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「ぶえっくしょいっ」
「てめーいい加減にしろよ・・・。何度目だと思ってる」
咳の飛沫を浴び、瑞貴は顔を顰めた。
「わ、悪いな、みじゅき」
たりっ、と静の鼻から鼻水が垂れた。
「・・・」
無言で瑞貴はテイッシュを静の鼻に押し付けた。
「重ねがさね、すまん」
チーン、と静はテイッシュで鼻をかんだ。
「おお、おお。なんと睦まじい姿。これぞ夫婦」
ヘルピスが、ベッドの周りをウロウロしながら、目を輝かせている。
「誤解してんじゃねーよ。別に好きでやってんじゃねー。こいつが俺の代わりに風邪ひいたから仕方なく看病してやってんだよ」
びしゃんっ、と静の額目がけて濡れたタオルを叩きつけている瑞貴は、確かに妻が楚々として夫の看病をしているイメージとはかけ離れていた。
「だったら別にお相子でいいだろう。妻を庇うのは夫たる役目だし。なあ、リンダ」
「いやいや。そういう理由で庇ったんじゃなくて、まあ俺は本能的に。でもまあ、俺としても痛い思いするよりこっちのがラッキーだったし」
「痛い思い?」
瑞貴とヘルピスが同時に聞き返し、静は、返事の代わりなのかズピッと鼻を啜った。
「バカは風邪ひかねーって嘘だったんだな」
ケッと瑞貴は肩を竦めつつ、なんだかんだと甲斐甲斐しく静の看病をしていた。
「んとにまあ、劇的なタイミングで風邪ひいてくれたね。種を持つ君がこれでは、せっかくセブンが健康体でも、植え付けは不可能ではないか、まったく」
今度は静と瑞貴が同時に、眉をピクリとさせたが、ヘルピスはそれに気づいていなかった。
「でもまあ。わが社発明の風邪薬、メッチャサガールを飲めば、リンダの熱も嘘のようにすぐ下がるだろう。さあ、リンダ。この薬を飲みたまえ」
ヘルピスはポケットから、錠剤を取り出した。
「チュアブルだから、すぐに飲める」
パキンと容器を割り、ヘルピスは錠剤を静に手渡そうとした。
「待て。これは俺があとで飲ます。まだコイツ、飯食ってないから胃に悪い筈だ」
横から瑞貴が錠剤をサッと奪い取る。
「食後とかあまり関係ないが・・・。でもまあ、いいことだ。夫の体調管理は妻の役目。セブン、君にも自覚が出てきたと見える」
喜ばしいことだ、とヘルピスはニコニコしだした。
「まあな」
珍しく瑞貴は否定せずに、掌の錠剤をテイッシュの上に置いた。
「しかしながらセブン。その薬をこっそりと捨てようなどという気は起こしてはなるまいよ」
ヘルピスが瑞貴に釘を差した。
「なんだと?」
瑞貴は眉を潜めた。。
「俺がそんなわかりやすくせこいことすると思ってんのか?」
「思ってるから言ったんだよ」
2人の間に走った奇妙な緊張感ある空気を察せずに、
「う、ごほっ、がはっ、ごほほほっ-----------------」
静が派手にせきこんだ。
「やかましいってんだ」
瑞貴が怒鳴り声を上げ、キッと静を睨んだ。
「仕方ねーだろ・・・。好きで咳こんでんじゃねえよ」
涙目の静に、チッと瑞貴は舌打ちした。
「おい。てめえ、そんなに俺が信用出来ないっていうならば、見てろ」
ヘルピスは「ん?」と首を傾げた。
瑞貴は静の傍に行き、ベッドの端にバフッと腰かけた。
ティッシュから持ち上げた錠剤を舌に乗せてから、静の顎をグイッと持ち上げ、瑞貴はその唇にキスをした。
「むっ、むおっっ、おおお」
苦しげな声か静から漏れた。
どこかコントのようなキスシーンを、ヘルピスは遠慮なくジロジロと眺めまわした。
「これでどうだ」
目をぐるぐると渦巻き状にして、グテッと倒れ込んだ静をポイッと放り投げ、瑞貴はヘルピスを睨みあげた。
フンッとヘルピスは鼻を鳴らした。
「なるほど。口移しか。風邪っぴきの恋人同士がやりたがるシチュだな。すばらしい。だが、セブン。それではリンダの風邪が君に移るのではないか」
その疑問に、瑞貴は強気な態度を崩さない。
「・・・いいぜ。元々は俺のせいでコイツが池に落ちたんだからな。本来だったら俺がひく風邪だ。俺が引き受けるのが筋ってもんだろ」
ヘルピスは、瑞貴の手を取り、ベッドから立ち上がらせた。
「ナイス男気。でも今の君、女の子でもあるからなー。もう少し男に甘えてもいいと思うよ」
ふふふふ、とヘルピスは笑いながら、瑞貴を覗き込んだ。
「まあな。薬が正しく作用すれば、君はどうしたって風邪なんか引かないんだろうけどな」
瑞貴の唇を人差し指で押さえて、ヘルピスはウィンクした。
「触るなっ」
勿論瑞貴は、ヘルピスの指をすぐさま振り払った。
「はいはい。せいぜい心を込めてリンダを看病してくれたまえよ」
どこか楽しげに言っては、ヘルピスは出て行った。
「・・・」
完全にドアが閉まってから、瑞貴はフーッと大きく溜息をついた。
再びベッドに視線を戻すと、静がくたばっていた。
頬は赤く、はあはあと呼吸が荒い。
熱が相当高いのだろう。
おそるおそる手を伸ばし、静の額に触れた。
「くそ熱い・・・」
思わず手を引っ込めてしまう程の高熱に、さすがに瑞貴は驚いた。
ドサリと椅子に座り込んで、チラリと静を見ては
「ごめ・・・ん」
かすれた声で小さく呟く。
二重の意味で、瑞貴は静に謝らなければならなかった。
池に落ちたこと。
今、風邪薬を飲ませなかったこと。
元々、あの池には自分が落ちるつもりだったのだ。
今の静のように風邪をひくつもりで。
いちかばちかの頼りない賭けだったが、やらないよりはマシだった。
うまくいけば、体調不良により、強制的にセックスさせられることもない。
適当に落っこちるつもりだったが、瑞貴は泳げなかったから、助けてもらう必要があった。
だから、静に傍にいてもらわないと困ったのだ。
結果。
池に(自ら)落ちようとした瑞貴を庇い、静が代わりに落っこちたのだ。
そして、静は風邪をひいた。
それもかなりひどい風邪を。
本来であれば、これは自分の姿だった筈なのだ。
これだけ苦しそうなのだから早く治してやりたいのだが、そういう訳にはいかなかった。
それでは意味がない。
だから、瑞貴は、さっきの薬を静の喉に渡さず、自分で飲み込んだ。
「ちきしょう」
苦しそうな静の姿に、瑞貴は唇を噛んだ。
これが自分ならば、幾らでも構わないのに。
どんなに苦しくても、耐えられたのに。
「みずき?」
名を呼ばれて、瑞貴はハッとした。
「おまえ。大丈夫か」
こんな言葉、白々すぎると思いながらも、瑞貴はそれでも言わずにいられなかった。
その顔を覗きこむ。
「ハハハ。心配すんなや。こんなんへーき」
ハフハアと息を荒くしながら、静は笑った。
「俺、滅多に風邪ひかねーから、ひいたら、ひどいんだわ、毎回」
ベエッと舌を出しながら、静はトロンとした目で瑞貴を見上げていた。
「そんなツラすんなよ。ほんと、へーきだから。それより、今度はさっきみてーなのはナシにしてくれよ。俺、自分でちゃんと・・・すっから」
静は手をチョイチョイと動かした。
「?」
手招いているのか?と思いながら、瑞貴は静の耳元に顔を寄せた。
「薬はちゃんと捨てっから」
こそりと静は瑞貴の耳元に囁いた。
瑞貴は目を見開いた。
「・・・おまえ・・・」
信じられないことがだか、静は瑞貴と同じことを考えていたようだった。
「だから。安心しろ」
そう言って、静はスッと目を閉じた。
眠ってしまったようだった。
瑞貴は、姿勢を元に戻し背もたれに背を預け、天井を見上げて嘆息した。




「健気だわね」
「うん、健気だ」
敦子とヘルピスがしみじみと呟いた。
「フン。枕に盗聴器があるとも知らずに、バカなやつらだ」
矢ノ森は、腕を組んだまま、ブスッとした顔をしていた。
ヘルピス達は、静と瑞貴の会話を、枕に仕込んだ盗聴器で聞いていた。
「Drヘルピスは気づいてらしたわよね。セブンがキスでごまかし、静くんに薬を飲ませてなかったこと」
「勿論さ。だから彼は、リンダの風邪がうつっても、すぐに治るのさ」
「なるほど。無駄な雨の散歩は、池へのダイブの前準備だった訳だ」
むう、と樋口は唸った。
「あまり効率のいい作戦だとは思わないが、向こうも必死なんだろうさ」
どこか他人事のようにヘルピスが言った。
「お子様レベルだが、セブン達らしい作戦だな」
普段はあまり感情を表に出さない樋口も、口元を綻ばせた。
「原始的な方法しか通用しない程、ここの設備に隙がないって証拠ね」
敦子はパタパタと優雅にパソコンのキーを叩いていたが、引っ張りだしたデータをモニターで確認し顔を顰めた。
「残念ですが、また今回もお流れですね。さっき調べた静くんの体の数値がガタ落ちです。彼らにとってはしてやったりなパターン。食事に薬を仕込めばいいんだろうけどそれも今すぐって訳にはいかないし」
瑞貴の妊娠可能期間は、通常の女性とは色々違う。
「うむ。風邪の症状はすぐにおさまっても、すぐには健康体にはならんだろうしな。せっかく素晴らしい食生活で体のバランスを完璧に仕上げてきたというのに。勿体ない」
やれやれとヘルピスは髪をかきあげた。
「まあ、夫婦で初めての共謀だ。これもいいコミュニケーションにはなるだろう」
矢ノ森は首を振った。
「甘いですよ、Drヘルピス!また半月を棒に振るのはもったいない」
矢ノ森は、ドンッと目の前のテーブルを拳で叩いた。、
「それは君は切実だよね」
シックスの新しい相手、矢ノ森へ、研究員達の憐れみの視線が止まらない。
「ここは、一つ。僕に任せていただけませんでしょうか」
ヘルピスの前に回り込み、矢ノ森は提案した。
「なんだい。君がセブンを妊娠でもさせるのかい?」
「はいっ」
ふむ、とヘルピスは考え込んだが、すぐにニッコリと微笑んだ。
「ああ、いいよ。ぶっちゃけ僕達は、どうしてもリンダである必要がないから。君にその自信があるならば、やってみてくれて構わない」
ヘルピスのOKに、敦子達もだが、提案者の矢ノ森自身も驚いていた。
「まさか許可をいただけるとは思いませんでした」
「理想を言えば愛し合ってる二人にデキて欲しいけどね。今はとりあえず、セックスで子供を作ることが優先だからな」
矢ノ森の、メガネの奥の瞳がキラキラと輝いた。
「ありがとうございます。では、今回は私に一任ください」
「よかろう」
スキップするかのような勢いで、矢ノ森は部屋を出て行った。
「いいんですか?Dr。せっかく形から入ったのに」
急な展開には慣れている敦子ですら、狼狽えていた。
「もちろんさ、敦子くん。あのね、ここだけの話なんだけど。Dr矢ノ森の本当の役目は・・・」
口の端をヘルピスは持ち上げた。
「当て馬さ」
長い脚をゆっくり組み替えながら、ヘルピスは呟いた。
樋口と敦子は顔を見合わせ、肩を竦めた。


続く


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