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カンチなvictory

「うおっ」
町田は悲鳴をあげた。
緑川葉子。ようこちゃん。仇名ハコちゃん。身長149cm。
現在、町田久人の想い人だ。暁学園1年生。バスケ部のマネージャー。
町田は、担任の大森から言いつけられて、夏休み中の追試最終日であるにも関わらず、プリントを両手に抱えて廊下をのたのたと歩いていたのだが、遥か向こうの廊下を歩いている葉子を発見した。葉子も、なにやら両手にぶら下げて歩いている。
なんということだっ。あんなに小さくて可愛い子にあんな大荷物を運ぶことを強いた、とんでもないヤツはどこの誰だっ!と思い、町田は声を上げたのだった。
「み、緑川っ。ちょっとそこで止まれっ。俺が荷物持ってやるぞ〜!」
町田は、自慢の大声を張り上げて叫んだ。廊下の向こうの葉子が、ピクリとこちらを振り向くのが見えた。
「そりゃ、どうも」
すぐ後ろで低い声がして、町田が抱えていたプリントの上に、さらにドザドサとプリントが重ねられた。
「あーっ。な、なにすんじゃ。てっ、てめえのことじゃねーッッ!」
町田は振り返った。緑川晴海は、フンッと鼻を鳴らした。
「だって、今緑川っつったじゃん」
「てめえじゃねえっ。緑川違いだ、バカヤローっ」
重ねられた緑川の分のプリントと、元から自分が持ってたプリント(ちゃっかり)を、ドサドサとクラスメートの緑川晴海に戻し、町田は廊下を駆け出した。
「待ってろよ、緑川〜〜〜〜」
ダダダと、町田は葉子向かって走り出した。


「すみません、町田先輩」
「どういたしまして・・・」
葉子が両手に持っていたズシリと重いスポーツバックは、緑川晴海の物だった。
「お兄ちゃんったら、明日から合宿だっていうのに、遅刻寸前だったから用意した荷物全部忘れていっちゃったんですよ〜。バカだと思いません?うちのお兄ちゃん」
ケラケラと葉子は笑う。
「すっごくバカだと思う・・・」
なんで俺が緑川のヤローの荷物を持ってやらねばならん・・・と町田は思いつつ、複雑な気持ちで、バスケ部の部室へと葉子と並んで歩いた。
「町田先輩。ありがとうございました。とっても助かりました♪」
葉子の可愛い笑顔。町田はデレッと笑み崩れる。
「どういたしまして」
ほんまに、あの緑川の妹かよ・・・という可愛さである。
「町田先輩も追試は今日で最後ですよね?」
グサッ★
「え、ああ。まあね。なんとか・・・」
自分がバカなのは知っているが、好きな女から言われたくはない町田だった。
「先輩の部は、夏休み中は活動しないんですか?」
「俺ら応援団は、やっても2,3回だろ。なにを練習するんだよ!?って感じだよな。ただ、声張り上げてるだけだしな」
「そんなことないですよっ。先輩達の応援があるから、うちのバスケ部だって盛りあがれるんです。頑張ってくださいね」
「あ、ありがとう。緑川・・・」
ジィンと感動する町田だった。今こそ応援団に入って良かったと心底思う。
むさい男バスの中の一輪の花。マネージャーとして葉子がバスケ部に入ってきたのを一目見た時から町田の中で恋と名のつく花が満開になってしまった。要するに単なる一目惚れである。
そんな可憐な花が、同じクラスの緑川晴海の妹と知った時のショックも、今となっては懐かしい。
「と、ところでさ、緑川。バスケ部っつっても、夏休み中ずっと練習やら合宿でもねえだろ。ひっ、暇な時、お、俺とその・・・。どっか遊びに行かねえか?」
勇気を出して、町田は言ってみた。
「謹んで遠慮しとく」
「そんな。即答はねえだろ、緑川・・・。って!」
目の前には、ちょうど同じ目線の緑川晴海が立っていた。
「てめえじゃねえよっ!あ、あれ?妹は?」
「葉子なら、もうとっくに部室に入ってるけど!?」
そう言って緑川は、部室を指差した。
ヒョイと覗くと、葉子は、部室に最初からいた男バスの先輩方にタオルを差し出していたところだった。
「荷物、返せよ」
「あ?」
緑川は、町田の手に持っているスポーツバックを指差した。
「返せよ、だ?持ってきてやったんだぞ。礼ぐらい言えよ」
「頼んじゃいねえよ。てめえが勝手に喜んで持ちに走っていったんだろ。そんなに俺の荷物が持ちたいならば幾らでも言えよ。宅配代わりに使ってやっから」
「つまんねえこと言ってると、てめえのその目玉くりぬくぞっ!」
「礼言う筋合いじゃねえっつーの。プリントは、ちゃんと届けておいたぜ。てめえの分までな」
バッと町田から荷物を取り上げると、緑川はさっさと部室に入って行き、きっちりとドアを閉めた。
「ちくそー。邪魔しくさって。あんにゃろーっ」
ジタバタと町田はその場で暴れたが、ふと虚しくなりその場をすごすごと退散した。


夏休み真っ最中の練習日。
過酷な太陽の降り注ぐ中での応援合戦もあるので、援団は体力作りに勤しんでいた。
グラウンドを運動部の連中と一緒になって走っていて、そして休憩時間。
今年の夏は、暑ィ。そう思いながら、思いっきりダレていた町田だったが、体育館に男子バスケ部のメンバーが入っていくのを発見するとタタタと練習の持ち場を離れて、体育館に突進した。
「あ、先輩っ。町田が涼しい体育館に逃亡を図りましたっ」
後輩の佐藤のチクリに、団長の五島が眉を顰めた。
「ったく。あのアホは・・・。色気づきやがって。しょーもねーな。放っておけ、放っておけ」
タオルで汗を拭いながら、五島は苦笑する。
「そのうちすぐに追い出されて戻ってくらぁ」
「色気づきやがってって。町田涼みに行ったンじゃねえんですか?」
町田と同級生の援団仲間の佐藤は、五島の言葉にキョトンとしている。
「アイツは男バスに本命がいるんだよ。ほら、おまえらも知ってるだろ。緑川っつー」
「えええええ?噂の男バスに?み、緑川って?あの緑川?」
「そう、その緑川の」
と五島が言いかけた時、佐藤は既に消えていた。
「お、おい。佐藤・・」
「行っちゃいましたけど・・・」
1年の小暮が、遥か向こうを走る佐藤の背を指差して言った。
「緑川って、緑川葉子ちゃんのことでしょ。うちらとタメの、男バスのマネージャー」
「そう、緑川晴海の妹って言おうとしたんだが・・。なんか誤解されたか?」
五島はポリポリと頭を掻いた。
「されたでしょう。佐藤先輩って、新聞部もかけもちしてるから、好奇心強いっすよね」
小暮がハハハハと苦笑していた。
「やな予感がするぞ。ホモの小野田が統治する男バスだ。なにかとヤバい噂の多い部だけに、佐藤の誤解が気になる・・・」
ムウッと五島はザラリと顎を撫でた。
「まあ、いいじゃないですか。簡単な誤解ですから、すぐに解けますよ。それより、先輩。そろそろ練習切り上げましょーよ。体力バカのサッカー部なんかと合同練習なんてしたら、俺ら死んじまいますよ〜」
「やわなことをぬかすな、小暮っ!我暁学園は文武両道を誇るべき学園だ。西の旺風になんぞ負ける訳にゃいかん。ここは、地道に体力作りだ!」
小暮を筆頭に、援団メイツは一斉に溜め息をついた。


「よお、町田。今日も見学か?五島のところなんぞ止めて、こっちに来いよ」
噂の男子バスケ部主将・3年の小野田玲は、楽しそうに町田に向かって手を振った。
「いいっすよ。俺、汗とか根性とか、そういうの大ッキライっすから」
町田はブンブンと首を振った。
時を同じくして、自分を抜かした仲間達が、サッカー部と一緒になって、汗とか根性をグラウンドで演じてることを知らない町田であった。
「俺もあんまりそういうのは好きじゃねえが、なんせうちのヤツらは練習好きが多いからなあ。まあ、可愛い子ちゃんに見つめられて練習するのは楽しいから、いいか」
「可愛い子ちゃんって俺?先輩、目イイですよね」
「いいよ。裸眼0.1だから」
と、小野田はニッコリ。食えねえヤツ・・・と町田はいつも、小野田をそう思う。
「部長。そこで部外者と話し込んでないで、とっとと仕切ってくださいよ」
町田と同じ学年の殿村が、小野田を突ついた。
「わーった、わーった。邪魔しねえで見てろよ。町田」
眼鏡をかけながら、小野田はその場を離れて行く。
「ういっす」
小野田に言われて、町田は開け放たれた体育館の扉のところに、ヒョイッと座った。ついついヤンキー座り。癖だ。
外の熱風と、体育館の涼しげな空気が、ちょうど久人のところで交差していく。気持ちがいいのか悪いのかわからない。
ふと、少し薄暗い体育館を見回すと、見慣れた男バスのメンバー達がおのおのウォーミングアップをしている。皆より少し離れたところで、緑川がボーッと立ちながらドリブルをしていた。体は動かず、手だけがたんたんとボールを叩いている。見るからにやる気のなさそうなアイツが、小野田のあとを継いでの主将候補だというのだから恐ろしい。
まあ、確かに試合中のアイツは別人のようだが・・・と、町田は思った。1年の頃、応援を要請されて、初めて男子バスケの試合に行った時、少なからずとも町田は驚いたものだった。近隣にその強さを広く知られる小野田のような派手さはないものの、緑川は上手だった。小野田の足を引っ張ることなく、かつ独特のテンポで試合を進めていく。明かに、人より頭1つ出た上手さであることは、バスケに疎い町田にでもすぐにわかるくらいだったのだ。
「こんにちはーっ」
町田の後ろで、明るい声が聞こえた。
「緑川・・・」
パアアアと町田は、顔を輝かせた。
「こんにちは。町田先輩。今日は練習日が同じなんですねっ」
ニコッ★と葉子が微笑んだ。
「ああ、偶然にもな」
嘘である。
この日が男バスの練習日だと知って、無理矢理団長に頼み込み(脅したとも言う)、数少ない夏練の日をこの日にしてもらったのだ。
夏休みはまだ日がある!なんとかして、この日をもってして、葉子にデートを申し込みたい!と町田は意気込んでいたのだ。
「暑いのに緑川も大変だな」
「そんなことないですよ。私は見てるだけですし。町田先輩のが大変じゃないですか。今、休憩時間ですか?」
「そー」
とっくに休憩は終わっているが、町田にとってはこれからはずっと休憩時間である。
「町田先輩、バスケお好きなんですね。そんなに好きなら先輩もバスケ部に入ればいいのに・・・。身長も高いし。羨ましいですよ」
葉子は呟いた。
「え?あ、いや。その俺は・・・」
バスケなんかどーでもよくって、俺は葉子ちゃん!君のことが・・・。とは、なかなかサラリとは言えない。なんせ、皆が気軽に呼んでいるように葉子のことを「ハコちゃん」などとは間違っても口に出してはいえないし、元々そういう性格ではないし、告白しようにも接点がない。学年は違うし、家だって近くない。だから、俺はこうやってせっせと楽しくもねえ男バスケ部を覗きにこねばならない・・・。その結果、葉子には名前を覚えてもらえたし、親しく口も聞けるようになったのだが。
「あのさ、緑川。夏休みなんだけど」
すかさず切り出す。
「はい?」
ニコニコと葉子が、町田を見上げてくる。久人は身長186cmなので、この差はデカイ。
「お、俺と」
「まっちだーっ♪」
デカい佐藤の声が、久人と葉子の間の空気をきっかりと裂いた。
「あ、じゃあ、失礼します」
葉子はペコッと頭を下げて体育館に入っていく。
「よーよー。俺も見学に来たぜーっ」
「佐藤〜!てめえっ、このヤロー」
ガッと町田は佐藤の首を締めた。
「俺になんか怨みでもあんのか。チャッ、チャンスだったっつーに」
「チャンスって?今の娘、だーれ?可愛いな、おい」
町田の落胆を知らぬ佐藤は、かなり呑気だった。
「うるせー。てめえには、関係ねえよ」
佐藤は、町田の隣に座りこんだ
「今、男バスが熱いっつーからな。俺も新聞部の一員として、取材にきた」
言いながら、佐藤はヒョイと体育館を覗きこむ。
「なに言ってやがるんだよ」
「どれどれ。お。緑川いるな。ふむふむ」
ニヤリと佐藤は町田を振り返る。
「見てるだけの恋か。せつないねぇ。毎日会えていた筈なのに、夏休みとなると会えるチャンスは減るからな。ここぞとばかりに見にくるってことか。泣かせるな」
そう言って、佐藤はバアンッと町田の背を叩いた。
「てっ、てめえ。知ってて・・・」
カアッと町田は顔を赤くした。
「五島先輩に聞いたぜ。じれってえな。とっととコクれよ」
「そういう訳にもいかねえんだよ。なかなかな。障害多くてよ」
「障害か。なるほどな。そうだよなぁ」
誤解のまま、辻褄がピタリと合って、話は進んでいく。
「だが。援団が硬派という時代は、もう終わったぜ!そして、今はさまざまな恋愛が許される時代だ。頑張るのだ、町田」
その方が、いいネタになる!佐藤は自分勝手なことを心の中で呟いた。
「そりゃそうだが。ただでさえ応援団なんて特殊な部に所属しててだぜ。おまけに俺は、美形だがどっちかっつーと強面だろ。倦厭されちまうタイプなんだよ」
町田は過去を思い出していた。勇気を出して告白した可愛い女に、『町田くんって、顔綺麗だけど、なんか雰囲気が恐いの。だから・・・ごめんなさい』と言われて傷ついた中学時代の切ない思い出。
「美形って自分でぬけぬけと言うか?けど、まあ、緑川も美形だけど、なんかいつも眠そうな顔してるからなに考えてるかわかんなくって、俺から見れば充分恐いぜ」
佐藤は言った。
「ん?そりゃ、おまえ、その形容詞は緑川晴」
と言いかけたところで、バアンッと町田の頭に固いボールが飛んできた。
「だっ、大丈夫か?町田」
頭にボールの直撃を食らい、町田は後ろにドタッと倒れた。
キュッキュッと軽快な足音と共に、緑川晴海がやってきた。
「てめえら、邪魔。ゴール付近で、むさいヤローにたむろされてちゃ集中出来ねえ」
「なにしやがんだっ!このやろーっ」
町田は、バシーッとボールを緑川に向かって投げ返した。
「とっとと練習戻れよ」
ビシッと緑川が言った。
「うっ、うるせえっ。別にてめえなんか見ちゃねえよ。自惚れてンじゃねえ、タコッ」
「見られててたまるか。とにかくどっか行け。うぜえ」
ギロッと緑川は、町田と佐藤を睨んだ。この真夏に、まるでブリザードのような視線だ。
「かっ、帰るぞ。町田」
緑川の視線に思いっきり怯んだ佐藤は、町田を巻き添えに立ちあがった。
「あ、あにすんだ。佐藤。戻るならばてめえ一人で戻れ〜!!」
佐藤にTシャツの襟を掴まれて、町田はずるずると引き摺られていく。
「不憫な・・・。あれじゃ障害っつーか、その前の問題だなあ」
ブツブツと佐藤は呟いている。
「離せ、佐藤ーッ。俺は戻らねえぞっ」
「とりあえず戻れ。また練習が終わる頃、来ればいいだろ。アイツを怒らせては、進む話も進まない」
「あんなバカが怒ったところで、俺はなんともねえぞ」
「マイペースすぎるぞ、町田。少しは相手のことも考えろ。緑川の心証を悪くしたら、損するのはおまえだぞ」
佐藤の言葉に、町田はハッとした。そうだ。アイツは、葉子ちゃんの兄。実の兄。将来は、「お義理兄さん」と呼ぶ相手かもしれない。
「そ、そうだな・・・」
ポッと顔を赤くして、町田は素直にうなづいた。
佐藤は、そんな町田を見つめては、更に哀れを募らせた。可哀相に。相手に全然脈はなさそうだが、ここはいっちょ、同じ部のよしみで協力してやらねば・・と佐藤は心に誓うのだった。


「ゼーハー」
町田は水飲み場に、フラフラとやってきた。頭からビシャーッと水を被る。佐藤に無理矢理部活動に連れ戻された町田は、ダイッキライな汗と根性まみれになることを強要されたのだった。
久し振りに真面目に体を動かして、クタクタに疲れた町田はズルズルとその場にしゃがみこんだ。体育倉庫の裏にある、さびれた水飲み場だったが、さびれているおかげで、ここを使用する者はあまりいない。たまに、本気で錆び水を飲んでしまうという駄洒落的な事実もあるが、丈夫な町田はまったく気にしなかった。
「くはーっ」
大きく息をつき、町田は濡れた髪を掻きあげる為に顔を上げた。
すると・・・。
「あれー?町田先輩じゃないですかっ」
タタタと、葉子がバケツを持ってこっちへやってきた。
「み、緑川」
ガバッと町田は立ちあがった。ドキーン!と心臓が高鳴った。
「向こうの水飲み場、サッカー部とかが占領しちゃって、使えないんですよ」
「そ、そうだろうな・・・」
「だからこっちに来たんですけど。町田先輩、ここの水、時々錆びてますよ・・・」
「うん。知ってる。けど、俺、丈夫だし、たまに飲んでるけど腹平気だぜ」
「あははは」
葉子は無邪気に笑う。
「私もね。内緒ですけど、タオル洗いに来たんですよ。これで顔拭く先輩とかもいるけど、錆び水で顔が壊れるってこともないですし、いいですよね。ダメかなあ?」
「いいって、いいって。男バスのやつらなんぞ、そんなヤワいるかよ」
「ですよね〜」
と言いながら、2つしかない蛇口の1つを葉子が捻った。バケツから、何枚かのタオルを取り出して、それを丁寧に洗っている。町田はキョロキョロと辺りを見回した。
ふ、2人っきり・・・。
おまけにグラウンドの向こうの夕日が、やたらとロマンチックに見えたりして・・・。チャーンスッ!町田は心の中でガッツポーズをした。水の流れる音。葉子は、一生懸命タオルを洗っている。
「み、緑川」
「はい?」
葉子は、手を止め町田を見上げた。目が合って、町田は顔を赤くした。
「うっ」
か、可愛ぇエ〜。キュウンッと町田の胸がまた高鳴る。
「町田先輩!?夕日のせいかな?顔赤いですよ」
てめえのせいだ。てめえの!といいたいのを堪え、町田は苦笑した。
「そ、そうだな。夕日は赤いね」
などと、当たり前のことを思わず言ってしまった。
「赤いです」
葉子も真面目に同意する。
違うっつーの。言え、言うんだ、久人。夏休みのデートに誘うんだ。
町田は、葉子と同じように蛇口に向かい合って立った。つまり、葉子の隣に立つ。ガシッと水飲み場の石の縁を両手で握り、町田は深呼吸した。
「緑川。き、聞いてもらいてえことがあんだが」
「なんですか?」
「あ。タオルは洗いながら聞いててくれよ」
「はい・・・」
サアアアと水の流れる音が、辺りに響く。今まさに、町田は自分の心臓の音と戦っていた。

-----------場面転換-------------

「なんだよ。佐藤。どこへ行くんだよ」
「いいから、いいから。ちょい、体育倉庫の裏に来いよ。今水飲み場は大混雑だろ。
裏にも2個蛇口があるからよ。そこで飲めばいいだろ」
タオルを首に巻いて、おとなしく水飲み場が空くのを待っていた緑川晴海を佐藤は、体育倉庫裏へと引き摺ってきていた。
さっき、ちょうどそちらに向かった町田の姿を佐藤はしっかりチェックしていたのだ。
人気のねえところで、とっととコクらせてやっか。俺ってヤサシーと心の中でニシシと笑いながらも、佐藤は掌にある小型デジカメの存在をしっかり確認していた。
体育館を通り過ぎ、佐藤は緑川を連れて、水飲み場へとやってきた。
「あれ?」
そこには、当然町田の姿と、予想してなかった一人の女。2人は並んで、古びた水飲み場に立っていた。
ちっ。邪魔が入ったな・・・と佐藤は思ったが、緑川は気にするふうもなくスタスタと2人の方へと歩いていった。
「緑川。おい、ちょっと待てよ。今、満員だから、もう少し待ってから」
佐藤は緑川の名を呼んだが、緑川はお構いなしに2人の立っている水飲み場に向かってズンズン歩いていく。

-----再び場面転換------

町田は、キュッと蛇口を捻ると、思いきり水を流した。そして、少しぬるい水で手をゴシゴシと力強く洗った。
そして、パンッと両手を重ねた。彼なりの気合の入れ方だったらしい。
隣の葉子は、相変わらずちゃんとタオルを洗っているらしい。水音が聞こえた。
「緑川」
「はい。あ?」
「率直に言う。真面目に聞いてくれっ」
「は、はい。ちょっとなにすんのよっ・・・」
なにか隣で葉子がバタバタしているようだが、町田にはそれを気にする余裕は皆無だった。
構わず告白を続ける。
「な、夏休みの残り、1日でいいから俺と出かけないか!?」
言えたっ!町田は自分の心臓の音に負けないくらいのデカイ声で言った。
「・・・」
だが、葉子からの反応がない。不安に思ったが、町田は葉子を振り返る勇気がない。
1日出かけるという言い方は、なんかどうも中途半端だったか・・・。
仕方なく町田は天を仰いだが、相変わらず応答がないので覚悟を決めた。
「まどろっこしいな。今のナシ。緑川。改めて言う。俺と付き合ってくれっ」
更にデカい声を張り上げて言い、町田はバッと振り返った。
「OK」
「マジかよ。やったあッ!」
聞こえたその声に、?と思いつつ、町田はとりあえずバッと隣の葉子を抱き締めた。

--------------場面やっと合体-------------

・・・ん、が!
「ん?」
勿論、それは葉子では有り得ない。ある筈の身長差がまったくない。
抱き締めるにはちょうどいいサイズ。ジャストフィットというヤツである。
「え?ちょっと待て」
町田は、おかしいな?と思いつつ、抱き締めた相手の顔をまじまじと見つめた。
ほとんど同じ視線の高さで、黒目がちの切れ長の緑川晴海と目が合う。
「で、でええええええっ!」
町田は悲鳴を上げた。

-----------場面悪化----------

瞬間、パシャパシャッと音がして、町田はビクッと振り返った。
佐藤がデジカメを構えて、こちらを撮影していた。右手はVサインを出している。

---------場面収拾不可能---------

「いいぜ。町田。おまえとつきあってやる」
タオルで顔を拭いながら、緑川晴海はニヤリと笑ってそう言った。
そして、そう言った緑川は、空いていた左手で妹の葉子を押しのけていたのだった。
葉子は、兄の大きな手に邪魔されて、バタバタともがいていた。
「・・・」
あまりのショックに、町田は開いた口が塞がらない。
とっとと突き放したいのに、目の前の恐ろしい事実に、体が硬直して動かない。
「町田先輩のバカーっ」
葉子は叫んで、ダダダッと水飲み場を走り去って行ってしまう。
「み、緑川ッッ!」
バカ?そりゃ、俺はバカだけど・・・。追試組ですけど。けどね。けど・・・。
そ、そんな。葉子ちゃん。お、俺・・・。町田は放心状態だった。
「町田。もういい加減離せよ。暑いだろ」
そんな町田の心情を全く無視して、緑川は久人の耳元に低く囁いては、口の端をつりあげた。

続く

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