仕方ないよ、好きなんだから5


一体昨日のことはなんの冗談?と思いつつ、痛む胃を押えて出勤すると、義父が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「顔色が悪いようだが、大丈夫かい」
「ええ、平気です」
なんとかそう答えたものの、顔色が良い筈がない。
「なにかあったら、すぐ言ってくれ。無理はしなくていいんだよ」
「あ、ありがとうございます」
優しい義父の言葉に、うるうるするぐらい、俺の心は情緒不安定だった。
聞き出したところによると、いずみは、しばらくあの病院に居つくようで、その為の住まいとして、なぜか我が家を指定してきたのだ。
理由がまた「一人であの広い家に住んでいると淋しいし、いつ何時山ちゃんに襲われる可能性もあるので、そんな時に秋城さんが
一緒ならば安心だから」などという、俺にとっては果てしなくどうでもよく、とーっても自分勝手な理由なのだからたまらない。
断固として「NO」と言い続けたものの、明け方には、いつのまにか酒の力が加わり俺は「yes」と力強く頷いていたのだから、もう、酒って怖い。
「どうせすぐに島に帰るんだから、お願いします」
いずみは確かにそう言った。
ということは、きっと、父親を連れ戻す確信があるのだ。
ならば、それを信じて、少しの間我慢すればいいことだ・・・と考えた。
横森のじいちゃんには世話になった恩があるんだから。
「はあ」
人目も憚らずに仕事中、盛大な溜息を何度も繰り返しながらデスクの上の書類に目を通していると、電話が鳴った。
取ると、保育園からだった。
「えっ。ユッキーが、ブランコから落ちて頭を打った?今、かかりつけの病院ですか」
電話の向こうで担任が申し訳なさそうに謝っていた。
「はい。わかりました。今から行きます」
受話器をフックに戻す。
はー。もう、俺、これが普通の会社だったら、完全にクビだぞ、オイ。
「社長。幸裕が、なんか、ブランコから落ちて頭打ったそうで。今から病院に行ってきます」
すると、社長がフッと笑顔になった。
「そうか。懐かしいな。娘も昔、あの保育園のブランコから落ちて頭を打ってな。真っ青になって私が病院まで迎えに行ったものだ。
いや、すまんな、いまと君。よろしく」
社長にとっては、いまだに可愛い娘のままである幸子。今はどこにいるのだか・・・。
「いえ、こちらこそ、なんかもう、毎回すみません」
なんとなく他の社員達の白い視線を受けながら、俺は背広と鞄を持って、そそくさとオフィスを後にした。
やばいと思った。
幾ら義理の息子だからといって、明らかに俺ってば優遇されてるもんな。
今日は残業しとかねえと、俺はともかく社長までが他の社員たちに悪く言われちまいそうだ、と思った。


行きたくなかったが横森医院に着くと、幸裕はいなかった。
「あれ?秋城さん、どーしたんですか?」
陽奈子が事務所で池田さんと弁当を食べていた。
今は休憩時間で、待合室もシンと静まり返っていた。
と言っても、休憩時間でなくとも、この病院は元々シーンとしている。
「ユッキーが頭打って運ばれたって聞いてて」
「来てませんよぉ。もしかして、かかりつけ、山田さんと間違われているんじゃないですか」
「きっとそうよ、いまとちゃん」
池田さんもそう言った。
「俺もそうかな、って今思った」
なんとも情けない話だが、全員一致の意見である。
「んじゃ隣行ってくる」と、言いつつ気になったので、「いず、いや、先生は?」と聞くと、
「裏の川にタバコ吸いに行っちゃってますよ。休憩中ですしね」
陽奈子は答えた。
「あ、そう」
すると、池田さんは、ガタタと立ち上がって俺の手を握ってきた。
「いまとちゃん、いずみくんね、先生の件が落ち着くまで、しばらくいてくださるそうなの。協力ありがとうね」
そのせいで、俺の家に居座るようなんですが・・・とは言えない俺。
「そーなんですよぉ。しばらく様子見る為にいてくれるそうで、ラッキー」
陽奈子はキャッキャッと喜んでいた。
「ふ、ふうん。良かったね」
それだけなんとか言って、俺は逃げるように、山田小児科に向かった。


バタバタバタ。
「時間外にすみません」
山田小児科に行くと、保育園の保育士さん達が二人座っていた。
「秋城さん、この度はすみませんでした」
俺を見ると先生たちは素早く立ち上がった。
「いいえ」
「ちょっと目を離したすきに。それに、かかりつけが山田先生ではないと聞いて、うっかりしてしまって」
若い見習いの先生らしきが、顔を真っ青にしていた。
「いいえ、大丈夫です。山田さんにもお世話になったことがあるんで診察券持ってますし」
「本当にすみませんでした。幸裕くんは、診察室です」
今にも泣き出しそうな若い先生を気にしつつ、俺は頷いた。
「はい。あ、もうほんと、大丈夫ですよ。状況によっては、診察が終わってからまだ時間あるし幸裕がお世話になりますんで。
連れていきますから、園に戻っててください」
すると先生たちは、またペコペコ謝りながら、病院を出て行った。
「秋城さん、こちらです」
受付の子に案内されて診察室へ行くと、幸裕はベッドに寝かされて、若く可愛い看護師さん達にちやほやされていた。
さすがに彼も嬉しそうだった。
「こんにちは、秋城さん」
その綺麗な声に、ハッとした。
王子がそこに居た。
今日も今日とて、完璧に美しい王子。
白衣がこれほど似合う人も珍しいと、俺は一瞬うっとりしかけた。
しかし、昨日のことが頭に甦ってきて、むっ、と唇を結び気を引き締めた。
「君たち、これから親御さんに説明するので、お子さんを連れて外に出ていてくれるかい」
すると、看護師さん達は「はーい」と可愛らしく頷き、幸裕を抱っこして出て行った。
まったくもって、横森医院では見たこともない天国のような光景だった。
キッ、と椅子が回転する軋みを立てて、王子がカルテを片手に、こちらを見た。
「幸裕くんは心配ありませんよ。コブすら出来ていませんでした。衝撃に驚いてひどく泣いたようで、先生方が心配して連れてこられたんですね、きっと」
その言葉に俺はホッとした。
「そっ、そうですか。時間外にご迷惑をおかけしました」
ぺこりと頭を下げて礼を言う。
「いえ。そんなことはどうでもいいです。それよりもっと重要な話が僕達にはありますよね」
キラーン、と王子の瞳が光った。
「えっと」
バッと王子は立ち上がると、一歩前に踏み出し、いきなり俺の顔を両手でガッと掴んだ。
「ふんっ。いじりもしないで、この顔ですか」
ジロジロと俺を見て、忌々しそうに言った。
「なっ。ちょっと止めてください」
びっくりして俺は硬直してしまう。
「確かに綺麗な顔ですね。あの、いずちゃんがフラッとなるのもわかります。天然でこれだけのツラたぁ、いい度胸してますよ、ほんと」
フンッと王子が鼻を鳴らした。
一体全体どーゆー台詞なの、と俺はクラッとしかける。意味わかんねー。
「おっ、王子もとってもすてきですから。ほんとマジでカッコいいです」
至近距離の王子に向かって、精一杯の賛辞。
「当たり前です。わざわざ、金をかけてそういう風に言われるような顔にしたんですからね」
恥じることなく堂々と王子は言い返した。
「はあ、いえ、まあ、そうかもしれませんが」
確かに、この時代、整形なんて恥じることでもないか、と思う。
男だってエステに行く時代だもんねーと呑気に考えてしまってから、ギョッとした。
「って、え?王子、なんか、近いンですけど」
ドアップ。顔。
この距離、危ない。
ええっ?えっ?えっ〜!?
チュッ★
「!」
うそぉ。なんで、俺。王子様にキスされてる〜。
幾ら休憩中とはいえ、子供の聖域(←?)小児科の診察室でええええ。
「んっ」
ぶちゅうう★★
ちょお、待てって。舌まで入れてくんなあああ。
逃れようとしても、がっちり抱きすくめられて逃れられない。
あかん。なに、この状況。昨日と今日で、男二人にキスされた。
女房に逃げられて、ここしばらく女とだってまともにキスしてなかったのに。
バタン!
ドアの音に王子がハッとしたようで、ドカッと俺を突き飛ばした。
俺はガタタと背もたれのない丸い回転椅子から落ちて床に転がった。
ガンッと頭を打った。
「イテッ」
てか、息子より俺の頭のが今、危なくね?
「ノックもなしに入ってくるとは失礼な。僕はそんな教育をしたつもりは」
と言いかけて、王子の言葉が止まった。
「おとりこみ中、すみませ〜ん」
口の中に棒付きキャンディを突っ込みながら、そこには看護師ではなく、いずみが立っていたのだった。
「いずちゃぁん〜♪」
王子が、背中にハートマークを背負って、ドアに走って行った。
突き飛ばした俺のことなど、まるで眼中にない。
「秋城さん、だいじょぉぶ?陽奈子嬢に、秋城さんが山ちゃんとこ行ったって聞いたから、嫌な予感がして、俺にしては全力でここに来たつもりだったんだけどぉ」
ドアにもたれたまま、相変わらずスローなペースで、いずみが言った。
「むちゃ遅いわいっ。来るならもっと早くに助けに来んかいっ、この役立たずっ」
突撃してくる王子をヒラリと避けて(その様は、突進してくる牛をかわす、まるで闘牛士のようだった)、いずみは、俺を助け起こした。
「ねえ、山ちゃん。秋城さんにちょっかい出すのやめてくんない?下手なことすっと、泣いちゃうからね、この人」
いずみは「頭打ったね、大丈夫?」とまるで子供にするように、俺の頭を優しく撫でた。
背が俺のが少し低いから、そういったことも可能なのだ。
「やめろよ」
パンとその手を振り払う。
「ふんっ。いずちゃんを惑わした魔性の男を観察しただけだよ」
王子は、壁によりかかり、腕を組んで憮然としていた。
「そおなの?観察だけにしといてよね。キスとか止めてよ」
うっ。思い出しくない。俺は胸に手を当てた。
「キスなんか挨拶だろ」
どこの外人だ、てめーは、と言いたいのをグッとこらえ王子を睨みつけようとしたが、
幸裕を診てもらったのだ・・・と思い、再びこらえた。
「いずちゃん、秋城さんの顔が綺麗なのは認めるよ。けれど、僕だって綺麗だ。僕の方が昔からいずちゃんを愛してる。考え直してほしい。
というか、秋城さんの顔がそんなに好きならば、その顔に直してもらってもいいんだ、僕は」
今、なんと・・・。
唖然としている俺を、いずみはフワッと背中から抱きしめた。
「・・・」
また、いい香りが、した。いずみの匂いだ。
「顔だけじゃないの。性格とか色々。そーゆーの含めて秋城さんで、俺はそういう秋城さんが好きなの。山ちゃんは秋城さんにはなれないし、
秋城さんだって山ちゃんにはなれない。ねえ山ちゃん。俺は、山ちゃんが好きだよ。真面目で努力家で。昔の。俺と幼馴染だった山ちゃん
が好きだった」
「じゃあ、今からでも恋人になろうよ。大歓迎だよ、僕はっ」
まったく話が通じとらんな、と俺はいずみを気の毒に思った。
さすがにいずみも、深々と溜息をついていた。
「んー。そう簡単な話じゃないんだけどね。まあ結論として、山ちゃんとはつきあえないから、わかってちょうだい。ってことで、秋城さんは帰していただきます」
ナチュラルに手を握られて、グイッと引っ張られる。
「ちょ、手を離せよ」
抵抗する俺を無視して、いずみは中途半端に開いたドアを肩で押しながら、診察室を出ていき、ヒョイと待合室を振り返った。
「ユッキー、おいで」
いずみが言うと、待合室で看護師さん達に遊んでもらっていた幸裕が「はい」と頷き、すぐにいずみのもう片方空いてる手に手を伸ばした。
「休憩中に、お邪魔しました、ごめんねぇ」
看護師さん達に、ニコッと微笑むいずみ。
「い、いえ」
ぽわん、と看護師さん達の周りにマンガのようにピンクのハートが飛び出すのが目に見えた俺だった。
「ねえ、ところで、あのイケメン、誰?」
「白衣着てるから、ドクター?」
「なんか横森先生ンとこの二代目らしいよ」
「えっ、うそ。横森ジュニア?あのハゲの息子なの?似てない。超かっこいい」
どうやら幸裕が情報を流したらしく、ひそひそと、看護師さんや受付の子達が話しているのが耳に入ってきた。
おそらくはいずみも聞こえてる筈なのに、まったく気にしていないようだった。


山田小児科を出ると、いずみは俺の手だけをパッと離した。
幸裕は、相変わらずいずみの手にぶらさがっていた。
「ごめんね、秋城さん」
握られていた手が妙に痛くて、手首を押えて立ち止まると、いずみが申し訳なさそうな声をかけてきた。
「ごめんじゃねえって。昨日から、なんなのあんたら。今日だっておまえ、もう少し早く来てくれれば」
キスなんかされずに済んだのに、とは言えずにごにょごにょと誤魔化す。
「いやあさ。迎えに行きがてらちょっとチラッと思っちゃって。もうこの際いっそ、山ちゃんと秋城さんがデキてくれれば、俺楽かなぁって」
耳を疑うようなセリフがいずみの口からこぼれた。
「山ちゃん、絶対秋城さんにちょっかい出すと思ってたからさ。多分秋城さんのこと好みだとは思うんだよね。俺達、昔から好みが似ているんで」
まるっきりどうでもいいと思い、俺はいずみを睨みつけて、怒鳴った。
「おまえ。よくそんなに自分のことばっかり考える性格で医者やってんな!自分がよければ、俺はどうでもいいのかよっ。おまえといい、王子といい、俺は二度も男とキ」
言いかけて、いずみの横の幸裕の視線に気づき、俺は黙った。
「にどもおとことき、なに?パパ」
幸裕が聞いてくる。
「えっ、あっはっはっ」
笑って誤魔化してみる。
しーん。
不自然な沈黙に、胃が痛んだ。
その沈黙を切り裂くように、いずみは軽々と幸裕を抱き上げた。
「俺が悪いの。ユッキーのパパ、困らせちゃってるんだ」
すると幸裕はジッといずみを見つめた。
「パパはね。すごい泣き虫さんなの。ママがいなくなっちゃった時も、ずっと泣いてたんだ。僕知ってるの。隠れて泣いてたけど、僕知ってたんだ。
だから、僕、あの日から、パパを守るって決めたんだよ」
え?あれ、バレてたの、と俺は一瞬青くなった。
幸子が出て行ったことに気づいた、あの日の夜のことだった。
「だからね。いずみせんせいがパパのこと困らせて、パパがまた泣いたら、僕、せんせいのことやっつけちゃうよ」
小さな手をグーにして、幸裕は、いずみの頭をポカポカと叩く真似をした。
「だよなあ。ユッキー、パパが大事だもんな。大好きなんだもんね」
「もちろんだよ。僕は世界で一番パパが好きなんだからっ」
なんか恥ずかしい。でも、幸裕がそんな風に思ってくれていたなんてちょっと嬉しい。
俺がデレりかけた途端、いずみが振り返った。
視線が合い、俺は慌てて表情を引き締めた。
カリッとキャンディを噛みきってしまい、残った棒を指に挟みながら、
「秋城さん、俺、反省しました。自分のことばかり考えていて、すみません」
と、いずみが真面目な顔で言った。
「いや。うん。わかってくれればそれで、さ。じゃあ王子とのことも真剣に考え、二人で解決してくれよ」
まあぶっちゃけ、俺も自分さえよけりゃいい部類であって。いずみのこと言えないかも、と少しは思ったりする。
「ええ。今度は秋城さんが山ちゃんにアレ(←※キス)される前に、ちゃんと止めに入ります。俺、あなたのこと、俺なりに山ちゃんから守りますから」
熱くいずみは宣言した。
いや、待て。ちょっとチガクね?
俺は、バシッといずみの背を叩いた。
「止めるとか守るとか、そじゃねえだろ。いい加減二人の間でなんとかしてって、そゆことで」
「ユッキー。俺も、パパのこと、守るからねっ。一緒に頑張ろう」
「聞けよ、人の話っ。このマイペースヤロー。いやあのさ。誰のせいで、そもそも」
だが、いずみは幸裕と見つめ合い、世界は二人の為に・・・状態になっていた。
「うんっ。せんせえ仲間にしてあげるね。そうだ。ねえ、ユッキーのおうちに、いつマーモッシュが来るの?」
「おう。そっか、そっか。先生、ユッキーのおうちにいさせてもらう代わりにマモちゃんに会わせてあげるって約束したもんな」
「そうそう」
なぬ?と俺は眉を寄せた。
幸裕め。相手のやすい策略にまんまとひっかかっていたとは。
どうりで、いずみと一緒に住むことを全然嫌がらないと思った。
「そーゆー出来ないことを軽々しく約束しない方がいいぜ。子供は、しつこいぞ。ずっと言われるぞ〜」
子供とは軽々しい約束は絶対しない方がいい。
悪徳金融業者のようなしつこさで、約束の実行を迫られる日が必ず来るのだ。
「まあ、でも。スケジュールさえ合えば、多分来てくれますよ。みぎわ、すごく気さくなヤツなんで」
こっちの心配などどこ吹く風・・・ないずみであった。
「えっ、本気で、知り合いなの?」
思いっきり反応してしまう。
「前に、ウルティアンが島に撮影しにきてさ。ちょっとしたトラブルから知り合いになって。今じゃメル友」
まるで普通のことのように言ういずみだが、松田みぎわは、今をときめく芸能人なのだ。
ウルティアンララアという今や大人気の特撮系ドラマで、個性的な悪役マーモッシュを演じる俳優だ。
「すげえっ」
いずみの言葉に興奮した。
「あっ、秋城さんも好きなの?マーモッシュ」
ドン引きとまではいかないが、確実に、ひき気味のいずみを無視して、俺は派手に頷いた。
おたくの血がざわめく。
「す、好き、好き。女の子みたいで可愛いよ〜」
あーちゃんをボーイッシュにしたらあんな感じになりそうだといつも危険な妄想をしていた俺。
「ふーん。じゃあ、ほんとに近いうちにみぎわに連絡してやるよ。お詫びを兼ねて」
「マジで?やったー。わーい」
親子で喜んでしまった。
すると、陽奈子が
「いずみせんせぇ。もう午後の診察始まりますよぉ」
と気だるげに横森医院のドアから姿を覗かせて、言った。
「ああ、そうか。ごめんね。今行くねえ」
とこれまた気だるげにいずみが返事をした。
なんという気だるいペアだ、と俺は思った。
2人の会話を聞いていたら、確実に眠くなるだろうと想像してしまい、なんか笑えた。
ストン、と幸裕を下すと「また夜にねえ」とヒラリと白衣の裾を翻して、いずみは横森医院に入っていく。
「せんせい、きょお、おうちでまってるね」
幸裕は嬉しそうだった。
「うん、おうちで待っててね
いずみがニコッと幸裕に笑いかけ、そして、俺にも。
「秋城さん。また野菜炒め作って待っててくれると嬉しいな、俺」
にっこりと眩しい笑顔。
「はあ?・・・俺、アンタの嫁さんじゃねーんだけど。第一俺、残業っ」
フンッ、といずみを思いっきり睨んで、俺は横森医院を後にし歩き出した。
「ユッキー、今日はおじいちゃんがお迎えに行くからな。パパ、今日は会社でお仕事遅くまでバリバリ頑張ってくるから」
「うん。頑張ってね、パパ。いずみせんせいとまってるから」
幸裕の笑顔に幸せな気持ちになりかけて、あれ?と思った。
いずみせんせいと待ってるって・・・。
てか。いずみ、いずみ。うーん。
なんか俺、さっき、怒ってなかったけ?
考え込み、思い出し、立ち止まった。
やべえ。なんか、誤魔化された気がする。
てか、完璧誤魔化された・・・。
前途多難な気持ちで、俺は幸裕と保育園に向かった。
会社に戻り、社長に幸裕のことを説明しようしたら、外出中だった。
剣崎さんが心配してくれたので代わりに説明をしていたら、背後で
「社長の息子だからっていい気なもんだよな」
とぼそりと聞こえた。
「・・・」
聞こえないふりをして振り返らずにいたが、一瞬背筋が冷えた。
剣崎さんには聞こえないような声の小ささだったので、剣崎さんは気づかず、自分の息子の小さい頃がいかにヤンチャだったかを一生懸命話してくれて、
俺を慰めてくれていた。
「ほんと、気楽でいいよね」
女性の営業の子の声も聞こえた。
残業するって最初から決めてたけど、なんか居づれえと思い、家も会社もきっついな・・・と、自分の置かれた状況を改めて自覚するのだった。

続く

************************************


戻る