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ひぃいい〜とイリアスは心の中で悲鳴をあげていた。
カーンスルー家の居間には、アルティマ皇太后・ウディ夫人・アスクル・ルージィンや、イリアスの部下達がゾロリと勢ぞろいしていた。
「お飲み物を」
「お食事を」
モニカが、バタバタとキッチンと居間を行ったり来たりしている。それを見かねて、イリアスは席を立ち、キッチンに向かった。
「イリアス様。主役が、このようなところへ来てはいけません」
厨房にフラリと入ってきたイリアスを見て、モニカがギョッとした。
「やめてくれ。主役などと。どう考えたって、あの場に俺がいる必要はない」
イリアスが、どこか投げやりな口調で言った。
「・・・」
イリアスのその言葉に、モニカは言い返せなかった。
心の中で、「た、確かに・・・」と思わず呟いてしまったのだった。
『あの場』では、ズラリと並んだ絵姿を囲んで、アルティマ・ウディ夫人・ルージィン・アスクルが好き勝手に意見をぶっ飛ばしていた。
「アルティマ様。この際、イリアスとカデナ様の結婚を白紙に戻し、私が是非カデナ様と結婚致しとう存じます!幸せにする自信はあります。是非、王へのご命令を願います」
ルージィンがアルティマに向かって懇願していた。すると、アルティマはピクリと片眉をつりあげた。
「なにを言ってるの、ルージィン。騎士でもない貴方に、カデナを任せることは出来ません。第一、先だっての事件の時、貴方はカデナを守るどころか自分の身ですらイリアスに
庇われたとのこと。風の噂で聞いておりますよ」
ツンッ、とアルティマはつれなく言った。
「な。だ、誰がそのようなことをっ。根も葉もないっ」
ルージィンが、カッと顔を赤くした。・・・もちろん、根も葉もある。
「アルティマ様。私は、どこぞの国で性転換なる手術が出来ると聞いたことがあります。それなる手術を受けて、私が是非イリアスの子を産みとうございます!」
ルージィンを押しのけて、アスクルが過激な意見を、アルティマにぶっ放した。
「なんということを言うの、アスクル。その美貌を女にしてしまうのは、勿体ないわ。第一、貴方にはルナを貰ってもらわねば困りますから。却下よ」
「アルティマ様〜」
アスクルは、ガッカリと肩を落とした。フンッ、と二人の男を無視して、アルティマは絵姿を手に取った。
「まあ、見て、見て。ウディ夫人。この方など、とても美人だわ」
ウディ夫人はうなづいた。
「アルティマ様。お目が高い。この方は、サジュルディ家の次女のミスティル様ですわ」
「サジュルディ家でしたら、カーンスルー家と並んでもひけは取らないわね。あら、でもこちらのお嬢様も可愛いわ」
「まあまあ。こちらのお嬢様は、レデア家のジョアンナ様でして」
アルティマとウディ夫人は、テーブルの上に並べられた絵姿を熱心に覗きこんでは、意見を交わしている。
「お待たせしました。皆様、どうぞ夕食を」
ぜえぜえと息を乱し、髪を乱し、モニカがテーブルに食事を並べる。
「なにをやっとるんだ、イリアス」
メイド達に紛れて、イリアスがテーブルの上に皿を並べているのを見て、アスクルがイリアスの肩を強引に掴んだ。
「よせ。皿が割れる」
「主役はおまえだろうがっ!」
「どこが。俺が口を挟む余地がどこにある。こら、離れろ」
「イリアス〜。俺は、おまえの為ならば、性転換なる手術を受けてもいいとすら思ってる。このように、堂々とおまえと結婚出来るチャンスはもう二度とない」
アスクルは、ガバッとイリアスに抱きついた。
「んな手術受けてる暇があったら、脳味噌をもっとまともにしてもらえ」
ケリッ、とイリアスはアスクルの体を蹴飛ばした。
「ふん。そなたなど、今回の件で、カデナ様と揉めればよい」
アスクルに代わって、今度はルージィンが、イリアスに言葉で、絡んできた。
「やかましい。ここぞとばかりに、しゃしゃり出てきおって。臆病者の癖に」
「キサマか。アルティマ様に告げ口をしたのはっ」
「俺は、事実を申し上げたまでだ」
イリアスはルージィンを一瞥した。
「くっ」
ブルブルとルージィンの拳が震えた。
イリアスが、アルティマの傍に料理の皿を置いた時。アルティマが顔をあげた。
「まああ。イリアス。なにやってるの!早く私の隣に座りなさい。見てごらんなさい。この可愛いお嬢さん方の絵姿を。ああ、ステキだわ。
貴方と、こういった可愛いお嬢様達の間に生まれる子供はきっととっても可愛いに違いないもの。ほら、ほら」
グイグイとアルティマは、イリアスの目の前に絵姿を突きつけた。
「うっ」
イリアスは、豪華絢爛なその絵姿達を目にしては、カーッと顔を赤くした。
「こ、このような、美しい方々ばかりで、勿体のうございます。目も眩み、なにがなんだかわかりませぬ」
「おーほっほっ。その言葉、私はアルテスの時にも聞いたわ。ああ、なんて可愛らしい反応でしょう。そんなことを言ってないで、よく見なさい。よりどりみどりなのよ」
アルティマが、グイグイとイリアスの頬を掴んで、絵姿にその顔を近づけさせる。
「アルティマ様」
イリアスは悲鳴をあげた。
「わ、私をからかうのはおやめくださいっ」
「やめられないわ」
アルティマは、顔を背けた。
「こんな楽しいことはやめられません」
ホホホとアルティマは笑う。
「う゛ー・・・」
イリアスは、うめいた。
「ねえ、ウディ夫人。やはり、この方かしら」
「まあ、そうですわねぇ」
イリアスを無視して、再び選考会がウディ夫人とアルティマの間で始まった。
ルージィンとアスクルは、恨みがましい目でそんなやり取りをみながら、用意されていた酒をあおってた。
「ねえ、イリアス。この方などいいと思うの。どうかしら」
ドバーンッ、とアルティマがイリアスの目の前に、絵姿を押しつけた。
イリアスは首を振った。こうなったら、奥の手だ、と思った。
「私の一存では決められません」
「どういうこと?」
アルティマがキョトンと首を傾げた。
「第一、この話は、私の妻の!妻のカデナ・・・様がまだご存知ありません。妻の意見を訊かねば、始まりませんッ。勝手に話を盛り上げないでいただきたいっ」
バアンッ、とイリアスはテーブルを叩いた。堪忍袋の緒が切れた〜とばかりの迫力だった。
一瞬、その場がシーンッとなった。だが、アルティマが
「カデナならば、この話は知ってるわよ。昼間、話しておいたもの」
とボソリと言った。
「な、なんですと。では、カデナ様は一体なんと言われておりましたか」
イリアスは目を剥いて、アルティマに詰め寄った。
「自分は関係ないから、イリアスに任せるとかなんとかそのよーなことを言ったわね」
けろっとアルティマは言った。
「へ・・・」
唖然とするイリアスを見て、アルティマがホホホと再び笑い出す。
「さすがカデナ様ですわね。ご事情をよく察していらっしゃって、冷静なご意見です」
ウディ夫人もにこやかにうなづいている。
「ということで、この件は、貴方の一存で決められるのよ。ほら、見なさい、イリアス。私とウディ夫人の一押しはこのお嬢様。でも、あくまでも貴方の好みもあることですし。
イリアス?あら、イリアス、どうしたの。あらやだ。白目剥いているわ・・・」
ドッと、イリアスはテーブルの上に散乱している絵姿の上に突っ伏した。
「い、いかん。イリアスは最近激務に追われていた。色々なことが重なったので心労で倒れたのだ。アルティマ様。ウディ夫人。今宵はこの話はもうこれ以上は、お控えくださいませ。
モニカ、寝室の用意を。すぐに、用意を!!」
これ幸いと、そそくさとアスクルが立ち上がった。これ以上、イリアスに縁談の話が進むのは、アスクルには不本意なことこの上なかったのだ。
「まあ、それじゃ仕方ないわね」
「残念ですこと。こういうお話は早い方がよいのに」
と、アルティマとウディ夫人は、がっかりした顔つきで、アスクルに担ぎ起こされているイリアスを眺めていた。
「激務?本当かよ、オイ。どー考えてもショックで目剥いたようにしか見えんが・・・」
とルージィンが疑いの眼差しを、アスクルに向けていた。


寝室に運び込まれてきたイリアスを見て、カデナが驚いた顔をしながら、ベッドから降りてきた。
「どうしたのだ、一体」
肩に担いできたイリアスをドサッと、ベッドに放り投げながら、アスクルはキッとカデナを睨んだ。
「カデナ様。一言申し上げてよろしいですか?」
つかつかとアスクルは、カデナの前に立ち、とりあえずは頭を下げた。カデナはうなづいた。
「なんなのだ」
「事態を察していながら、関与しないのは卑怯にございます」
「いきなり、なんだ」
ムッ、とカデナがアスクルを軽く睨みあげた。
「悲しいことに、今の私ではこの事態をどうすることも出来ません。元より諦めるつもり毛頭ございませんが、今はカデナ様のご協力がない限り、事態は不本意な結果に
進むだけでございます。どうぞこの場をお収めください」
カデナの翠の瞳をまっすぐに見据えて、アスクルはキッパリと言った。
「イリアスの縁談のことを言っているのか?」
「最初から、そのことを申し上げてます」
「だったらそう言え」
「言わなくても、階下の騒ぎを聞いていれば、おわかりになる筈でございましょう」
いい加減にしろよと心の中でアスクルは舌打ちした。
「すまんが、今まで眠っていたのだ。階下の騒ぎなど知らぬ」
のほほんと言ったカデナに、アスクルは一瞬絶句した。
だが、すぐに我に返った。
「・・・呆れるぐらいに、余裕のある態度でございますね」
「喧嘩を売ってるのか?」
「最初から、売ってます」
アスクルの言葉に、カデナはやがてクッと笑った。
「相変わらずだな。私に、このように堂々と喧嘩を売れるのは、そなたぐらいしかいない」
「恋心に素直になった時。身分の差を考えて、ものが言えるならば、それはホンモノではございません」
「・・・私にどうしろと言うのだ」
「この際、カデナ様の真実のお気持ちなどどうでもよいですから、とにかく、アルティマ様に、今回の件はご破算にしてくださるよう申し上げてください」
「イリアスの気持ちは、訊かなくてよいのか?」
「なにを今更・・・。そのようなことを本気で申されているのですか、カデナ様」
「私は」
と言いかけたところへ、
「もうよい、アスクル」
と、イリアスが二人の会話を遮った。
イリアスは、頭を押さえながら、起き上がっていた。
「ここから先は、私とカデナ様の問題だ。そなたは、立ち入るな」
「しかし、イリアス」
「いいんだっ!運んでくれた礼は言う。だが、これ以上は立ち入るな」
珍しく、イリアスの銀色の瞳に不穏な色を感じ取ったアスクルは、渋々とうなづいた。
「失礼致しました、カデナ様」
アスクルは嫌味なぐらいに、カデナに向かって、深々と頭を下げては、
「大事にな、イリアス」と言って部屋を出て行った。


部屋には、イリアスとカデナだけになった。
カデナは、ベッドに向かって歩いていった。
「大丈夫か?」
その問いにイリアスはうなづいた。
「ちょっと展開についていけなくて・・・」
「いつものことだろうさ」
バフッ、とカデナはベッドの端に腰かけた。
「で。私は、アスクルの意見を容れた方がよいのか?それとも・・・」
カデナはイリアスを振り返った。
「容れぬがよいか?」
翠色の瞳が、小さく瞬きをしたのを見て、イリアスは息を吐いた。
「どうして、そこで私に意見を訊くのですか」
「どうしてって」
「貴方の意見は、どうなんですか?」
「俺の意見は関係ないだろう。おまえの問題だ」
「関係ない?どうして、関係ないんです。これは、私の問題と同時に、貴方の問題でもあります。関係ない筈はないではないですか!」
「俺には関係ない」
カデナは冷ややかに答えた。イリアスは、耳を疑った。
「なぜ、関係ないのです。答えてください」
「俺は、おまえの子を産めぬ」
「確かにそうです。そうですが。でしたら、私が、他の女を抱いてよいのですか?貴方以外の誰かを。貴方はそれでいいのですか?なにも感じないのですか?!」
「抱かねば、子は産まれぬ」
「!」
イリアスの銀色の瞳が、驚きに見開かれ、やがて諦めたように伏せられていく。
「わかりました。確かに、私には後継ぎが必要です。でも、私と貴方では永遠に無理だ。わかりました。このお話受けることにします」
「・・・」
カデナは、スルッとイリアスの傍らに横になった。
毛布はイリアスの体にかかったままだった。いつもならば、毛布の奪い合いをするのだが、そんな気にもなれずにカデナは体の上になにもかけずにゴロリと横になった。
イリアスはカデナに背を向けている。カデナは天井をボウッと天井を見上げている。そうこうしてるうちに、毛布がバサッと体の上に被さってきた。
驚いてカデナは、イリアスの方を振り返った。
だが、イリアスは相変わらず背を向けたままだった。腕だけを伸ばし、毛布をカデナに分けてよこしたのだ。
「イリアス」
カデナはイリアスの背に声をかけた。だがイリアスは返事をしない。
「イリアス」
もう一度呼んでみる。だが、返事は相変わらずない。
「勝手にしろっ」
プイッと言って、カデナもイリアスに背を向けた。一つのベッドに横たわりながら、二人の体も心も遠かった。


「マルガリーテ。イリアスが、縁談を受けるとのことだ。今朝の朝食後、イリアスが報告しに来たぞ。午後からご挨拶に伺うとやたらと張り切っておったな。意外と乗り気で結構なことだ」
イリアスの縁談話が持ち上がって以来、四日目の昼のことだった。
王が、言った。
「なんですって!」
昼食の席だった。マルガリーテは、千切っていたパンをポトリと落とした。
「お母様。パンが落ちましたわよ」
ルナがサラリと言ったが、マルガリーテは聞いちゃいなかった
「どういうことですの。まさか、貴方。その話を進めろと命令したのではないでしょうね!」
マルガリーテは、王に詰め寄った。
「め、命令もなにも・・・。私に、イリアスに結婚しろと命令させたのは、そなたと母上ではないか。そう言った以上、進めろと言うに決まっておるではないか」
マルガリーテの迫力に、王はタジタジとなった。
「なんということを命令するのですっ。ああ、信じられない。イリアスがこの話を受けるなんてっ。アルティマ様は、絶対に断ってくる筈と自信満々だったのに・・・」
マルガリーテの美しい顔が、見る見る間に青褪めていく。
「お祖母様の話なんて、信じる方が愚かですわ、お母様。過去に何度騙されたのよ」
「ルナ。他人事のような言い方はおやめなさい。そもそもそなたが余計なことを言い出さなければ」
「余計なことを言ったのは、お母様が先よ」
グッ、とマルガリーテは唇を噛んだ。
「それで、父上。イリアスが選んだご令嬢はどなたなの?」
落ち込む母を無視して、ルナは父に質問した。
「バジル公爵の次女、エスミンだ」
「エスミン・・・。って、もしかして、あのまるまるとしたお嬢様?焼きあがったばかりのパンみたいな?候補にあがっていたのね」
ルナは、クスクスと笑った。
「う、うむ。そなたの表現は、中々に的確だな。気立ての良い娘なのに中々嫁に行けぬと公爵がいつぞや嘆いておったが。イリアスがもらってくれるならば、公爵もホッとするであろうな」
「あのようにころころとしたお嬢様でしたら、いっぺんにイリアスの子供を五人ぐらい産めそうですわ、貴方」
おろおろとマルガリーテが呟いた。
「良いではないか。子供は多い方がいい。どんな子供に育つかなど、生まれた時には想像もつかぬからな。たくさん生まれれば、そのうちの一人ぐらいは、良い子に育つであろう。
私は、今つくづく、もう少し頑張ればよかったと後悔しておる」
「どういう意味ですか、父上」
ギロッとルナは父王を睨んだ。
「い、いや別に・・・。ゴホン」
娘の迫力に、王はゴホンと咳払いをして自分の発言を誤魔化した。
「あら、お母様?」
ルナが、席を立ったマルガリーテを見上げて、キョトンとしていた。マルガリーテは近くにいた護衛の騎士に告げた。
「すぐに、アルティマ様とカデナを王宮に呼び寄せて。今すぐよ。緊急事態だと連絡しなさいっ」
「は、はいっ、王妃様」
ぴゅーッ、と命令された騎士は、広間を飛び出して行った。
「私、これで失礼致します。食欲が失せたわ。貴方のせいでございますわ。不甲斐ない方!」
ギロッ、と王を睨んで、マルガリーテが食卓を離れて去っていく。
「なんで?わ、私が悪いのか?」
王はキョトンとしている。
「お母様も必死ね・・・」
フフフ、と笑いながら、ルナは呑気にスープを啜った。


いきなり呼び出されたアルティマとカデナは機嫌が最高に悪かった。
だが、マルガリーテとて負けていない。
マルガリーテは、私室のソファに腰掛けていた。アルティマとカデナがマルガリーテに向かいあってソファに腰をおろした。
「マルガリーテ。一体なんの騒ぎなの?」
アルティマはあくびをしながら、訊いてきた。
「アルティマ様。イリアスが、今朝一番で、王に結婚する、との報告を致しましたわ」
すると、アルティマが目を見開いた。
「あら、ま。それは意外よ。アルテスの時は、最後まで拒んだから・・・。てっきり、イリアスもそうするものかと」
「どう責任取るつもりですか、アルティマ様」
マルガリーテは、珍しく険悪な視線をアルティマに投げつけた。アルティマはニッコリと微笑んだ。
「責任?貴方、イリアスのことを幾つだと思っているの?イリアス本人がそう言ったならば、それはもう仕方ないことですわよ。こちらが騒ぐことではないでしょう」
無責任なアルティマの言葉に、プチッと切れかけたマルガリーテだったが、息を吸ってそれを押さえた。
「アルティマ様のご意見はわかりました。では、カデナ。そなたの意見は?」
マルガリーテの視線が、今度はカデナに投げられた。
カデナは、寝起きなんだか知らないが、とにかく不機嫌そうな顔で、
「お祖母様の言う通りです。イリアスがそう言ったならば、私には口を挟む権利はありません」
と、冷静に言い返した。
「彼が貴方の愛する夫でも?」
「そうです」
「わかりました」
マルガリーテは、カデナの言葉にうなづいた。そして、スクッと立ち上がった。
「?」
カデナの横に立つと、マルガリーテは、息子の頬を引っぱたいた。
気持ちいいぐらい、綺麗な音が、スパーンと部屋に響き渡った。
「マルガリーテ?!」
アルティマが腰を浮かせた。
「カデナ。私は、貴方をこのように育てた覚えはありませんっ!」
マルガリーテは、ハラハラと涙を零した。
「育てられた覚えもありません」
叩かれた頬を押さえて、カデナは言い返した。
「母上に育てられた記憶はありません。私は、厳格な教育者達によってたかって育てられた。王として生きる為に。王族として生きる為に。我侭など許されなかった。
ましてや、世継ぎの件は、口を酸っぱくして言われた。家の長として生まれたからには、家を継続させる義務を持つのだ、と。私とイリアスでは立場こそ違えど、イリアス
とてカーンスルー家の長。後継ぎが必要。それを身に染みてわかっているから、反対など出来ない」
カデナの翠の瞳が、マルガリーテを真正面から見つめていた。
マルガリーテは、涙を拭いながら、アルティマを振り返った。
「アルティマ様。アルティマ様は、政略結婚をされて、好きでもない先代の王とご結婚されたわ。それを最初から諦めていましたか?」
マルガリーテの質問に、アルティマはハッとしたかのように目を細めながら、再び腰をソファにおろした。
「まさか。私は、結婚前まで猛烈に反抗したわ。家出もしたぐらいよ。でも、確かに諦めたわ。私は家の圧力から逃げられなかった。王も同じよ。私と同じ立場だった。
だから、私達は互いの立場を受け入れながらも、それでもやれる範囲で自分の心に正直に生きたわね」
「そうですね。その結果、お二人は、恋多き王と王妃様という印象を私達に与えたものでした」
「褒められているのかしら?」
アルティマは苦笑する。マルガリーテは、再びカデナに視線を移した。
「私と王も同じです。私達は偶然に出会い恋をしましたが、結婚までの道程が決して楽だった訳ではないのです」
「そうだったわね。貴方には既にご両親が定めた婚約者がいたのよね、マルガリーテ。でも、私の可愛い坊やは、貴方じゃなきゃ嫌だと、王族にあるまじき駄々をこねて・・・。
結局は、権力にものを言わせて、貴方を勝ち取ったわ。王家に生まれたことを、初めて感謝した、とあの子は言っていたっけねぇ」
マルガリーテは、大きく息を吐きながら、カデナを見つめた。
「カデナ・・・。私の可愛い息子。貴方は、確かに厳しく躾けられた。自分の感情を押し殺す程に。それは、王族として、王として生きる者のある意味役目のようなもの。
でも、人間ですもの・・・。誰しも、押さえ切れない感情とはあるものなのよ。貴方は、それを最初から放棄している。それは、貴方の生来のものですか?それとも、意図的
にそうしているの?生来のものであるならば、母は哀しい。そして、私以上に、イリアスは哀しい筈なのよ。貴方は、イリアスを愛しているのでしょう・・・」
母と祖母の言葉をじっ、と聞きながら、カデナは床の一点を見つめていた。
「教えに背いても良いのですか?」
「よいのです」
マルガリーテはうなづいた。
「イリアスを困らせることになってもよいのですか?」
「よいのです。共に生きると誓った時から、どちらか一方に降りかかった幸せも悩みも苦しみも、全て二人で共有すべきものなのです」
『これは、私の問題と同時に、貴方の問題でもあります。関係ない筈はないではないですか』
イリアスの言葉がカデナの耳に甦った。
いつでも、アイツの言うことは正しいな・・・。カデナは顔をあげた。
「では。背かせていただきます」
カデナは立ち上がった。
「ありがとうございます、母上。一つだけ、ご安心を。私は、諦めていた。意図的に、です。生来のものではありません。その証拠に、お祖母様からあの話を聞かされた時以来、
夜はよく眠れませんでしたから」
「まあ、そうだったの・・・。それならば、少しぐらいは顔に出しなさいよ」
アルティマが、呆れたように言った。
「そちらは、生来のものです」
そう言って、カデナはニッコリと微笑んだ。
「ありがとう。母上」
もう一度言って、カデナはさっさと踵を返して、マルガリーテの私室を出て行った。
マルガリーテはポカンとしていた。
「まあ、あの子があんな風に笑ったのなんて、久し振りに見たわ。王にそっくりですわ。私、自分の息子にときめいてしまいそう」
マルガリーテは頬を染めた。
「ホホホ。マルガリーテ。今回は、大変だったわね。でも、カデナにはいい薬になったわね。今回ばかりは、イリアスにも幸せな気持ちを味わってもらえそうね。
カデナは、いつもイリアスの愛を無条件に受けているばかりなのですもの」
マルガリーテは、うなづきかけて、ハッとした。
「アルティマ様!も、もう次回こそは、火に油を注ぐような行動はお止めくださいっ!確かに今回は私が悪かったのですけれど。アルティマ様は、私達の時だってそうでしたけど、
孫の時にまでわざわざ騒動を広めるような真似をいつでもなされるんですもの」
「あら。私はいつだって、貴方がたが羨ましいのよ。私は、最後まで王とは恋愛出来なかったんですからね。貴方は王とラブラブで、カデナだって、結局は恋愛している。
私は確かに恋多き女でしたが、愛する方とは、本当の意味での恋は出来ませんでしたからね」
「・・・」
「多少の嫉妬は許してもらいたいわ、マルガリーテ」
「出過ぎたことを・・・。申し訳ありません」
マルガリーテがアルティマに頭を下げた。
「貴方が私の坊やと結婚してくれたこと、感謝しているわ。貴方みたいな純粋な子の血が混ざったから、カデナもまだ素直な部分があったのよ。しきたり通りに、どっかのプライドばっかり
高い大貴族のご令嬢と結婚させていたら、きっととんでもないろくでなしの王子が生まれたに違いないわ。王家の血は、あまりに濃くて、ろくでなしだもの」
「身も蓋もありませんわ・・・」
マルガリーテは苦笑する。アルティマが楽しそうに笑う。
「カデナ。幸せな子ね。イリアスに愛されて・・・」
笑いながらどこか遠くを見つめるように呟いたアルティマに、マルガリーテは慌てて目を伏せた。


その頃。カデナはイリアスの執務室を訪ねていた。
「イリアスは?」
執務室にいきなり現われたカデナに、イリアスの部下達は騒然としていた。
「カデナ様。イリアス様とお約束が?」
ルドルが、慌ててカデナの元へと駆け寄ってきた。
「約束はしておらぬ。だが、ヤツに話があるのだ」
「イリアス様は、バジル公爵様のお屋敷に・・・」
「バジル公爵?!」
カデナは翠の瞳を見開いた。
「は。こ、今回のご結婚の件でご挨拶に・・・と」
言いにくそうなルドルであった。カデナは舌打ちした。
「・・・案外手の早い男だ。まさか、こんな早々に行動を起こすとは・・・。ルドル。馬車を。イリアスを追いかけるぞ」
「は、はいっ」
バタバタとイリアスの執務室にいた部下達が動き出した。
「カデナ様。正門へおいでください。準備が整い次第出発致します」
「今行く」
スッ、とカデナは踵を返した。


雪王宮からは、正門から慌しく飛び出していく王家の豪華な馬車がよく見えた。
「あれなる馬車に父上がいらっしゃるのだな」
エミールが、アスクルに抱っこされながら、窓にへばりついていた。
「ええ」
アスクルはうなづいた。
エミールには、今回の事情をすべて話していた。
今朝方、イリアスが結婚を受けたという話も、耳の早い雪王宮の部下達から聞き及んでいた。
「イリアスを取り戻しに行ってくれるのだな」
「そう願いたいものですな」
やがて遠く霞んでいく馬車を、複雑な思いで、アスクルはじっと眺めていた。

王家の馬車は、カデナを乗せて、城下のバジル公爵の屋敷へと全力疾走していた。

続く

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