地方の会社だけどね。って、貴方、本気で来るなんて」
酔っぱらった勢いや半分冗談だったんだけど・・・、と柚子は書類を片手に、潤に社内を案内していた。
「だって。これからずっと一緒だろうし、貴方のこと、ちゃんと知りたいと思って」
潤は柚子に向かって、ぺこっと挨拶した。
「バスケバカから卒業して、秋也バカになっていたんで、しばらく世間からずれちまいましたが、一生懸命やりますから、
よろしくお願いします」
「・・・やりにくいわね、貴方」
ふーっと長々と溜息をついてから、柚子は、潤を、父に紹介する為社長室をノックした。
応答があり、部屋に入ると柚子は軽く頭を下げてから、社長に潤を紹介した。
「小野田潤くん。今日から働いてもらうわ。使えなかったら、すぐにクビにして下さい。私の知り合いだからって遠慮は
いりません」
「ゆ、柚子さん、柚子さん。いきなりそれはないっしょ」
おいおい、と潤は苦笑した。
社長は、潤を遠慮のない視線で見つめた後、
「ハンサムな子だね〜。どこから拾ってきたのかい」
と、上機嫌な声で言った。
「秋也が可愛がってる子なの」
「ほう。秋也くんとこの」
「ええ。だから、使えないと思うけど、まあ、よろしく」
好きな秋也に対してもこれなんだから、俺じゃ仕方ないか・・・と潤は、妙な納得をしてしまう。
「小野田くん。うち、小さいけど、社員寮あるから、そっちに寝泊まりよ」
え?と潤は、柚子に、ヒソリと囁いた。
「なに、それ。そんで自分は秋也のアパートに帰るの?ずるいよ、柚子さん」
柚子も、コソッと言い返した。
「ずるいって・・・。本気で言ってるの?あたしは秋也が好きなのよ。あんたたちを邪魔するに決まってるでしょ」
「・・・ひでーな。でも俺、これぐらいわかりやすい方がいいや。バカだから、裏工作されてもわかんねー時あっし」
ナハハハ、と潤は開き直って笑った。
「出鼻挫かれるわ。言っておくけど、手加減しないわよ」
コホン、と柚子は咳払いをした。
「うん、大丈夫。俺、秋也、信じてるから」
潤が、キュッと拳を握りしめ、己に言い聞かせるように、言った。
「話は終わったかね」
そんな二人のやりとりを不思議そうに眺めていた社長が声をかけた。
「はい。それじゃ、よろしくお願いします、社長」
潤を社長に任せ、柚子は部屋を出て行った。
「改めまして。よろしくお願い致します」
礼儀正しく頭を下げた潤に、うむうむと社長は目を細めた。




その日から、唐突に潤の社員寮暮らしが始まった。
「あ〜あ。俺、本気でちょっと早まったかな」
秋也のアパートに帰っていく柚子の車を見送りながら、潤はちょっとだけ後悔したものの。
でもまあ。
今までべったりしすぎてて、秋也もちょっと引き気味だったし、いい機会だったかもしれない。
なんか、結構大きな会社に就職しちゃったし。
落ち込んでる場合じゃない。兄貴らに報告せねば。
狭い6畳。布団や家具などは完備だった。
ライバル視されているから、もっとこう、ひどい部屋をあてがわれるかと思ったが、全然そんなことはなかった。
カラリ、と窓を開けると、冷たい風が入ってきた。
「うっ。さぶっ」
ぶるっと身を震わせながら、近所の様子を見渡した。
すぐ傍にある街灯に照らし出されたのは、古ぼけた店やアパート。
ブロック塀には猫が歩いていた。
秋也の家は、目の前が海で、なんにもない。だだっ広いスカスカの土地に、あのアパートは建っていたのだ。
それに比べると、ここには、人が住んでいるぬくもりがある。
「まあ、これはこれでいいか。秋也のぬくもりはないけど、人のぬくもりはあるもんね」
窓を閉めた途端に、携帯が鳴った。
「秋也!?」
飛びついて出ると、
「え、社長?今から飲みに・・・!?」
入社一日目から、社長直々の飲み会のお誘いだった。
潤は慌てて着替えて、部屋を出た。



がらん。
土産屋から帰ってきたら、部屋は冷えたままで寒かった。
暖房をつけて、秋也は、ソファに座った。
温まってくるまでが、冷えた部屋は辛い。
潤がどこぞで買い込んできた大型のクッションを、秋也は腕に抱えた。
「さみ〜・・・」
ソファの上で、体を丸めた。
いつもだったら潤がいるが、今日からいきなり会社勤めになってしまったので、いない。
普段は潤が家にいたから、部屋が寒いことなんてなかったし、一緒に外出し冷たい部屋に戻っても、
大抵ベタベタくっついてくるので寒いなんてことはなかった。
「バカじゃねえの。自ら柚ンとこ行くなんて、いびり倒されておしめえだっつーの」
呟いた言葉は大袈裟だったが、秋也は本気でそう思っていた。
柚子の口の達者さは半端ない。素直で単純な潤が対応しきれるかどうか。
潤が潤じゃなくなってしまわなければいいが。
クッションをギュッと抱きしめて、秋也は、顔を埋めた。
トントン。
ドアがノックされて、秋也はハッとした。
「潤」
慌ててドアを開けると、そこには柚子が立っていた。
「悪かったわね。小野田くんじゃなくて」
「・・・」
秋也は、柚子を睨みつけた。
「なんの用だよ」
「お酒。飲まない?」
柚子は、スーパーの袋に入った缶ピールを秋也の目の前につきつけた。
「禁酒中」
そっけなく言い、秋也は、ドアを閉めようとノブを引っ張った。
「待って」
「待たない。足、どけろ」
柚子が、ドアを閉められないように、隙間に足を突っ込んだのだ。
「禁酒中って。私が一時帰国して会った時のことが原因!?」
「関係ねえ。足どけろ」
再度、グイッと秋也は、ドアノブを引っ張った。
「ねえ、今度は、お酒の勢いなんか借りなくても平気だから。もう禁酒なんて止めなよ」
柚子が玄関に入ってきた。
「いい加減にしろよ。潤の留守中に、入ってくんな。妙な誤解されるだろ。出ろよッ!」
まさかどつく訳にもいかず、秋也は、柚子を言葉で威嚇した。
「大丈夫よ。小野田君は当分は帰ってこないわ」
秋也は、え?と目を見開いた。
「彼、うちの社員寮に泊まり込みにさせたの。だから、ここには週末まで帰ってこないわよ」
「・・・」
潤が帰ってこない?そう言われても秋也にはピンとこなかった。
「ね。だから、邪魔者はいないし、飲もうよ」
強引に、柚子は部屋に上がってこようとして、ヒールを片方脱ぎかけた。
秋也は、ムッとした。
「邪魔者ってなんだよ。潤は別に邪魔者じゃない。てか、おまえのせいで、いなくなったんだろ」
グイッ、と秋也は、柚子の肩に触れて、押し戻す。
「彼が選んだことよ。きっと、私が言った言葉、効いたんじゃないかしら。将来設計っていうのかしらね。男同士なんて
不安定なこと続けているより、ちゃんと就職した方がいいって。あの子見かけより全然バカじゃないわ。うちの父、いっ
ぺんで気にいっちゃったみたいだし」
柚子は、クスッと笑った。
「貴方を変えるより、あっちのがずっと簡単そう」
すっ、と柚子が脱げたヒールを、元に戻した。
「まあ、いいわ。急がないようにする。時間はあるもの。ねえ、秋也。うちの女子社員。身元確かな美人ばっかりよ。
なにかあっても、恨まないでね。彼が決めたことなんだから」
柚子の脚が完全に退いたことを確かめて、秋也はバタンとドアを閉めた。
確かに柚子の言う通り、潤が決めたことだった。
今は誰が好きかと聞かれ、秋也はそこからも逃げずに、ちゃんと「おまえ」と答えた。
すると潤は頷き「だよね」と笑った。
それで済んだ、と秋也は思っていた。
だが。次の日の朝。
朝起きると、潤は、いつものように身支度を整えてから、
「俺、柚子さんの会社に行くね」
と、言ったのだ。
反対だった。潤を説得しようと試みたが、意志は固かった。
「春也さん繋がりの人ならば、秋也は、この先もずっとつきあっていかなきゃいけない人でしょ。だったら、もめてるより、
仲良くなった方がいいじゃん」
茶色の瞳があまりにまっすぐに見つめてくるので、秋也はそれ以上はなにも言えなかった。
「くそっ。なにが仲良く、だ。ガキじゃねえんだから、んな簡単にいくかっ。バカヤロウ」
ソファの上のクッションを掴んで、部屋の隅に投げつけた。
「寒いンだよ。おまえがいない部屋はっ」
暖房をつけてもいつまでも暖まらない部屋に、秋也は、悲しくてたまらなくなった。



続く

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