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僅かばかりの騎士達と一緒に、獣道を進む。
「カデナ様、足元気をつけてくださいませ」
「足元より、そなたらが手に持っている剣のが物騒で怖い」
イリアスは、手にした剣をギラリと光らせながら、振り返った。
「なにかおっしゃいましたか」
「・・・なんでもないっ」
完全にルナのペースで、結局は有無も言えずに馬車に放り込まれ、ここまで連れてこられた。
カデナは不機嫌だった。昔から、姉のあの強引さにはうんざりしていた。
「見えました、イリアス様。あれなる建物が目的地かと」
イリアスの部下の騎士が報告する。
「そうだな。やれやれ、ようやく着いたか」
足元は泥にまみれ、一行はよれよれだ。馬車から降りて、ずっと獣道を歩かされていた。
「やや、イリアス様。あそこに煙がたっております」
「本当だ。なんだろうか」
イリアスを筆頭に騎士達がざわめき出す。建物の手前で、煙がたっている。
「賊か」
グッと騎士達は剣を構える。
「いや、わからぬ。もう少し近くにいかねば」
ざわめく騎士達に、カナデはボソリと言った。
「案ずるな。あれは、湯気だ。温泉からのぼる、な」
「オンセン!?」
カデナがまだ幼い頃、姉や母と一緒に、この温泉に浸かったことがある。
なんでも美容に良いのだの、健康に良いだの、とか。
「オンセンとはなんですか、カデナ様」
イリアスは、怪訝な顔をしていた。
「勝手に湧き出てるいるらしい、お湯だ。簡単に言うと、外で入る風呂のことだ」
「外で入る風呂!?」
訳がわからない無骨な騎士達。キョトンとしている。
「それは安全なものなのですか?」
キュッとイリアスの眉が険しくなる。
「安全でない所へ新婚旅行なんか来るか」
アホらしい。意外とこいつバカだな、とカデナは思う。
「それは確かにそうですね。失礼しました」
カデナの内心を知らず、ケロッとイリアスは答えた。
頭が、安全か安全じゃないかを、職業柄即座に考えるようだ。
冷静になれば、状況をすぐに理解するらしい。
「とは言え、みなの者。注意を怠らないように」
イリアスの指示に部下達は頷く。
「しかし、なんとまあ、王族の所有物にしてはかなりの小規模で・・・」
どう表現しても、城や屋敷とは言い難い。一階建てのかなりこじんまりとした家だった。
「そりゃそうだろ。その昔、おばあさまが、ここいらの住民に無理を言い、温泉ごと譲ってもらったらしい。
ここは元々この土地の住民のだったらしいからな。王家のものではない」
「は、なるほど」
「美容の為だかなんだか知らんが、くだらない。無駄な散財をするものだ。民の血税をなんだと思っているのか」
冷やかにカデナは言った。
当時者のアルティマがいないから言えることだが、居たところで、この元王子は平然と言い放ったに違いない。
「まったくでございます」
いないから言えるのは、イリアスである。
「おお、イリアス様。小規模ながらも、見事な景色でございます」
騎士の一人が声をあげた。
美しい水色の水から、白い湯気がのぼっては消え、その背後には鮮やかな金色の建物が見えた。
「確かに美しい色合いだな」
イリアスも目を細めた。
「そなたの瞳の色のようだな」
「は?」
カデナは、イリアスの瞳を指差した。目と目が合う。
「そなたの瞳の色だ。青ではなく、水色」
「あ、ああ。そ、そうですね。では、あの建物はカデナ様の髪の色・・・」
「・・・似た色探しではないのだが。ほら、入口はあそこだ」
カデナは呆れたように言うと、さっさと先を歩いていった。
クスクスと他の騎士達から小さな笑いが起こった。
キッと、イリアスがそれらの騎士を睨むと、笑った騎士達はコソッと俯いた。
「・・・」
急に話しかけられて、珍しくしっかりと目が合いびっくりした・・・いうのが、
イリアスの本音であり、その結果とんちんかんなことを言ってしまったのだ。
イリアスは室内を一通り見回ってから、困っていた。
恐ろしいことに、この建物は想像以上に狭く、元の持ち主はここで住んでいた訳ではなさそうだ。
あくまでも温泉につかりにきて、少し寛いで、それから家に帰る・・・だけの為に使っていたようだ。
それでも一応新婚旅行に使われるので、事前に清掃や準備の者は来ていたようで、ところどころに
美しい花々が生けられていた。それ自体は大変美しい室内ではあるのだが。
「部屋が一つしかない。困りましたね」
ウーンとイリアスは顎を撫でた。
「なにを困る?」
「なにが困るんですか?」
カデナと部下の両方に言われて、イリアスは二人を振り返った。
「部屋が一つしかないこと・・・ですが」
「別に困りはしませんでしょう。お二人はお部屋が使われ、我々護衛の者どもは、廊下にでも寝ますので」
若い騎士はにっこりと、それ当然とばかりに言った。うんうんと他の騎士達も頷いた。
「冗談じゃない!!」
カデナとイリアスは同時に叫んだ。その二人の迫力に、若い騎士はヒッと後ずさった。
「なんで私が、イリアスと一緒に寝なければならぬ。イリアスも廊下で寝ればよいのだ」
「・・・やや心外な言われようですが、まあ、それが良いですね」
イリアスは苦笑しつつ言った。
「なぜですか。お二人はご夫婦であられるのに、どうしてご一緒に寝室を使われないのですか」
無邪気な若い騎士の問いに、その場が、シーン・・・となった。
「イリアス様が廊下で寝られるなどと。イリアス様ほどの高貴な騎士が我々と廊下で雑魚寝など信じられませんっ」
ゴホンゴホンとベテランの騎士達が咳払いをするが、若い騎士の疑問は止まらない。
「是非、ご一緒にお部屋を使ってくださいませっっ」
ベテランの騎士達は、わかっている。
イリアスとカデナが、政略結婚で、二人の間に流れる微妙な空気を。
愛しあって結婚した訳でもなんでもないのだから、じょじょに互いのことを理解しながら、歩み寄っていく・・・というもどかしい時間を通過中の二人であることを。
だが若い騎士にはそこらの空気を読み取ることは出来ない。
「そのように力説されても、不可能なことは、不可能だ」
つんつーん。カデナはなんの説明もなく、ただ騎士の意見を却下する。
「そんな!イリアス様」
子犬のような瞳で部下に見つめられても、どうにもならない。少なくとも今は、カデナの意見が絶対だ。
天下の王家の意見に逆らうことが出来ないのは、イリアスの中に脈々と流れる血のせいだ。
「私の心配をしてくれるのはありがたいが、私とて騎士の訓練を受けた者。なに、雑魚寝ぐらい大したことはない」
ポンッ、と若い騎士の頭を、イリアスは撫でた。
「すまんな。気を使わせて・・・」
イリアスは、この若い騎士が、とても可愛く思えた。
「ちょっと待て。この空気。なんか私が絶対的に悪者な雰囲気ではないか。まるで私が駄々をこねてるかの如く」
おさまりかけたところに、カデナが割り込んできた。
再びその場が静まり返る。
誰しもの胸の中に『図星』の単語がピカピカと光っているに違いない。
「言っておくが。同じ部屋がイヤなのは、イリアスも同じなのだからな。誤解なきように。なあ、イリアス」
きっぱりとカデナが言った。そのあまりの自信満々な言い方に、イリアスはムッとした。
どういう訳か、むくむくと意地悪心が芽生えた。
「いえ。わたくしは、カデナ様と同室でも構いません。夫婦ですし」
シレッと言ってみた。
「えっ」
翠の瞳が、驚きに見開かれた。バサッと音でもしそうな勢いで睫毛が伏せられ、カデナは瞬きをする。
「おまえ、さっき、冗談じゃないと言ったではないか。困る、とも」
「言いましたよ。部下達が寝る場所がない、から困るとね。部下達を放っておいて、二人だけでぬくぬくと寝るとは冗談じゃない、と」
「なっ・・・」
あんぐりと呆れるカデナ。イリアスが困っていたのは、冗談じゃないと言ったのは、明らかにそんな理由ではない。
カデナと同じ気持ちなのは、ベテランの騎士達も同じである。上官であるイリアスの態度にハラハラしていた。
そんな彼らを尻目に、イリアスは一人飄々としており、心の中では、さあ、困れ。困りやがれ!と舌を出していた。
「なるほど。では、よいだろう。そなたらには申し訳ないが、夫婦で寝室を使わせていただく。なあ、イリアス」
ニッコリと微笑み、肩にかかる金色の髪を優雅に振り払いながら、カデナはイリアスをジッと見つめた。
「あ、はい。そうですね。そのようにさせていただきましょう」
落ち着いて答えつつ、イリアスは心の中で舌打ちしていた。
「決まりだ。そなたら、悪いが私の荷物を部屋に運んでくれ」
騎士らに命令すると、さっさとカデナは踵を返した。
『きっちり返されたか。つまらん・・・』
イリアスは、肩をすくめた。
「イリアス様。おふざけが過ぎます。ハラハラいたしました」
ベテランの騎士、部下のアルオーズがイリアスにそっと耳打ちした。
フンッとイリアスは鼻を鳴らす。
「なかなか骨がありそうな方だな。カデナ様は」
「ご機嫌を悪くしたからと言って、王族相手にあまりいつものペースでは・・・」
「ご機嫌を悪くした?誰が」
「イリアス様ですよ」
「なんで」
「は?カデナ様に同室を拒まれたからではないのですか?」
「そうなのか?」
「知りませんよ。私はそう思っただけですから」
そう言って、そそくさとアルオーズはイリアスの傍を離れていった。
「そうなのか?」
もう一度呟き、イリアスは銀髪を掻きあげた。



寝室の一角から、温泉に直接入れるようになっていた。近寄ってみると、湯気は遠目から見たよりも激しい。
「思った以上に熱くはない筈・・・」
言いながらカデナは、恥じらうこともなく衣服を脱ぎ棄て全裸になり、数歩歩いてためらわずに温泉に身を沈めた。
「もう少し警戒なさった方が・・・」
手すりに身を寄せて、温泉をぼんやり眺めていたイリアスが、カデナに声をかけた。
「そなたらが先にすべてを調べている筈であろうからな」
「確かにそうではありますが」
「記憶にたがわず、ぬるい湯だ」
ばしゃん、と湯を指で弾いて、カデナは呟いた。
「お疲れの身には心地良いのではありませんか」
「そなたも入ればよい」
「私はのちほど・・・。王子があがられるまで、見張っております」
王族と一緒に風呂など、落ち着かないことこの上ない。あとで、部下達と一緒に入るつもりのイリアスだった。
「そこでジッと眺められていても、あまり気分がよくないのだが」
「ご安心ください。湯気でほとんどなにも見えません」
「なにも見えないならば、見張りにはならんと思うが。思うに、そなたは見た目よりぬけているな」
「相手の言葉を、そのまま受け取りすぎるのもどうかと思いますが。貴方は見た目よりお子様でいらっしゃる」
「つまりは丸見えということか」
「はい」
「ヘンタイ。ボーッと見られているのなんか、気持ち悪い!」
バシャーンッと湯がイリアスに向かって、飛んでくる。
「申し訳ありません」
廊下に向かって「温泉に見張りを」とイリアスは叫んでから、自分も衣服を脱いだ。
「それでは、失礼致します」
「勝手にどうぞ」
微妙に距離を置いて、二人は湯に身を沈めていた。しばしの沈黙の後、
「そなた、泳げるか?」
カデナが、イリアスに問う。
「はい。騎士になるには、泳ぎも達者ではないといけませんので」
「そうか。私は泳げぬ・・・。なあ、知っているか。ファーシナには底なし沼があるのだぞ。あの沼にはまれば、どんな泳ぎの達者なものでも駄目だそうだ」
「それは随分と物騒な沼があるのですね」
「そなたら屈強な騎士でも、やはり無理なのであろうか」
「さあ・・・。いつか機会があれば、やってみましょうか?!」
「自信があるのか」
「ある訳ありません」
フッ、とカデナが笑った。
「面白いヤツだ。会話にならん」
クククと、カデナが肩を震わせて笑う。
「お珍しい。お笑いになられることがあるのですね」
自分を棚にあげて、イリアスは言った。
「あるよ。面白いことがあれば、ね」
そっけなく言って、ザバッとカデナは立ちあがった。
「ああ笑った。では、お先に」
「お待ちを」
「なに?」
イリアスの制止にカデナは振り返った。
「その背の傷は・・・」
カデナの背には、むごたらしい傷跡が残っていた。白い背を引き裂かれた・・・。
「これは、ミランの事件の時に、犯人にやられた傷さ」
そうだ。確かに。あの時王子は、皇太子妃を守る為に、犯人の前に身を差し出したのだ。
あの事件は、騎士の歴史が始まって以来の惨事だった。
ルナ王女との関係を隠す為、イリアスは僻地に左遷されていたが、当時の様子を友人のアスクルから聞いていた。
彼は今でも、騎士のプライドをへし折られたと嘆く。
鉄壁であった筈の王宮の警護をすりぬけ、賊は侵入したのだ。
そして、他国からの花嫁、皇太子妃のミラン王女を予定通りやすやすと殺していった。
隣国ファーシナーからの抗議と嘆きは、妻の為に大けがを負い、三日三晩死の淵をさまよった王子の存在を示してもおさまることはなかった。
王子の背の傷は、騎士達が、自分の任務を全う出来なかった証。騎士は、王女と王子を守れなかったのだ。
カデナは、その背に、騎士の後悔を背負って生きている。
「申し訳ございません。私達騎士は王子と王女をお守り出来なかった・・・」
「おまえは、あの時、王宮にはいなかっただろう」
「それでも、騎士としてのふがいなさを痛感致します」
一瞬の沈黙のあと、カデナは言った。
「私はふがいなくて妻を守れなかったが、おまえは私を守ってくれるだろう?!」
「勿論でございます。貴方は、我が王より託された大切な私の・・・妻でございますから」
イリアスは立ちあがりながら、ゆっくりとカデナの背にむかって言った。
「おまえ、不運だな。私などをもらって。きっと、命がいくつあっても、足らんぞ」
なんの感情も乗せず、カデナは言うと、やはり体を隠そうともせずに護衛の騎士の前を通り抜け、部屋へと戻っていった。
静寂の中、イリアスは再び湯に浸かり、風の音を目を閉じて聞いていた。


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