もやもやとした気持ちをもてあましながら、イリアスは王宮に向かった。
無事新婚旅行を終えたことを国王陛下に報告し、重い気持ちのまま帰途についている最中のことだった。
「危ないっ」
叫び声が響き、辺りが騒然となり、馬車が止まる。
「どうした」
イリアスが剣を握りしめ、注意深く馬車を降りたにも関わらず・・・。
「!」
ヒュンという音と共に、イリアスの頬を矢がかすめていった。
すぐさま足元に落ちる点々とした染みをイリアスはぼんやりと眺めていた。
「イリアス様」
「あ、ああ。大丈夫だ」
呼ばれて、ハッと我に返る。
弓は、左から飛んできた。一秒でもイリアスが気付くのが遅れていたら矢は左目を貫通していたかもしれない。
「ヤーディル達の部隊が、賊の後を追っています」
「屋敷の方にも即座に部隊を回せ。私だけでなく、カデナ様を狙っているかもしれぬ」
「はい。既に、ヴィルゼル様達の隊がお屋敷に向かわれました」
「結構だ。素早い対処に感謝する」
ポトリ、ポトリ、と頬の傷からの血が、顎を伝って足元に落ちて行く。
「手当を」
部下の騎士が走り寄ってくる。
「良い。かすっているだけだ」
「ですが」
「屋敷に帰ってからでよい。まだ警戒を解くな!」
「は、はいっ」
グイッと掌で血を拭うと、イリアスは周囲を見渡しながら、馬車に乗り込んだ。
帰途につく為家路を急いでいた馬車の行く手を防ぐ騒ぎに、警戒しつつ車外に出た途端、的確にイリアス一人を狙い矢が飛んできた。
警戒はしていたが、それでも防ぎきれず、矢はイリアスの頬をかすめたのだ。
矢が飛んできた方角に部下達が走り、賊を追跡している。他の部下達も、即座にイリアスの屋敷に走っている。
明らかにイリアスを狙った所業。それは、カデナ王子絡みであることを示す。誰もがそう思っている。
「結婚を公開したら、すぐにこれか」
フゥッとイリアスは溜息をついた。
今までカデナが騎士と結婚したことは国内外に周知されていたが、誰と、とは明確にされていなかった。
だが、各国からの問い合わせなどもあり、今回新婚旅行が実行されたことを機に、カデナ・ル・アルフェータは、
アルフェータ国の貴族騎士、イリアス・ヴァンと結婚したと正式報告された。
「ほんとに、命がいくつあっても足りねえ・・・」
カデナに言われたことを思い出し、イリアスは舌打ちしつつ、これからだ、って時に死んでたまるか、と思った。
「ま、まあっ。イリアス様」
クリスティンが、ヒッと手で口を覆った。
「!?ああ、これか。驚かせて、すまぬ」
頬をおさえていた布は、真っ赤な血で染まっていた。
「お怪我を」
「矢がかすっただけだ。それより、カデナ様とダイアナは無事か」
「は、はい。ヴィルゼル様達がいらっしゃり、お部屋にて警護されております」
クリスティンは、大股で歩くイリアスの後を小走りについていく。
「わかった。しばらく留守にしていて、心細い思いをさせた上に、このような無様な真似ですまぬ」
「いえ。ご、ご無事でなによりです。こちらへ。手当をいたします」
クリスティンが、イリアスの腕をつかみ、広間につれて行く。
「お父様」
バタバタとダイアナが広間に走ってきた。
「お帰りなさい、お父様。あら、お怪我なの」
ダイアナは騎士の娘だ。父が多少の傷をこさえてきたところで、ビクリともしない。
クリスティンとは違いダイアナは逞しい娘だった。
「大丈夫だよ」
「カデナお兄ちゃまと同じだわ。お二人とも、どこへいらしてなにをしていたの。二人で怪我して帰ってくるなんて」
ダイアナの言葉に、イリアスはハッとした。
ヤベ。手首か・・・。
カリッと指で頭をかき、自分のしでかしたことを思い返し、イリアスは眉を寄せた。
頭の中はすっかり賊に対する警戒モードだったが、一気にそれが解除され、現実にぶち当たる。
「もう、もう。ダイアナは淋しかったわ。お二人が急にいらっしゃらなくなって」
「・・・たった一日ではないか。で、カデナ様は、どちらに」
「お部屋で寝ていらっしゃったけど、ヴィルゼル達に驚いて起きてしまわれたわ」
「そうか。では、ごあいさつにいかねば。うっ」
クリスティンが傷に薬を塗ったのがしみて、イリアスは唇を噛んだ。
「クリス・・・」
「あら・・・。すみません。ちょっと量が多かったでしょうか」
クリスティンはちょっと怒っているようだった。
ダイアナと違い、大人の事情を理解しているクリスティンであった。
傷の手当を終え、カデナの部屋に向かうイリアスの後ろをダイアナがちょこまかとついてきた。
クスクスと笑っている。
「さっきから、なんだ」
イリアスはダイアナを振り返った。
「だって。お顔に、大きなばんそうこう。おかしいわ」
「悪かったな。仕方ないだろう」
「格好悪いわ」
ズバッ。娘の言葉に、イリアスは内心傷ついた。だが、顔には出さずに、軽く娘を睨んだ。
ダイアナはその視線に気づき、ごめんなさい・・・と小さく言った。
イリアスは、カデナの私室に、ノックをして入った。
「失礼します」
室内では、ソファに座って明らかに不機嫌なカデナを、グルリとヴィルゼル達が取り囲んでいた。
「ヴィルゼル、御苦労だった」
イリアスが声をかけると、彼らは、ホッとしたように王子の周囲を退いた。
「どういうことだ、これは」
カデナは、キッとイリアスを睨んでいた。
「申し訳ございません。不審者に襲われまして、私が戻るまで、カデナ様への警護を厳重にするようにと
部下に命令したものでございます」
「だからと言って、部屋の外でおとなしく見張っていればよいだろう。部屋の中までズカズカと」
「それだけ警戒しなければならなかったんです」
イリアスの説明を聞きながら、カデナはイリアスの頬の傷に気付いたようだった。
「それは?」
カデナは、顎で、頬の傷を示した。
イリアスは説明した。
「油断により、賊からの攻撃を受け、傷を作りました」
「・・・無様な・・・」
フンッと、カデナは鼻を鳴らした。
イリアスは、ピクリとも表情を変えずに、頷いた。
部下達はざわめくが、カデナは一向に気にせず、ますますイリアスを睨んだ。
「そなたが襲われる度に、私はこうやってそなたの部下達に囲まれて過ごさねばならないのか!?」
「ここは王宮ではないので、どうしても警備が甘くなりがちです。日常茶飯事ではないことですので、非常時はどうぞお許しくださいませ」
クッと、カデナは唇を噛んだ。
「煩わしい。おまえ、もう、襲われるなっ!」
「お言葉ですが、誰のせいで襲われているか、と」
「私のせいか」
「貴方以外、誰のせいでしょうか」
シーン。
イリアスは、カデナに頭を下げた。
「私の留守の時の非常時は、どうぞ寛大な気持ちでお許しください。ただ、私がここにいる時は、全力で貴方を
お守りします。そういうことなので、今宵から部屋を同室に致しましょう」
「はあっ!?」
今までの険悪な雰囲気を一掃するかのように、カデナが素っ頓狂な声を上げた。
結婚して半年。部屋は最初から別々だ。
「冗談ではない。なにをどさくさに紛れて言っているのだ」
「もちろん、冗談ではありません」
イリアスはいたって真剣な顔だ。
「必要ない」
「いえ、この際、一緒の部屋の方が色々と都合が良いのです」
言葉に含ませた意味を、珍しくカデナが敏感に読み取り、反論してきた。
「良いのはおまえだけだ。だいたい、狙われているのはおまえだろう。狙われているヤツと一緒にいて、どこが安全だ。
おまえとは、かなりの距離を離れていた方が私にとっては二重に安心だ」
ヴィルゼルが、「はて。二重に安心の意味とは?」と小さく呟き、首を傾げた。イリアスが苦笑する。
「同室なんて、絶対に嫌だ。私は認めぬ。今回のことは、もう、いい。とっとと出て行け」
バッとカデナがドアを指した。その手首には、包帯が巻かれていた。両手首が痛々しい。
「気分が悪い、出てけッ」
カデナの一喝。
「かしこまりました。お騒がせいたしました」
イリアスは、部下達を促し、カデナの部屋を後にした。
「カデナお兄ちゃま、すっごいお怒りだったわね」
ダイアナが、驚いたように呟いた。
「カデナ様は、怒らせると怖いのだよ。お前も覚えておきなさい。さあ、クリスと遊んでおいで」
「うん。今は、カデナお兄ちゃまには怖くて近寄れないわ」
そう言ってダイアナは、クリスティンのいる部屋に向かって走っていった。
「やれやれ」
廊下を歩いて少ししたら、ヴィルゼルがイリアスにこっそりと囁いた。
「ダイアナ様の言われた通り、確かにものすごいご機嫌が悪かったですよね・・・」
「私のせいだろう」
「イリアス様のせいではございませんよ。悪いのは賊です」
なにも知らないヴィルゼルは、イリアスを庇う。
「しかし、想像以上に、カデナ様を娶るということは大変なのだということがわかった」
イリアスの言葉に、ヴィルゼルは、ウッと詰まった。
「そ、それは、そうですね。羨ましいと同時にお気の毒というか」
「はは。まあ、そうだな。ハイリスクハイリターンというところか」
悲しいかな騎士の習性で、まあそういうのも嫌いではない、とイリアス思ってしまうのだ。
原則平和が一番なのだが、なにごともなくば、騎士の腕は錆びていく一方なのだ。
「目が覚めた」
頬の傷を軽く撫で、イリアスは軽く舌で唇を舐めた。
「ヴィルゼル。カデナ様の部屋を封鎖し、全ての荷物を私の部屋に」
「ええっ!?もしかして、本当に同室に?」
ヴィルゼルの驚きのように、イリアスは思わず苦笑してしまう。
「いけないか?王に許された夫婦であるのだが」
「い、いえ。ですが、先ほどのカデナ様のご様子だと・・・」
「幾ら王族といえど、従ってよい我儘とならぬ我儘がある。この屋敷にいる以上、私の目の届くところにいていただかないと、なにかあった時に責任が持てぬ」
「それはまことでございます」
「大変であろうが、頼む。そなたたちは、荷物とカデナ様を私の部屋に移してくれるだけでよい。あとは私が責任を負う」
「イリアス様。それが一番大変な気が致しますが」
とほほ、とヴィルゼルが困った顔になった。
「なに。クリスティンが、ちゃんと手当してくれるだろう。彼女は元々王宮で看護師をしておったのだから」
ハハハと笑い、イリアスは、部下達に面倒を押し付け、部屋に戻って行った。
幾人もの騎士相手にカデナが勝てる筈もない。
カデナは散々抵抗したが、結局一矢報いることなく、荷物ごとイリアスの部屋に放り込まれた。
普段あまり王族としての自分をひけらかすことがないカデナだったが、今回ばかりは、フルに王族である自分を主張したのだが無駄だった。
「なによりもカデナ様のお命が優先でございます」
ヴィルゼルが最後までブレずに言い続けた言葉だった。
放り込まれたイリアスの部屋は、主人の部屋であるからして、屋敷で一番広いのだが、ほとんど私物がない生活感のない部屋だった。
結婚して半年だが、この部屋には一歩たりとも入ったことはなかった。
「本人同様なんてつまらん部屋だ」
思いっきり呟いたところで、その部屋の主はいないのだから、構わなかった。
さっきまで確かに屋敷にいたようだったが、忽然といなくなった。
ヴィルゼルの話だと、賊が国境付近で捕まったようなので、外出したとのことだった。
帰ってきたと思ったら、もういない。忙しい男だ、と思うが、いない方が好都合のカデナだった。
「つっ」
突然手首がズキリと痛み、カデナは身を竦ませた。
手首の痛みと同じくらい、自分の身に起きたことに心が痛んだ。
既に子を持つ身として、体を合わせることに恥じらいがある訳ではない。
理想も特になかった。
それでも。
あのように無理やりな行為には、体も心もついていかない。
自分は、元々、その手の欲求に希薄なことぐらいは気づいていた。
ミランと結婚したのだって、彼女が積極的だったからだ。
それでも結婚後は、自分に主導権があったから、希薄な欲求を誤魔化してこれた。
だが、今の状況は・・・。
カデナの目からしてみれば、イリアスは、騎士の先頭に立つ立場故か完全な『男』だった。
同性婚が有りのこの国に生きている以上、どちらの立場に成り得るにも関わらず、イリアスからは、男の匂いしかしない。
水色の、無駄に美しい瞳は、常に静かに見えるのだが、どこか秘めた情熱をたたえているような気がしてカデナは不気味に思えてならない。
それに、別に自分はイリアスを抱きたい訳ではなく。そうではなく。
「嫌いなんだよ・・・」
要するにカデナは他人と密着するのが好きではないのだ。
適度な距離感が心地良い。そう感じる人間なのだ。
「イリアスなど、国境付近で賊に返り討ちにあって死んでればよい」
本心ではない言葉を吐きながら、カデナは、どでかいベッドの上に置いてあったクッションをヒステリックに投げつけた。
姉の男だった男。今でもきっと、姉を好きな男。平気で俺に姉を重ねて愛そうとしている男。
「気にくわぬっ」
ボン、ボン、ボンと、カデナはクッションを次々と放り投げた。
「一体幾つあるのだ、クッションは」
7個はぶん投げてから、カデナは叫んで、バフッとベッドに倒れ込んだ。
手首が痛い・・・。
自業自得なカデナは、自分の両手首に巻かれた包帯を交互に見やリ、溜息をついた。
手首の傷を自覚すると、体がふわりと熱くなった。今朝から、もう何度も。
なんなのだ、俺のこの体は・・・。
もてあまし、カデナは仕方なく目を閉じた。
開け放たれた大きな窓から風が流れ、庭から、ダイアナとクリスティンの笑い声が聞こえた。
その声をぼんやりと耳で受け止めながら、カデナはそのまま眠ってしまったのだった。
続く