仕方ないよ、好きなんだから4


さすがに今日はきつい一日だった。
遅刻していった俺が悪いのだが、義父は容赦なく仕事を押し付けてきた。
得意先への挨拶、取引先の新規開拓、営業事務。
大会社ではないから、一人一人に割り当てられる仕事がたくさんあるのは理解しているが、無駄に仕事が出来てしまう俺としては、
うまく使われてしまって結構辛い。
「幸裕は寝てるだけだから楽な一日でしたって、剣崎さんからさっき連絡が入ったよ」
「あ、そりゃよかったです」
剣崎さんは事務方の女性で、今日は俺が仕事で抜けられないから、彼女が保育園が休みの幸裕の傍に付き添ってくれていた。
昔からの事務の女性で、幸裕のことは生まれる前から知っているから、安心だ。
「すぐに戻りますからって伝えておいてください」
「わかったよ。お疲れ」
荷物をまとめて、会社を後にする。
そういえば今日は、いずみが来るとか言っていた。
なんか食うもんを用意しておくべきかなぁとなんとなく思った。
って、別に遊びに来る訳じゃねーし。
それでもまあ、ビールぐらいは、とスーパーに駆け込み、ビールと適当な食材を買い家に戻った。
剣崎さんにお礼を言い、まだ眠っている幸裕を眺めてから、俺はドサリとリビングのソファに腰かけた。
「あー・・・」
天井をぼーっと眺めながら、横森医院の今日一日はどうだったのかな?と思った。
まあ、これから来るいずみに聞けばわかることだけど・・・。
「風呂入るか〜」
風呂に入り、出てくる頃には、幸裕がもそもそと起きてきた。
お気に入りのラブアポTシャツを身に着ければ、気分も上がるってもんだ。
「ユッキー。もう大丈夫か」
「うん。大丈夫、パパ。かんびょうしてくれてありがとう」
にっこり。
おおっ。いつまでこの素直さを持っていてくれるのか。
俺はデレッと笑み崩れ、
「愛息子よっ」
ひしっと元気になった幸裕を抱きしめた。
ああ、どうか、親ばかと言ってくれぃ。
幸裕の為に卵がゆを作り、俺はビール片手におつまみ。
後から来るいずみの為に、野菜炒めを作っておいた。ま、好きか嫌いか知んねーけど。
二人でテレビを観て、わいわい。久しぶりに団欒の時間が戻ってきた。
「パパが着ているTシャツ最低だよね」
CMの合間に、幸裕が俺の風呂上りに着ているTシャツを5歳児らしからぬ冷やかな瞳で見て言った。
「うんうん。これはコンサートの日、ラス1をオタクども(おまえもな)から、もぎとってきた貴重なラブアポTシャツなんだよ。すごい価値があるんだ。
あっ。キッズTシャツも買って、ユッキーとオソロにするべきだったね」
「いらないし」
噛みあわない会話もいつもの日常だった。
「明日は保育園行けるな」
「うん」
卵がゆも綺麗に平らげ、元気よく答える幸裕に、良かった、とホッとした。
子供はやっぱり多少バカでも健康が一番だよとつくづく思う。


就寝の時間だが。
昼間に延々と寝たせいか、幸裕はまったく寝付けなかった。
「パパ。全然眠くないよ」
布団の上でゴーロゴロ。
「困ったなあ。明日は保育園なのに」
さすがに俺もイライラしてきた。
昔からあまり寝つきのよい息子ではなかった。
子供って寝てばっかりのイメージがつきものだが、我が子はほとんど寝ない子だった。
こんなに寝ないでいい機能など、大人になって徹夜するよーな時期に稼働させてくれよと何度思ったことか。
赤ん坊にゃいらん、こんな機能!と、寝ない子供を持つ親は思っているに違いない。
そう。子供は思った以上に、寝ない生き物なのである。
ああ。あの頃の地獄が、今再び。
まだ一人では眠れない子なので、添い寝してあげなくてはならないが、こうも寝てくれないと、きつい。
なんせ、まったく動けないのだ。寝てくれなきゃ、こっちはなんにも出来ない。
絵本はもう5冊は読んだし。
こんなんじゃ、俺のが先に寝ちまうよ。あくびを何度噛み殺したことか。
明日の支度なんもしてねーし、寝落ちはマズイって思いつつ、ギンギンの幸裕とは対照的にウトウトしだした俺。
「パパ〜」
「んーん。眠い。ユッキー邪魔しないで」
「僕、眠くないもん」
幸裕はユサユサと俺を揺する。
「やめて、ユッキー。パパ眠いのぉー」
すると。
ドタドタドタと派手に階段を駆けあがる音がした。
安普請のアパートでは、やたら大きく響く。何段か飛ばして駆けあがってきているようだった。
うとうとしかけていた意識が覚醒する。
「な、なに」
幸裕が驚いて、俺に抱きついてきた。
「っせえな。どこの住人だよ。酔っ払いか」
時間も時間だ、と俺は目ざまし時計を見た。
すると、ドンドンドンと我が家のドアが激しく叩かれた。
「きゃ。パパ。なに。うちのドア叩いているよ」
「なっ」
驚いて飛び起きた。
「幸裕。そこでジッとしていろよ」
玄関に向かって走り出してから、ハッとした。
そうだ。忘れていた。いずみの来訪があるんだった。
ってことは、このドア叩いているの、いずみ?
慌てて施錠を解き、ドアを開けると横森医院ですれ違った時に感じた匂い。
いずみの匂いだとすぐわかった。
「ちょっ。あんた、近所迷惑だよ。デカい図体で階段」
と言いかけた時だった。
「秋城さん、ごめんね。ちょっと体、貸して」
といずみは言いながら入ってきて、後ろ手にドアをバタンと閉めた。
「は?」
ドササ。
玄関先で、俺はいずみに押し倒されていた。
「なっ、えっ?」
よくわからないけど、なに、この生温かい感触。
てか、俺、いずみと、チューしてね??
「やめ、やめ。なにしてんの、あんた」
ぷはっ。
キスから解放されたら、いずみが今度は首筋に吸い付いてきた。
「酔ってんの?ちょおっ」
いずみの手がTシャツの中に潜り込んできた。
なに、なに、なにーーー。
怒涛の連続攻撃に、目が白黒してしまう。
なに、この展開。どーなってんの!?
「手、どかしてよ。ちょっと。やめっ。んなとこ触んなって」
コイツ。いきなり、乳首触りやがったぞ。なに考えてんだぁ〜。
「あ、なんか、あなたいい匂い」
いずみは、鼻をクンッとさせて、俺の肩に顔を埋めた。
風呂上りですが。てか、なに、この状況。
「ごめん。このTシャツ脱いで」
「はあっ!?やだ、脱ぐ訳ねえだろ。一体なんなんだよ、いきなり」
「じゃあ、ごめん。ほんと、ごめんね、ごめん」
ビリビリビリ。
「えっ」
Tシャツ破かれたんですけど・・・。
ここまで来て、状況が飲み込めずいつまでも目を白黒させてる場合じゃないと、俺はゾッとした。
俺、玄関で、強姦されんの??いずみに?男に??
「いずちゃん!」
ドカンッ。蹴り飛ばさんばかりのすごい勢いで、ドアが再び開いた。
「なにやってんの、いずちゃん!!」
この声は、王子。山田先生の声だった。
「なにってさあ。見りゃわかんでしょ。襲ってんの」
俺の上に馬乗りになって、いずみが振り返って、王子に言った。
冷静に答えてンじゃねーと俺は叫びたかったが、いかんせん驚きすぎて声が出ない。
「玄関でしょ、ここ。なに考えてんの」
ぶるぶると王子は声を震わせていた。
まったくもって王子の言う通りだと思った。
「久しぶりに会ったんだもの。我慢できないよ。ここが玄関だろうと廊下だろうと」
「こんなことがしたいが為に、僕を巻く勢いで走ってきたの」
「まあね。久しぶりの性欲だから、体には抗わないようにしてるんだよ、俺」
そう言っていずみは、俺を抱き寄せた。
なんかもう、抵抗出来ない。色々ショック過ぎて。
「性欲ならば、僕に出せばいいだろ。幾らだって可愛がってあげるって言ってるじゃないか」
「だから。何度も言ってるように、俺は、可愛がってあげたい方なの。ほれ。ここの、えっと。久しぶり過ぎて名前忘れちゃったけど、この人みたいに。
綺麗な子が俺は好きなの」
な、なに言って・・・。ああ、王子が睨んでいる。めっちゃ、王子が俺のこと睨んでる〜。
「知ってるよ。だから僕も、この美しい顔に整形したんじゃないか」
「俺は前の山ちゃんのが好きだったよ!とにかくもう帰ってよ」
「一緒に帰ろう。秋城さんのことは、一時の気の迷いだよ」
「帰んないよ。だって俺、ここに住むんだから。もうおまえ邪魔。マジ帰れ」
「住む?同棲するってこと?」
「そうだよ。そういう話になってんだよ」
なに。
なんなの、この会話。
「これ以上俺達の邪魔しないでくれっ」
「うわっ、ちょっ」
いやだ、と抵抗したが、なんなく手首を返され、二発目のキスをかまされた。
「ちょっと。なんの騒ぎ」
隣の秋田さんらしき声がドアの隙間から、聞こえた。
「あっ。夜分に失礼しました」
ドア先にいた王子がぺこりと頭を下げた。
「勘弁してよ。うるさいのよ。うちにはまだチビがいるんだから」
「申し訳ありません」
元来の腰の低さが出た山田はペコペコと謝っていた。
「あら。山田先生じゃないの?」
言われて、王子はギョッとしたようだった。
どうやら秋田さんは山田小児科がかかりつけらしい。
「あ、し、失礼しました。私、部屋を間違えたようで、騒ぎになってしまって」
「まあまあ。往診ですか?そちらは秋城さんちだからね。秋城さんちは横森医院ですものねえ」
途端に秋田さんは、機嫌の良い声で、ホホホと笑った。
「え、ええ。そうですね。もう一度確認してから出直します。では、失礼します」
「せんせぃ、お気をつけて〜」
さすがの秋田さんも綺麗な男には弱いらしい。さきほどの迫力はどこへやら、だ。
にしても、助かった。ご近所づきあい万歳と、俺は思った。
「いずちゃん、僕は諦めないよ。邪魔するからね」
と物騒な言葉をドアの向こうで囁いていきながら、王子の去っていく足音。
「うあ、こえ〜」
と言いつつ、いずみは俺の腹の上に馬乗りになったまま、はあと溜息をついた。
「てか、びっくりしたのは、こっちなんですけどっ」
「あ。すみません、ほんと」
俺は、いずみを蹴り飛ばした。
「パパ。この人とチューしてた。大林貢と聖みさきみたいだった」
気づくと、廊下には、幸裕が立っていた。手にはバッドを持っていた。
やばい、見られた。てか、この騒ぎじゃ、当たり前か・・・。
「あ、えっと。まあね。確かにあの二人みたいだったね」
前回のウルティアンララアは、主人公と悪役マーモッシュがキスをしていた。
ちなみに人工呼吸のシーンであるが、妙に色っぽく演出されていて、この番組はどこへ行きたいの?と
ちょっと謎に思ったぐらいだった。
「ステキ。パパは、大林貢になるの?マーモッシュになるの?」
「なるかっつーの。ユッキー、お布団戻りなさい」
「はあい」
蹴り飛ばされた勢いで、ドアにぶつかって頭を打ったのか、顔を顰めていたいずみだったが、
俺と目が合うと、ぺこりと頭を下げた。
当然の態度だとは、思う。
「まずは、本当にごめんなさい」
「一体なんの騒ぎなんですか」
「病院出たら、山ちゃんに待ち伏せされて。どこへ行くんだ、なにしに行くんだってうるさくて。どさくさに紛れて、なんか告ってくるし。
山ちゃん昔から、真面目な分、思い込んだらどこまでもイッちゃうタイプでさ。もうすげえ怖い顔で追っかけてくんの。好きだー、
好きだーって。マジ、俺、捕まったら、掘られそうな勢いだったんで、掘られるぐらいならば掘るからって山ちゃんにアピールしたくて
あなたを押し倒してみました。すみません」
「いや、あの。さっきからごめんねだのすみませんだの言われてもさあ。簡単に許せることでもないよね」
「はい」
「あなたと山田先生の騒ぎになんで俺」
思わず言葉に詰まってしまう。
その沈黙の最中、いずみがどこか呑気に言った。
「あ。なんか、すげえエロい恰好ですよね、秋城さん。着エロっぽい」
Tシャツは見事にビリビリだ。
「あんたがしたんですけど」
「すみません」
「しかも、これ」
言いかけて、再び言葉に詰まってしまった。
やべえ。なんか、こんなことでバカらしすぎるけど、涙出ちまう。
いきなりで、なんかちょー怖かったのと、ラブアポT破られたことへのショック。
30歳のおっさんのくせに、俺ってば。
「・・・」
いずみが、ぽかんとした顔で俺を見ている。
うげえ。恥ずかしい。ユッキーもいるってぇのに。止まンねえ。
ボロボロと涙、出た。
「マジで申し訳ねえ。ごめんなさい、秋城さん」
ガバッといずみが土下座した。
「すみません」
なんも言えん。もう、しばし泣かせてくれい、と俺は思った。
すると、いつの間にか俺の後ろに立っていた幸裕が、いずみに向かって言った。
「大丈夫だよ、おにーちゃん。パパが泣いているのは、ラブアポTシャツが破けちゃったからだよ。弁償してあげれば泣き止むよ」
おりゃ子供かっ。って、ま、それもあるけどさ。てか、それが理由にすっけどさ。
男に押し倒されてキスされて怖かったなんて、情けなくて言えるか。
「ごめんね、秋城さん。Tシャツ弁償するから」
すっかり幸裕の言葉を信じているかのようないずみの台詞に、ユッキーナイスフォローと俺は思った。
「・・・俺が落ち着くまで、野菜炒めとビールあるから、キッチンで食ってて」
「なにからなにまでほんと、すみません」
いずみは靴を脱ぎ、部屋へと上がり、ユッキーに案内されてキッチンへと消えていった。
しばらくして、俺は着替える為に、立ち上がった。
着替えて、キッチンへと行くと、さすが小児科医。
人見知りする幸裕を見事に手なづけ、二人で楽しそうにキッチンでお喋り。
俺の姿を見ると、いずみは、
「秋城さん、この野菜炒め美味いっす」
と、ビール片手ににこやかだ。
「あ、そう」
俺は、ヒクヒクと引き攣り笑い。
幸裕の目を片手で塞ぎ、あいた手で、俺は、いずみの頬を平手打ちした。
パアンッ。
小気味良い音が部屋に響いた。
「これで、許してやる」
なんとか、気持ちの折り合いをつける。
「ビールこぼれちゃった」
ぶたれた拍子にいずみの手にあったビール缶から、ビールがこぼれたようだった。
ジーンズが濡れていた。
「許してくれてありがとうって言いたいんですが、あつかましいことを承知で、もう一つお願いがあって。同居させてください。
って、あ、白目剥いてる!?」
なんだろう。俺、なにか悪いことしたかな、神様。

続く

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