仕方ないよ、好きなんだから3

なんで俺が、ここにいるんだろう。
待合室に座るメンバーを見まわし、ゴクリと喉を鳴らした。
昨日、病院のカギが開いていたのは、院長が金を持ち出したから、だそうだ。
かなり慌てていてとにかくまとまった金が欲しかったとは、本人の談で、落ち着いたら必ず返す、とのことだった。
なにをそんなに慌ててたのだろうか・・・と思ったが、問題はそれより、こっちの雰囲気だった。
開業時間の30分前。横森医院の待合室は、どんよりと曇っていた。
「まあ、金のことは、多分問題はないと思うんですが」
そう言って、いずみが、長い脚を組み替えた。
「問題は、この病院どーすんの?って感じですよね」
ははは、とまるで他人事のようにいずみは笑った。
すかさず、チラリと池田さんが俺を見た。
池田さんの「お願い、いまとちゃん」的な視線を受けて、いずみ以外唯一の男である俺が意見した。
「いや、どーすんのって、あんたが、やりゃあいいじゃん。お父さんの病院でしょ」
そう言うと、池田さんは、ホッとしたように、うんうんと頷いた。
池田のおばちゃんに頼みこまれて、なんだかよくわからない横森医院緊急会議に出席にしている俺。
「いや、それ、無理ですよ。俺、T島で離島の医師やってるもんで」
サラッといずみが、言った。
「おっ。Drコ○ーだ。かっけえー」
思わず俺は身を乗り出した。
「でしょ、でしょ」
一瞬盛り上がり、そして、再び、シーン。
「いずみちゃん。そちらはどなたかにお任せして、こちらをお願い出来ないかしら」
池田さんは、珍しく化粧をしていた。服もなんだかいつもと違うし、元々客室乗務員なんかやっていた人だから、とても綺麗に見えた。
「いや、その」
それまでヘラヘラしていたいずみが、急になんだかそわそわしだした。
「やっぱりあっこは、俺がいないとダメになっちゃうし」
「ここもよ、いずみちゃん。横森先生がいない今、誰がこの医院を支えていくの。三軒隣には、あの山田さんがあるんですよ」
「だったら余計に、ここ、必要ないでしょ」
といずみが言うと、池田さんが、ワーッとハンカチを取り出してとうとう泣き出した。
「あなた、いつからそんな冷たい子になっちゃったの。ここはあなたのお母様が愛した場所ですよ。そんな思い出深い場所を、簡単に諦めていいの」
「い、いえ、そりゃまあ、その。池田さん、泣かないでください」
いずみが立ち上がり、池田の背を撫でた。
「なにがなんだか」
呟いた俺に、陽奈子が同意する。
「あたし達いる必要なさそうだよね。でも院長の息子、かっけーですね。惚れそう」
いい男など見慣れている陽奈子ですら、目をキラキラさせて、いずみを見つめた。
池田さんの背を撫でながら、いずみが本気で困った顔をしていた。
「えっと。もー、俺、どーしょ。帰らなきゃなんねーんですけど」
足元のキャリバをコンッと蹴とばして、いずみはウームと考え込んだ。
と、そこへ、バタンと入り口のドアが開いた。
「いずちゃん」
「は?」
「いずちゃん、帰ってきてたんだねー」
ヒラリと白衣が翻る。
「えっ」
「会いたかった、いずちゃんーーー」
ガバッ。
大男×2の抱擁。ただしイケメン同志だから、むさくるしくはない。
「どなたさま?」
べりっと突如乱入してきた男を引きはがし、いずみはキョトンと首を傾げた。
「僕だよ。山田望だよ」
確かに乱入してきたのは、山田先生だった。
「嘘。山ちゃん、こんな顔じゃなかったよ」
いずみは、山田の顔をペタペタ触っては、パッと手を離す。
「整形したんだよっ。いずちゃんに似合う男になりたくてっ」
「えーっ」
叫んだのは、いずみではなく、俺。いずみよりも、俺がびっくりした。
「え、知らなかったんですか、秋城さん」
陽奈子が言った。
「知らないよ。お、王子が整形?」
「有名ですよー。整形だって。でも、整形なんて別に珍しくないし、カッコいいからなんでもいいやって奥さん方言ってました」
ほえ〜。なるほど、なるほど、と納得したものの、あっちではまだバタバタやっていた。
「とにかく、もう。会いたかったよ」
ぎゅむむと山田はいずみを再び抱きしめた。
「い、いや、俺は別に会いたくはねえけど。なんなの、なんなの。離せって」
「話はすべて聞かせてもらったよ」
「って、山ちゃん、刑事!?」
ははは、といずみは苦笑し、どうやら山田の力に敵わないらしく、引きはがすことを諦めていた。
「もうこの際、こんな病院はさっさと畳んで、僕のところにくればいいよ、いずちゃん!」
「は?」
「まるごと僕が引き受けるよ、この病院」
ドンッ、と山田が自分の胸を叩いた。
「いいね。それ、いい。ナイスアイディア。山ちゃんサイコー」
今度はいずみが、山田をぎゅむと抱きしめた。
「だろ」
「じゃあ、池田さんと受付の女の子とこの病院の常連さん、まとめてよろちく」
えへ、といずみが、キャンディを口の中から引出しながら、笑った。
「いずちゃんは」
「俺?俺は帰るしー。島へ」
当たり前でしょ、といずみは山田の額をピンッと指で弾いた。
「なんで僕がいずちゃんがいないのに、こんな病院のやつらを引き取らなきゃならないの」
一瞬、聞き間違い?と俺は耳を疑った。
「いずちゃんがいることが条件だよ」
山田は、キリッとした顔で、きっぱりと言った。
「いや、だから、俺は、島へ帰るんだって」
もー、なに言ってんのおまえさんは〜といずみは、山田の態度とは裏腹にチャラチャラしている。
「だったら、こんなババアとガキなんて引き受けないよ」
ツーン、と山田はそっぽを向いた。
「ちょっと。誰がババアよ」
池田さんが反論する。いや、アンタ。ババアだろ、と俺は心の中でつっこんだ。
「誰がガキなのっ」
陽奈子も反論する。まあ、見た目ロリだし、しゃーねーだろ、とも。
などとやっていると、山田と目があった。
「なんでここに秋城さんがいるんですか。部外者じゃないですか」
って、人のこと言えねえし。おまえも完全に部外者だろ、とはこの前の幸裕のことがあるし、言えない。
「あ、ですよねー。俺、関係ないんだけど、なんかいちゃって」
えへっと笑ってみたものの、山田の瞳は冷ややかだった。
あーれー。
なにこの人。なんか怖いんですけど。全然この前とイメージが違うんですけど。
シーン。
「やべ。なんか困ったな・・・」
ベロベロとキャンディを舐めながら、いずみは、肩に山田をくっつけたまま、頭を掻いた。
「退職金とか、おやじに請求すんで、それで勘弁してもらえませんかね?池田さんと、そこのおねーちゃん」
二人は同時に「いやです」と答えた。
またもや、シーン。
オイ。これで何度目の沈黙だよ、と俺が気まずさに体を捩った時だった。
バタンとドアが荒々しく開く音が待合室に響いた。
まだ生まれたばかりの小さな子供を抱っこした新米ママらしきが、震えながらそこに立っていた。
「あ、あの。この子急に熱を出して。さっきもおっぱい吐いちゃって。み、み、看ていただけますか?初診なんですが」
うあー、と母親は靴も脱がずに泣き出した。どうやらまだ10代みたいだった。
いずみは、急に真剣な顔になって、ソファから立ち上がり、待合室を長い脚を翻して横切って行った。
「すぐに看るよ。池田さん、ママを診察室へ案内して」
グイッと舐めていたキャンディを俺に押し付けて、いずみは診察室へは走っていく。
「はい。お母さん、こっちへ」
泣いて震える母親の手を取り、池田さんが診察室へと案内していく。
俺と陽奈子と山田先生は、そんな様子をボーッと眺めていた。
「・・・」
しばらくして、いずみが舐めていたキャンディを持つ自分の指に気づき、ハッとした。
「なんで俺が、こんなもん」
と言うと、俺の手から、キャンディバーをバッと山田が奪うと、そのまま、パクッとそのキャンディに食いついた。
「うっげーーーー」
俺は思わず場所も忘れて、悲鳴を上げた。
ぺろぺろと山田はそれを舐めあげていた。
「ひぃいい〜。きもっ」
俺達の悲鳴をまったく意に介さず、ひたすらキャンディを舐めあげている山田だった。
「あの患者さん、山田先生いないから、こっち来たんと違う?」
陽奈子がコソッと俺に囁いた。
確かに、朝一番にこの病院に急患らしき患者がくるとはにわかに信じがたい。
「そ、そうだね。もう9時過ぎてるし・・・」
「ねえ、山田先生。病院どーしたのよ。大丈夫なの?」
「そうでした。つい、いずちゃんのことで興奮して。とりあえず戻ります。このキャンディはいただいていきますね」
ふっふっ、と山田は笑っていた。
「ど、どーぞ」
こくこくと頷くと、るるる♪と楽しそうにキャンディ片手に山田は出て行った。
「えー、なに、あれ」
キモッと呟いて陽奈子は、山田の出て行ったドアを見つめていた。
「や。変態っしょ」
「ですよね」
と、診察室のドアが開き、いずみに付き添われて、若いママが子供を抱っこして出てきた。
「ありがとうございました。本当にありがとうございました」
彼女はペコペコといずみに向かって頭を下げていた。
「どういたしまして。びっくりしたよね。とりあえずもう大丈夫だけど、怖かったらまたいつでも来ればいいよ」
若いママだからか、はたまた可愛いママだからか、いずみはやたらと愛想が良かった。
「は、はい。本当にありがとうございました、先生」
「どういたしまして」
にこっ。いずみは微笑んだ。
それを見て、陽奈子が「きゃ〜」と小さく声をあげた。
いい笑顔、と、確かに俺ですら思った。
「いずみちゃん、相変わらず手際がいいわ。鈍ってないわね」
池田さんが、満足気な顔で、診察室から出てきた。
「手際だけはいいっすよ。あっちは、ほんと、緊急なことばっかりだからね。まったりした診察のが少ないんだよ。ま、普段はまったりしてっけどさ」
と、俺に向かっていずみは手を伸ばした。
「ん?」
なんすか?と首を傾げた。
「キャンディ」
言われて、俺はハッとした。
「あ、それ、山田さんが舐め回して、挙句に持っていったよ」
そう言うと、いずみはちょっと眉を寄せてたから、肩を竦めた。
「山ちゃん、イチゴ味昔から好きなんだよな。顔は変わったけど、そっちは変わってないね、まったく」
「いや、そーゆー問題じゃねえだろ」
俺が思わず突っ込んだものの、いずみは平然としている。
「あーあ、とにかく困ったな。休診の札出しておいてくれるかな」
言われた陽奈子は、
「って、先生。今さっき、あの患者さんに、また来ればいいよって言ってなかった?」
とつっこんだ。
いずみは、「あ、言った」と口を押えた。
「ついあっちにいる癖で・・・」
「来たらどーすんの?休診出したら、だめじゃん、先生」
「ちょっと待ってよ。じゃあどうしたらいいのよ、俺」
すかさず池田さんが、
「ここで医者をやればいいんです。ねえ、陽奈子ちゃん」
「そーよ、そーよ」
などと、また会話がループしそうになったので、たまらずに俺は、
「あの、よくわかんねーけど、俺帰っていいっすか。仕事あんで」
と、口を挟んでみた。
「あ、ごめんね、いまとちゃん。今日はありがとー」
池田さんは超ご機嫌だった。
確かに今の状態だったら、少なくともいずみを一日はこの病院に拘束できそうだからだ。
ま、本人の自業自得なんだけど。
「いえ。なんかよーわからんですが、ま、頑張ってください」
どう頑張るのかわからないけどと思いつつ、俺はようやくこの横森医院の待合室から解放されることに安堵した。
「秋城さん」
呼ばれて、振り返った。すっかり名前を憶えられてしまったようだった。
「今日、お宅に伺っていいですか」
いずみが俺をまっすぐに見ていた。
「なんで、あなたが俺の家に?」
全然わからない。
「おやじのこと、聞きたいんで」
言われて、なるほど、と思った。ラブアポのこととか、ね。
「はーい。了解しました。場所は」
「調べていきますから、大丈夫です。では、今晩よろしく」
にっこりといずみは微笑み、ヒラヒラと手を振った。
とりあえずぺこりと頭を下げて、俺はやっと横森医院から出た。
外はいい天気だった。
快晴。
少し歩いて、横森医院を振り返った。
相変わらずのボロ。引き換え、三軒隣りの山田小児科は相変わらずピカピカで綺麗。
でも、横森医院は、先生だけは若返り、綺麗になった。
外からは誰も気づかないけど。

頭の中で考えて、なんか笑えた。
ちょっと興味が出た。なんか、面白い、と思った。
どーなんの、この病院。
そう思ったらなんか笑えて、俺は人目も気にせずにニヤニヤしながら、会社へと遅刻していった。

続く

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