****3部3話***
何度も車を乗り換え、やっとの思いで東京に戻ってきた。連橋はその足で、匡子の家へ向かった。迎えた匡子は、連橋から説明を受けて、目を潤ませた。
「充が・・・。じゃあ、きっとあの子は、あの女の店に行ったんだわ」
「調べはついているんですか?」
匡子は目を擦りながら、うなづいた。エプロンのポケットから、紙切れを取り出した。
「調べたの。ここよ」
匡子は、小さく折りたたんだ紙切れを連橋に手渡した。
「いつか・・・。話をしにいこうと思っていたの」
紙切れには、店のある場所が書いてあった。いつも使うエプロンに入っていた紙切れ。折り皺のついたそれを見て、匡子がこの紙切れをずっと持っていたことがよくわかった。きっと、何度もこの紙切れを見ては、匡子は悔しさと悲しさを募らせていたのだろう。匡子のやるせない心中を察して、連橋は改めて怒りがこみ上げて来た。
「俺が行きます。匡子さんは、ここで待っててください。絶対に来ちゃダメですよ」
「連橋くん・・・。迷惑かけてごめんなさい。でも、お願い。充だけは。充だけには、無茶をさせないで。お願いします」
匡子は連橋に向かって頭を下げた。そんな匡子を見て、連橋はうなづいた。
「勿論です。安心してください」
そう言いながら、連橋はバッと踵を返して走り出した。『間に合ってくれ』心の中で連橋は何度もそう呟いた。
何本かのタバコを吸い終えて、流は腕時計を見た。あと、10分。そろそろいいだろう。流はナイフの所在を確認した。確かに持ってきている。万が一の為に、身を守る手段として、必ず持っていなければならない。店の中に女が1人で待っていよう筈もないからだ。ゾクッと、流は体を震わせた。武者震いのようなものだ。深呼吸した。そして、店に向かって、足を踏み出した。
「流」
不意に名を呼ばれ、流は体が凍りつくかと思ったぐらいだった。その、声。まさか。
「バカヤロウっ。てめえ1人でなにしようとしてんだ」
流は振り返った。
「連」
案の定、連橋がこちらに向かって走ってきていた。なぜ・・・。万が一のことを考えて、悪いとは思っていたが、置き去りにしてきた筈なのに・・・と、流は眉を寄せた。
「ふざけんな!」
トンッと、連橋はアスファルトを蹴るように走ってきて、流の前に立つと、いきなり流を殴りつけた。
「っつ」
殴られた頬を押さえ、流は連橋を見つめた。
「行くんだろ。とっとと話つけやがれ。援護したる」
そう言って、連橋はニッと笑った。
「なんで・・・だよ。なんでここが」
「匡子さんに聞いた。おまえ、俺がどんな思いして東京戻ってきたか・・・。あとでじっくり聞かせてやる。大変だったんだからな」
フンッと連橋は鼻を鳴らしながら、歩き出した。
「時間なんだろ。さっさと行こうぜ」
「待て、連」
「待たねえよ。夕実っつー店だろ。あそこだ」
連橋は目ざとく、店の看板を見つけていたようで、指差した。
「行くぜ、流」
「マジで待て、連。おまえはここに居てくれ」
グッ、と流は連橋の腕を掴んだ。
「いやだ」
首を振って、連橋は流の腕を振り解いた。
「頼む。俺に恥かかせるなよ。俺は一人で大丈夫だから」
言いながら、流の背中に冷たい汗が滑り落ちていく。巻き込む訳にはいかないのだ。
「なにが恥なんだ?1人で乗り込むことがカッコイイと思ってンの?バカらしいぜ、んなの。相手はヤクザだろ。なにしでかしてくるかわかんねえ。ガキだと思って、舐めた真似だって平気してくるんだぜ。1人より2人のが絶対にいい」
当然のごとく、流の心中を知らない連橋は、聞き入れる筈もなかった。
「うるせえ。たまには、俺の言うことを聞けっ。いいか。絶対についてくんじゃねえ」
流は連橋を押しのけて、歩き出した。
「俺じゃ役に立たねえって言うのか。流」
連橋は流の背を睨みながら、言った。
「俺は、そんなにアテになんねえのかよ・・・」
連橋の言葉を背で聞きながら、流は目を瞑った。
「そんなんじゃねえよ。正直、おまえには助けてもらいてえよ。けどな。今回はダメなんだよ。今回だけは、おまえじゃダメだ」
「なんでだよ!」
連橋はグイッ、と流の肩を掴んだ。流はバッと連橋を振り返った。このまま、事態をうやむやには出来そうになかった。もう、仕方ないと思った。真実をとりあえず話さねば。
「よく聞け、連。これは罠だ。夕実という女の店のバックは大堀組だ。大堀組。知ってるな。大堀のパトロンは誰だ?おまえならば、知っているだろう」
連橋は、目を見開いた。
「・・・まさか。小田島が・・・」
「・・・」
「小田島がこの件に関わっているのか!いや、待てよ。ってことは、まさか・・・」
僅かな沈黙のあと、連橋は流の肩から手を引き剥がした。
「これは、俺への罠か。だから、てめえは1人で・・・」
来るな、と言った流の言葉が、今ならばよくわかった。連橋は、唾を飲み込んだ。
「なんとかする。絶対になんとかする。おまえが出て行けば、更に余計にややこしくなる。連、だから、頼むからここはおさえてくれ」
連橋の瞳が、スウッと色を変えた。
「おまえは間違っている。これが罠ならば、おまえが行く方が間違っているだろ」
「連っ!」
「俺は行くぜ。やっぱり来て良かったぜ」
流を追い越し、連橋は店に向かって歩いていった。流は息を吐いた。こうなったら、連橋を止めることは不可能だ。それに、もし自分が連橋の立場だったら、やはり同じことをする筈だ。
「連。例え、最終的にこれはおまえの問題であろうと、今は俺の問題だ。来たいならば、もういい。来いよ。けどな。おまえは俺の後ろだ。俺が話をつける」
流は連橋を追いかけ、追い越した。その背に連橋を庇う。
「俺は、おまえが小田島に好き勝手にされるのを見るのは、二度とゴメンだ」
吐き捨てるように流は、連橋に背を向けたまま、言った。
「されてたまるかよッ」
「あんなの・・・。俺は、二度と見たくねえっ!」
流は叫んだ。
「流」
「わりい。おまえだって・・・。好きで勝手にされていたんじゃねえのに」
グッと拳を握って、流は素直に謝った。今でも時々脳裏を過る、あの光景。自分にとっては、淫らで、そして残酷な光景。連橋のせいじゃない。それはわかっているのだ・・・。
二人は、店のドアの前に辿りついた。
「入るぜ」
「ああ」
バンッ!指定の時刻を5分過ぎて、流は店のドアを開けた。薄暗い照明に、一瞬目を凝らして店内を見渡す。天井は高いが、あまり広くない。一番最初に目に入ってきたのは、レジの脇に置いてある豪華な花だった。白い色が目を打ち、キツイ芳香が鼻をつく。百合だ。カサブランカが、レジの脇に咲いていた。
「5分、遅刻だぜ。流」
聞き覚えのある声。流はその声の方に目をやった。
カウンターの椅子に、片膝立てて、城田が座っている。そのすぐ脇には、緑川と淺川が腰かけている。カウンターの奥のソファには、女が腰掛けている。その横には、背中に刺青の男。大堀恒彦だ。そして、恒彦の横には、小田島。小田島義政が座っている。店の中には、その6人がいるだけだった。
「予定通りに、子猫ちゃんを連れてきてくれてサンキュ」
城田は、流が背に庇う連橋に目をやって、クスッと笑った。連橋は、流の背から城田を睨みつけた。その視線を受けて、反らすことなく城田が連橋を見つめている。
「久し振りだな、ボーヤ達。俺のことを覚えているか?まあ、そう警戒しねえで、こっちへ来いよ」
大堀恒彦が、グラス片手に、空いた手で流と連橋を奥のソファに手招いた。
「小田島。てめえに話がある。こっちへ来いよ」
流は大堀を無視して、小田島を呼んだ。
「無視かい。義政おぼっちゃま。呼ばれておりますよ」
ニヤニヤしながら、大堀は小田島の肩を叩いた。
「なんで俺がそっちへ行かなきゃいけねえ?話があんのは、そっちだろ。てめえがこっちへ来いよ」
「呼び出したのは、そっちだ」
「アタシが呼び出したのよ。でも、ごめんね、流くん。アタシ、足が不自由なの。うまく歩けないのよ。あなたがこっちに来てくれないかしら」
女が笑いをしのばせながら言った。
「アンタが夕実?義兄さんを誑し込んだ女かよ」
流は、女を見ては、低く言った。
「ええ。そうよ。私が隆さんを誑し込んだ女よ。優しい人だったわ。貴方のお姉さん、幸せな人ね。あんなダンナが欲しかったわ、私も」
夕実は、優雅にタバコを吹かしながら、場違いなくらいに穏やかに微笑んだ。
「ふざけんなっ!人の家庭をぶっ壊しやがって」
流は、近くにあったソファの背を蹴飛ばした。
「やりたくてやったんじゃないわ。ねえ、坊ちゃん」
チラリと夕実が小田島を横目で見た。
「よく言うぜ。楽しんでいただろ、夕実」
小田島がフフッと笑った。
「男は、女で堕ちるのよ。でも逆も然り。ある意味戦いね。あんたら男は拳で戦う。でも、女は違うのよ。心で戦うの。私は勝ったわ。流くん。アンタの兄貴は優しい男だったわ。でも、強くない。優しいけど、弱い男だった。まあ、女房が大した女じゃなかったみたいだから、勝てたようなものだけどね・・・」
夕実のその言葉に、激しく反応したのは、流ではなく連橋だった。
「やかましい、クソ女。本気でもねえ心を振りかざして、勝ったなどとほざくな」
連橋が、流の背から叫んだ。夕実が、弾かれたように、連橋を見た。
「連、やめろ」
流が制したが、連橋は止めなかった。
「てめえのしたことはなんだ?本気でもねえ男を誑かして、金騙し取って。心で戦う?大層なことぬかしてんじゃねえよっ。てめえのしたことは、詐欺だ。犯罪なんだよ。バカじゃねえの!てめえこそ、大した女じゃねえだろうがッ」
夕実は、タバコを灰皿に押しつけて、ソファの背にもたれた。
「コンニチハ、連橋くん。どうもありがとう。確かにアタシはバカな女よ。アンタが言ったことに言い返せないわ。でもね。アンタもバカ男だわ。どうしてこうなったかわかってる?すべてはアンタのくだらない信念のせいでしょう。世の中にはね。どうにもなんないことはいっぱいあんのよ。それがわからないであがくのは、バカよ。隆がこうなったのも、アンタのせいでしょ。匡子という女が泣く羽目になったのも、アンタのせいよ。アンタもくだらない勝負に命かけてんじゃないわよ。おとなしく現実を受け入れな」
「うるせえ!てめえには関係ねえんだよ」
「あるわよ!アンタのせいで、私はこんな茶番につきあわされたのよっ」
「夕実。やめろ」
大堀が笑いながら、夕実の背を撫でた。
「ガキに、当たり前のように正しいこと言われるとムカつくのよ!」
「おまえの負けだ」
クシャッと、大堀は夕実の髪を撫でた。
「うるさいわね。これだけは本当よ。女は心で戦うのよ。恒彦、アンタもも覚えておきな」
バシッと、夕実は大堀の腕を払った。
「おまえのそのクソむかつく正論は、町田センセのお教えの賜物か?」
黙って聞いていた城田が、笑いながら、言った。
「夕実さんの言ったとおりな。世の中にはどうにもなんねえことは確かにある。あがく方がバカだ。むかつくんだよ、連橋。てめえの、そーゆー言い方は。だったら、てめえこそ捨てろよ。くだんねー復讐心をさ。さっさと捨てねえと、ほら。そこにいる流がいつか、おまえの為に犯罪を犯すぜ」
指にタバコを挟んだまま、城田は流を指差した。
「うるせーよ、城田。てめえらのがよっぽど犯罪者だろ。犯罪者がえらそーに説教垂れンなよ」
流は、体を城田の方にむけた。
「城田。小田島をこっちに来させろ」
「なんで俺に言う。義政は、あっちにいるだろ。本人に言えよ」
顎で、城田は奥のソファを示した。
「アイツを引き摺りだすには、まずてめえにナシつけなきゃなんねえだろ。ワンコロ」
流の言葉に、淺川がブーッと吹き出した。緑川が、淺川を肘で突付いた。
「ワンコロかよ。まあ、否定はしねえけどな」
返す城田の声は、冷静だった。城田の背後の緑川が堪えきれずにクスッと笑った。
「こっちにアイツを引き摺ってこいよっ!」
「もう話つけなくたって、わかってんだろ。おまえの兄貴の背負った借金は、1000万弱。返さなきゃなんねーのは、月末。まあ、それまでにもっと借金は増えるだろうけどな。あと二週間もあるしな。返せなければ、おたくの家は破滅。一家離散だ。ただ、逃げ道はある。この借金を帳消しにしてやる条件があるってことだよ。簡単なことだな。おまえの 大切なダチを義政がお買い上げだ。すげえよな、流。おまえのトモダチの体は、義政にとっては1000万の価値があるんだってサ。まあな。買い取って、好きなだけ犯したら、東京湾に浮かばせてポイッかもしれねえけどなぁ。玩具の命は短いかんな。てめえのバカ兄貴のせいで、連橋も飛んだ災難だなあ。つーか、兄貴の方が不幸なんかな?元はといえば、その金髪ヤローが全ての発端だしなあ。バカばっかり、てめえの周りはよ。いや、一番バカはおまえかもな」
城田は目を細めて、流を見た。明らかな軽蔑の色。その視線に、流の怒りが沸騰した。
「この野郎!汚ねえ手を使いやがって!!」
流がぶち切れた。座る城田に向かって、拳を振り上げた。
「おっと」
城田がヒラリと椅子から飛びのいた。緑川も飛びのく。
「ふざけんな。この野郎!!!」
城田がバッとカウンターの上に飛び乗った。身を屈めてカウンターを走った。カウンターに置かれていたグラスやら酒瓶が、城田に蹴られて床に落下した。ガシャンッガシャンッと凄まじい音が店内に響いた。流が城田を追って走っていく。
「流っ。城田の挑発に乗るなァッ」
連橋が叫んだ。だが流は、城田を追いかけていくのを止めなかった。カウンターから飛び降りた城田が目指していくのは、店の裏口だ。
「ふざけんな!」
バシッ、と流の拳が城田の頬を捉えた。ドッと、城田が床に転がった。大堀が口笛を吹いた。なかなかやるじゃん、と余裕な感想を呟いた。立ち上がった城田が、裏口のドアを押し開けて、飛び出していく。
「流」
追いかけようとした連橋は、緑川にその体を押さえつけられた。
「離せっ!」
連橋は緑川の腹を蹴り上げた。
「っ!あいかーらず、凶暴なヤツだ」
「加勢するぜ」
淺川も立ち上がり、連橋を押さえつけた。
「離しやがれ!流っ」
連橋はもがいた。店の床に、2人の男に押さえつけられてしまった連橋は、裏口を見上げた。裏口の方では激しい音がした。なにかが転がる音だ。
「てめえの心配しな」
緑川が連橋の背に乗り上げながら、低く言った。淺川が連橋の腰を蹴飛ばした。
「立てよ。小田島のところへ行って、話聞きな」
淺川と緑川は、抵抗する連橋を押さえつけながら、奥のソファに座る小田島の前まで連橋を引き摺っていった。
「離せよ。離せえっ!」
じたばたと連橋はもがいた。
「おまえはさ。いつでも流の為には、どんな危険でもおかしてちゃんときやがるよな。愛してンのか?」
目の前に連れてこられた連橋を見上げながら、小田島は吸っていたタバコの煙を吐き出した。小田島の台詞に、大堀がぷっと吹き出した。
「まあ、そのせいで、こっちは仕事がやりやすくて助かるけどさ」
座ったまま、小田島は連橋を見上げた。小田島の目と、連橋の目が合う。
「俺の頭をかち割った挙句に首絞めた慰謝料。おまけに飼い犬の腹抉った慰謝料。1000万円じゃ安い方だぜ。感謝しろよな」
小田島は、連橋をジッと見つめながら、言った。
「月末までにきちんと返せ。返せなければ、さっき城田が言った通りだ。1000万分、てめえの体で支払ってもらう」
「冗談じゃねえよ」
フンッと連橋は鼻を鳴らしながら、小田島を睨みつけた。
「金作りゃいいんだろ。月末までにな」
「作れればな」
出来るのかよ?と小田島の眉が楽しそうにピクリと動いた。
「てめえのそのツラに、1000万たたきつけてやらあ!」
連橋は、両腕を緑川と淺川に捕らえられていたが、自由な足で、ドカッと小田島の横っ面を蹴飛ばした。
「つあっ!」
ドッと、小田島がソファの端に飛んだ。
「おっと。連橋。そりゃ、ちょい無礼じゃねえか?義政は、おまえのダチの兄貴に金貸してやってんだぜ。それもほとんど無利子でなあ。その貸主に向かって、足蹴りたあな」
大堀は立ち上がって、連橋の頬を殴った。
「おいたが過ぎるってもんだろ」
「やかましいっ。なにが無利子だ。どーせ法外な値段で貸付やがったくせにっ」
グイッと、連橋の腰を引き寄せて、大堀はソファに座りこんだ。淺川と緑川は、お役ゴメンとばかりに、両手を振ってカウンターに寄りかかった。
「離せ」
大堀の膝の上に抱えあげられて、連橋はゾッとした。この男に犯された時の感覚が甦る。
「またここで、今度は皆の目の前で犯してやってもいいんだぜ」
連橋の耳元に囁きながら、大堀は連橋の耳朶をペロリと舐めた。
「相変わらずそそる腰してやがるしな」
ギュッと、大堀は連橋の腰に手を回して背中から抱きしめた。
「イヤだっ!やめろ」
喚いて連橋は、暴れた。淺川と緑川は、楽しそうに連橋の嫌がる様を見下ろしている。
「あらら。せっかくの可愛い顔が。赤くなってるわ」
夕実の指が、大堀に殴られて赤くなった連橋の頬を優しく撫でている。連橋は、両手を大堀に捕らわれていて、それを制することすら出来なかった。
「触るンじゃねえ」
「あら、怖い」
フフッと夕実は肩を竦めて、指を引っ込めた。
「ったく。なんでコイツはんなに凶暴なんだよ。状況ってもんをちっとも理解しやがらねえ」
小田島は、頬を擦りながら、元の位置に戻ってきた。すぐ横で、大堀に捕らえられてもがいている連橋を見て、ニヤリと笑った。
「皆で犯すか?義政」
大堀が小田島を見て、言った。
「ヤるなら、よそでやってよ」
夕実が、隣でタバコをふかしながら、白けた声で言う。
「ご馳走をあえて、てめえらに振舞うつもりはねえよ。どうせ、月末過ぎれば、好きなだけ犯せる」
「おやおや。ご馳走ときたか。てめえも悪食だな」
「人の趣味にケチつけるな」
言いながら、小田島は、連橋の顎に手をかけた。
「聞いたろ。俺は、どうやら悪趣味らしい。自分の小遣い1000万円を投資してまで、こんな博打するんだ。でもまあな。俺は、おまえが好きだぜ。1000万円くらい、どうってこたあねえ。おまえを、俺のオンナに出来るなら。人になんていわれても構わねえ。欲しいもんは、欲しいんだ」
噛みつくように、小田島は連橋の唇にキスをした。淺川がチッと視線を反らした。緑川は興味深そうにそんな2人を見つめたままだ。大堀は、夕実になにごとか話しかけていた。
唇が離れると、小田島の唇からは、鮮血が落ちた。
「いい気味だぜ」
フンッと連橋が笑った。
「こんちくしょうめが」
ガッ、と連橋の金色の髪を掴んで、小田島はその顔を覗きこんでは、低く囁いた。
「覚えてろよ、連橋。おまえが俺のモンになるまで、俺は何度でも仕掛けてやる。たとえ今回、もし失敗しても。おまえが働こうとする場所は、全て奪ってやる。なにもかも失くして、おまえが俺のところに来なければならねえようにな」
「バカか、てめえは。何様だと思ってる。世の中、てめえの思うようにはいくもんか」
連橋の茶色の瞳は、まっすぐに小田島の瞳を見つめていた。
「いくんだよ。金さえあればな。その為に、俺だって犠牲にしたもんはたくさんある。金さえあれば、少なくともてめえは買える。その時になってみればわかるさ」
バッ、と連橋の髪から手を離し、小田島は顔を背けた。
「話は済んだ。これ以上はどうでもいい。俺もそれなりに忙しい。行けよ」
小田島の言葉を合図として、大堀は連橋の体から手を離した。
「いい匂いだぜ、連橋。雌の匂いだ。あれから、何人の男に抱かれた?また是非、手合わせしたいね。義政のオンナになってしまわねえうちにな」
連橋は、目の前のテーブルに置いてあったグラスを掴んで、その中身を大堀にぶちまけた。
「いいぜ。抱かれてやる。その代わりに、最中にてめえのチンポ、噛み潰してやる!それでもよければ、抱けば?」
連橋は笑いながら、グラスを床に叩きつけた。ヒッと夕実が声をあげた。
「人を女見るような目で見るな!気色わりいったら、ねえぜ。俺は女じゃねえ!アソコにチンポ咥えて、アヘアヘ歓ぶ女とは違うんだよ!勘違いしてんじゃねえッツ」
「アハハハ、言えてるわ」
夕実が、堪え切れないかのように笑った。大堀は苦笑しながら、濡れた髪をかきあげた。
「ケツの穴をマンコに出来るから、義政がおまえを欲しがってるんだろうが。第一、おまえ、自分が歓んでねえとはっきり言えるのかよ。まあ、いいさ。抱かれてやるっていったな。約束だぜ、連橋。必ずヤろうぜ。さあ、とっととあっちのボーヤを助けに行けよ。俺の可愛い弟子はな。キれると、かなりヤバイぜ。知ってるだろ」
カチッとライターで大堀はタバコに火を点けた。
「!」
その言葉に、連橋はハッとした。すぐさま踵を返して、裏口のドアに向かって駆けて行った。
「義政。おまえ、いい趣味してるぜ」
大堀は横顔のまま、言った。
「アタシもそう思うわ。あの子は、艶がある。堕としてしまうのは勿体ないわ」
夕実は、長い髪を後ろに払いながら、言った。
「正直俺にはわかんねえな。連橋抱くならば、ブスでも女のがマシだ」
淺川はぼやいた。
「淺川は、まだガキなのさ」
大堀が苦笑した。
「緑川の坊ちゃんは?」
「人の趣味に口を挟む気ねえよ。まあ、でも。個人的には、犯してみてえとは思う」
「なんとでもいいな。俺は、絶対にアイツを手に入れてみせる」
小田島は、皆の意見を聞きながら、満足そうに笑っていた。
「流っ」
連橋は、店の入り口を飛び出して、流の名を呼んだ。店の裏手は路地になっていて、足元にはゴミ箱が倒れていた。連橋はその場に立ち尽くし、耳を澄ました。音のする方は右だ。
右へと走った。路地から路地へ。少し走ると、流と城田が居た。2人はいまだに殴り合っている。止めに入ろうとして、連橋は躊躇した。ビリビリと感じる殺気というか、怒気に、体が竦んだのだ。流は城田相手に、一歩も退いていなかった。あの城田が、後退を余儀なくされている。連橋は思わず2人に見入った。
城田の拳が、流の頬をかすっていく。流はそれを避けて、拳を繰り出す。ガツンと鈍い音がして、城田の体が壁にぶち当たった。間髪入れずに、流の拳が城田の腹に何発もめり込んだ。ゴホッ、と城田が咽せた。
「てめえなんか!あん時死ねばよかったんだっ!城田、てめえは汚ねえヤツだっ。うす汚ねえ小田島の犬がっ。てめえなんか、死ねっ!!!」
「っせえな・・・。ちょーしこいてさっきから、ベラベラやかましいんだよ」
ガアンッ、と城田は自分の額を流の額にぶつけた。
「くっ」
勢いに、流の体が後ろによろめいた。
「流。おまえ、しばらくやんねーうちに強くなったな。ちょい甘く見ていたぜ。強くなったのは、連橋の為か?そんなにアイツを守ってやりてえのか?おまえ、マジ強くなったぜ」
フッ、と城田はアスファルトに唾を吐いた。
「強いヤツとやるのは、楽しいぜ。すげえ楽しい。ワクワクする。セックスしてるみてえだ。興奮するぜ」
「キチガイヤロー」
流も唾を吐きながら、体制を立て直した。そして、2人は再び殴り合いに没頭していく。すぐ脇に佇む連橋の姿は目に入っていないようだった。連橋は、交互に2人を見ていた。2人の体は忙しなく入れ替わる。倒れた時がアウトだ。ふと、城田を見た時。思わず、その腹に目がいった。1年以上前。あの腹にナイフを突き立てた時の感覚は、今もこの手が覚えている。たちまちに、城田の血で真っ赤になってしまった掌を見て、恐怖に叫んだ。死なないで、先生。死なないでくれ、城田。先生・城田・と交互に叫んでいた。似ているのを、否定はしまいと心に決めた。城田と町田は似ている。そのせいか、強く城田を意識する自分に、連橋は気づいていた。接近しないことが一番いいのだ、と思うのに。城田はよりによって小田島の一番近い位置にいる男なのだ。これが運命、と城田は言う。そんなのってありかよ・・・と泣きたくなるのを堪えて、憎しみを募らせる。このまま、流が城田を殺してくれればいいと思う。そうすれば、俺は・・・。俺は、そうすれば・・・。
「!」
強い視線に、連橋はビクッと反応した。流の肩越しから、城田の視線が飛んできた。城田が連橋の存在に気づいたのだ。ドカッと、城田の蹴りが流の腹にめりこんだ。前屈みになった流に、城田は息を荒げながらも、拳で流の頭を殴りつけた。
「ぐうっ」
呻きながら、流はそれでも立ち上がり、城田に向かって拳を叩きつけた。ヒュッと体をよじって、その拳を逃れ、ブワッと城田は、返す体で回し蹴りを流の脇腹に決めた。
「ぐはっ」
流は、その威力に、さすがに膝を追った。
「話し合いはついたか?連橋」
崩れ落ちた流の体を一瞥して、城田はヒョイッと、連橋に向かって歩いてきた。
「話し合いもクソもあるかよ。別に話すことなんかねえだろ。借りた金返せばいいだけの話だ」
「それもそうだな」
ククッと城田は笑いながら、痣の浮いた顔をグイッと拭った。
「連」
城田の背後で流が連橋の名を呼んだ。
「城田。てめえ、連に近づくな」
「なにもしやしねえよ。ただな。久し振りに会ったのに、コイツは詫びの一つもいれられねえのか?と思ってるだけだ。再会の邪魔すんな、間男」
「なんだとっ!」
流は叫んだが、そのせいで腹に力が入って、顔を顰めて再びガクリと体を沈めた。
「負け犬はおとなしくしてろ」
城田は、バンッと両手を突いて、連橋を壁際に追い詰めた。連橋は、とくに抵抗せずに、城田のしたいようにさせていた。
「痛かったぜ、連橋。てめえのくれた一撃はな。おかげで俺は、あのあと生死をさまよった挙句、天国だか地獄だか知ンねえが、どっちかにいる死んだ両親に会っちまったぜ。真っ暗な場所でな」
フフッと城田は笑っている。連橋は、間近に迫った城田の顔を見上げた。
「あいつらは俺を嫌っているから、俺はとっとと追い返された。そのおかげで、俺は生き返ったって訳だ」
「それがどーした。くだんねー話きかせるな」
連橋は、冷やかに言った。
「俺のオヤジが、おまえに会いたがっていたぜ」
城田が言った。連橋は、?と言う顔をして、城田を見た。流がハッとして、打たれた腹の痛みに腹を押さえながら、起き上がった。
「城田。てめえ、余計なこと言うんじゃねえっ!」
流の声に、城田はゆっくりと流を振り返った。
「てめえか・・・」
その視線に、流はギクリと歩みを止めた。射抜くような、城田の視線だった。
「・・・」
「てめえかよ。コソコソと調べていやがったのは」
スウッと城田の瞳が冷やかな色を浮かべた。
「なんのことだ。なんでてめえのオヤジが俺に会いたがるんだ」
聞き返す連橋に、城田は視線を連橋に戻した。城田は口の端を歪めた。笑ったのだ。
「それは、俺のオヤジが男だからだ。男っつー生き物だからだよ。なあ、男殺しの連橋。そうだろ。義政といい、流といい、次々に男誑し込みやがって。その調子で、淋しく乾いているだろう俺の親父を誑し込んでくれよ。そしたら、親父は喜んでおまえを引き摺っていってくれるだろうさ。あの世とやらにな」
連橋は目を見開いた。
「なに訳のわかんねえこと言ってンだよ、てめえは」
「訳わかんねえことじゃねえよ。死ねって言ってんの、てめえに」
城田が話の方向を無理矢理ずらした。連橋が、なにかを言おうとして開いた唇に、城田の人差し指が触れた。そして、城田は連橋に囁く。
「冗談さ。俺、おまえとまだヤッてねえからな。義政をあれだけ夢中にさせるおまえの体、抱いてねえからな。死んでもらったら困る。なあ、連橋。おまえは俺の腹にナイフを捻じ込んでくれた。俺はこの恨みを忘れねえぜ。ぜってえに仕返ししてやる。ただし、俺はおまえと違って、優しいからな。俺は、おまえの穴に、俺のナイフ捻じ込んでやるよ。って、これじゃ仕返しになんねえな。おまえ、悦」
最後まで言えずに、城田は頬を殴られて、壁にぶつかった。
「おまえが拳痛める必要はねえよ、連っ」
息を荒げ、流が城田を殴りつけていたのだ。
「それを言うなら、おまえもだ、流。殴る価値もねえだろ、そんなヤツ」
連橋は、城田から目を反らした。城田は乱れた前髪をかきあげながら、壁から体を起こした。
「三角関係みてえなやりとりしてる場合じゃなかったぜ。月末、楽しみにしてるぜ、流。連橋。1000万円、義政に叩きつけてくれる場面を期待させてもらうよ」
連橋と流は、城田の言葉を綺麗に無視して、同時に踵を返した。城田は、そんな2人の背を見送りながら、人差し指を持ち上げた。触れた、連橋の熱い唇の感触をこの指は知っている。城田は人差し指を、舌で舐めた。
一年前、刺される瞬間に、間近で見た連橋の涙の浮かんだ瞳を見た。一途な光を宿したあの瞳を見た時。今まで漠然と連橋に抱いていた感情の謎が解けた。その目で、俺を見ろ、と。俺だけを、見ろと。これは独占欲だ。何度も打ち消した。そんな筈は、ないと。間違っている、と。錯覚なのだ、と。だが、他に言い換える適当な言葉も見つからなく、仕方なくその場では認識した。納得は勿論していない。だが、一時の気の迷いならば、いつかは霧散する。そして、ホンモノであれば、それもいつかは必ず爆発する筈だから。慌てることはない・・・と思った。城田はゆっくりと息を吐いてから、店に戻って行った。
本城南は、手渡された書類にザッと目を通して、うなづいた。
「了解しました。これで手を打ちましょう」
「すまんな」
本城克彦は、南に背を向けながら、窓の外に視線をやった。
「えげつないやり方をするもんですね。小田島信彦という男は」
南は克彦の背に向かって、ボソリと言った。
「誰もが金の為に必死なんだろうさ」
克彦は、苦笑した。
「あの男は、実は種がないんですよ。そういう噂です。だから、彼は、弟を手離せない。ろくでもない弟でも、ね」
「それが、小田島義政が、大和恵美子と婚約した理由か」
「そうですよ。してやられた・・・と、あそこの土地を狙っていたやつらは慌てふためいている。いつのまに、とね。信彦には、間違いなく才能がある。先代の小田島よりもね」
タバコを片手に、克彦は肩を竦めた。
「偶然とは言え、連も困ることだろう。ますます小田島を憎むことになってしまうな」
「それこそ、貴方の出番ではありませんか。名乗り出ることは出来ないのが辛いところでしょうけれどね」
南がクスッと笑った。
「俺は俺のやり方で、アイツを助けると決めたんだ。構わない」
「本城に生まれた男は、皆本城が嫌いで逃げ出すくせに、最終的には本城に戻ってくる。貴方といい、明智叔父さんといい。やっぱり最後は金なのかな?と思いますよ。悲しいですね」
南の皮肉は、克彦には痛烈だった。おそらくは言っている本人が一番本城を嫌いであろうに、南は、本家という立場からは逃げ出すことは適わない。そのせいで、最愛の男を失ってしまうことになっても。南が本城から逃げられるのは、その死を持ってしてだ。
「悲しいかもしれんが、そうかもしれないな」
克彦の答えに、南は目を伏せた。
「それでは、1000万円。近日中に連橋健一の口座に振り込ませます。健一から小田島へと。それでよいですね。貴方の名前は一切出ないルートで行きますけど、本当にいいんですか」
「俺が、こんなことをしていると知ったら、分家の連中が黙ってはいない。今までの放蕩ぶりにやつらは呆れている。隙あらば、俺を叩き落したいと思っているんだ。こんなところでヘマをするつもりはない。今後の為にもな」
毅然と克彦は言った。南は、うなづいた。
「それでこそ、分家を代表する立場にある方です。安心しましたよ。では、確かに、承りました。また今度お食事つきあってくださいね。それじゃ」
南は書類を手にして、部屋を去っていった。秘書の坂井が、その後を静かに付いていった。部屋のドアが閉まる音を聞いてから、克彦はドサッと椅子に腰掛けた。そして、大きく息を吐いた。
「連。おまえの行く道は、厳しいな・・・」
呟いた声が、微かに震えていた。
続く
ここ数日で、連橋は、志摩・大堀・義政・城田と4人の男に、迫られてセクハラ受けてます。本人、けっこー怖いだろ〜な(笑)
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