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自分達は季節においていかれる・・・と、梶本はボンヤリ空を見上げた。
かじかんだ手を、コートのポケットに突っ込んで、鉛色の空を見つめる。


危惧通り、なつきは心を壊してしまった。
入院して、一ヶ月になる。暴行によって受けた体の傷は癒えたが、心が治らなかった。
つい先日まで、なつきの病室には痛ましい程の動の空気が充満していたのに、最近はすっかり静の空気に包まれていた。
心が一段階乗り越えたのだ、と医師は言った。
だが、まだ、感情を露にして怒ったり泣いたりしているなつきの姿を見ている方がよかった。
今は、本当に、ただの抜け殻だ。なにも食べない。喋らない。ひたすら、自分の心の世界に閉じこもってしまった。
なつきは、外からの音に、なんの反応もしなくなってしまったのだ。
あれほど、激しく、その感情を顔に表したなつきだったいうのに、今は不気味なほどの無表情で沈黙を守っている。
なつきの家族は、その豹変ぶりに、病気だとはわかっていても堪えられない・・・とばかりに彼の病室から遠退いてしまった。
一人ぼっちで、いつもベッドの上にいるなつきの姿を病室のドアの入り口から垣間見ているだけで、梶本の胸は痛んだ。
近づいて、言葉をかけたいのに、なつきは「男」の存在を否定する。
だから、彼の担当医も女医である。
物静かだが、どこか水商売の女のような艶を持っている医師だった。芝川医師は、なつきをとてもよく看てくれている。
「諦めちゃだめよ。梶本くん」何度もそう言われた。梶本はうなづいた。誰が諦めるもんかと梶本は思った。
なつきの心が、再生するまで。自分は、もう二度と離れないと心に誓った。
なつきを犯した三谷達も、吉川も、加担したみちるも。憎んだ。勿論、憎んだ。殺してやろうかとすら思った。そして、彼らを憎む勢いと同じぐらいに自分を責めた。
けれど。今は。今は・・・。憎しみや後悔を優先するよりも、なつきへの愛を優先すべきだと思った。
存在を否定されようと、毎日欠かさずに病室へその姿を見に行く。それが梶本の日課だった。
たまに、大野やなつきの友人達とも擦れ違った。彼らは、憎しみと哀れみの半分半分の目で梶本を見た。
「おまえがもっとしっかりしていれば・・・」そう言われて、言い返せないことに、梶本は唇を噛んだ。



「梶本」
声をかけられて、梶本は振り返った。
「わざわざすみません」
「どうだ?最近の桜井は」
「ちょっと変わりました」
五条と小泉の2人が、今日見舞いに行くと言ったので、梶本は病院の正門前で待っていたのだ。
「よくなったのか!?」
小泉が、弾かれたように訊いてくる。
「どうなんでしょう。この前までは、完全なヒステリーで暴れてましたが、今は静かです。静かすぎちまって・・・。表情が消えてしまったんです」
五条が顔を顰めた。
「進行してるんじゃねえのか、それって」
「俺もそんな気がする」
五条と小泉は顔を見合わせて、目を伏せた。梶本は、そんな2人を見て顔を歪めた。
「泣くなよ」
そんな梶本に気づいた小泉が言った。
「泣きませんよ。もう、充分泣いたから。泣いてる暇なんかねえっすよ」
「そうだぜ。その意気だ。てめえがしっかりしねえとな」
小泉は、梶本の背を撫でた。
3人は、揃って病院の門を潜った。梶本は、一種独特のこの病棟に最初に足を踏み入れた時、漂う空気がなんとなく怖かった。
ただ意味もなく怖かった。けれど、今はもうなにも感じない。あの人に会える・・・という喜びだけが、梶本の胸を満たしていた。
なつきの病室のドアが開いてる。施錠されていることが多いのだが、今日は開いている。いつもと同じように、なつきはベッドの上で上半身を起こしていた。
なにをすることもなく、ただボウッと空中を眺めている。
「桜井。痩せたな」
五条が、病室をチラリと見て、呟いた。
「食ってねえんだ。点滴で栄養流し込んでいる状態で」
梶本が説明すると、小泉はうなづいた。
「こっち、見てるぜ。なっちゃん、気づいたのかな」
だが、なつきは、ドアのところに佇む3人を、ボンヤリ眺めているだけだ。なつきの領域である病室に、一歩でも踏み入ったらどんな反応がくるかわからない。
興奮状態にさせるなと芝川医師には警告を受けている。なつきの表情は、ピクリとも変わらない。まるで、そこに3人がいることすら見えないかのようなのだ。
「・・・マジでなっちゃん痩せた。あんなに元気そうだったのに。いつも俺のことをからかっていたなっちゃんの顔じゃねえよ、こんなん。俺はいまだに信じられねー」
小泉は口元に手をやり、ボソリと言った。
「りお」
五条は、小泉の頭をポンッと撫でた。
「梶本には泣くなって言ったくせに」
「俺はいいんだよ」
「なんでりおはいいんだよ。相変わらずオレサマだな、ったく」
五条は苦笑する。
「だってさ・・・」
ジワッと小泉の茶色い瞳に、涙が溢れた。
「ちきしょう!なんで、こんなことに・・・」
グシッと小泉はしゃくりあげた。
「我慢しろ、りお。下手に桜井を刺激しちまったらヤバイぜ」
「わりい」
ウンとりおはうなづいて、ゴシゴシと掌で目を擦った。
「悪かったな、梶本」
「いいえ。ホントは俺も泣きてーんですが。代わりに泣いてもらえて、助かります」
そう言いながら、梶本はドアにもたれた。
しばらく、3人はそれぞれの想いを込めてなつきの姿を見つめた。なつきは、もう、3人を見てはいなく、今度は窓の外に視線を移している。
3人の位置から見えるのは、なつきの横顔だった。
一番最初になつきから視線を外した五条が、ふと梶本を見た。次に視線を外した小泉も、なにげなく梶本を見た。
梶本は、眩しいものでも見るかのように、熱心になつきの横顔を眺めていた。僅かに目を細め、ただ、ひたすらになつきを見つめている。
外は曇り空だから差込む光もなく、病室は薄いピンク色の色彩と白しかない。眩しい筈はない。だが、確かに梶本は、目を細めている。
眩しいのだ、と2人は思った。梶本にとって、なつきは眩しいのだ・・と。どんな姿になっても梶本にとって、なつきは眩しい存在なのだ。
2人は、事件を知った時、まずなつきの気持ちばかりに目がいった。
2人で梶本を責めた。梶本は、言い返さなかった。ひたすら、浴びせられる罵倒の言葉を受けとめていた。
そして時が過ぎ、事態が落ち着きを見せた時、やっと2人は梶本の苦しみを理解した。
2人が梶本に謝った時、梶本は既に越えていた。あらゆる感情の波を、たった一人で越えてしまっていたのだ。
全てを憎み、そして許し、受け入れた梶本は、凛としてなつきの傍に立っていた。なつきが苦しまない位置に。
梶本は、待っている。なつきが戻ってくるのを。静かに、梶本は待っている。それしか出来ないことを知っているから。
「んな、心配そうなツラしねーでください。俺は、待ちますから。季節、何回も越える覚悟あっから」
病院を出て、別れ際に梶本は言った。
五条と小泉の、自分を見る心配そうな視線に、梶本は気づいていた。
「なつきのこと、愛してるんです。傍から離れたら、俺も壊れてしまう。だから、もう離れない。絶対に」
梶本は微笑んだ。
小泉と五条は、その笑顔にハッとした。暗い顔ばかりをしていた自分達を反省した。
「頑張れよ。こんな月並みな言葉しか言えなくて申し訳ねえが、俺もいっぱいいっぱいだ」
「はい」
「なあ、梶本。おまえの瞳。けっこーイイな。なっちゃんがグラついたのわかる気がするよ」
「ありがとうございます」
「真面目なヤツだな、おまえは。いちいち礼言うなっつーの」
小泉が笑った。五条もクスッと笑った。
「梶本。おまえに、俺の大切なダチ任せるぞ。ちゃんと元に戻して、二人でまた遊びに来い」
五条の言葉に、梶本はうなづいた。
「約束だからな」
小泉が、明るい声で言った。
「約束します」
梶本の返事は力強かった。そして、病院前で、3人は別れた。



なつきは、病室のドアが開く音に気づいて、視線をそちらにやった。
「なつきくん。外はいい天気だよ。もうすぐね。春が来るよ。桜が咲くんだよ。君のすぐ傍の窓からも咲いたら見える筈だよ」
芝川医師が、そう言いながら、シャッとカーテンを開けた。差し込んでくる春間近の陽の光に、なつきは目を細めた。
「お花。なつきくんの彼氏から。君は知らないかもしれないけど、毎日会いに来るんだよ。雨の日も風の日も雪の日も。君の彼氏は、ホントに根性あるわねぇ」
そう言いながら、芝川医師は、手に持っていた花束を空いた花瓶に差し込んだ。
「なつきくんの部屋は、花でいっぱいだね。いつも、綺麗。君の心みたいだよ。君の心はとっても綺麗。だから、なにも心配しなくっていいんだよ。
君は汚れてなんかいないよ。ねえ、私の声聞こえる?」
ストッと、ベッドの端に腰掛けて、芝川医師は、なつきの顔を覗きこんだ。
なつきの視線は、ジッと一点を見つめたままだ。なにも聞こえないかのような無表情さ。芝川医師は、微笑んだ。
「本当は聞こえているんでしょ。でも、いいよ。まだ聞こえないフリをしてても。無理しなくていいのよ。でもね、なつきくん。聞くのが辛かったら、君が言ってごらん。
言いたいこと、あるでしょ。前みたく、心の中にあることを言ってごらん。ああ、でも。言うのと、聞くのと、君にはどっちが辛いんだろうね。わかってあげられなくて、
ごめんね」
子供にするかのように、芝川医師は、なつきの頭を撫でた。
「先生ね。君の笑った顔が見たいよ。先生は、君の怒ってるか泣いているか黙っているかの顔しか見てない。こんなに綺麗な顔してるのに、笑わないなんて勿体ないよ」
芝川医師は、なつきの頬を撫でた。
「待ってる人がいるのよ。君の笑顔を。私以上に・・・」
指に触れた濡れた感触に気づいて、芝川医師は、なつきを抱きしめた。
「もうすぐよ。もうすぐだわ。なつきくん。苦しくても、ここに戻ってきなさい。貴方はもどってきたい筈なのよ・・・」
なつきの頬を、涙が零れて落ちていく。
氷が溶けていくかのように、頑なな感情が緩々と溶けていく。
確実に、冬が去って、春が来ようとしている。季節と共に、なつきの心にも。
あと一歩。その最後の一歩が、遠い。
だが、なつきは、少しずつ表情を取り戻していった。
今では、食事も自分でとれる。病室の中も歩き回れた。
なつきの日常生活が少しずつ復活していくのと平行して、梶本はとうとうなつきに会えなくなってしまった。
なつきは、記憶喪失ではない。ちゃんと、誰も彼も覚えている。
だから、少しでも自分の忌まわしい記憶に触れるものを目にすると、興奮して、ヒステリーを起こす。
そして、再び日常生活を放棄してしまうのだ。その繰り返しだった。そのせいで、芝川医師に面会謝絶を言い渡された。
病室をチラリと覗くことすら出来なくなった。けれど、それでも、梶本は病院に来ることを止められなかった。
会えなくても、なつきが居る場所へ行く。もうほとんど無意識のようなもので、足は勝手に病院に向かってしまうのだ。
ああ。あと、少しで桜が咲く・・・。なつきの居る病棟を見上げながら、梶本は思った。


「はい。診察オシマイ。なにかあったら、すぐに看護師呼んでね。んーいい匂い。春の花はいいよね」
病室に飾られた花の匂いを嗅ぎながら、芝川医師はのんびりとそんなことを言った。
「せんせいっ」
勝手にドアが開き、小さな男の子がなつきの部屋に飛び込んできた。
「あら、翔太くん。勝手に入ってきて、もう」
「えへへ。先生が、この部屋入るのが見えたから」
「すぐに翔太くんのところ行くから、お部屋で待ってて」
「わかったよ」
素直にうなづいて、翔太はチラッとなつきを見上げた。
「なに?なつきくんがどうかした?」
視線に気づいて、芝川医師が訊いた。
「僕。退屈だから、遊んで欲しいな。だって、他に頼める人いないんだもん。このおにーちゃん、女の人みたいだし。だめかなあ」
翔太はモジモジと芝川医師の白衣の裾を掴みながら言った。
「先生がお願いしておいてあげるから。部屋に戻ってて」
「うん」
パタパタと翔太が出て行く。それを見送ってから、芝川医師は、なつきを見た。
「今の子。山田翔太くんって言うの。6歳よ。母親の再婚相手に暴力受けて。体中傷だらけで運びこまれたわ。彼もね。そういう理由で、
父親ぐらいの年齢の男の人見ると、吐いちゃうのよ。げえげえって。貴方と同じよ。怖がる気持ちを抑えられないの。でもなつきくんは平気
みたいね。まあ、君は大分若いけどさ。なつきくん。男の子だけど、ちっちゃいから、翔太くんのこと平気でしょ。遊んでもらえるかな?いい
リハビリになると思う」
「・・・」
なつきは、うなづいた。
「ありがと。助かるわ」
ニッコリと芝川医師は笑った。
「あとで、連れてくるね」
もう一度、なつきはうなづいた。


翔太と遊ぶのは、楽しかった。
なつきは、段々と心の中で言葉を思い出す。
音には出来なくても、思い出す。生意気盛りの、やんちゃな男の子。
少しでも気をぬくと「バカじゃん」とか「つまんなぁい」という容赦ない台詞がポンポン飛び出す。
あんまり生意気なことを言われて、なつきはポカッと翔太の頭を軽く叩いたら、泣かれてしまって驚いた。
軽くのつもりが、結構力が入ってしまったらしい。「ごめんな」という言葉がすんなり出た。
すると、翔太は吃驚したような顔になった。
「おにーちゃん。初めて、喋ったぁ」と、ピーピー泣いていたのに、翔太は笑った。
それからだった。なつきに、言葉が戻ってきた。


梶本は、いつものように病院に来ていた。
今日は、見舞いの品を届けるので、病室近くまで来ていた。
すると、足元に転がってきたボールに、驚いた。
「・・・」
それは、バスケットボールだった。
なぜ、病院で、こんなものが・・・。拾い上げると、小さな男の子が目の前に立っていた。
「ありがと。それ僕の」
そう言って、男の子は手を差し出した。
「バスケやってるのかい?」
訊くと、男の子はうなづいた。
「死んだパパがやってたの。すげえカッコよかったよ。だから、僕も大きくなったらやるんだ。これは、ママから誕生日プレゼントにもらったんだァ」
ボールを男の子に戻すと、梶本は笑った。
「そっか。あ、君。その部屋に行くの?」
男の子が入ろうとした病室に気づき、梶本は驚いた。
なつきの病室だったからだ。
「うん。この部屋のおにーちゃんと遊ぶの」
その言葉に、梶本は目を見開いた。
一週間ぐらい、病室には近寄っていなかっただけで、なつきの容態に変化があったようだった。
「おにーちゃん元気?俺は、その部屋のおにーちゃんと友達なんだよ」
「そうなんだ。うん、元気だよ。最近ね。喋れるようになったの。部屋入る?」
「いや。先生に止められているから。そう。元気になったんだ・・・。良かった。じゃあ、おにーちゃんにこれ渡しておいてくれる?」
「うん。わあ、果物だ。僕も一緒に食べていいかな」
「いいよ。二人で食べな」
「どうもありがとう」
男の子は、腕に果物の入った袋を提げると、両手でバスケットボールを抱えてなつきの病室へと飛び込んでいった。
「・・・」
バタンとドアが閉じた音に、梶本はハッとした。
なつきが変化してきている。
子供と遊べるようにまで、なっている。
梶本は胸がドキドキしていた。治っていくのかも、しれない。
そう思うと、立ち去りがたかった。だが、いつまでもその場に佇んでいる訳にもいかず、仕方なく病室を背に歩き出した。


「なつきにーちゃん。今ね、お友達が来てたよ。これ果物だって」
病室に入るなり、翔太は元気な声で言った。
「俺の友達?」
「うん。背のすげえ高い、目のキリッとしたカッコイイにーちゃん」
「・・・」
翔太は、大切そうに袋を、なつきのベッドに置いた。なつきはその袋に目をやり、それから翔太の手元を見た。
「!」
翔太が大事そうに抱えているものを見て、なつきの顔が強張った。
ドクンッと、心臓が跳ね上がった。
バスケットボール・・・!バスケットボール、バスケットボール!!
心臓の激しい音と共に、なつきの脳裏に、かつて梶本と交わした言葉が甦った。
『梶本。おまえ、大学でバスケやんねえの?』
『うーん。やりてえけど・・・』
『なに迷ってんだよ。やりてーならば、やれよ。おまえバスケバカじゃん』
『バスケは好きだよ。確かにすげえ好きだけど。部なんか入っちゃったら、そればっかりになっちゃうでしょ。せっかく一緒にいれる時間が取れるようになったのに』
『は?』
『あのね。アンタと一緒にいたいの、俺は。少しでも長くさ。ずっと。そうしたら、病気も治るかもしれないでしょ。俺はバスケより、アンタが好き。桜井さんが、好き。
だから、もうバスケやんない。ずっと一緒にいて、病気治していこう、ね』
『なに言ってンだか・・・。マジな顔して、よく言うよ。バカみてえ』
あんなに好きだったバスケを止めてまで、傍にいてくれた梶本。
本当は、梶本の言葉がとても嬉しかったのに、素直に「サンキュ」と言えなかった俺。
『俺は、バスケより、アンタが好き。桜井さんが、好き』

『言えないんだ』

『嫌いになって別れたんじゃねえよ。今だって、好きだ。好きだ。好きだ。どうしようもなく好きなんだよ』


惚れた男の気持ちをわかってやれなくて。
心の中で、何度梶本を、責めたことだろう。憎い、嫌い、大嫌い。本意でなかった別れだったのに、それすら気づくことなく、自分の感情優先にして、梶本を憎んだ。
挙句に、「来ないでくれ」と懇願した梶本を振り払って、またしても自分の感情を優先して、先走り、自分を傷つけ、更に梶本を傷つけた。
惚れた男を信じなくて、自分勝手な自分に嫌気が差した。愛してもいない男達に、体を汚された悲しさ。
なによりも、このまま梶本を愛していくことが、また彼を傷つけるのではないか?という恐れ。
苦しかったのは・・・。辛かったのは。いつでも、梶本のせいだった。けれど、やっぱり、この苦しみと辛さを救ってくれるのも、梶本しかいないのだ。
結局。どうすることも出来ないほど、自分は梶本を愛しているのだ、という結論しか出ない。
「梶本」
その名を呟いた時、なつきの目から涙が零れた。
毎日来てくれていることを知っていた。知っていても、会う勇気が出なかった。
「なつきにーちゃん」
「梶本。梶本」
愛していい?これからも。
俺は、きっと、変われないけど。このまんまの、俺だけど。また同じこと繰り返すかもしれないけど。
愛してもいい?
また、これからも。ずっと。
おまえがこんな俺でも、まだ愛してくれているならば・・・。
「ううっ」
嗚咽が漏れた。なつきは、その場に座り込んで、泣き出した。
「な、なつきにーちゃん、大丈夫?!い、今先生呼んでくるからっ。待ってて」
てんっ、と翔太の腕からバスケットボールが落ちた。
コロコロと、それは床を転がっていく。
そのボールの動きを目で追いながら、なつきはボロボロと泣いた。
『桜井さんがちゃんと俺を応援してくれれば勝てる気がする』
そうだ。おまえは。あんなにダイスキだったバスケを捨ててまで、ずっと傍にいてくれたんだよな。
いつも、俺に気を使って、一定の距離をおきながら。傍に。ずっと。


梶本は、授業が休講になってしまって、時間を持て余していた。
一旦アパートに戻り、今日もまたなつきの病院へ向かった。
広大な病院の敷地の庭にもあちこちに桜が咲いている。
フワフワと桜が宙に待っている。穏やかで暖かい春の日だった。
途中で買った花を、いつものように看護師に渡して、梶本はなつきの病棟を出た。
なんとなく、癖になってしまっている順路で梶本は、開放されている屋上に向かった。
なつきに面会を許されなくなって以来、立ち去り難い気持ちを散らす為に、病棟を出てから屋上に行くようになっていた。
そこでしばらくボーッとしてから帰るのだ。
今日は、上から見下ろす桜はどんなもんだろと思っていた。バタンと、屋上へのドアを開けた。
僅かに風が出てきたようだった。入院患者、面会者など、屋上にはいつもそれなりに人がいる。
けれど、今日はあまり人がいない。いつもより時間が早いせいかな?と思って、梶本は手摺にもたれかかって、病院の庭を見下ろした。
思った通り、中々の眺めだった。白く霞む桜。綺麗だった。桜井さんの病室の窓からも見えるんだろうか・・・と思った。
もし、見えているならば、季節は春を迎えたことに気づいているだろうか。気づいたら、きっと驚くだろう。
俺は、松木先輩を失ったことから立ち直った時。雪が降っていたことに驚いたもんだったけど。
季節は巡っていく。自分では意識しなくても。時はまったく、容赦がない。
桜井さん、桜井さん、桜井さん。もう、春だよ。春だよ。桜、咲いたよ。
目を閉じ、梶本は手摺に額を擦りつけて、心の中でなつきの名を呼んだ。
「梶本」
呼ばれた。
「梶本。おまえ、屋上得意だよな。高い所が好きなのかよ」
幻聴!?でも、まさか・・・!?
振り返れない。
振り返って、その声が、春の日差しの中に溶けてしまうような幻だったら、辛いから。
でも・・・。
手摺を掴んでいた腕が震えたのに気づいて、梶本はゆっくりと目を開いた。
「すげえな。桜、もうこんなに満開だったなんてよ。気づかなかったぜ、俺」
その声。
梶本は、バッと振り返った。すぐには声が出なかった。
なつきが立っている。目の前には、なつきが立っていた。
瞬きをしても、消えなかった。確かに、なつきが目の前に立っている。
「冬の後って春なんだよな。俺は、それをおまえに教わって。あんまり当たり前のことなのに、妙に感心したのを覚えてる。おまえが松木を失って沈没していた時のことだよ」
「今度は、俺の番だったんだ」
呟いた梶本に、なつきは、ふっと笑った。
それから、ゆっくりと全開に微笑んだ。
梶本には、信じられなかった。何度も瞬きする。
なつきだった。
心を壊す前のなつきが、確かにここに居るのだ。
「あん時、もう一つ思った。俺にもいつか春が訪れるんだよなって」
「春が・・・訪れる・・・!?」
「ああ。長かったけどな。俺の場合。冬が長かった。けど、来た。やっぱり、冬の後って春なんだよな。やっと、来た」
「桜井さん」
なつきは、ジッと梶本を見つめた。
「おまえのこと、愛してる。俺はきっと、これからもあんまり変わらない。おまえには迷惑いっぱいかけると思う。でも。めげずに俺のこと、これからも愛してよ。なあ、梶本」
梶本も、なつきを見つめていた。
「大好き。桜井さん、なつきのこと、大好きだ。愛してる。もう離れないし、離したくない。絶対に、離さない。傷つくんならば一緒に。全部、なにもかも一緒に」
「プロポーズみてえ」
クスッとなつきは笑った。
「男同士で結婚出来るならば、マジでこれがプロポーズだよ。なつきを幸せにするよ」
「その台詞は、俺の台詞。おまえには今まで迷惑かけた分、俺がおまえを幸せにする」
「もう今が一番幸せ」
梶本が優しく微笑む。
「よく言うよ」
拗ねたようになつきが言った。
「なんだよ。文句ある?」
「小さいことで幸せ感じてるんじゃねえよ。もっと幸せ、あるじゃんか」
フワッとなつきの腕が梶本の背に回り、なつきは梶本を抱きしめた。
「な、なつき。だ、大丈夫?」
「平気。ようやくおまえを抱きしめることが出来た」
なつきは、梶本の耳に、震えるように囁いた。
「大好きだ。色々と考えたけど、辛さも悲しさも苦しさも、おまえへの好きに比べたら、もう全然小さくて。俺って、おまえのことしか頭にねえんだ。バカみてえだろ」
「腰砕けそうだよ。眩暈までしてきた。あん時、死なないでよかったって、つくづく思うよ。もう一度、人をこんなに愛せるなんて思えなかった」
梶本は、なつきの頬に手を伸ばした。ピクッと、なつきの体が揺れた。
「怖い?」
「・・・んなんじゃねえよ」
「気持ち悪かったら、突き飛ばしていいよ」
「我慢する」
「我慢ですか?そうかもね。そうなるかも。でも俺は、もう我慢出来ない」
グイッとなつきの体を引き寄せると、梶本はなつきの唇に自分の唇を重ねた。
「んっ」
クッと、なつきの眉が潜んだものの、梶本を押しのけることはなかった。
今までの想いを、そのキスに託すかのように梶本は、なつきの唇を貪った。
躊躇いがちだったなつきの舌をようやく捕まえて、絡め取る。
一旦唇が離れ、また押し当てる。飽きることなく、梶本はなつきにキスをした。
何度目かに唇が離れた時、なつきはクタッと梶本の胸に倒れた。
「もういいって・・・」
なつきは、かすれた声で言って、梶本の胸に顔を埋めた。
「ごめん」
「これ以上気持ちよくなったら、マズイじゃん。ここ、病院の屋上だぜ」
「そうだったよな。今日人が少なくてよかった」
梶本は、ギュッとなつきを抱きしめた。
「もう気持ち悪くない?我慢してない?平気?」
「たて続けに訊くなよ。平気。おまえの匂い、好きだから」
なつきは梶本の胸に頬を寄せた。
梶本はなつきの髪に指を絡めた。
「退院したら、一緒に暮らさない?五条さんとりお先輩みたいに。あっちに負けないぐらいにさ。俺、なつきのことずっと抱きしめていたいから。今まで出来なかった分、ずっと」
「さむー・・・。と、本気で言えない自分が辛いぜ。まったく、どんだけおまえにイカれてんのって思うよ」
顔をあげ、なつきは、照れたように笑った。
「やっとおまえに抱いてもらえる」
その言葉に、梶本はうなづいた。
「心を抱いて、次に体を抱くよ。でも、もう少し、心抱かせてよ。なつきの心が、戻ってきてくれて、嬉しい。俺は、本当にそれが嬉しいんだ。そんなことはないと自分に
言い聞かせながらも不安だったから。もしかしたら、もう二度と戻ってこないかもしれないと思っていたから」
梶本はそう言って、もう一度強くなつきの体を抱きしめた。
寄り添う2人の頭に、風に乗って舞い上がってきた桜の花弁が、幾つかヒラヒラと落ちてきた。
2人は、再び、唇を重ねた。

わかりあえる、抱き合える、愛し合える。
信じてた。
『季節が巡り、いつか、きっと・・・。必ず』
何度も冬を乗り越え、この桜咲く春が、いつかという、その時。




end
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ご愛読ありがとうございましたv
12/28 (ところで、いつの12/28だったの・・・・笑)UP
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