連橋(レンバシ)・・・区立第3中学校の3年生

流(ナガレ)・・・区立第3中学校の3年生

小田島(オダジマ)・・・区立第1中学校の3年生

城田(シロタ)・・・区立第1中学校の3年生


------------1話--------------

「兄ちゃん・・・。遅い。俺、腹減ったよ・・・」
約束通り弟は、公園の噴水の縁に腰掛けて待っていた。
「ああ。ごめんな、ひーちゃん。今なんか買ってくる。ここでおとなしく待ってるんだぞ」
「ここで食うの?」
弟は、ちょっと妙な顔したが、素直にうなづいた。
俺は再び歩き出した。腹から溢れてきた血が、掌を伝って落ちていった。
くそっ。眩暈がする。眩暈が・・・。
俺は唇を噛み締めた。そして空を見上げる。闇の中に、ぽっかりと金色の月。しかし、やがて月は、俺の瞳には二重って見えた。
「ひーちゃん。そこで俺の声、聞こえるか?」
公園の大きな木の下に立ち、俺は噴水の方にいる弟を振り返った。
「うん。聞こえるけど、どーした?財布ねえとか?」
弟は、立ちあがりながら、そんなふうに笑いながら言った。
「来なくていい。そこに座ってろ。そこで聞け」
「にーちゃん」
「ひーちゃん。にーちゃんはおまえのこと、愛してる。すごく、すごく愛してるよ」
「どうしたんだよ?にーちゃん、いきなり」
叫ぶような弟の問いかけ。
「これだけは覚えておけ。おまえが一人で寂しくなったら、いつでもこの言葉を思い出せ。忘れるな。決して忘れてはいけないぜ」
「にーちゃん」
走り出そうとする弟を、俺は大きな声で制した。
「久人ォッ!」
ビクッとして、弟の足が止まる。
「それからな。伝えてくれ。きっと、そのうちここに現れる男に。必ずソイツは現れる。ソイツに伝えてくれ。ソイツはなあ、にーちゃんの本当の敵であり・・・本当の・・・」
止めた。バカらしい。そんなことは弟には、言う必要はあるまい。
「なにを。なにを伝えればいいんだよぉ」
弟は涙声になった。
「にーちゃん!」
弟は、堪え切れなかったのか、こちらに走ってきた。制したくても、声が出ない。俺はズルズルと木の下に座りこんだ。
「にーちゃん。怪我してる。血が・・・」
腹の血に気づいて、弟が目を見開いた。
「わりいな。ひーちゃん。にーちゃん、もう食い物買ってこれそーにねえや・・・」
「救急車呼ぶ」
「もう間に合わないよ。なあ、ひーちゃん・・・。伝えて、ソイツに。次に会った時、覚えてろよって」
「次に会った時?」
「ああ、そうだ。バイバイ・・・。ひーちゃん・・・」
「にーちゃん。やだよ、どうしたんだよっ。にーちゃん!目を開けろよ!にーちゃん!!」

月が雲に隠れたのか?目の前は真っ暗だ。
ああ。俺には、もう・・・。アイツの金色の姿が、見えなくなるのだ。
もう、俺には、なにも見えない・・・。

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この夜にすべてを***************************

どこもかしこも荒れていた。澱んだ空気があちこちに充満していた。崩れ落ちて行く前の最後の咆哮。やるせない気持ちを、ただ、ただ、ひたすら暴力でしか解決出来なかった時代。そこには、確かに人と人とがぶつかりあって、流れた血があった。

今がましか、昔がましか。それはわからない。今も血は流れ続けているが、それは誰が流した血で誰が流させた血かわからないような、そんな感じだ。

だが。あの頃は違った。血を流す者と、流させる者。それは必ず対峙していた。機械の影に隠れて顔が見えない現在とは違い、対立しあうものは、互いを見ていた。
互いを見ていた。

「うちのクラスのガラス、また割れたー」
「俺達の教室なんか、壁が壊れてるぜー。廊下からジロジロ見られてむかつく」
だいたいの区立中学では、こんな会話は日常茶飯事だった。教師への反抗・暴力。物を破壊するのは当たり前。給食ですら、配膳前に「カレーの中に唾吐いた」という噂が広まり、手をつけられない日々もあった。
「センコー、なんとかしろっつーの」
「無理だよ。だってうちの学校ジジイばっかじゃん」
「だよなぁ。それに、うちのガッコにゃ、山野先輩達がいっからなー」
「この前、4中の酒井先輩達が乗り込んできた時、アッと言う間に潰しちゃったって噂、もう1中の小田島サンに届いてるらしいよ」
「小田島サン出てくると、まずいちゃう?あの人の後ろ、ヤクザでしょ。去年だって、センコー一人刺して重体にしちゃってさ」
「そうだ。あったよなー。死んだのかな?なんか、ぶるっちゃうなー。とにかく無事卒業はしたいよ」
「だよなー。早く卒業してぇー」


そんな会話を聞きながら、連橋は、ダラリと芝生の上に寝転がっていた。
「連。今夜、とうとう小田島が出てくるってさ」
流がこらちに向かって走ってきた。
「そーか」
「気乗りしねえ声だな」
「別に」
そう言って、連橋は起きあがった。学ランについた芝をササッと手で払う。
「まさか、怖気づいたってんじゃねえだろうな」
「冗談だろ。俺は、この1年、小田島引っ張りだす為に、おまえ達のくだんねー喧嘩に助成してきたんじゃねえかよ」
「くだんねえ喧嘩って、ひでえな。俺ら、これでもマジだよ」
「俺だって、マジだ」
連橋は、立ちあがった。流は、連橋を見上げた。
「髪、染めたんたか」
「ああ。似合うだろ」
流はうなづいた。連橋の髪の色は、綺麗な金色になっていた。
「まあな。おまえは顔キレーだから、似合う。志摩さんが、おまえをマスコットにしてーって言ってたの、今なら良くわかるぜ」
「冗談だろ。あんなへっぽこ族の、誰がマスコットなんぞ」
「そんなこと言えるの、おまえぐれーだよ」
流はポンッと連橋の肩を叩いた。
「心してかかれよ。小田島は、ハクつけるにゃ、ちょいデカ過ぎる」
「んなもんに興味はねえよ。俺は小田島、殺れりゃなんでもいいんだ」
「連。おまえ・・・。本当はなに考えてる?」
「なにが?」
連橋の切れ長の瞳が、スッと流を見た。
「いや。なんでもねえ。時間は25時。場所は、4号線付近の川っぺり。行けば、騒いでるからわかるだろう。遅刻はナシだぜ」
「ったり前だろ。んなら、もう帰って寝とくわ」
「おう。じゃあな」
連橋は肩越しに、流れに手を振ると、学ランを翻して正門を出て行った。一般の生徒達が、連橋と行き違うと、皆彼を振り返る。流は、そんな連橋の背をずっと見送っていた。

25時。今日で、全ての決着がつく。


バイク、車のエンジン音。それらが入り混じって、やかましい。あちこちから立ち昇る煙草の煙に、辺り一面は煙幕を張ったかのようだった。そんな中でも、上空にはうっすらと月が見えるのだ。
「今何時だ」
「5分前」
短い答えが返ってくる。
「小田島。気ィつけろよ。3中は、強いぜ。山野ってヤツは、いろんな手駒を持ってる。今まで3中が無傷なのも、周りがいいからなんだぜ」
淺川が、車のボンネットに腰掛けていた小田島を振り返って、チラリと忠告する。
「今更冗談じゃねえっつーの。こちとら、地元の中学に構ってられるよーな暇じゃねえのによ。酒井のタコが泣き入れてくっからよ」
吸っていた煙草を、小田島はぽいっと投げ捨てた。
「それでも売られた喧嘩を買ったならば、だ。必ず勝たなきゃなんねえだろ」
すぐ横で、城田がボソリと呟いた。小田島は、フンッと鼻で笑った。
「城田。今回も俺に勝たせろ、よ」
「・・・」
城田は、フイッと小田島から目を反らした。耳に嵌め込まれてたイヤホンを、スルリと外す。小田島は、そんな城田を見てハッとした。
「時間、だ」

カッと、一定の距離に対峙していた、それぞれの車のライトがハイビームになる。それが合図だ。3中と1中の喧嘩。言葉で表せば、単なる喧嘩だ。だが、この時代には、1つの「戦い」だ。小さな戦争。そんな感じだった。ケツの青いガキ同士のマジな戦い。

なにを求めて、なんの為に。それを探すかのように、争いあう。だが、絶えぬ小さな戦争が、彼等の困惑を証明していた。まだ見えない。なにも見えない。求めるものは、なにも。
なんの為に、戦うのか・・・。知る人はいるのか?
この混沌とした時代に・・・。
この、今に・・・。


あちこちで、木刀がぶつかり音が破裂した。一旦始まってしまえば、まるでパーティーのように、にぎやかだ。早めにケリをつけないと、警察が来る。それまでに、明かなる事態に持ち込まなければいけない。勝負は、最初の15分で必ず動く。明かなる事態。それは、各々が守る【頭】の状態だ。3中は、山野。1中は小田島である。
「小田島っ!そこから動くなよっ。緑川っ、守れ」
淺川が叫んだ。彼は小田島側の参謀だ。
「オッケー」
緑川が指で合図する。
「城田。攻めるぜ」
淺川は城田をチラリと見て、ニッと笑った。
「了解」
城田はうなづいた。

入り乱れる混乱。その中で、木刀がミシミシと軋む音。誰かが木刀を捨てて、素手で殴り合う。地べたに倒れる者。転がりあう者。罵倒が交差する中、淺川と城田は走った。慣れた光景だった。こんな光景は、何度も潜り抜けていた。既に恐怖など、麻痺している。城田はそう思って、目の前に現れる光景をおいやった。

なんの為に、ここにいるのか。なにがしたくて、ここにいるのか?

「城田ァッ。右行け。俺はッ」
と淺川が叫んだ時だった。走っていた淺川の足が急に止まった。城田もそれに倣い、止まる。
「淺川、どうした」
「・・・連橋だ」
「え?」

空を白い光線が幾つも照らしていた。ハイビームのせいだ。戦いの場は、スポットライトに包まれているかのようだった。それぞれの勢力が入り乱れて、雑然としてる中、その混乱をものともせずに、スポットライトの中を駆け抜けてくる男が、城田の瞳に映った。

2本の木刀を手にし、襲ってくるやつらをなぎ倒し、地面に落ちたやつらに見向きもせずに。軽々と走ってくる。軽やかに。まるで、自分の前に敵はいない、というような軽やかさだ。
「なんてこった。アイツ、特攻かけてきやがった・・・」
淺川は呆然と呟いた。城田は、走ってくる男、連橋を見た。金色の髪。笑っている。楽しそうに笑って、いた。月と、ハイビームに照らし出された、その一瞬。浮かび上がった連橋の横顔は、心底楽しそうに笑っていた。狂気にかられているかのような、熱に浮かされたかのような顔。連橋は、城田の横を軽々と通り抜けて行った。見向きもせずに。連橋は、自分の前しか見ていなかった。

勝負は、動いた。始まって僅か10分だ。連橋が仕掛けた。このままでいけば、勝ちを持っていかれる!城田は咄嗟に思った。

淺川を置いて、城田は来た道を戻った。たった今、淺川と駆け抜けてきた自分の陣地に戻る。小田島が殺られる!そう思った。緑川達だけでは、無理だ。連橋が、行く手を僅かに阻まれているタイムラグのおかげで、城田は小田島のすぐ横まで戻ってこれた。
「連橋だ。髪の色が変わってやがるが、間違いねえ」
小田島は、木刀を手にしながら、側に戻ってきた城田に、呟いた。
「知ってるのか、アイツを」
城田は聞き返す。城田は、誰であろうと敵なんざに、興味を示したことはなかったのだ。
「幾ら俺でも知ってるさ。3年になった途端に、突然現れたルーキーさ。だが3中の山野の懐刀だ。いつものアイツは、山野にピッタリくっついて、陣地を離れない。なのに、今回に限って特攻かけてきやがった」
小田島のこめかみに、僅かな汗が浮かんでいた。
「狙いはアンタだったって訳か」
「怨まれるような覚えはねえぜ」
そう言いながら、小田島は煙草に火を点けては、まだ少し遠くの騒動を眺めていた。
「だったら、そこで堂々としてな」
ヒュッと、城田は木刀を振った。
「俺が、おまえを守る。いつものようにな」
城田を先頭に、その後ろを、緑川・白樺・風間その他小田島の取巻き達が小田島を背に庇う。

金髪は目立つ。反対勢力の中で揉まれながら、だが、確実に近づいてくる。陣地に踏み込んできて尚、連橋は勢いを失わない。
「左だ。左から来るぞ」
誰かが叫んだ。城田はそんな声に惑わされなかった。連橋は猫のようだ。あちこちに動く。城田は目を、金色から離さないようにした。連橋の金髪だ。左、右、左、左、更に左。そして、右。あれだけ動いて、尚まだ勢いが衰えない。一体、どういう男だ!?
ダンッ!
「!」
ビクッと、城田は右を振り返る。いつの間かに、すぐ脇の車のボンネットに、立った男。連橋。連橋の後ろには、一人の男がひっそりと寄り沿っていた。

なるほど。この男がある程度のフォローをしていたっつー訳だな、と城田は分析した。連橋の動きに、ピタリとくっついてこれる男。侮れない。

小田島は、皆の背に庇われながら、すぐ側の車のボンネットに立った、一段も二段も高い位置にいる連橋を睨みあげていた。
「てめえが小田島か。お姫様みてーに、みんなに守られて、さぞやいい気分だろうな」
金髪の男、連橋が口を開く。よく見ると、連橋は、額から血を流していた。それはそうだ。あれだけ無理をすれば、無傷でいられる筈もない。
声。この声・・・。城田はフッと、眉を顰めた。低いような、高いような。この声。
どこかで・・・。
「待ってろ。すぐ、そこに行く」
言いながら、連橋はボンネットを蹴った。バッと木刀を振り上げ、こちらに向かって飛び込んできた。
「城田アッ!」
小田島が、城田の名を呼んだ。最前列にいた城田は、木刀をスーッと横に引いた。そして、バッと上段に構えた。なにも考えることなく、目の前に降りてきた、連橋目掛けて振り下ろした。当然のように、ガッと受けられる。
ここから、だ。ここからが、始まりだ。受けられることは最初からわかっていた!
ヒュッ、ヒュッと木刀が空中を弾く音がする。振りかぶって、薙ぎ払っても、手応えを感じない。
「連!ここは任せろ。おまえは小田島を殺れっ!」
「流。頼む」
連橋の木刀が、ものすごい勢いで退いていく。どうやら、城田との打ちあいは、本気でなかったようだった。
逃がす、かっ!城田は、その木刀の切っ先を、ガッと腕で掴んだ。読みきれない速さではなかった。
「連ッ」
思いがけないところを掴まれて、連橋は、木刀ごとフワリと宙を舞い、そして地べたに転がった。その隙を逃さずに、小田島の周りにいたやつらが、ワッと連橋目掛けて一斉に飛び込んでいった。
「連っ、連ッ」
連橋が、流と呼んだ男が、あっと言う間に袋にされてしまった連橋の方を見て、叫んだ。
「どこ見てんだよ。てめえの相手は俺だろ」
城田はそう言って、流と真正面から対峙した。
「キサマ。城田か」
「だったらどうした」
「やっぱり、最後に立ちはだかるのはおまえかっ」
流は、ブンッと木刀を振りかぶった。城田は感心した。強い。確かに強い。互角の打合いが出来る。連橋が、あれほど見事に敵陣地を突破して、ここまで来れたのは、たぶんコイツのおかげだろう。そう思って、城田は小さく笑った。

隙のねえ目をしてやがる。一方の流は、目の前で打合う城田を見て、そう思った。喉が鳴る。背筋が凍る。数々のやつらとやりあってきたが、城田の切れ長の目は、隙がない。大抵のやつらなら避け切れない流の一撃を、ヒョイと避けては、振りかぶってくる。
「っ」
流は、バランスを崩した。足元にあるなにかを踏んだ。人間。誰かが倒れていたようだ。それを踏んだせいで、バランスが崩れた。
「!」
城田がその隙を見過ごす筈がない。城田の木刀が、流の目の前でヒュッと冴えた音を立てた。やられるッ!流は思わず目を瞑った。
だが、その時だった。城田の背後に、金色の光が破裂した。
「連」
既に顔が半分膨れあがった連橋が、ガッと城田の首を背後から、木刀で押さえた。ギリギリと木刀で城田の首を締め上げた。
「てめえ、このやろうっ。邪魔しやがって!邪魔しやがって!」
連橋は叫んで、城田の首を何度も木刀で締め上げた。
「ぐっ、うっ」
「余計な時間を取らせやがってッ」
そう言いながら、連橋は、空いた右手をヒラリと振った。流はハッとして、自分が持っていた木刀を連橋に向かって投げた。木刀は弧を描いて、曇った空に飛んだ。連橋はそれをパシッと受け取ると、左手に握っていた木刀ごと、城田の背中を蹴飛ばした。
「クソヤロウが。いいところで邪魔してんじゃねえよっ」
連橋はそう言って、城田に背を向けた。大地に唾を吐いて、連橋は、ゆっくりと進んだ。
「ぶっ殺されてえヤツは、かかってこい」
あれだけの人数に、一気に攻められたというのに、顔面血だらけにしながら、その全部を連橋は跳ね除けて、起きあがったのだ。流は、小田島に向かって歩いていく連橋の背を見ながら、背筋がゾッとした。
なんの為に、そこまで。どうして、そこまで。おまえは、なんでっ!思いながら流は、誰かが落したであろうそこらにあった木刀を即座に拾って、倒れた城田の頭上に振り下ろした。コイツの動きを封じなければ、ヤバイっ!流はそう思っていた。躊躇いはなかった。
だが、倒れていた筈の城田は、連橋の手放した木刀を握っていて、クルリと起きあがっては、それをグイッと突き上げていた。
「うっ」
城田の木刀の切っ先は、流の喉元ギリギリで止まった。
「これ以上、突き上げられて、喉に穴あけられたくなかったら、そこで止まってろ。うちの雑魚は、皆てめえにやるからよ」
城田は、そう言って、流を睨みつけた。
「!」
その暗い、瞳。流は、城田の瞳に、先ほど感じたもの以上の凄味を感じた。なんだ、コイツの瞳。ば、バケモンだ・・・。流が動きを止めたのを確認すると、城田は慎重に木刀を退いていき、そしてさきほど連橋がしたように、背を向けて走っていく。流は、その場を一歩後ずさった。そして、ハーッと息を整えた。

城田が小田島の元に駆けつけた時、既に小田島の周りのやつらは、連橋によって地面にのされていた。
「ぜえ、ぜえ、ぜえ・・・」
連橋の荒い息だけが、その場に響いていた。辺りは、静まり返っていた。
「小田島ァッ」
連橋は小田島の名を呼んだ。
「連橋・・・」
小田島は、傷1つついていない体で、木刀を握り締めて、目の前の血だらけの連橋を睨んでいた。
「てめえっ。ぶっ殺してやらあッ」
バンッと、連橋は木刀を捨てると、シャッと胸元から、ナイフを取り出した。
「げぇっ」
地面に倒れ伏していた誰かがうめいた。
「狂ってやがる。ナイフ出しやがった」
小田島は、呆然として、ナイフを持って自分に向かってくる連橋を見ていた。人は、想像もしない場面に直面すると、あまりのことに体が追い付かない時がある。
「義政ッ、逃げやがれっ」
城田は叫んだ。叫びながら、連橋に向かって、突進した。
「ちっ」
連橋は、チラリと城田に目をやると、カッと目を見開いた。
「てめえ。1度ならず、2度も邪魔しやがる気かあっ」
と、喚いた。城田は、連橋のすぐ横に並んだ。そして、有無を言わせずに、握った拳で、連橋のこめかみを打った。
・・・筈だった。

だが、それは綺麗に避けられ、変わりに連橋からの、攻撃を受けた。シャッと、滑らかな音を立てて、それは城田の顔を走った。
ナイフの切っ先だった。右目のすぐ脇から、頬にかけて、ナイフで裂かれた。城田は、頬に手をやった。赤い血が指先についた。
「アハハハッ」
連橋は、楽しそうに笑いながら、スッと身を屈めると、左脚で城田の足を薙ぎ払う。
「!」
城田は、その絶妙な足さばきに、思いっきりつんのめった。ドサリと、地面に倒れた。
すごい瞬発力を持っている。それが、連橋の強みであると同時に、ヤツは自分のそれを確実に知っている。城田は、瞬時に立ちあがった。だが、連橋はもう、小田島の目の前に到達していた。
「バイバイ、小田島クン」
連橋は、小田島の髪の毛をグイッと握って、躊躇いもせずにナイフを腹目掛けて押し込もうとした。その時、ガンッという鈍い音がした。
小田島が、ギャアという悲鳴を上げた。そして、地面に倒れこむ。
連橋は、目を見開いた。確かに小田島の腹に捩じ込んだ筈のナイフだった。だが、実際、ナイフは、木刀に突き刺さっていたのだ。
小田島の腹とナイフの隙間を、寸分の狂いもなくどこからか投げられた木刀が、小田島の腹が受けるはずだった衝撃を吸収してしまったのだ。小田島が倒れたのは、その木刀が自分の腹にぶつかったからだ。だが彼は、自分の腹が受けた衝撃は、ナイフが捩じ込まれたせいだと信じて疑いもせずに、倒れていた。
「ぜっ、ぜっ・・・」
息を荒げながら連橋は、木刀が投げられた方を、静かに振り返った。
そこには、城田がいた。城田は、肩をあえがせながら、連橋を見つめていた。連橋も、城田を見つめていた。
「連。警察だ。サツが来ちまった。引き上げるぜっ」
流の声が、連橋の耳に届いた。連橋は、うつむくと、地面に倒れている小田島をチラリと見た。そして、背を向け歩き出す。
連橋は、突っ立つ城田のすぐ脇を、わざと通り抜けた。通り抜けながら、連橋は城田の耳元に囁いた。
「名前」
「城田」
「次に会った時、覚えてろよ」
城田はバッと、通り過ぎて行こうとする連橋を振り返った。瞬間、間近で連橋と城田は目を合わせた。連橋はニヤリと笑った。顔を血で赤く染めて、前歯が1本折れていた。ぐしゃぐしゃの顔で、連橋は不敵に笑った。だが、目は笑っていない。それに気づいたが、城田も笑い返す。城田の顔も、先ほど連橋に裂かれたせいで、血だらけだった。

辺りには、警察車のパトライトの赤が、点滅し出す。そして、けたたましいサイレン。

25時39分。

・・・決着は、ついた。

2話に続く
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