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バジル公爵家の、素晴らしい庭園でイリアスは歓迎を受けていた。
同席しているバジル公爵の機嫌もすこぶる良い。
エスミンは、イリアスの空になったティーカップに茶を注いだ。
もうこれで何度目になるのだろうか。かなり喉が渇いていらっしゃるのね・・・とクスリとエスミンは微笑んだ。
速攻で用意された花瓶には、イリアスが持参した美しい花々が飾られていた。
イリアスは、どことなくソワソワしていた。幾度も振り返るような仕草を繰り返す。
「イリアス殿。うちのエリックは、騎士としての才能はいかがなものですかの」
バジル公爵が訊いてきた。
「は。エリック殿は私の直接の部下ではないですが、話は聞き及んでおります。かつての公爵殿のお血筋を受け、機敏な騎士である、と」
エリックは、バジル公爵家の長男で、この大貴族の跡取だ。
イリアスは、用意されたような模範的な言葉をスラスラと言った。
これは王家に仕える者の訓練された技である。
「それは、それはなにより。懐かしいですな。私も体の故障さえなければ、まだまだ現役でイリアス殿を補佐出来る立場にあったかもしれぬになぁ」
嬉しそうにバジル公爵はティーカップに口をつけながら言った。
「お父様ったら。あのエリックお兄様が機敏である筈はないわ。イリアス様はお世辞を言われているのですわよ。ねえイリアス様」
そう言われても、返答に困るイリアスであった。
このエスミンという令嬢は、ほんわかとした外見に騙されがちだが、中々辛辣だ。
だがとてもさっぱりとした気性で、イリアスは気に入っていた。どこか、ルナに通じる潔さがあるのだ。
「エスミン。兄に対してそのような言い方は、よくない。まったくそなたは」
とバジル公爵が言いかけた時、庭園を幾人かの侍女達が公爵の名を呼んで走ってきた。
「ご主人様。大変でございます。今、お屋敷の前に王族の馬車が。カ、カデナ様がご来訪に!」
バジル公爵は立ち上がった。
「な、なんと?カデナ様が?こ、これは一体どういうことですか、イリアス殿」
キョトンとする公爵であったが、答えるべきイリアスの体の方が硬直してしまっていた。
テーブルの一点を見つめたまま、呆けたような表情であった。
「なんということだ。即刻部屋を用意せよ。今回の件に関してのご抗議かもしれぬ。ああ、どうすれば良いのだ。そなたら、即刻部屋を整えよ」
オロオロとしながら、バジル公爵は侍女達に命令をした。
「は、はい」
侍女達はバタバタと去っていく。
その後姿を見送りながら、バジル公爵の顔色がサーッと青くなっていく。
「なんとなく予想はしておりましたが、まさか直接乗り込んでこられるとは。イリアス様。いかがされますか?エスミン。そなたも落ち着いて対応するのであるぞ」
エスミンは、イリアスからもらった花瓶の花の一輪をそっともてあそびながら、微笑んだ。
「大丈夫ですわよ、お父様」
イリアスと違い、おっとりとしている娘の様子に、バジル公爵は不安を覚えつつ、侍女達に細かく指示を与えるように、庭園から走り去ってしまった。
「イリアス様。大丈夫ですか?」
小首を傾げながら、エスミンはイリアスを覗きこんだ。
「・・・大丈夫ではありません」
普段は、勇敢な騎士として幾多の戦を潜り抜けてきてるであろうイリアスであるが、この表情ときたら、まるで勝ち目のない恐ろしい敵にでも遭遇したかのような表情である。
エスミンはクスクスと笑う。
「イリアス様って、本当に可愛い方なんですね・・・。氷の騎士という噂は前から疑っていましたが、今日確信しましたわ。やっぱりそんな噂は嘘ですわね」
言いながら、エスミンが気配に気づき、顔をあげた。
庭園におびただしい人影が現れたのだ。
その中央に、金色の髪をした麗人が立っている。
「お父様達とは擦れ違ってしまわれたようですわ。その方がよろしいかもしれませんわね。イリアス様。カデナ様ですよ」
その言葉に、イリアスはハッとして振り返り、ガタッと立ち上がった。


護衛の騎士達を引き連れ、カデナはバジル公爵家の自慢の庭園に立っていた。
庭園に急遽用意されたであろうテーブルには、イリアスと今回の結婚相手である令嬢の二人きりであった。
カデナは、遠慮もなく二人の座るテーブルに近づいていく。
その間に、こちらに背を向けて座っていたイリアスが立ち上がり、振り返った。
「カ、カデナ様。お、王族ともあろう方がこの程度の護衛でフラフラと出歩くとは何事です」
開口一番イリアスは小言めいた言葉を口にした。
だが、カデナはその言葉を無視して、イリアスの横をすり抜けると、令嬢の前に立った。
令嬢の名を知らぬ。だが、令嬢は、スッとカデナに向って、正式な礼として、ドレスを摘まみ、頭を下げた。
「初めてお目にかかります。エスミン・バジルと申します。カデナ様」
その礼を受けて、カデナはうなづいた。
顔をあげたエスミンと名乗った令嬢と目が合う。カデナの翠の瞳が、容赦なくエスミンを見つめた。
「・・・」
エスミンが、一瞬フラッと姿勢を崩した。それに気づいたカデナは、「エスミンと申すか。大丈夫か?」と言葉をかけた。
「も、申し訳ございません。き、緊張致しまして」
と言いながら、見る見る間にエスミンの頬が紅潮していく。
女性のこういった態度には、カデナは慣れているので、平然としている。
「カデナ様。あの。今回の件は私の責任でございまして、決してエスミンが悪い訳ではなく」
そんなやり取りを見ていながら、イリアスが口を挟む。
「黙ってろ!」
イリアスの方さえ見もせずに、カデナはガアッと言葉だけで吠えた。
「は、はい」
落ち込んだようなイリアスの言葉が返ってくる。
「今回は不躾な訪問、申し訳なかったと思っている。だが、急を要した。許してくれ」
カデナはエスミンを見つめたまま、言った。
「と、とんでもございません。カ、カデナ様におあ、お会い出来て光栄です」
エスミンの声が上擦っている。
「率直に言う。そなたには申し訳ないが、今回の件。白紙に戻してくれぬか?イリアスは私の夫である。誰にも譲る気はない。
私は、イリアスを愛している。また、イリアスも私以外を愛してはおらぬ。結婚してもそなたは幸せになれぬ。それでも考えを変えぬ
と言うならば、そなた。私と戦う勇気があるか?私はイリアスを誰にも渡さない。渡さぬ」
エスミンの青い瞳を覗きこむように見つめながら言い切って、カデナがフゥッと小さく息を吐いて軽く目を閉じた瞬間、ドサドサッと音がしたので、ギョッとして目を開く。
目の前のエスミンと、そして、何故かテーブルの向こう側のイリアスが倒れていた。
「ど、どうしたのだ」
カデナはエスミンに手を伸ばし、起こしてやる。
「だ、ダメです。耐えられません。カデナ様のお美しい翠の瞳が、私を。私をジッと見つめて。ああ、どうしましょう。私、私、恋をしてしまいそうです!」
「・・・?」
カデナが眉を寄せた瞬間、倒れていた筈のイリアスがドドドッとカデナに駆け寄ってきて、カデナを抱きしめた。
咄嗟のことなので、カデナは吃驚して抵抗すら出来なかった。
カデナは背中からガッシリとイリアスに抱きすくめられていた。
「愛してます、愛してます、カデナ様。私こそ、誰とも結婚出来ません!貴方だけです、貴方だけです。貴方以外考えれません」
耳元で言われ、一瞬ゾクリとしたものの、カデナは振り返らずに、叫んだ。
「では、何故、この話を受けたのだ。よくもぬけぬけと、そんなことを言えるな。騎士たる者、コロコロと主張を変えるとはなにごとだっ」
ジタバタとカデナはもがいた。
「そ、その件に関しては、私からご説明を・・・」
ヨロリと椅子に腰掛けながら、エスミンはドキドキする胸を押さえたまま、言った。
「イリアス様のご結婚の候補に私の名があったのは、父がウディ夫人に泣きついたからでございます。私の意志ではございません。ですが、イリアス様は、
私をお選びになりました。イリアス様はご存知でしたからです。私が、イリアス様の部下のイジュアルと結婚を前提にしたおつきあいをしてることを。このことは
父にも申しておりません。イジュアルは平民。私は貴族。身分違いで反対されることを知っていたからです。ですから、イリアス様は私と結婚出来ないことを
知っていて、私をお選びになった。つまり、最初から私と結婚の意思が、イリアス様にもなかったということです」
一気に言って、エスミンはホウッと溜め息をついた。
「なんだと・・・」
コクリとカデナの喉が鳴った。
「貴様。俺を騙したな」
ガッと肘鉄でイリアスの腹にダメージを与え、イリアスの力が緩んだところをカデナはクルリと振り返り、思いっきりイリアスの頬を叩いた。
「俺を試したな」
「・・・騙しました。試しました。貴方があんまり他人事に私の結婚話を語るからです。申し訳ありません。ですが、夫として言わせていただきます。自業自得です。いい気味です」
叩かれた頬を擦りながら、イリアスは、最後の一言を言ってから、ニヤリと笑った。
「・・・」
カアッとカデナの頬が紅潮していく。それが怒りではなく、羞恥の紅潮であることをイリアスは知っていた。
「そなたなど、もう知らぬ」
プイッ、とカデナはイリアスから視線を外し、
「騒がせたな。すまぬ」
エスミンにそう言って軽く頭を下げると、さっさと踵を返した。
「カデナ様。馬車でお待ちを。私も一緒に戻ります。陛下と王妃様にご説明を。一緒に。一緒でなくては、意味がございません」
カデナの背にイリアスは、叫んだ。うなづきもせずにカデナは護衛の騎士達を引き連れて、庭園を去っていく。
「・・・協力をありがとう。エスミン」
イリアスは、エスミンの肩をポンッと叩いた。
「だらしない程嬉しそうなお顔ですわよ、イリアス様」
二人は顔を見合わせて、笑った。
「そういうことだったのか、エスミン」
行き違ったことを知って、すぐさま庭園に戻ってきていたバジル公爵は、既に始まってしまっていたカデナとエスミンの一騎打ち?を、護衛の騎士達に紛れ見守っていたのだ。
バジル公爵が二人のすぐ傍まで来ていた。
「申し訳ございません、公爵様。ぬか喜びをさせてしまいまして。ですが、最後には必ず真実を告白して、そしてお願いを申し上げるつもりでした」
イリアスが深々と頭を下げた。
「イジュアルと申すエスミンとつきあっている男のことか」
公爵がムッとした顔つきになる。
「イジュアルは、私の直接の部下です。身分はございませんが、誠実でとても頼りになる男です。公爵様の大事なエスミン様を守るに足りると私が断言させていただきます。
正直申し上げれば、恐らくはご長男のエリック殿より、実力のある者だと思います」
イリアスの言葉に、バジル公爵は苦笑した。
「仕方あるまい。行き遅れの、正直私とて、美人とは申せぬ我娘を貰ってくれる男がおるならば、任せるしかあるまい。イリアス殿のお墨付きでもあることだしな」
「お父様!ありがとう」
エスミンは、父に抱きついた。
「エスミン。そなたは中々策士と見た。イリアス殿もな。一気に二つの問題を解決された。さすが、騎士頭であることだな。カデナ様と末永くお幸せに」
バジル公爵は娘の頭を撫でながらそう言った。イリアスは照れたように頭を掻きながら、「ありがとうございます」とまた頭を下げた。
「二件落着ですわ」
父の腕の中でエスミンは、微笑んだ。
「イリアス様。カデナ様がお待ちです。行ってください。それにしても、カデナ様は、なんてお美しい方でしょう。一瞬イジュアルが頭の中からすっ飛んでいきましたわ。危なかったです」
エスミンの言葉にイリアスはうなづいた。
「誰にも渡せぬ私の大切な宝石です。あの方は」
父娘もうなづいた。
「それでは、失礼致します。お騒がせ致しました」
二人に頭を下げ、イリアスは庭園を去った。


バジル公爵邸正門前には、ちゃんと王族の馬車が停まっていた。
カデナはイリアスを待っていたのだ。
イリアスは、自分の馬車を部下に任せ、カデナの馬車に乗り込んだ。
カデナは窓の外を見たままの姿勢で、イリアスが乗り込んできても、振り向きもしない。
「カデナ様。こちらを向いてください」
イリアスがカデナの傍に近寄りながら、言った。その言葉に、カデナはゆっくりと振り返った。
「愛してます。貴方だけを。貴方だけを愛してます。今回は辛かった。もう二度と、私に、貴方以外の人を推薦しないでください」
「しない」
カデナは短く言った。
「もう二度としない。俺だけを愛せとおまえに命令したのは、俺だ。もう二度としない」
「カデナ様」
珍しく素直なカデナが愛しくて、イリアスはカデナを抱きしめた。カデナの腕が、イリアスの背中に躊躇いがちに回ってきた。
それを合図として、二人は唇を重ねた。
静かで、それでいて、とても深い接吻だった。
カデナがイリアスの銀色の瞳に、そっと指を伸ばした。
「そなたのこの綺麗な色の瞳の遺伝子が残らぬのは、勿体無い・・・」
呟いたカデナに、イリアスはニッコリと笑った。
「ご心配なく。他国に嫁いだ妹は多産らしく。もう子供が三人もいるんです。男2人人に、女2人。更におととい男の子を産みました。銀色の瞳の男の子です。
私は、その今度生まれてくる子が男の子だったら養子として欲しいと前から妹に打診していて、了承を得ました」
「!」
カデナの瞳が見開かれた。
「どうしてもっと早くそのことを言わぬのだ」
「子供好きな貴方を驚かせたかったのです。もっと早く言えば良かったのですが、生まれるまでは、男の子か女の子かわからぬものでしたから。まあ、もっとも。
男の子が生まれるまでは、妹にも頑張ってもらうつもりでしたけれどね・・・」
イリアスはカデナの額にくちづけながら、言った。
「家族が増えます。ですから、貴方と私の間の愛も増やさなきゃいけませんよね?」
イリアスの言葉にカデナは苦笑した。
「毎回思うのだが、そなたの愛の言葉はいつも同じだ。時々趣向が変わると、やたらとさむい・・・」
「・・・失礼な。人のことが言えますか。貴方は愛の言葉が乏しすぎます」
一瞬、喧嘩越しのムードが流れたが、カデナが、ふっ、と微笑んだ。
「銀色の瞳の男の子か。それは、嬉しい。賑やかになるだろうな」
「ええ。賑やかになりますよ。赤ん坊が来ると」
「とても、嬉しい。ありがとう、イリアス」
イリアスを見上げて、カデナは微笑む。
「どういたしまして。こちらこそ、光栄です。私の瞳を綺麗と言っていただいて」
二人の唇が再び重なる。

馬車はいつまでも、バジル公爵邸の前から、動きそうになかった。

END
めでたし、めでたし?!(笑)

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