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もう少しで厳しい冬がやってくる季節に、秋也を訪ねて、女性がやってきた。
長い髪を一つにまとめてメガネをかけた服装の地味な女性だったが、素晴らしく頭が良さそうな顔をしていた。
同世代だな、と潤は思った。
「秋也、いる?」
とその女性は、いきなり秋也のことを呼び捨てにした。
「あ、はい」
潤は頷き、奥の部屋でダラダラしていた秋也を呼びに行った。
「お客さん」
「客?」
秋也は起き上がって、玄関に歩いてきた。
「柚・・・」
女性を見て、秋也は、珍しく驚いた声を上げた。
「なんで、おまえ」
「戻ってきたの。やっぱり生まれ育った土地がいいなって。あの部屋、空いてるよね」
「あ、ああ」
「じゃあ、そこに部屋貸して。ところで、誰?」
女性は、潤をチラリと見た。
「どっ、同居人」
一瞬口ごもってから、秋也は、潤をそう紹介した。
「同居人?」
と女性は眉を潜めたが、
「秋也のとこに居候してます小野田潤と申します。よろしくお願いします」
人見知りしない潤は、ニコニコと自己紹介した。
「・・・楠柚子と言います」
そっけなく言うと、女性は、プイッと潤から視線を逸らした。
「契約とか、また改めて来るわ。ごめんね、急で。でも、急じゃないと、断られると思って。それじゃ」
「・・・ああ」
女性は、タンタンと軽やかに、アパートの階段を降りていった。
秋也は、ハアと溜息をついて、髪をかきあげた。
「ねえ。あの人、誰なの?」
潤が聞くと、秋也は、
「春の恋人だった女。とは言え、幼馴染とまではいかないけど、幼稚園から高校までずっと一緒だったから、
俺もよく知ってる 」
と短く言った。
「そうなんだ」
「春が死んで葬式が終わった頃、そのまま親の転勤について海外に行っちまって。音信不通だったんだけどな」
「へえ。そうか」
秋也は、接客業の割には常に愛想が悪い。
「久しぶりに会ったのに、なにその不景気なツラ。柚子さん、気の毒」
「るせーな」
開け放たれたドアを秋也は、行儀悪く脚で引き寄せて、閉めた。
「潤」
キッチンに移動し、冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出しながら秋也は、潤の名を呼んだ。
「なに?」
「しばらく、実家に帰っておけよ」
いきなり言われて、潤は、キョトンとしてしまった。
「なんで」
秋也は、「なんでも」と言って理由を話そうとしなかったが、潤はそれで納得できる筈もない。
「あのさ。俺の知らない女がいきなりやってきて、秋也とはそれなりに縁がある人で、突然このアパートに住むという。
そんでもって理由も話さずに恋人の俺にしばらく実家に行けなんて不自然すぎない?」
潤もキッチンへ移動した。
「浮気でもするつもり?秋也」
秋也はぴくりと眉を寄せて、一気にミネラルウォーターを飲み干した。
「そんなんする筈ねえだろ。俺は柚には、春のことで恨まれているんだ。そんな俺と・・・」
複雑な顔をして、秋也が、潤を見た。
「ん?」
潤は、首を傾げた。
「俺と、そっ、そーゆー関係なおまえに、アイツ、絶対に絡んでくる。だから」
「えっ。秋也。そーゆー関係ってどういう関係?」
ぱぁっと潤の顔が輝いた。秋也は、チッと舌打ちして、うつむいた。
「ねえねえ」
潤は楽しそうな顔で、秋也にズイッと迫った。
「そういえばさ。柚子さんに、俺のこと、どう説明すんの。ただの同居人ってさ。そのうち、絶対知れちゃうよ。
誤魔化しきれないって」
「う、うるさい。なんとか誤魔化す」
グググと、迫る潤の顔を掌で押し戻し、秋也は、パッと身をひるがえしてキッチンを出ていく。
「心配してくれてありがと」
また、潤も秋也の後を追う。
「心配してねえよ。俺は、面倒くせーことはイヤなだけだ」
本当に面倒くさそうに言って、秋也は乱暴にソファに腰かけた。
「俺は、大丈夫だよ。だから秋也、傍にいていい?」
秋也を追い、すとん、と潤はその横に腰かけた。
「・・・もう、いるだろ」
ピトッと潤は、秋也にくっついている。
潤は、長く末っ子をやっていたせいで、ナチュラルに甘え上手だ。
「違くて。これから、ずっと、ってこと」
「なに今更言ってんの」
最初の頃は、纏わりつく潤をいちいち引き剥がしていたが、最近の秋也は、もう諦めていた。
第一、この肌寒い時期。くっついていた方が暖かいに決まってる。
「まあね。でも、良かった。柚子さんが、秋也の元カノとかじゃなくて、春也さんのカノジョで」
テレビのリモコンをいじっていた秋也の横顔が、ちょっとだけ強張った。
「俺は、あーゆーしっかりした女、苦手」
ボソリと秋也が呟いた。
「俺は好きなんだけど、圧倒的に嫌われるんだよねぇ、俺ってあの手のタイプに。乙女ちゃんにも嫌われてたし」
潤は、高校時代を懐かしく思い出した。
「乙女ちゃん?」
「うん。クラス委員だった早乙女って子。真面目で頭良くてね〜。かーいい子だった。俺は、いーかげんな性格だったから、
いっつも怒られていたよ。小野田くん、ちゃんとやってよ、とか、真面目に聞きなさい、とかね。例の修学旅行置いてけぼり
事件の時なんて、どんだけ怒られたか」
にぱっと潤は笑った。
「あー。なるほどな。じゃあ、おまえ、嫌われるな。柚子も、クラス委員だったぜ」
強張っていた秋也の横顔が、ゆるりとほどけて、笑顔になった。
「なんだよ。笑うなって!」
「だって、真面目なクラス委員に怒られてるおまえ、簡単に想像出来て笑えてさ」
ふははと笑う秋也を見て、むくれたものの、潤も自分で笑ってしまった。
笑いが途絶えると、目が合った。
ふっ、と秋也が逸らした顔を追いかけ、潤は秋也の頬に手を添えた。
「キスしていい?」
「やだって言ったら、やめるのか」
「やめる」
きっぱり言う潤に、秋也は、ちょっと躊躇ってから
「別に、いやじゃ・・・ない」
「オッケ」
潤は、微笑む。
唇が重なる寸前まで、互いの顔を見つめ合い、触れ合ったと同時に、二人は目を閉じた。
「なんか今日、秋也、素直じゃない?!」
キスが終わり秋也の耳元に、潤が囁いた。
「別に」
そう言って、秋也は、ぷちっとテレビの電源ボタンを押した。
テレビが点いた。
そのリモコンを奪って、潤はぷちっと電源ボタンを押した。
テレビが消える。
「潤?」
「続き、していい?」
「やだって言ったら、やめ」
「やめない」
潤は、乱暴に秋也をソファに押し倒した。
「やめ、ない」
見下ろしてくる潤の真剣な顔に、秋也は、目を閉じた。
ゴトン、とリモコンがカーペットに落ちた。

『柚なあ。おまえが好きなんだって』
閉じた瞼の裏に、春也の拗ねた顔が浮かんだ。
『俺達、同じ顔なのになんで俺じゃダメなんだろう。秋、おまえはいいなぁ。俺が欲しいもの、全部持ってる。バスケも柚も』
拗ね顔が、徐々に泣き顔に変わっていった。



秋也は、目を開いた。
すぐ上にある潤の顔にホッとした。
「言わねえよ。やだ、なんて」
実家に帰れ、なんて、嘘。
本当は傍にいて欲しいんだ。
柚子が帰ってきたならば、余計に。
俺の傍に、いて欲しいと。
口に出して言えない素直じゃない秋也は、抱きしめてくる潤の体をきつく抱きしめ返すことによって、言葉に出来ない想いを
伝えようとした。




続く


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