誓い
「ああ。もうお願い・・・。これ以上は無理、です・・・」
女の声。襖から途切れ途切れに聞こえる。
「無理な筈ねーじゃん。濡れ濡れだよ。すげえよな。さっきまで、旦那にあれだけやられていたのに、まだまだイケるじゃん」
「これ・・・。挿れても大丈夫なのか?恒彦」
「勿論さ。見てみろよ、信彦。おまえのアソコは濡れねえから、いっつも苦労すっけどよ。女っていうのは、ここが、ほら。快感感じると、自然に濡れるんだよ。だからな。この人、感じているんだよ」
「そうなんだ・・・。感じてる、んだ」
「遠慮するこたあねえぜ。旦那が公認で遊べって回してくれたんだからよ。これからは好きなだけこの女を犯すことが出来る。おまえ好みなんだろ。いつも、綺麗な人だよなって、感心したように眺めていたじゃないか」
「綺麗すぎて、なんだか怖いよ。人形みたいだ」
「いいから。ほら、早く。早く挿れちまえ。待ってるぞ」
「ダメよ、信彦さん。それだけはしないで。勘弁してください。私はもう限界です」
せっぱつまった女の声。そして、次に、バシッとむごたらしい音が響く。何度も、何度も。
「痛い。ぶたないで。お願い。好きにしていいから。お願いだから、ぶたないで」
涙声。反転して、喘ぎ声。夜の静寂に、いつまでも響いた。果てることなく・・・。
しばらくして、女は死んだ。自室で、首を吊って死んだのだ。
ブラブラと女の足が揺れている。異様な匂いが立ち込めている、狭い部屋。
「お母さん?」
再び、女の白い足に触れた。やはり、ゆらゆらと動く。
「お母さん。どうしたの?返事をしてよ、お母さん。お母さん」
「優ちゃん」
呼ばれて、優はハッとした。母が呼んでくれたかと思ったのだ。顔をあげて、母の顔を見た。そこには、苦悶の表情で、カッと目を見開いた母の顔が在る。
違う。今のは母の声ではない。優はゆっくりと振り返る。襖の向こうには、義政が立っていた。今、優の名を呼んだのは、義政だったのだ。
「なにしてんだ。優」
義政の後ろに、恒彦が立っていた。恒彦は、咥えていた煙草を、ポロリと落とした。
「・・・自殺しやがった・・・」
恒彦が、引き攣った声で呻いた。そして、すぐに廊下を走っていった。
「自殺って・・・。お母さん、死んじゃったの?」
義政は、タタタと走ってきて、優の手を引っ張った。
「ここにいちゃダメだよ。早く、こっち来て」
「でも。まだお母さんがああして・・・」
優は、天井からぶら下がったままの母をもう一度見上げた。
その瞬間だった。
「お母さんっ!」
やっと頭が、母の死を認識した。この部屋に入り、母のぶらさがった足を見、苦しそうな顔を見、部屋に立ち込める匂いを感じた時から。既に優は知っていたのだ。母が死んだということを。認めたくない事実が数分、優の脳の反応を遅らせていた。
「お母さんっ!お母さん、お母さんっっ!!」
溢れた涙をそのままに、優は義政の手を払いのけて、母の体に縋ろうとした。
「優ちゃん。ダメだよ。行かないで」
バッと義政は、優の体に飛びつくと、そのまま優を部屋から引っ張り出した。優は、そんな義政を振り払おうと、必死で体を動かして抵抗した。二人は、とうとう床に倒れこんでしまった。
「誰か来て。誰か来て。優ちゃんを、なんとかして」
義政の悲鳴に、使用人達が駆けつけた。
「優ちゃんのお母さんが死んだ。死んじゃったんだぁぁぁ」
ヒッと使用人達は声を洩らし、慌てて優の母、幸恵の部屋へと走っていく。
「なんてことだ・・・」
使用人達は、部屋の中を見て、血相を変えた。女の使用人など、口元を抑えて顔を顰めていた。それから、小田島邸は大混乱になった。
ひっそりと人目をはばかった葬式を終え、優は着せられていた黒のブレザーを脱いだ。
大人達が忙しく動き回っている。小田島邸の主、小田島公彦は、幸恵の棺に取り縋って、いつまでも動こうとはしなかった。そんな彼を、家族や部下達が遠巻きに眺めていた。信彦も、義政も、恒彦も、だ。
一人、その席を抜け出した優は、台所に向かう。台所では、一人の使用人が料理を作っていた。
「すみません。ナイフを貸してください。果物を切るので」
「まあ、優ちゃん・・・。果物ならば切ってあげるわよ」
「いいの。自分で切るから」
「お利巧ね。あんたは器用な子だからね。はい。気をつけてね」
果物ナイフを渡されて、優は「ありがとう」と小さく礼を言うと、台所を出た。
お母さんのあとについていかなきゃ。優はそう思って、ナイフをしっかり胸に抱えた。
さっき、恒彦さんは、言っていたもの・・・。
「お母さん。これからどうなっちゃうの?」
恒彦に聞くと、恒彦は相変わらず煙草を咥えたまま投げやりに答えた。
「死んだら、灰になるだけだ。おまえの母親はバカだ。犯されたぐらいで死んじまうなんて。小田島の妾になれるなんて、幸運なことだったのによ。これから幾らでも贅沢出来るっつー時に」
「灰って、なに。お母さんを燃やしちゃうの?ひどいよ」
「うるせえな。燃やすのは決まりなんだよ。ったく。泣きもしないで、可愛くねえガキだ」
バシッと恒彦は、優の頭を叩いた。
「兄さん。ひどいことをするな。この子は、泣きたくても泣けないんだよ。まだ状況がわかってないんだ」
傍にいた清人が、優の頭を撫でた。
「いいか、優。おまえの母さんは、これから灰になる。でも、意地悪じゃないんだよ。人は死んだら、必ず燃やされるんだ。そして、お母さんは天国にいくんだ」
「・・・うん。わかった」
コクッと優はうなづいた。
お母さんが燃やされて天国にいく。じゃあ、僕も早く死んでお母さんと一緒に天国へ行かなきゃ。だって、そうじゃなきゃ僕は一人ぼっちになってしまうから。お父さんには二度と会えないんだし。前にテレビで見たことがあるよ。死ぬ時はね。手首を切るんだって。血がいっぱい出て、そしたら僕は死ぬ。お母さんと一緒に天国へ行ける。
優は、小田島邸の数ある部屋の中で、誰も使っていない部屋にこっそりと忍び込んだ。そして、ナイフをギュッと握った。痛いかもしれない。ううん。きっと、痛い。でも、お母さんと一緒だから、いいや。大丈夫。早くしなきゃ。お母さんが待ってる。
「義政くん。さようなら」
優は呟いて、冷たい畳にペタリと座ると、ほとんど躊躇うことなく、ナイフを手首にあてて、思いっきり引いた。ビッと赤い血が飛んだのが見えた。
「血だ・・・」
他人事のように優は呟き、それからゆっくりと畳に横になった。
お母さん。待っててね。僕も一緒に行くから。待っててね・・・。
目を覚ました時は、病院だった。手首が包帯でぐるぐる巻きになっていた。ぼんやりと視線を巡らすと、すぐ傍に義政の顔があった。
「優ちゃん!なんで死のうとしたんだよ。ひどいよ。僕、一人ぼっちになっちゃうところだったよ」
うわああっと義政は泣いた。
「だって、僕。もう生きている理由ないよ・・・。お母さん死んじゃったもの。一人になってしまったもん」
「違う!そんなの、違うっ」
「義政。こら」
清人が、優の毛布に縋って泣き出した義政を、ヒョイッと抱えあげた。
「優。おまえの自殺は失敗だった。義政がね。おまえがいないことに気づいて、慌てておまえを探し出した。あんな使われてない部屋でこっそりおまえが手首を切ってるなんて誰も考えなかった。でも、義政は考えたんだね。執念でおまえを見つけ出した。優。おまえは、お母さんのあとを追えなかったね。お母さんは一人で天国に行ったよ。おまえは行けなかった。一人ぼっちになってしまったんだ」
義政は、バシッと清人の頬を叩いた。
「うるさいっ。行かなくていいんだ!優ちゃんは、僕の傍にいればいいんだ。一人ぼっちってなんだよ、清人っ!優ちゃんは一人じゃない。僕がいる。僕がいる。優ちゃんのお母さんがいなくなったって、僕がいる。優ちゃん。僕は、優ちゃんが大好きだよ。僕がお母さんの代わりになって傍にいるから・・・。二度とこんなことしちゃダメだ。優ちゃんは僕と一緒に生きていくんだっ。一人ぽっちなんかじゃないよ」
興奮する義政を、宥めながら清人は苦笑した。ベッドの中の優を見下ろして、微笑む。
「だそうだ、優。この世には、おまえを必要としている義政がいる。おまえは一人じゃない。だから、二度とこんなことはするな。おまえが手離そうとした命は、義政が拾った。理由が必要ならば、おまえは義政の為に生きろ」
「義政の為に!?」
「義政の傍にいろ。それが、おまえの命を拾った義政の願いなのだから」
捨てた筈の命。義政が拾った。
そして、義政は言う。傍にいろ、と。そして清人は言う。義政の為に生きろ、と。
どんなに。どんなに疎まれても・・・。どんなに憎まれていても。母は母だった。たった一人の、大切な母だった。父はいない。父はいないのだ。母を捨て、自分を捨て、父は父の人生を生きている。
「お母さん・・・」
優は毛布をずりあげて、毛布にくるまって泣いた。
「お母さん、お母さん、お母さんが死んじゃったよぉ」
どんな気持ちで母が死んだのか。痛かったのか、苦しかったのか。辛かったのか。たった一人。母はあの狭い部屋で首を吊った。息子に、たった一つの言葉すらも遺さずに。
母は灰になった。逝ったのだ。
時は過ぎ、色々な事実を知った。母と父のこと。母がどうして小田島の妾になったのか。そして、どうして死んだのか。母は、ひょんなことから主人である公彦を怒らせ、その体を、小田島信彦と大堀恒彦に慰みものにされた。それはたったの数日。記憶にある。襖の向こうから聞こえた母の泣き声、鳴き声。公彦は、怒りが解けたら、母を信彦と恒彦から取り上げる予定だったのだ。だが、母はそれを待たずに死を選んだ。意にそぐわぬ愛人生活を強いられ、そして、自分より遥かに年下の男達に慰みものにされ、愛する男には、捨てられた。堪えられなかったのだろう。母は、町田康司という男を愛して、愛して、愛し抜いていたのだ。自殺により、母の愛は完結したのだ。
許せない。母を無理矢理愛人にした小田島公彦。母を弄んだ小田島信彦、大堀恒彦。憎い小田島家の血を引く、義政。そして、誰よりも、誰よりも憎い、町田康司!俺の本当の敵は、おまえだ。実の父だ。母を捨て、俺を捨てた、血の繋がった男だ。その憎悪は、小田島家を憎むよりも遥かに、遥かに、大きかった。その結果が、あの、誕生日の月夜の事件だ。殺すことに、なんの躊躇いもなかった。母の恨みをアイツの腹に突き刺した。
あとは、小田島の家だけ。いつか滅びればいい、と思う。粉々になれ、といつも思っている。だが。たった一人。あの絶望の中で、俺を必要としてくれた義政。生きろと言ってくれた。傍にいろ、と。母ですら、父ですら言ってくれなかった、本当に欲しかった言葉を、義政は自分にくれたのだ。そんなことを言ったことなど、おまえはもう忘れたかもしれない。おまえは、自分の為だけに俺が必要だったのかもしれない。だが。あの瞬間から、俺は再び生きた。小田島家は憎いが、おまえは憎めない。この命は、おまえにもらった。だから、おまえがいらないと言うまで、俺はおまえの傍にいる。例え、おまえがこの先、どんなに変わろうと。おまえがどれだけ手を汚そうと。どれだけ悪になろうとも。俺は、おまえの為に生きる。
城田は、ゆっくりと部屋の窓を開けた。月が殊更に明るく輝いている。この月のせいで、さっきから二度と思い出したくもない過去が頭の中に甦ってきているのだ。
「城田。支度出来ているか。時間だ。今日は、3中勝負だ。心していくぜ」
義政が、ドアの外から声をかけた。
「ああ。もう支度は出来ている。今、降りていくから先に行ってろ」
義政。
これからの時間。おまえが俺を愛さなくても。俺が別のヤツを愛しても。それでも!おまえが、この命をいらないと言うまでは、俺はおまえの傍にいる。おまえの盾になるんだ・・・。
これはきっと、俺の生きる意味。
俺の心の中に在る、誰も知らない、誓いとも言えるのかもしれない・・・。
★END★
本編に詰まったので、企画も放り出し、城田の過去を、いきなり。
このまま素直にいけば、城小田・流連で、ハッピーエンドだったのにねぇ(笑)
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