仕方ないよ、好きなんだから6
仕事は確かにベラベラくっちゃべってやるもんじゃないけどさ。
こうもあからさまに無視されるって気持ちいいもんじゃないよな。
コピー機で、書類をコピーしながら、残業組が向こうのデスクに集まってワイワイ喋りながらコーヒー休憩しているのをチラリと眺めて、俺は小さく溜息をついた。
まあ元々社長の身内の従業員なんて倦厭されて当然のパターンだけどさ。
もくもくと残業をこなして「お先に失礼しまーす」と声をかけると、向こうのデスクから、「お疲れ〜ッスとおざなりの挨拶がたった一つ返ってきただけだった。
俺が去った後は、さぞやの悪口大会だろう、と思うと笑えてくる。
まあ仕方ねえか。でも、なんか、無視ってつれーな。
集っていたい訳ではないが、もくもくと仕事だけして、私語の一つも気軽にできないなんて、前の会社では信じられなかった。
先輩後輩と、わいわい皆仲良かったから、余計に今の職場は違和感を感じた。
人と繋がれないって、なんか淋しい・・・。
不意に川べりの土手を歩いている足が止まってしまった。
唐突に、川をふきぬけていく風の如く、胸に淋しさが過っていった。
孤独、という言葉が突き刺さった。
なんだろ。俺が孤独の筈ねーじゃん。幸裕もいるし、義父さんもいる。
今はどういう訳か、いずみという同居人も出来ちまって、淋しい筈なんかねえ。
けど、どうして、なんでだろ。
ポン、と鞄を草むらに投げ捨て、俺は、土手にしゃがみこんだ。
見上げると、中々の星空だった。
膝に顔を埋め、幸子を想った。
幸子。孤独だったんだな。
商社に務めていた俺は、とにかく毎日毎日忙しくて。働きづめだった。
帰りも遅く、幸裕が生まれてからだって、幸子の幸裕の成長報告を半分眠りながら聞く日々だった。一度、幸裕の誕生日を忘れていたら、幸子が猛烈に怒った。
でも俺は。
働くことによって確実に得る収入で、幸子に贅沢をさせてやりたかった。
いいマンションに住まわせて、毎日の買い物に予算を考えることなく、幸裕には質の良い食材を食わせてやりたい。
それには金を得ることだと思い、会社に乞われるままに働いた。
ありがちな家庭崩壊に向かっていることなどまったく気づくことなく俺は突っ走り、結果なんの予想を裏切ることもなく、妻が失踪という家庭崩壊を迎えることとなった。
あまりにもパターン過ぎて笑えた。
あの広いマンションの一室で、幸裕といつも一緒にいた幸子。
淋しかったたんだと思う。
幾ら愛息子と一緒でも、あの頃の幸裕はまだ会話すらろくに出来なかった。
幸子に与えるべきだったものは、もっと違うものだった。
生い立ちを考えればわかった筈だった。
早くに母を亡くし、父に育てられた幸子。その父は、会社でいつも忙しかった筈だ。
なんて俺はバカだったんだろう。
あの女に与えるべきだったものは、裕福な暮らしではない。寄り添う時間だった。
幾ら悔いたって悔やみきれない。
幸裕には母を責める権利があるが、俺には、ない。
他人にはおかしいのではないかと言われても。
幸子が寄り添える男をちゃんと見つけられたことが嬉しかった。
いつでもはにかんだように笑う女だった。
どうか幸せに笑っていますように。
ごめんな、幸子・・・。
心が不安定なせいか、幸子のことを考えたら、涙が出てきた。
まあ、誰もいないし、いたとしても、見られていたとしても、酔っ払いがなんか泣いてるよ、ぐらいに思われれば、それでいい。
「どーかしたんですか?もしかして、いずちゃんと喧嘩ですか」
「!」
耳元で囁かるように言われて、俺はギョッとして、振り返った。
「お、王子ッ。こんなとこでなにしてるンすか」
山田王子だった。
「見てわかりませんか?これ以上わかりやすい恰好もないと思いますが」
「あ、ジョギングっすね」
バッと俺は立ち上がった。
「ええ。仕事終わりのランニングが僕の日課なんですよ」
なんと。あまりの爽やかさに、俺は思わずポーッとしてしまう。
滴る汗ですら、素晴らしく健康的だ。
「もしかして、昼間のキス、バレちゃったんですか。それが原因で喧嘩したとか」
クスッと王子が笑う。
「いずちゃん、ああ見えても、結構ヤキモチ妬くんですよね」
ふふふ、と楽しそうに王子が笑った。
「昼間のキスって」
と言われ、俺は、唐突に忘れていたイヤな記憶を思い出した。
「あ、いーえ。全然。ちょっと酔っぱらってまして。昔のことを思い出して、なんか乙女チックになっちまいまして」
「あんたのどこが乙女ですか」
「・・・すんませんね」
まったくとんだ二重人格だ・・・と思いつつ、俺は膝をパンと払い、近くにぶん投げていた鞄を拾い上げた。
「王子、いえ、先生も、毎日お忙しいんでしょうから、あまり無理しないでくださいね。じゃあ、失礼します」
「お待ちなさい」
むんずと腕を掴まれた。
「な、なんでしょう」
「知り合いからいただいた野菜が今日どっさりと家に届きましてね。一人暮らしの僕は食べきれない。秋城さんのお宅ならば、
幸裕くんと今はいずちゃんがいるんだったら、かなりの消費になりそうですよね。少し持っていっていただけませんか?」
「えっ、野菜」
幸子がいなくなって以来、すっかり主婦脳になっている俺は、その提案にグラついた。
そういえば、いずみ、野菜炒め褒めてくれたっけ。
「あ、あの。いただこうかな」
「ええ。持っていってくださると助かりますよ」
にっこりと王子は優しげに微笑んだ。
「お住まいはどちらなんですか」
「あそこに見えるタワマンです」
王子が指差した場所は、この場所から歩いてすぐのところだ。
「あー、あそこね」
この下町に置いて異彩を放つあの高級マンション。
まあ、王子が住んでいてなんの不思議もないし、むしろおまえが住まなきゃ誰が住む、みたいな。
「あそこ。僕の祖父が土地売ったらしくて。あんまり気に入っていないんですが、まあ仕方なく住んでます」
なんと。でもなんだか王子が言うと嫌味にもならない。
「そーっすか」
「では、案内しますよ。行きましょう」
うおー。初めて入るぞ、あのマンション。
いつも幸裕と、このマンションの下を通りながら、中はどんなふうになっているんだろうね、見てみたいね、と言っていたのだ。
今度幸裕に自慢したろ、と思いながら、俺は王子の後をついていった。
王子ととりとめのない話をしながら土手を歩いた。
さっきまであれほど感じていた孤独が嘘のようになくなっていた。
誰かと喋ることが、こんなに安心できるなんて、と思った。
マンションの中は想像を超えていた。
「なんかコンビニあんだけど。ふわー。廊下フワフワ」
「静かにしてくれませんか」
「あ、すみません」
ヒューンとエレベータが、最上階の一階手前で停まった。
「どうぞ」
ガチャンとドアが開き、部屋へ案内されて、俺は驚いた。
「お〜・・・」
って。なんもねえ。
これ何畳だ?
広々とした部屋の中央に、デーンとベッドが置かれていた。
「なんにもない部屋でつまらないでしょう」
「は、えっと。まあ、そうですね。見渡す限り、ベッドしか」
殺風景なラブホみたいだ。
「正直、寝に帰るような部屋ですし、どうでもいいんですよね」
と言いながら、王子はバサバサと服を脱ぎだした。
「すみませんが、シャワー浴びていいですか」
「えっ。あ、あの。それより野菜を」
「出てからお渡しします。それまではベッドに腰かけていてください」
「は、はあ。や、いえ。あの」
確かに腰かけられるところといえば、フローリングの床かベッドしかない。
だが、初めて来たあまり良く知らない人のベッドに腰掛けるというのも、なんだか申し訳ない気がして、俺はその提案にはのらず、しばらく玄関近くの廊下に突っ立っていた。
ザーザーとシャワーを浴びる音を聞きながら、つまらなくなり、窓辺に歩いていく。
「わあ、すげえ」
窓越しに見下ろす町の様子に俺は思わず声を上げた。
うちのベランダから見る夜景とは訳が違う。
こうしてみると、この小さな下町もなかなかのもんじゃないかと思った。
子供みたくワクワクしてきた。
「どうですか。眺めは」
背中から急に声をかけられて、俺はドキッとしたが、
「サイコーですね。うちもここに越してくるまではそれなりのマンションに住んでましたが、低層階だったんでこんな夜景見たことないです。すげ〜」
とあまりに綺麗な夜景から目を逸らせずにいた。
「子供みたいですね、貴方」
「あ、すみません。はしゃいでしまいまして」
と、振り返り、俺は、ブッと吹き出した。
王子がまだ全裸だったからだ。下ぐらい隠せよ、と俺はぶっちゃけ思った。
思わず股間に目がいってしまうのは仕方ないだろう。エッチ、と俺を責めないでほしい。
「僕のはどうですか」
「は?」
「いずちゃんと比べると、僕のチ○コはどうですか」
「おっ、王子ィ?」
びっくりして声がひっくり返ってしまった。
「あなたも中々淫乱ですよね。いずちゃんというあんなすばらしい恋人がいながらも、僕とも・・・なんて」
「な、なにをおっしゃってますぅ?」
わ、わ。なんだコイツ。俺には意味がわからん。宇宙語喋ってる。
「まあわからなくはないですよ。いずちゃんは、性欲旺盛な方じゃないですから。でもね。僕ならば絶対に我慢しますよ。貴方みたいなことして
いずちゃんを悲しませたくない」
「なんのこっちゃですかーーーー」
俺は叫んだ。
すると、王子は、クスッと笑う。
「あなた。昼間、僕にキスされておいて。いずちゃんを巡ってライバルな僕のところに、のこのこと野菜だけ取りに来たなんて、まさか言いませんよね」
・・・言います。言います、とは素直に言えず、俺は口をパクパクさせてしまった。
「まさか、そんなバカではないですよね。野菜?んなモンある訳ねえっつーの。貴方にあげられるとしたら、僕のこのソーセージぐらいなもんですよ」
ぶっ。
脱力・・・。俺はその場に崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えた。
「お、王子。その顔で下ネタ止めてください。って、うげっ」
パアンと、足払いされて、速攻でベッドに押し倒された。
「意外とね。さっき土手で泣いている貴方の横顔、可愛かったですよ」
さっきのように耳元で囁かれて、ベロリと舌で耳を舐められた。
「!」
見上げた王子の瞳は、決してこの状況が、冗談ではないことを物語っているかのように、真剣だった。
続く
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