仕方ないよ、好きなんだから8
幸裕はどうしたんだろうか・・・。
家に帰ると誰もいなかった。
あれからいずみも王子も帰ってこなくて、留守にしたまま帰ってよいか悩んだものの、身支度し、俺はへろへろと自宅へと帰りついた。
すぐにシャワーをと思ったが、体が動かない。
ソファに横たわったまま、ボーッと天井を見上げていた。
どれだけそうしていたかわからないが、気づくと、ドアが開く音がして、いずみが帰ってきた。
「秋城さん」
呼ばれて、ハッとした。
「大丈夫・・・!?」
「じゃない」
「だよね。ちょっと診せて」
と、いずみがつかつかとソファに歩み寄ってきたので、俺は起き上がった。
「みっ、診せてって。い、いらん、いらん。どいて、シャワー浴びるから」
「秋城さん」
いずみの腕を避けて、俺は風呂場に飛び込んだ。
診せてだと!?
なに言い出すんだ、あのやぶ医者!(知らないけど)
いつのまにか、キスマークの刻まれている体を、俺は情けない気持ちで洗った。
風呂から出るやいなや、
「被害届出す?」
と聞かれ、俺は、慌てて首を横に振った。
バスタオルを差出しながら、いずみが
「そっか・・・。良かった」
と、ホッとしたようだった。
「よかったって」
「あんなんでも一応幼馴染なんで。ちょっとやりすぎちゃったかもしれないけど」
「あ、そ・・・」
王子気の毒に。って、いやいや。気の毒なんは、俺だろ、どう考えても。
「明日、休みかな。山田さんとこ」
「まさか。山ちゃんはそーゆータイプじゃないよ。基本は真面目だからさ。自分がぼこぼこにされても診察はちゃんとするよ。彼を待ってる患者がいるんだから」
確かに王子には、そんな雰囲気がある。
真面目なヤツほど切れると怖いというが、まさにそんな感じだった。
「・・・だったらいいけど」
「それに休まれたら、こっちが大変だもの」
一瞬意味不明だったが、どうやらいずみがいうこっちとは、『病院』のことらしい。
「いや。それはないよ。多分みんな隣町に流れるから」
「そうなの?」
自分の父親の経営状態を知らないとは暢気なものだと呆れつつ。
「ごめんね、秋城さん。俺、貴方を守れなかった」
ペコッといずみが頭を下げた。
「なんで・・・。別に俺、そんなん期待してなかったし。今回の件は明らかに俺が不注意だったし。自業自得ってなもんで・・・」
どう考えたって、いずみの無責任から今回の件が起きた訳じゃないし、むしろ、駆けつけてくれるなんて思わなかったのだから、そっちのが驚きだった。
「まさか山ちゃんがここまで強硬手段に出るとは」
それだけ自分への気持ちが強いということをいずみはわかっているのだろうかと頭を拭きながら、俺はぼんやりと思った。
「もういい加減つきあってやればいいじゃん」
提案すると、いずみは肩を竦めた。
「無理だよ。だって山ちゃんは幼馴染だもん。それ以上にはなれないよ」
あっちはバリバリそれ以上になる気満々なんだが・・・と思い、すれ違う気持ちに、理由こそ違うが、自分と幸子を重ねてしまった。幸子・・・。って、あれ?
「てか。ゆっきーは?」
さっきから、完全に忘れ果てていた薄情な父親の俺。
「あ、ゆっきーならば、じいちゃん家に預けてきた」
「そ、そう」
ホッとした。
「秋城さん」
不意に伸びてきたいずみの指に、俺はビクッとした。
「ひっ」
ぴょーんと、その場から飛びのき、部屋の隅に身を寄せた。
俺のその行動に、いずみは目をぱちくりさせていたが、
「いや、ごめん。なんか泡ついてるって思ったんだけど、そうだよね。驚くよね」
と、慌てて指を引っ込めた。
「あ、あ、いや、こっちこそごめん」
ガタガタと思わず震えてしまったが、止められない。
「トラウマになんなきゃいいけど」
ふーっといずみは息を吐いた。
「大丈夫。俺はなんにもしないよ。だから、安心して」
にこにこっといずみは微笑んでは、ずりずりとこちらへ近寄ってきた。
「わかったから。なんで、おまえ。近いって」
「だって。部屋の隅でガタガタ震えて涙溜めてるコ見て、放っておけないよ」
「コって、なんだ、コって。俺は女の子じゃないって。第一泣いてないっ。頼む。放っておいて。近づくなって」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
ふわん、といずみは、俺をを抱きしめた。
えええ!?
「秋城さん、もう怖いことなんてなんにもないから。大丈夫だよ」
そう言って、いずみは髪を撫でた。
なんなの、これ・・・と、びっくりして、押しのけたくとも体が硬直して動かない。
「貴方はなんにも悪くないからね」
囁くように言われて、でもその言葉に、我に返る。
「いや。ほんと、俺が悪かったんだ。王子だって俺が誘いに乗らなきゃあんなことしないで済んだんだよ。俺、ほんと、迂闊でさ」
言葉にした途端、不覚にも涙が零れた。
「やっ、野菜なんかにつられちまって。こんなんじゃ幸裕に注意なんか出来ねー。ほんと、自業自得で」
「幸裕くんに、野菜食べさせたかったんでしょ。いいお父さんじゃない」
「・・・」
食べさせたかったのは、幸裕ではなかったんだけど。でもまあ、かなり軽い気持ちだったんだから、やはり軽率だったのだ。
「落ち着いてきた!?」
聞かれて、おとなしく抱きしめられていた自分が急に恥ずかしくなってきた。
よ、余計に緊張するわ。
30男捕まえて、こんな慰め方すっか、フツー??女の子相手ならばまだしも。
なんなの、コイツ。
ああ、でも、心臓の音、安心する。
いずみの匂い、なんだか安心する。
「どっか痛かったら、すぐに言って」
「ああ」
ふと気づいた。
俺ってば、こいつにとって患者なんだなぁ。
ちっさい子相手にしてるみてえに、俺のこと扱いやがって。
でも、なんか安心する。
さっきの恐怖が飛んでいく。
なんだでだろ。
こいつのこののんびりとした口調とか態度のせいかなぁ。
さっきまで男に強姦されてたのに、なんで別の男の腕の中で安心してんだ、俺。
どうかしてるぞ。
でもなんか、眠れる気がする。
「いずみ」
「なーに?」
「明日、起こして。遅刻まずいんだ。ごめん。六時に・・・」
「うん。起こしてやるから、安心して眠って」
「ありがと・・・」
あー、なんかふわふわする。
なんでだろう。
朝起きたら、見事な朝ご飯が出来ていた。
「なに、これ。野菜ばっか」
野菜炒めに野菜の具だくさんの味噌汁野菜の煮物などなど。
いずみがヘヘヘと笑った。
「昨日山ちゃんちから、ごっそりもらってきたんだよ。秋城さんが野菜にこだわっていたって聞いたから」
「あ、あれは・・・」
改めて言われると、ほんっと、恥ずかしい。
「食べて元気出して」
ポンッといずみに肩を叩かれた。
食卓につき、いずみの用意したご飯を食べた。
美味かった。
野菜炒めだって俺より全然うまかった。
「とりあえず腹いっぱいになると幸せじゃない。ね」
「そだな」
昨日はあれからいつの間にか寝ちゃっていたし、最悪な夜の割には普通に朝を迎えられた。
食べ終え、椅子から立ち上がった瞬間、ズキリと体が痛んだ。
「うっ」
思わず硬直してしまった俺に気づき、いずみが近寄ってきた。
「痛いの?診ようか」
グッと腕を掴まれた。
「そ、そのうち治るよ。もう男に体触られるの、勘弁だよ。離せ」
「あー・・・ごめん。俺ってば、気が利かなくて」
しゅんとしてしまったいずみに、俺はハッとした。やつあたりだ、と思った。
「ごめん。心配してくれたのに。大丈夫だから。おとうさんちで幸裕拾ってから出勤する」
「うん。頑張って」
「それよかおまえ。本気でここに居座るの?」
やたらキッチンに馴染んでいる姿を見て、俺は眉を寄せた。
「あ。やっぱりダメ??」
どさくさに紛れてとか思っていたりしたんだけど、といずみは白状した。
「・・・まあいいや。なんか俺、本気で王子こえーし」
俺が迂闊な行動をしない限り、王子は、いずみの後ろにいる俺に手を出してはこれない筈だ。
「やった。よろしくお願いしまーす」
ぺこりといずみが一礼した。
なんか憎めない男だ、と思った。
会社に着いた早々悲鳴を上げるような事態だ。
「ええええっ。幸裕の保険証が山田小児科に!?」
「なんでも返却忘れだそうだが」
義父が病院からの伝言を伝えてくれた。
「はあ」
昨日の今日で、あっこにいくのか。
やだやだやだと俺は思った。思ったが、仕方ない。
「わかりました。ありがとうございます」
仕事終わりだと遅くなりそうなので、昼休みに取りに行くことにした。
「秋城さん。今回は申し訳ありませんでした」
受付の若くて可愛いねーちゃんが部屋から出てきて、ぺこぺこと謝っていた。
「手違いで返却忘れていて」
「あ、いえ。どうも」
すると、診察室のドアがカチャリと開いて、王子が出てきた。
その顔を見て、俺は思わず
「うっ」
と呻いてしまった。
想像以上にいずみがぼこったようだった。
片目などは腫れていて、これでは、小さな子供など、怖くて泣いてしまうだろう。
思わず俺は、王子から目を逸らした。
「うわっ」
すぐ傍に気配を感じ、俺は顔を上げた。
ぬおおおおと王子は俺の傍まで来ると、持っていた包みを手渡した。
「私からの謝罪など不愉快であるでしょうから今はあえて言わずに失礼致します。ただ、これを。いずちゃんから聞いて、これをひとまず謝罪と受けとっていただければ」
「え・・・」
受け取った包みを慌てて開けて、俺は驚いた。
「ラブアポT!」
先日いずみに破かれたヤツだ。
「知り合いに持っているヤツがいまして。今朝速攻で取り寄せたんです」
「うあー、うあー。まじで?これいいんですか?」
破かれた時はかなりショックだったが、まさかこんなところでラブアポTが戻ってくるとは。
「もちろんです」
「すごい。やった。嬉しいッ」
俺はぎゅうううと未開封のTシャツの包みを抱きしめて、頬ずりした。
「俺のラブアポTが戻ってきた〜」
至福の時間を堪能していると、妙な視線を感じた。
王子と受付のねえちゃんの白い目・・・。
やべ、恥ずかしい。
かあああと顔を赤くした同時に、受付のねーちゃんが、
「あ、呼ばれている。じゃあ、秋城さん、失礼します」
と、パタパタとスリッパの音を響かせて、受付に戻っていった。
取り残された俺と王子。
「あ、えっと。Tシャツありがとうございます」
「礼など言われると、こちらが困ります」
「・・・」
確かに。礼を言うのも変だった。
「これからもしばらくは許していただけるまでは、貴方に貢つもりです」
「はあ?いや、結構です」
正直もう関わりあいたくないというか、なんというか。
「では失礼します」
聞こえなかったのか、姿勢正しく王子が診察室に戻っていく。
それでも山田医院の待合室は、ぎゅむぎゅむと若い主婦達で満員御礼だった。
会社への帰り道にある横森医院。
別に寄る必要もなかったが、いずみにラブアポTを見せようとして立ち寄った。
「えっ」
ドアを開けて、俺は驚いた。
待合室に患者がいる。それも、若い主婦達が・・・。
「間違えたか」
俺は本気で一回外に出てしまった。
2軒隣の喫茶店にでも入ってしまったのかと思った。
だが間違いない。よれった看板を確かめた。
ここは、あの横森医院だった。
「いじゅみちぇんちぇー、またぁねえ」
可愛らしい女の子の声が聞こえ、若いママが診察室から出てきた。
「はい、またね〜」
いずみの声が診察室の奥から聞こえた。
「秋城さ〜ん」
陽奈ちゃんの呼ぶ声に、俺は駆け寄った。
「なんなの、この事態。どーしたの」
「びっくりでしょ。やっぱ女って華やかですよねー。いるだけでこの病院がなんかキラキラしちゃって。まあうちのキラ男センセーのせいでしょうけど」
うふふ、と陽奈子は、楽しそうに笑う。
「いずみの?」
「ほら。前に急患で診たヤンママの口コミが広がったらしくて。いつの間にかこんなんですよ」
「すげえ・・・」
これは驚いた。
会計を済ましたママが、まだ待っているママに話しかけている言葉が耳に入ってきた。
「いずみ先生、めちゃくちゃ優し〜。すごい安心する」
「でしょ、でしょ。超イイよね〜」
「私も真美ちゃんみたく、山田先生からいずみ先生とこに乗り換えよーっと」
「のんちゃんママもこれからはこっちで診てもらうって言ってたヨ」
「のんちゃんママ、美形好きだもんね。じゃあまたね」
耳を疑うような言葉だった。
「ねっ。まあ、うちのセンセ、あっちのセンセと違ってホンモノのイケメンだから仕方ないですよね〜」
何故か陽奈子が自慢気だ。
なんのこっちゃ。
にしても・・・。
待合室が人でいっぱいって・・・。
「秋城さん、いずみセンセに用ですか、そーいえば。適当なところで呼んできます?」
「あ、いいよ。忙しそうだから。頑張って陽奈ちゃん」
「ありがとうございますぅ〜」
俺は逃げるように病院を後にした。
本気で驚いた。
あの長閑な病院が。横森医院が、えらいことに。
そっか、そうだ。
先生が若く綺麗になったことに気づいた人がいたんだ。
それがきっかけとなり、外からだけではわからなかったこの病院の変化に、ママ達が気づいてしまった。
なぜだか胸がドキドキした。
離れてから、もう一度病院をこそりと振り返った。
やっぱりドキドキしていた。
なんじゃこりゃ!?と思いながらも、俺はラブアポTを抱きしめ、ドキドキする胸に違和感を覚えながらも、そそくさと会社へと戻った。
続く
************************************
戻る