なんとなくで始まり、体を重ねてしまったの。
だから、素直になれないの。
でも。
追いかけてきてほしいな。
愛してるって言ってほしいな。
抱きしめてほしいな。
全部が無理ならば、ひとつだけでもいいのに。


蒸し暑い日だった。体の中に溜まった熱が、汗と共に噴出していく。
どんよりと曇った空が、またたまらなく鬱陶しい。雨が来るのは、わかっていた。梅雨のこの季節だ。当然だろう。
なのに、傘を持っていなかった。
忘れたのかな?そうだ。朝家を出る時、慌てて・・・と、北斗は大きなリュックの中をごそごそと漁っていた。
そして、ふと腕時計を見た。
待ち合わせの時間から、既にかなりの時間が経っていた。
場所は間違っていないはず。公園の片隅の古びたベンチ。
そこに座って、北斗は入り口を何度も見た。未だに相手の姿は見当たらない。
腕時計の秒針の音が脳味噌に刻み込まれていく気がした。
『来ないかもしれねえ・・・』
北斗は強張っていた体の力が抜けていくのを感じた。
ふと顔をあげた。灰色の空は、今にも泣き出しそうだった。
ベンチの反対側の端っこに男が腰かけた。
若い男だった。男はベンチに座るなりタバコに火を点けた。
それを見て、不意に北斗はタバコが吸いたくなった。
でも、今、手元にない。
「すんません。タバコ、一本もらえます?」
声をかけると、男はうなづいた。
「メンソールだけど、いい?」
メンソール。普段の銘柄とは違うが、この際煙が出ればなんでも良い、と北斗は思った。
「大丈夫ッス」
男の指からタバコを貰い、火を貰った。
「あの・・・・。ここで、待ち合わせ?」
北斗は思わず男に訊いていた。
タメ口なのは、まじまじと見てみれば男の年齢が、自分と近いと感じたからだ。
まだ20才になっていないだろう。
たぶん10代。同じ、学生なのかもしれない。
灰色のシューズに、ジーンズ。黒いタンクトップの上に羽織った白のシャツ。清潔そうな男だった。
「いや。バイト前の時間潰し」
男は、ぶっきらぼうに言い返してきた。
「そっか」
「そっちこそ、待ち合わせ?」
男に訊かれ、北斗はうなづいた。
「ああ。でも、すっぽかされたのかも」
北斗の、落胆した口調に気づいたのか、男は北斗をチラリと見た。
それから、ゆっくりと足元に視線を移していく。
「デカイ荷物。旅行?」
「旅行っつーか、駆け落ち」
北斗は短く言った。だが、男は「ふうん」と興味なさ気にうなづいた。
「雨、降るかな」
なんとなく、北斗は男に訊いた。タバコを吸い終え、口寂しかった。
「季節柄、降ってもおかしくないと思うけど」
男は、北斗を見ずに、遠くにある噴水の方を見ながら、小さく言った。
「だな」
ハハハ、と北斗はなんとなく笑った。すると、男はいきなり立ち上がった。
「じゃ」
そう言って、さっさとベンチを後にしていく。
その長身の後姿をぼんやりと見つめながら、「俺って、怪しいヤツと思われた?」と北斗は頭を抱えこんだ。
その途端、だった。ブルージーンズの膝が、ポトリと濡れた。自分の涙だと北斗は思った。だが、違う。
ふっ、と空を見上げた。
「雨・・・」
予想通り、雨が降ってきた。静かに。だが、確実に。
北斗は傘を持っていない。雨を避ける術がない。
「降ってきやがった。ちきしょう」
『もう、来ない』
ようやくはっきりと、自分の置かれた状況を北斗は把握した。
ダラリと北斗はベンチの背にもたれかかった。放心状態という有様だった。
雨は、北斗の髪に降り注いでいく。あっという間に、北斗の髪はクシャクシャに濡れた。
勿論、足元の大きな黒いリュックも濡れていく。濡れるに任せて、北斗は鉛色の空を見上げていた。
どれぐらいそうしていただろう。北斗の、雨に濡れた横顔に「おい」と言う硬質の声がぶつかってきた。
「おい」と、二度呼ばれてから北斗はゆっくりと振り返った。
「・・・」
さっきの、タバコと火をくれた男だった。ちゃんと傘を差して立っている。
男は、ずぶ濡れの北斗の体に向かって傘を傾けながら、「まだ待つ気ならば、傘貸すぜ」そう言った。
「なあ、来ると思う?」
北斗は、ジッと男を見つめた。
「・・・信じてあげれば」
男がぶっきらぼうに言った。
「なら、つきあえよ」
「いいよ」
あっさりとうなづき、男はドサッと北斗の横に座った。
「おい。ケツ濡れるぜ」
「構わねえよ」
男二人、ベンチで相合傘。
それから一時間は黙って、雨に煙る公園の入り口を眺めていただろうか。
「帰ろっか」
言ったのは北斗だった。
「もう、来ねえ」
北斗は、自分に言い聞かせるように、言った。
「ああ」
男は伏せ目がちにうなづいた。

雨は小降りになりながらも、夕方の公園を濡らし続けていた。