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「え〜。就職してないの?今時ありえない」
その一言が、柚子にお酌しようと身を乗り出した潤に、ビシッと突き刺さった。
「将来設計ゼロかぁ。勇気あるわね。当然結婚は諦めてるわよね?」
ビシビシと柚子の言葉は、連続攻撃で潤を襲った。
秋也はそっぽを向いたまま、ジュースをちびちび飲んでいる。
「そ、そですね」
確かに。言われても仕方ない。いい歳こいて、大学もいかず、就職もせず。
ただ、恋心だけでこの町に突っ走ってきた。
父親に、大学卒業ぐらいまでの年齢は好き勝手して良いと言われていた。
その時期を過ぎたら、どこの地であろうと、必ず働くように、と。
その言葉だけは、潤は守るつもりではいたのだ。
「だっ、誰かに養ってもらおっかな〜」
えへっと潤が頭をかくと、
「今時の若い子は、計算高いから無理だわね。顔だけが取り柄の男なんて生きる価値なし」
柚子はトドメを刺した。
うっ、と潤は、ドササと床に倒れた。
「相変わらず、柚ねーちゃんは、ズバッと言うな」
太が、ビール片手に苦笑しながら、倒れた潤の背をよしよしと撫でた。
「川端〜」
うががが、と潤は太に向かって手を伸ばした。
川端家の長男・太も偶然東京から帰省してきていて、秋也の部屋では、川端親子&小夜子&潤&秋也&柚子というメンバーで「
柚子さん歓迎&お帰りなさい」という名目で、飲み会をしていた。
ケラケラ笑いながらも、さすがに気の毒に思ったのか、川端のおばちゃんが、潤を庇った。
「けど、柚ちゃん。潤ちゃんは、入退院を繰り返すあたしの店を切り盛りしてくれて助かってるんだよ」
小夜子も
「そーなのよ、柚子。秋ちゃんのいい加減経営の店を助けてくれたり、と。私達をサポートしてくれてるんだから」
ねーっと川端のおばちゃんと小夜子は顔を見合わせた。
すると、柚子は、メガネのフレームを指で弾いた。
「そんなの。彼がいなくたって、なんとかなってきたじゃないの、今まで。いるから頼るだけで、いなけりゃなんとかなるもの
よ」
ビールをカパカパとやりながら柚子は、冴えわたる嫌味を、撃沈した潤になおも投げつけていた。
その場に微妙な空気が流れ始めた。
「ま、まあ。俺のことはさておいといて。ここは、柚子さんと川端のお帰り会なんで、メインはお二人に。特に。柚子さんの海
外での暮らしなど聞きたいな、俺」
めげない潤は、むくりと起き上がり話題転換をはかったものの、
「なんで貴方に、私の向こうでの暮らしを話さなきゃいけないの」
という柚子の一言で、完全に気まずい雰囲気になった秋也の部屋であった。
「ですよね〜」
潤が「助けて」と眉毛を八の字にして秋也に視線を投げると、さすがにそれに気づいた秋也が、
「おまえな。せっかく皆がおまえの為に集まってくれてんだから、ちったあ、女らしく愛想よくしたらどうだよ」
と、柚子に向かって、言った。
「女だから愛想よくしろってなに?意味わかんない。だいたい普段から愛想の欠片もねえアンタに言われたくないわよ」
「うまいっ」
柚子のナイス切り替えしに、思わず口を挟んでしまった潤は、秋也と柚子に同時に睨まれた。
しゅん、と潤はその場で小さくなった。
「まあまあ、潤くん。あの二人は、昔から犬猿の仲。の割にゃ、結構仲良かったりもする、謎の二人。関わらない方がいいです
ぜ」
太がボソリと囁きながら、潤の肩に腕を回した。
「川端、サンキュ。ところで、うちのやつら、元気?」
太は、潤との縁で、東京の小野田家にちょくちょく出入りしている。
「元気、元気。この前光さんとデートしてもらっちゃった。あの人、ホント可愛いよね」
「おいおい。光兄に手を出すと、怖いのが一匹いるでしょ」
「玲さんがいない隙に決まってるだろ」
潤にとって、小野田家の内情に詳しい太との会話は楽しかった。
2人でニヤニヤしていると、柚子に名前を呼ばれて、潤は背筋を伸ばした。
「な、なんでしょ、柚子さん」
柚子の目が据わっていた。顔も真っ赤で、酔っていることは間違いなさそうだった。
「私の家の会社で雇ってあげるわ。アンタ、働きなさい、小野田潤」
ビシッ、と柚子が潤を指差していた。
「え?」
俺っすか〜と潤が自分を指差した。
「いやなのよ、私。こういうダラダラした人間が周りにいるの」
歓迎会が始まった直後から、柚子は明らかに潤をターゲットに毒舌攻撃を仕掛けていた。
それでも潤は、柚子の毒舌を右から左に流し、皆の席にお酌をしたりして、その場を和ませていた。
自分はこの手のタイプの女性に嫌われることを知っていたし、幾ら柚子がしばらくぶりに帰ってきたと言ったところで、がっつ
り地元組に混じった中で、自分が一番アウェーであることをわかっていたからだ。
知らない人間など、警戒して当たり前だから、柚子の気持ちが理解出来ていた潤だった。
「あ、えーと・・・」
働くって。なんかややこしそ・・・と思って戸惑う潤だったが、隣に座っていた秋也がいきなり、ぶち切れた。
「勝手に決めるんじゃねえ。俺はコイツを家族から預かってる責任があるんだからなっ」
バンッ、と秋也は、テーブルを叩いたが、柚子は怯まなかった。
「なに言ってんの。この子、未成年じゃないでしょーが。それにあたしの家は優良会社よ。秋也だって知ってるでしょ」
「確かにおまえン家は、名家だし、金持ちだ。けどな。おまえがコイツ雇うぐらいならば、俺が雇う。だいたいな。ダラダラし
てるヤツが嫌いならば、おまえ、俺を一番嫌いになる筈だろうがっ。昔から俺なんかダラダラしてンだから」
た〜し〜か〜に、と川端親子と小夜子さんは、バッチリと頷いた。
「そうね。確かにそうよ。ほんっと、昔からダラダラしてたわ、秋也は」
柚子は、きっぱりと言ってから、大きなカバンからゴソゴソとなにかを取り出した。
「だから、秋也は、あたしが責任を持ってあけるわ。そうじゃないと、春が絶対心配するもの」
ぶんっ、と柚子は、秋也に向かって、なにかを投げつけた。
「なんだ?」
投げつけられたものをバッと避けて、秋也はカーペットに落ちたそれを拾い上げた。
「封筒?契約書か?」
封筒を開いて、秋也は、ギョッとした。
「な、なんだよ、これ」
「釣書きよ。もう、帰国した途端、パパが結婚しろってうるさくてたまんないの。仕方ないから、アンタに決めたわ。パパも、
アンタならばいいって。だから、それ、一応受け取って」
秋也が開いた釣書を、ひょいっと潤も覗き込んだ。
「・・・おまえ、バカだろ」
バッ、と秋也は、怒鳴りながら、釣書を柚子に投げ返した。
「バカじゃないわ。秋也はあたしと結婚するだけでいいのよ。暮らしはなんにも変らないわ。一緒に住まなくてもいい。
どうせ、ここにいれば、一緒も同然だし。そうね。子作りぐらいは協力してもらうけど。アンタはキライだけど、顔は春と
同じだから、なんとかなるわ。ね、いい案でしょ」
秋也は唖然として言葉もない。
だが、それは川端親子と小夜子も同じだった。
潤だけが、一人、取り残されてしまった。そんな潤に、柚子は釣書を拾い上げながら、言った。
「ねえ、小野田くん。貴方も賛成してくれるよね?だって私、貴方を雇ってあげるよ。中々いないと思うわよ。旦那の愛人だと
わかってて、懐に入れてあげる女なんて」
「・・・」
どうやら柚子には、秋也と潤の関係はとっくにバレていたようだった。
「ねえ、小野田くん。どう?」
潤は、さすがに苦笑した。
「どこがいい案なのか、よくわかんないんだけど。結婚って女の人には特に重要なことでしょ。秋也と結婚して、それで、貴方
は幸せになれるの?柚子さん」
柚子が、ふっと肩を竦めた。
「私の幸せなんて、貴方にはどうでもいいことじゃない」
組んでいた足を組み替えながら、柚子は苦笑した。
「まあね。でも、俺、秋也の幸せは、どうでもよくないよ」
「それって、結局は、自分の幸せの為じゃないの。わかりやすい子」
前髪をかきあげ、柚子は、溜息をついた。
「小野田くん、私はね」
言いかけた柚子を制したのは、小夜子だった。
小夜子は、立ち上がっていた。
「柚子。アンタね。帰ってきて、いきなりなに言い出すの。今まで私達は、穏やかに暮らしていたんだよ。さっきから、なんで
そんなに潤ちゃんに攻撃的なのよ。外行って、頭冷やしてきなっ」
グイッと小夜子は、柚子の腕を引っ張って、立ち上がらせた。
「痛いっ。小夜子さん、痛いって」
川端のおばちゃんも、小夜子に続き立ち上がり、柚子の背を押した。
「柚ちゃん。アンタの気持ちもわからなくはないけど。ほんと、乱暴すぎるよ。秋ちゃんと潤ちゃんは、うまくやってるんだよ」
柚子は猛烈に抵抗した。
女三人が団子になって、押したり引いたりしているのを部屋の中の男達は、呆然と眺めているしかなかった。
「なによ。仕方ないじゃないっ。私の時間は、止まっていたんだもの。ようやく帰ってこれたのに、なんなの、この展開。
秋也、知ってたんでしょ、あたしの気持ち。それなのに、なによ。こんな子と・・・。ありえない!」
髪を振り乱し、柚子は、潤を睨みつけた。
「太、柚を外に出して」
小夜子が言い、太は慌てて立ち上がって、柚子を外に連れ出した。
「秋ちゃん。もうおひらきよ。私達は柚子を部屋に押し込んでくるから。ほら、来な。酔っ払い」
廊下に小夜子の声が響いた。
「酔ってなんかないわよ。まだ話は終わってないわ」
柚子の声も負けじと響く。
バタン、と風でドアが閉まった。


散々な会になってしまった。
「なんか、すごいことになっちゃったね」
秋也に、潤は話しかけたが、返事はない。
「・・・」
潤は、そこらに転がった空き缶を拾い上げながら、
「秋也。わかってたんだね。元カノじゃないけど、柚子さんにとって秋也は、好きな人だったってこと。それで、今も好きなんだね、
きっと」
とん、とテーブルに空き缶を揃えて置きながら潤は、黙ったままの秋也を見つめた。
「もしかして、秋也にとっても、柚子さんは、好きな人だったの?」
その言葉に、秋也は、目を伏せ、うつむいた。


『なに言ってんだ。そんな顔するなよ、春。俺、バスケも柚も全然好きじゃねえし』
言ってて、自分で、白けたよ、あの時。
だって、俺は、本当は。バスケも柚も大好きだった。


「ああ。好きだったよ。小学生の頃から、ずっと。春の女になるまで、俺は柚が好きだった」
隠しておけた筈なのに、秋也は、潤に嘘をつかなかった。
「じゃあ、今は?」
潤に聞かれて、秋也は、目を見開いた。
今は。俺が、今、好きなのは・・・。


続く

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