仕方ないよ、好きなんだから2
俺は、急きょ決まったラブアポコンサートの為に、新アルバムに入っている曲を覚えるのに余念がなかった。
「また聴いてる」
背後で幸裕が、戦隊物のDVDを持って「観たい!」と主張したが、「明日コンサートだからごめん」と譲らず、なんとかメインのフリと曲を覚えきった。
「ひぃ〜」
30歳過ぎると、なかなか覚えるのがきついと思いながら、バタリと横になった。横になりながら、傍らの幸裕を見上げた。
「ユッキー。飯ちゃんと食ったの?」
「ラブアポがうるさくて、ご飯が美味しくないから食べてない」
なんとも生意気な返事が返ってきた。
こいつのアイドル嫌いも筋金入りぢゃ・・・と思いつつ、テーブルを振り返ると、確かに幸裕は食事を残していた。大好きなオムライスだったのに。
「あとでプリン食う?」
「いなないっ」
時々変な言葉になるのが妙に可愛いのだ。
幸裕はDVDを手慣れたしぐさでセットした。
「マモちゃん、頑張るんだ」
拳を握りこみ、幸裕は真剣に画面に見入っていた。いったい、何回観てるんだよ、この回。見覚えのあるシーンがテレビに映し出されている。
幸裕はこの巻が大好きなのだ。この回は、悪役マーモッシュの最高の見せ場だった。
幸裕は変わった性格で、戦隊物シリーズのぶっちぎりヒーローには憧れずに、悪役にメロメロなのだ。
まあどのみち、親子でのめりこむ性格ってところは、さすがによく似ているよとは思うのだけど。
「ユッキー、明日はじいちゃん家に遊びに行くぞ」
「わかってる」
天井を見上げて、俺は、ふと逃げた妻の幸子を思い出した。
「なあ、ママ、今頃どこにいるんだろうなあ」
「きっと東京湾に沈んでるよ」
「おまえ、それ死んでるってことだぞ・・・」
意味もわからずにサラリと言った息子に驚きつつ、明日のコンサートのあーちゃんの衣装、ミニスカだといいな、としょーもないことを考えながら、
襲ってくる睡魔に目を閉じた。
ラブアポコンサート当日。
ジジイが心臓麻痺を起さないか心配しつつ、熱狂のコンサートは幕を閉じた。
幸い、横森のじーちゃん先生は、2時間半のステージを踊り歌い狂っていた。
このままぽっくりいっても、おそらくは後悔など微塵も感じないだろうと、こっそりホッとしていたりした。
それにしても、毎回クオリティの高いステージだと俺は感心する。彼女らは、完璧にコントロールされたアイドルだ。半端なミーハー心で彼女達に向き合えば、
魂を持って行かれる。俺はそろそろ限界・・・と思った。このまま本気でラブアポにいれこめば、今の生活をあっさり捨ててしまうレベルになってしまう。
それぐらい彼女達の吸引力は容赦なかった。本気には本気で対抗せねばならないということだ。完全にラブアポオーラにあてられっぱなしの、横森のじーちゃん先生を
家までタクシーで送っていき、幸裕を義父の家に引き取りに行った。
幸裕は寝ていた。義父からは「幸裕は今日一日あまり元気がなかった。やはり君がいなくて淋しかったのかね」とちょっと切ないことを言われた。
幸裕を抱えながらアパートの階段をのぼり、今度の土日は幸裕とみっちり遊ぼうと決めた俺だった。
夜中。
呻き声で目を覚ました。
「ユッキー、どした」
「パパ、おなか痛い・・・」
「おなか痛い!?」
ガバッと俺は起き上がった。幸裕はエビのように体を丸めて痛がっていた。
「幸裕!」
慌てて横森のじーちゃん先生の家に電話した。
だが、じーちゃん先生は出なかった。留守電に喚いたが、応答がない。諦めて受話器を投げ捨て、他の方法を考えた。
心臓がバクバクしていた。痛がる子供の姿を直視出来ない。なんて情けない俺。
救急車を考えたが、直接病院に連れて行く方が早い、と思った。
毛布で幸裕をくるんで、保険証と着替えの服、動転する頭で考えられるものすべてを鞄に詰め込み、家を出た。
ここらで夜中にやっている救急病院って行ったら、隣町だ。
タクシーを拾って、行くしかない。
「パパ、痛いよぉ」
幸裕の顔色は青ざめていた。俺の心臓もキュウキュウと痛んだ。
「待ってろ、ユッキー。すぐに病院に連れていってやっから」
走り出そうとして、名を呼ばれた。
「秋城さん」
誰だよ、こんな時に、と思って、俺はアッと声を上げた。
「やっ、山田先生」
車からヒョイと顔を出して、山田小児科の、山田先生がこちらを見ていた。
こんな真夜中にどうされましたか?と思ったが、聞かれたのは、俺の方だった。
「どうされました、こんな真夜中に。もしかして、お子さんの具合が悪いんですか?」
「は、はい。今、病院へ連れていこうと」
「私でよければ、診ますよ。さあ、早くお子さんを車に」
「えっ、あの」
と言いつつ、躊躇している暇はなかった。
「お願いしますっ」
なんという幸運。素晴らしい。俺は心からホッとした。
山田小児科の山田先生。こいつぁホンモノの王子様だ、と思った。
車の中での診察を終え、どうやら急を要するような症状ではなかったので、車は山田小児科に向かった。
「お腹の風邪ですね。ずっと調子が悪かったんでしょう」
たった一度来たことがある診察室で、そう言われて、俺はハッと我に返った。
「そういえば、横森のじいちゃん先生が、お腹の風邪が流行っているって」
「ええ。そうです。ここら界隈では大流行ですよ」
山田先生は頷きながら、幸裕のお腹の辺りに、たぐまった服を直してやっていた。
幸裕は、まだ苦しそうな顔をしていたが、とりあえず大事ではなくてよかったと俺は胸をなでおろした。
「一度風邪ひいて、薬飲ませて治ったから、安心していたんですが」
俺のその言葉に山田先生は、ピクリと肩を揺らした。
「最近、幸裕くんの様子はおかしくなかったですか?」
山田先生に言われて、思い当たることがあり、ズーンッと落ち込んだ。
「おかしかったです。オムライスとか好きなのに食ってなかった。食欲がなかったようです。今日もあまり元気がなかったみたいで」
なのに、ラブアポのことで頭がいっぱいだった俺。父親失格だ。
「きっと具合が悪かったんですよね。秋城さん、よく見ていれば、お子さんはサインを出していることが多くあります。気をつけてみていてあげてくださいね」
ドンマイですよ、と山田先生は俺の肩を軽く叩いた。
「せ、先生っ。いや、王子・・・」
「は?」
先生を見上げて、思わず拝んでしまった。
「先生ありがとうございますっ。こんな夜中にいやな顔一つしないで、看てくださって。俺、ライバルのところの患者なのに。先生のとこの患者じゃないのに」
キョトンとしていた山田先生だが、ああ、と思い当たったようだった。
「ライバルって。横森先生ね・・・」
ふふっ、と山田は笑った。その笑い方が、王子にしては意外なことに、どことなくバカにしたような感じだったのだ。
む。ライバルとさえ思われていないポジションだったか?と俺は横森のじーちゃん先生をちょい気の毒に思った。
でもま、確かに、争う必要もないくらい、こっちのが繁盛してるしなぁ。
「僕なんか、横森先生の足元にも及びませんから、ライバルなどと、とんでもないですよ」
聞こえてきた言葉に、耳を疑ったぐらいだった。
腰が低いにもほどがあるってもんだろ。まったくいまどき、こんな心の綺麗な医者がいるのか、と信じられない気分だった(偏見)。
「ありがとうございますっ。本気で感謝してます。なにかお礼しなきゃ気が済みません。先生、お酒とか好きですか?」
ぐっ、と先生の手を握りこみ、俺は先生ににじり寄った。
「いえ。僕は、酒はやりません」
迫力に押されたのか、先生はズリズリと後ずさっていた。
「では、なにかお好きなものなど教えてください」
「いえいえ。どうぞお気を使わず」
「そんな訳にはいきませんよ」
しつこい俺に、先生は困惑していたが、急になにか良いことが浮かんだのかニコリと微笑んだ。
「それならば、予防接種の一つでも今度うちで打っていただければもう」
「お安い御用です」
こちらはタダですから、と心の中で俺は呟いた。
「本当に、本当にありがとうございましたっ、王子」
先生の手をさらにギュッと力強く握った。
「見た目では想像出来ませんが、握力強いですね。って、さっきから王子ってなんですか、それ」
先生は苦笑していた。
「先生の為にある言葉です。困ってる親子を颯爽と助けてくださって。ただでさえイケメンなのに、医者で、そんでもって背高いし、声かっこいいし。
もう完璧です。だから、王子と呼んでいるんです」
怒涛の如くの俺の賛辞に、先生は目を丸くしていたが、
「あなた、面白いですねぇ」
ふふ、と笑うその笑顔だって完璧なんだから、もうどうしたって王子という形容詞以外思い浮かばない。
「では、どうぞお大事に」
「改めてお礼に伺います」
「はい。お待ちしていますね」
あまりに優しい笑顔で言われて、俺はキュンとなった。横森のじいちゃん先生にはわりーけど、浮気しよっかな、俺、と一瞬思っちゃったりしたぐらいだった。
ウトウトしだした幸裕をおんぶして、山田小児科を後にした。
さっきまで、心臓が爆発するかの如く緊張していたのに、今のこの気持ちの穏やかさときたら。
はー。本当に医者っていうのは、すげえなぁとつくづく思った。
人生やり直すんだったら、俺も人の為になる医者になりてーと柄にもなく考えたりして。
と、三軒隣の横森医院の前を通りかかると、明かりがついていた。
「あ、やべ。じいさんちの留守電に散々喚いていたんだっけ」
きっと、駆けつけてくれたんだろう。幸裕を背負ったまま、横森医院に立ち寄った。
「じいちゃんセンセー、電話で騒いじまって、すんませんでした。俺、山田さんで看てもらっちゃった。山田の王子様にぃ」
ドアを開け、待合室を覗いたが、誰もいない。
「そっか、診察室か」
診察室のドアを開けると、まず目に入ったのが、だらしなく机の上に投げ出されていた長い足だった。
「?」
いつも院長が座っている椅子がギッと軋んだ音を立ててクルリとこちらを向いた。
「あんにゃだへ?」
「はあ?」
院長の椅子には、若い男が座っていた。
「おまえ、誰だよ。まさか、泥棒!?」
男は舐めていた棒付きのキャンディを口から引っ張り出して言った。
「あ。もしかして、あんたが秋城さん?」
「え、ああ、そうですが」
泥棒が俺の名前を知ってる筈はない・・・だろ?
「留守電で喚いていた人だよね」
「はあ・・・」
ギッと椅子を軋ませて立ち上がった男は、スラリとした長身だった。
すべてにおいて色素の薄い男で、茶色のやや癖のある髪に、垂れ気味の茶色い瞳。右目の下にある小さなほくろが妙に色っぽかった。
間違いなく、美青年だ。さっきの山田先生といい、コイツといい、なんか最近俺の周り、キラ男出現率高くね?と思った。
「おやじの代わりに来てみたものの、誰もいねーし。でもまあ、山ちゃんに看てもらえたならば、ラッキーだったね」
言ってから、カリッと、男は残っていたキャンディを噛んだ。
「あ?」
山ちゃん?山ちゃんって、山田先生のことかいな。
男は、ヒョイッと俺の背中の幸裕を覗きこんで、自然なしぐさでその頭を撫でた。
「じゃ。役立たずの俺は帰るんで。おやすみなさい」
スイッと俺の横を横切っていく男からは、なんだかフワリといい匂いがした。
「ちょっと待って。あんた、いったい誰ッスか」
俺の問いに男は、ピタリと歩を止めた。
「あ、ですよね。俺、ハゲの息子の、いずみ言います。では、あとはよろしく」
「息子ォォ??」
いたの、そんなの??と驚いている場合ではない。そういや、さっき、おやじの代わりにとか言ってたよ、確か。
「ちょっと待てよ。オイ。鍵どーすんだよ。かけていけよっ」
すると、垂れ気味の目を更に垂れさせ、いずみと名乗った男は、ニッと笑った。
「鍵なんか知らないよ。元々開いてたんだよ、この病院」
ドアのすぐ傍まで来てから、いずみはタバコを口にくわえた。
「はあ?」
「この病院。最初から開いてたのよ。俺、今日こっちに戻ってきたばっかりで、ここのカギなんかどこにあるか知らねーもん」
「って、俺だって知らねえよ」
「常連さんなんでしょ。よろしく。あ、お子さん、お大事に」
ヒラヒラと手を振って、いずみと名乗った男はさっさと行ってしまった。
「なんで俺がここ任せられてンの??」
とりあえず幸裕をソファにおろして寝かせた。毛布で小さな体を包む。スピスピと彼は眠っていた。
「ってことは、なにか?俺、今日、ここにお泊りなのぉ〜!?」
なんなんだよ、一体と思うものの、まさか鍵がかからない病院を放って家に帰る訳にもいかない俺は、仕方なく今晩はここに泊まることに決めた。
にしても、なんだあ、アイツ。
さきほどの色素薄い茶色ヤローを思い出し、首を傾げた。訳わからん。
「ま、いっか。明日、じいちゃんセンセーに聞けばいいってことさ」
とにかく寝よっと。もうヘトヘトだっつーの。
俺は幸裕の横に寝そべった。
古い待合室に響く時計の音を聞きながら、さっさと夢の世界に旅立った。
翌朝。
出勤してきた看護師の池田のおばちゃんの悲鳴で目が覚めた。
「どったの、池田さん」
ソファからヨレヨレと身を起こした。幸い、幸裕はまだ眠っていた。
「大変よ、いまとちゃん。先生、旅に出ちゃったの。遺書が、じゃなくて、書置きが残されてて」
「へ?」
寝ぼけ眼を擦りながら、差し出された紙を読んで、すっかり眠気が吹き飛んだ。
『ラブアポ万歳。残された人生をラブアポに捧げる。
病院関係は全ていずみに任せます。あとはよろしく、いずみクン。
それではみなさん、また会う日まで。
横森万之助』
短い文だが、読み終えて俺は、ゴクリと喉を鳴らした。
出たっ。出てしまった。犠牲者が・・・。
ほら言っただろう。言ったじゃねえか。(心の中で)
ラブアポやべーって。半端な気持ちじゃまずいって。
魂もってかれるって。あーあ。横森のじいちゃん、もってかれたか〜。
「この病院、どーなるかと思ったけど、タイミングよくいずみちゃんが帰ってきてくれてたからちょうどよかったわよね」
本田さんが胸をなでおろしていた。が、その名に、ギクリとした。
「いずみって・・・」
「院長先生の一人息子よ。小児科医でもあるの。奥様に似たせいで、超イケメンでね」
は。知ってます。
って、なに。あのチャラそーなのも、医者なんかい・・・。
あ、この病院、もうすぐ潰れるな・・・と俺は冷静にそう思った。
続く
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はい、ようやく攻め登場。いずみが攻めでした。
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