Destiny

「ええっ。では、華王宮を出て良いのですね」
イリアスは、結婚式の翌日、初めて王より謁見の間において、具体的な将来のことを告げられた。
「 カデナは、王子という座を離れたから、もうこの王宮にいなければならないという決まりはないからな。
そなたの家で養ってやってくれ。しかしもし、エミール王子の身に何かがあったらカデナが復位するから、
そのつもりで。そなたの家には、常に見張りの兵を何人か置くことは承諾してくれ」
王の言葉を聞き、イリアスはゆっくりとうなづいた。
「かしこまりました。自宅に戻れるのは、ありがたいことです。では、ダイアナと一緒に、暮らしてよいのですね」
イリアスにとって、王から告げられたこの事実は、本当に喜ばしいことだった。思わず顔が綻ぶ。
「そなたの娘だ。離れて暮らすのはおかしいであろう」
そんなイリアスに気づき、王もにっこりと微笑んだ。
「情け深いお言葉、ありがとうございます」
王はウムとうなづいた。
「カデナは生まれてこのかた王宮から出たことがない。なにかと迷惑をかけることもあると思うが末永くよろしく頼む」
「は、はい」
こちらの方は、なかなかに微妙なことではあるが、了承しないわけにはいかなかった。
「そなたもくれぐれも自身を大切にな。ミレンダのようなことはあってはならぬ。まあ、そなたのことだ、心配はないとは思うがな」
やや顔色を曇らせながら、王が言う。
「十分気をつけます。ご配慮ありがとうございます」
「それでは、もう良い」
謁見が終わって、イリアスが謁見の間から出てくると、ルナ王女が走り寄ってきた。
「華王宮を出るんですってね。なんでも、カデナの希望とか」
「は?そうなんですか。知りませんでした」
イリアスにとって、ここ最近のことは、わからないことや知らないことばかりなのだ。
「寂しくなるわね。でも、貴方には王宮でも会えるし。ところで、旅行の件なんだけど王からお許しが出たので早速支度して頂戴」
イリアスは眉を寄せた。
「ルナ様。あの、旅行など…。私は早く仕事に就きたいのですが」
只でさえ、王宮を離れて久しいのだ。勘を取り戻すためには一刻も早く任務に就かなければならない。
「そんなのどうでもいいわよ。貴方の仕事はカデナのお守りだわ。とにかく、いい旅行先を見つけたの。絶対お奨めよ」
フワリとルナの香水が漂ってきた。イリアスはドキリとした。
「ね。とってもいい旅になる筈よ」
ルナ間近に迫られて、イリアスは思わずうなづいていた。


帰宅するとカデナは不満顔だった。イリアスが新婚旅行を断れなかったせいだ。
「おまえ、姉上には断るって言っていたじゃないか」
「し、仕方ないじゃないですか。断れない状況になったんですよ」
あんな間近に迫られて、きっぱりとした態度など取れないと、イリアスは冷や汗を拭う。
「どうせ、色じかけで迫られでもしたんだろ。いいかげんにあんな女のことなんて見限ればいいのに」
ギクリ、とイリアスは図星の為に体を固くしたが、後半のカデナの言葉は聞き捨てならなかった。
「私のことは幾らでも悪く言ってもかまいません。けれど、姉上のことをそんなふうに言うのは良くないですよ。カデナ様」
カデナの翠の瞳が見開かれる。
「どれだけ目出度く出来てるんだ。おまえの頭」
ボソリとカデナが言った。そして、荷物をつめたカバンを放り投げた。
「準備終わり」
「え、そんなに少ないんですか」
カデナの荷物は信じられないくらい小さい。
「なんだかんだ言って、おまえ楽しみなんだろ。なんで、そんなにデカイ荷物なんて持っていかなきゃならないんだ」
「用心を重ねて、色々…」
比べてみると、同じ所へ旅行する者同志のカバンの大きさではなかった。
「女じゃあるまいし。まさかその中にドレスが何着も入っているんじゃないだろうな」
フフンとカデナが鼻で笑う。
「私がドレス?冗談を。ドレスがお似合いなのはそちらでしょう」
バチバチと2人の間に、火花が散る。
「ところで行き先は?どんな悪趣味なところなんだ」
はあ、とため息をくわえながら、カデナが聞いた。
「知りません。ただ、ルナ様は、ローズカリーナとカデナ様に言えばわかると」
するとカデナはダラダラしていたソファから起きあがった。
「ローズカリーナだと?信じられない」
カデナはうめいた。
「ど、どんなところなんです」
思わずイリアスも身構える。
「温泉」
短くカデナが言った。
「温泉?あの、風呂が外にあるって言う?」
イリアスは、温泉の存在を知っていたものの、行ったことはなかった。
「無人島のジャングルの中にある。奇妙な風呂で、湯の色がピンクなんだ。美容にいいとかで母上やおばあ様達はよく出かけていったらしい」
「美容にいいのはどうでもいいけど、外に風呂があるって言うのは楽しいですね。どんなところだろう」
イリアスは急に楽しみになってきた。
「なんだか楽しそうじゃないですか。ねえ、カデナ様」
「幸せな人間だな。ホント、意外だよ」
カデナはヤレヤレと肩を竦めた。
氷の騎士などというあだ名は誰がつけたのか・・・。
てか、コイツ、完ぺきな二重人格者では?ともこっそりカデナは思っていた。
「ダイアナも連れていってやりたいなぁ」
イリアスが言うと、カデナはうなづいた。
「いい考えだな。彼女も連れて行こう」
「え?良いのですか?」
「おまえと2人で旅行なんて行ってもつまらん」
カデナはそう言って、廊下にいる騎士にその旨を王に伝言するように、頼んでいた。


イリアスとカデナは娘を連れて新婚旅行に出かけた。
「こ、これは獣道ですよ。カデナ様。いてっ」
バシッと大ぶりの枝がイリアスの顔面を直撃した。
「気をつけろ。獣道ったって、ここには危険な動物はいない。そんなことは調査済みだ。 安心しろ。ダイアナ、足元気をつけて」
カデナが先を行くダイアナに注意した。
「はいっ」
元気のいい返事が返ってくる。
「おまえの娘の方がよっぽど度胸がいい」
そんな皮肉をイリアスは無視した。
「…しかし、こんな道をよく母上様方は、歩いて行かれましたね」
「女は美容の為なら、どんなことでもするらしいぞ。姉上がいい例ではないか」
「ま、まだですか?なんか、妙に足元が滑るんですが」
「だらしないな。最近雨が大量に降ったらしいから、ぬかるんでいる」
ダイアナ、カデナ、イリアスという順番に歩いているのが、カデナにはどうも不安になってきた。
「おい。イリアス、おまえが先頭に」
言いかけた時、カデナは全てが遅かったことに気づいた。
「どわぁぁぁ」
奇妙な雄たけびと共に、大男のイリアスが斜面を滑ってきたのだ。
「ちょっ」
ちょっと待て、と言えず、言えたところで待てるはずもないが、カデナはイリアスの巻き添えをくらい滑った。
「ダイアナ」
カデナとイリアスは同時に叫んだ。振り返る、ダイアナ。彼女は俊敏だった。
ヒョイと横に避けて、巻き添えをくらうのを避けた。イリアスとカデナはゴロゴロと斜面を転がった。
「お父様、カデナお兄ちゃま」
ダイアナの声が静かな無人島のジャングルにこだました。
「うわぁぁぁ」
イリアスは絶叫した。
次の瞬間、二人の体はポーンッと空中に放り出された。
「!」
ドボーンッという大きな音と共に、二人は水の中に突っ込んだ。ピンク色の水の中に…。
「ブハッ。なんだ、これ」
イリアスが先に水面から顔を出した。
「は、カデナ王子。じゃない、カデナ様っっ」
イリアスが辺りを見まわすと、カデナは少し後ろの方に浮かんでいた。
「ダイアナ。ジャンプしろ」
そう言ってカデナは手を広げた。
ダイアナは木の枝に捕まってカデナの斜め上の崖に立っていた。
「はい。お兄ちゃま」
エイッとダイアナは空中にダイビングした。
「うわっ」
イリアスは目を瞑った。
バシャーンという音ともに、ダイアナが歓声を上げる。
「あったかぁい」
しっかりカデナにキャッチされて、ダイアナはキャッキャッとはしゃいでいる。
「これが、温泉ですか」
「おまえのせいで、だいぶ荒っぽい入浴になったけどな」
カデナが濡れた前髪をダイアナを支えていない方の手で掻きあげた。
「へえええ。気持ちいいですね」
「反省してないな」
カデナがイリアスを睨んだ。
「これが温泉ですか。こりゃ気持ちいい」
娘同様父親も、はじめて入る温泉に、はしゃいでいる。カデナの皮肉も右から左だった。
「ダイアナ、おいで」
カデナからダイアナを譲りうけて、イリアスは娘を胸に抱きしめた。
「ダイアナ。気持ちいいな。これが温泉って言うんだぞ。美容にいいから、おまえも美人になりたかったら、よく暖まれ」
「美人って、なあに。お父様」
無邪気にダイアナは問い掛ける。
「ルナお姉ちゃまみたいな人のことだよ。綺麗な人のことを言うんだ」
するとダイアナはキョトンとした。
「ルナお姉ちゃまより、カデナお兄ちゃまのが綺麗よ。じゃあ、お兄ちゃまは美人なのね」
イリアスは絶句した。思わずカデナを振り返ってしまう。カデナは涼しい顔をして、無視を決め込んでいる。
「あ、ああ。そうだな。カデナ様も、びっ、びっ、美人だな」
一応は姉弟だし、似てるし、まあ、綺麗であることには間違いない。引き攣りながらイリアスが言うと、ダイアナはうなづいた。
カデナは湯船の中に顔を突っ込んでいた。湯から出ている肩を見る限りではどうやら彼は笑っているらしい。
イリアスは恥ずかしさに、カデナから目を反らした。


夕焼けが真っ赤に空を焦がしていく。イリアスはバルコニーでそれを眺めていた。
信じられないくらいの美しさだった。下を見ると、温泉でカデナとダイアナが遊んでいる。
見かけによらずカデナは子煩悩らしくダイアナと気が合っているようだった。
「どうですか。湯加減は」
「いいぞ」
カデナは上を見上げて言った。
「お父様もおいでよ」
ダイアナが手招きする。
「私はもういい。湯当たりしてしまう。カデナ様も、そろそろあがられたらどうですか」
さっきからずっとお湯の中の二人だ。ふやけてしまうのではないかと心配だった。
「イリアス。おまえ、そこから飛び降りてみろ。最後に沈んで体を暖めておくといいぞ。俺達ももう上がるから」
言われてみると、それもいいかもしれないと思った。今日は温泉は終わりだ。最後に沈んでおくのもいいかもしれない。
「わかりました。今1階に行きます」
「何面倒くさいこと言ってる。飛び降りろ」
カデナが無茶なことを言っている。
ここは、温泉の上に張り出したように造られたバルコニーだから、確かにこのまま飛び降りたらばすぐに温泉の中に飛びこむことになる。
しかし、かなり高さがある。
「じょ、冗談じゃないですよ。高いんですよ。それに服を着たまま飛び込めと?」
カデナは指差した。そこは、午前中に転がり落ちた崖の側面だった。
「ここから飛びこんだヤツが何を言う。死にはしない。ダイアナだって飛び降りたんだぞ。服なぞあとで着替えれば良いではないか」
「そうよ。気持ちよかったわ。フワッと浮いて、バシャンって落ちるの」
ダイアナは手を振っている。
「心配なら、俺が受け止めるやるぞ」
カデナの皮肉に、イリアスはムッとした。
挑発されると、つい乗ってしまうのは自分の悪い癖だった。
「っかりました。今、行きます」
イリアスはバルコニーの手摺に攀じ登り、そのままためらいもなくダイブした。
ものすごい水飛沫にダイアナが歓声をあげた。
「さすがは宮殿一の勇敢な騎士だな」
カデナがニヤニヤしている。
「なんていうことはありませんでしたね。飛んでみたら」
「良く言う。飛び降りる前のおまえの顔ったらば」
「なら、明日はカデナ様が飛んでごらんなさい」
「言ったな。受けて立とう。俺は、高いところは全然平気なんだ」
平然とカデナは言った。
「お父様」
ダイアナがバシャバシャと泳いでくる。
「とっても気持ちいいね。これならば、ダイアナは美人になれそうです」
流暢にダイアナは言った。
「頑張れよ」
愛娘に頬ずりしてイリアスはうなづいた。
「今でも十分可愛いが、もっともっと美人になれよ。ダイアナ」
「親バカ」
カデナの独り言が耳についた。
「すみませんねっ。親バカで」
「あ、聞こえたか」
「聞こえますよ。でかい声で言って…」
言いかけてイリアスはハッとした。
カデナは自分の息子に会うことすら許されないのだ。ましてや、こうして一緒に寛ぐことなど出来ない。
王子は、両親からも身内からも隔離され、厳格な教育者達に養育される。
雪王宮という、王宮の一番美しい場所だ。カデナは、子供が10才になるまで会うことを許されない。
これはしきたりで、彼自身もそうやって育ったのだ。
「あ、あの。私は、その…」
カデナは1階のバルコニーに辿り着いたらしく、ザバッと湯を体から落としながら上がっていった。
その白い背には、むごたらしい傷が斜めについていた。
彼が妻ミレンダを守るために負った傷だろう。かなりの深手だったようだった。クルリとカデナが振り返る。
全裸のカデナは体を隠そうともせずに、バルコニーの縁に腰掛けた。
手すりでなく、1階はバルコニーから湯に入れるようになっているので、空間がある。
カデナはそこに腰掛けながらタオルで体をぬぐっている。
「こういう温泉は、俺のこの背中の傷にもいいそうだ。姉上が言っていた。確かに寒い日はまだ時々痛むんだ」
背中への視線に気づいていたのか、カデナは言った。イリアスはダイアナを抱えながらバルコニーまで泳いだ。
「痛いの、痛いの?カデナお兄ちゃま。すごい傷よ」
ダイアナが湯から上がると、カデナに走り寄った。
「痛くないよ。大丈夫だ」
カデナは金色の髪を掻きあげた。
「この機会にあたたまっていったほうがいいですね」
イリアスにはそう言うしかなかった。
彼とミレンダの結婚には色々な噂があった。
だが、案外彼も妻を心から愛していたのかもしれない。でなければ、こんな傷など負う筈もない。
「イリアス。おまえはヘマしないでくれよ。俺は、これ以上傷を増やしたくないからな。この背の傷がバッテンになったら洒落にならん」
「大丈夫ですよ。私が死ぬときは、貴方も死ぬ時ですから。私を殺すことが出来るような強者には、貴方だって勝てないでしょ」
「一体なにが大丈夫なんだ」
カデナが憮然としている。
その表情を見て、確かに妙なことを言ってしまったなと、イリアスは反省した。
「とにかく。大丈夫ですよ。貴方は私が守りますから」
なんだか、恥ずかしい。イリアスは慌ててカデナから顔を反らした。
「さ、ダイアナ。早く着替えなさい。風邪ひくぞ」
ダイアナも裸のまま、キャッキャッと走りまわっている。
「貴方も。そんな格好だと、冷えますよ」
「おまえもな」
カデナはそう言うと、さっさと部屋へ引き上げて行った。
「…」
その背を見送ったが、カデナの背の傷は長い金髪にかくれてもう見えなかった。


こんな所にも、勿論世話役はついてくる。
といっても必要以上に干渉してくるわけではなく、寝室の用意や、食事の用意だ。
あとは、いかつい護衛の騎士達だ。
夜間は彼らに湯に入ることを許可して、カデナとイリアスはダイアナを囲んで寝室に引き上げていた。
「おっきなお星さま、いっぱい」
ダイアナがバルコニーではしゃいでいる。
「ダイアナ、あまり乗り出すんじゃないぞ。落ちるよ」
「お父様。見て」
輝く星空。見事だった。
「綺麗だなあ」
思わずイリアスも空を見上げた。カデナはもうベットで寝ている。
「カデナお兄ちゃま」
ダイアナはカデナを呼びに行こうとした。
「駄目だよ。ダイアナ。カデナ様はもう寝てる」
「じゃあ、ダイアナも寝る」
薄情な娘は、さっさと父親をおいて寝室へと行ってしまった。
「お、おい。お父様と星を見るんじゃなかったのか」
イリアスは少し寂しかった。
しかし、ダイアナがカデナになつくのはいいことだと思って諦めた。
「ダイアナ。カデナお兄ちゃまはもう寝てるんだよ。お父様とあっちで寝ようね」
「なんで。嫌よ。お兄ちゃまと寝る」
ダイアナは愚図った。
「そういうわけにはいかないよ。明日の朝にはまた会えるじゃないか」
「嫌よ、嫌よ。一緒に寝る」
困ったもんだ。寝室は別に用意させたのだ。
「うん…」
カデナは、枕元でギャアギャア騒ぐ親子の声で目を覚ました。
「なんだ。どーした」
フラフラとカデナは上半身を起こした。
「一緒に寝るの」
ダイアナがカデナの横に潜りこんだ。
「ああ、いいよ」
カデナがうなづく。
「じゃあ、私は一体」
「一人で寝れば」
カデナは冷たく言った。
「そ、そうですね。それじゃ」
なんと寂しい事態だ。娘にまで見放された。イリアスがガックリ肩を落とした。
「お父様もご一緒しましょう。こんな広いベットですもの。ね、お兄ちゃま」
ダイアナの提案にカデナは眉を寄せた。
「イリアスみたいな大男が一緒に寝たら、俺がベットから落ちる」
「失礼な。そんな巨体じゃありませんよ」
プンプンとイリアスが怒る。
「仕方ないな。おまえもいいぞ」
カデナはイリアスを手招く。
「え、でも」
別にためらう理由もないが、なんとなくためらった。
その様子を見て、カデナが眉を寄せた。
「ひょっとしておまえ、俺を襲う予定でもあるのか」
カデナがとんでもないことを言い出す。
「なっ。そんな予定はどっこにもありませんよっ。ええ、今日だろうと明日だろうと、明後日だろうとありませんね」
言いきってイリアスはハッとした。
「襲うってなあに」
ダイアナが無邪気に聞いてくる。
「それは」
カデナが真面目に説明しようとしたので、イリアスは慌ててベットに飛びこんだ。
「ダイアナ。なんでもないんだ。さあ、一緒に寝よう」
「わーい。お父様が二人いるみたいよ。素敵だわ」
ダイアナはすっかり誤魔化されてくれた。イリアスとカデナに挟まれてご満悦だ。
宮中の女性が見たら嫉妬で殺されそうな光景だった。
「お休み、ダイアナ」
イリアスは彼女の頬にキスした。カデナも続いて彼女にキスした。
「お休み」
横になろうとしたとき、ダイアナが不満を言った。
「お父様とカデナお兄ちゃまが、まだよ」
「えっ」
「だって、いつもお父様と、モニカはしているじゃない」
モニカとは、イリアスの家のたった一人の女官だった。よく働く子で、えくぼの可愛い娘だった。
「あ、それは…」
確かにしている。イリアスとモニカはそういう関係だった。
ルナとの関係が破綻してからは、一気にそういう事態になだれこんだ。
モニカが自分を慕っていることを知っていたし、イリアスも彼女を憎くは思ってなかった。
ただ、そこには純然たる恋愛感情はなかった。少なくともイリアスには。
都合のいい女になることを、モニカは知っていて拒まなかったのだ。
「ほお。おまえ、あの女官とそういう仲だったのか」
「え、ええ。まあ…」
否定しておくと後ほど厄介なことになると思い、イリアスはうなづいた。
「思ったより、姉上に傾倒していたんじゃなかったんだな」
「不純ですか」
イリアスの問いに、カデナはフンッと鼻で笑ってみせた。
「いや。安心してる。姉上にのめっているより、健全だよ」
カデナのルナ嫌いには、深い根がありそうだ、とイリアスはふと思った。
「なにをゴチャゴチャ言ってるの。早くしてよ」
そんなに気になるのだろうか。ダイアナはせかした。
「よ、よろしいでししょうか」
イリアスはカデナに聞いた。
「よろしくはないけど、仕方ないな」
ムスッとしつつも、カデナは了承した。
「では失礼します」
イリアスはカデナに軽くキスをした。
なんといっても、モニカとは頬でなく口でしているのだから、ダイアナは納得しないだろうと思い、あえて唇に。
カデナの唇は思ったより、熱かった。文句を言われるかと思ったが、意外にもカデナはなにも言わなかった。
「はい。お休みなさい。いい夢みれそう」
ダイアナはパフンとシーツに倒れこんだ。
「変わった娘だな」
カデナがまじまじとダイアナを見つめた。
「母親がいないことを納得させるには、色々言わなければならなくて。モニカにも協力してもらっているんです。寝る間際に仲良しのキスすれば、いい夢見れるよとか」
「単におまえが娘の目を気にせずにイチャつきたかっただけだろ」
「それはそうなんですが…。でも、そんなにイチャついてませんよ。彼女とはそんな熱烈な感情を交わしてないんです。ただ、私たちはある程度、大人の健康な男女であるわけで」
「ああ。どうでもいいよ。でも、これから毎晩おまえとキスするのは、嫌だな。俺としては悪い夢にうなされそうだ」
カデナはあっけらかんと言った。
「じゃあ、今度は殴り合えばいい夢見れるとでも言えって言うんですか」
「やだよ。おまえに殴られたんじゃ、夢みてるどこじゃなくなる」
冗談は止めてくれ、とカデナは眉を寄せた。
「では、カデナ様が考えて下さい」
「適当に納得させろ」
「定着してるから、無理ですよ。我慢してください」
カデナは少しむくれたようだったが、諦めたようで横になった。
「お休み」
「お休みなさい」
月明かりが、寝室を照らした。
イリアスはしばらく眠れなかったので、寝室を見まわした。目が慣れてくると、よく見えた。
ダイアナの寝顔、そして、カデナの寝顔。
ダイアナは、カデナの胸の中にチョコンと納まっている。イリアスには背を向けていた。
「幼くても、女だな。いい男になびくのは、女の習性か」
イリアスは苦笑した。カデナも安らかな寝息を立てて寝入っている。
印象的な翠の瞳は、閉じられていて長いまつげがそれらを縁取っている。
長い金色の髪がシーツに散らばっているのは、どことなく煽情的だった。
なにを考えているんだ、俺は。カデナの寝顔にルナを重ねたのか…。
イリアスは、慌てて上掛けに潜りこんだ。
そうこうしているうちに、眠りの女神がイリアスに安らかな眠りを与えてくれた。


朝。
目覚めると、カデナとダイアナはいなかった。イリアスがバルコニーに出ると、二人はもうピンクのお湯の中だった。
まったく、二人ともよくふやけないもんだとイリアスは感心してしまう。
イリアスに気づくと、ダイアナが手を振った。
またこうやって、一日が暮れて行くのかと、イリアスは伸びやかな気持ちになった。
あの結婚騒動からまだ少ししか立っていないというのに、我ながら現金なものだと思いつつ、それでも幸せな気分は打ち消せなかった。
あの日、思い切り泣いてふっきれたのか・・・。
穏やかな気持ち、娘の笑顔、カデナの素顔。
「イリアス、降りて来い」
カデナが叫んだ。
「次は、カデナ様の番ですよ。昨日約束したじゃないんですか」
「何言ってんだ。もうやったよ。ダイアナと二人でそこから飛びこんだんだ。おまえときたらグーグー寝ていて、あんな音にも起きなかったらしいな」
なんということだ。まったく気づかなかった。熟睡もいいところだったらしい。
「それじゃ、行きます」
イリアスは再びお湯の中に飛び込んだ。


続く

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