仕方ないよ、好きなんだから12



どーん。
日曜日の朝。
ピンポンの音にドアを開けたら、松田みぎわ。
「こ、こんにちは。いずみさんに呼ばれて、お伺いしました」
ぺこっと頭を下げて挨拶したのは、普段はテレビの向こうで、マーモッシュを演じている
芸能人だ。
「あわわ」
俺は、空いた口をアホみたいにパクパクさせて、言葉にならない。
だが、そんな俺よりも、アホヅラしているのが、ユッキーだ。
俺の上着の裾を小さな手で掴んで、みぎわを見上げているユッキーの口の端からは、タラ
ッと涎が落ちた。
彼にとって、松田みぎわ=マーモッシュは、美味しい食べ物にでも見えるのだろうか。
「ユッキー、よだれ」
というと、恥ずかしそうに幸裕は口元を手で拭った。
「マーモッシュ・・・。聖みさき・・・。本物なの??」
震えるような小さな声で幸裕が言うと、松田みぎわは、ニコッと笑って、屈んだ。
幸裕目線で、
「うん。そうだよ。おにーさんが、マーモッシュだよ」
すると、幸裕は、俺の上着を掴んでいた手をパンッと離し、松田に駆け寄った。
「マモちゃん。やっと。やっと会えたねっ!!」
幸裕は叫びながら、ピョーンと松田に抱きついた。
どこぞのカップルのプロポーズの言葉かいっ、つっこみたくなるのを押さえて、俺は松田
に抱きついた幸裕を慌てて引き剥がしにかかった。
幾ら子供といえど、これはあんまり無礼なのではないだろうかと思ったからだ。
「す、すみません。貴方の大ファンなので。こら、ユッキー、離れなさい。ご迷惑でしょ」
「やだー。もう離れない、離れないっ」
幸裕はがっしりと、松田の太股に縋り付いたまま離れない。
「いえ、あの。大丈夫ですよ。慣れてますんで」
太腿に幸裕をくっつけたまま、松田は立ち上がった。
「なんの騒ぎ」
のそのそといずみが、ようやく起きてきた。
「いずみさん」
松田の声に、いずみが、ハッとした。
寝ぼけ眼が覚醒したらしい。
「おはよう、みぎわ。って、あれ?来てくれたんだ。ん?そういや連絡もらったようなも
らってないような」
どんだけいい加減な挨拶だよ。
「昨日メールしときましたけど。スケジュールの関係でこの時間しか行けませんって。朝
早くて、ほんと、すみません」
後半は、俺に向かって言う松田だった。
礼儀正しい松田の態度は、好感度はんぱない。
芸能人は、もっと偉そうなのかと勝手に思いこんでいたから、余計にその腰の低さに驚く。
俺は、幸裕とは別の意味で、俳優の松田に見惚れてしまう。
「ごめん、ごめん。さあ、どうぞ、どうぞ、上がって」
爽やかな松田とは裏腹に、寝起きのだらしない恰好のいずみであった。
「お邪魔します」
松田は、遠慮がちに靴を脱いだ。


とうとうだ。
とうとう実現してしまった。
幸裕との約束を守ったいずみ。
本気でマーモッシュ役の松田みぎわと知り合いだったようだ。
芸能人が、俺のアパートにいる。
ちょっと信じられない気分だった。
幸裕は、畳みの上であぐらをかいた松田の足の間に、ちょこんと座ったまま動かない。
「ほんっと、みぎわって、お子ちゃまに人気あるよね」
その松田の横で足を投げ出して座るいずみが茶を啜りながら、笑って、言った。
「俺じゃなくて、マーモッシュがね」
ウルティアンも、シーズン2を迎えている。人気は衰えない。
「あのメイクのせいで、一時は肌ヤバかったけど、今調子いいみたいだね」
そう言って、いずみが、すぐ隣に座る松田の頬に、スッと指を伸ばした。
俺は松田の正面に、やはりあぐらをかいて座っていたので、隣同士の二人のしぐさが真正
面から見えてしまう。
「いずみさんが紹介してくださった皮膚科が良くて・・・」
いずみの指が頬のあちこちを擦るのを、まったく気にしていない松田が涼しい顔で言う。
それにしても、なんだかやたらと2人の距離が近い。
近い、近い、近い。
無意識に、眉が寄ってしまう、俺。
「そうそう。ノブは名医だからさ。良かったね」
そんな俺を知らず、松田を見つめるいずみの茶色の瞳は、妙に優しい。
「・・・」
見てる俺は、なんだか、その空気に、もやもやを感じた。
いずみの指を嫌がることもなく、されるがままに、頬を差し出している松田。
中性的な顔立ちをしているので、見ようによってはボーイッシュな女の子に見えないこと
もない。というか、あーちゃんに似て、ぶっちゃけちょー可愛い。
若さのせいか、肌のキメ細かさも素晴らしいし、色も男にしては白い。
つまり。
なんだかいずみが、女の子の頬を指で擦っているような感じに見えてしまい、ドキドキし
てしまったのだ。
いずみの、優しい視線を受けている松田が羨ましい。そんな風に思っていた時だった。
「って、いまとさん、なに、その視線」
俺は、ギクリとした。
「し、視線って!?」
ドキドキドキ。
ばっ、バレたか。いや、待て。落ち着け、俺。
「お、俺は別に、そ、そんな、しっしっ、視線なんて」
んげっ。どもりまくり。
全然落ち着いてねーよ。完全キョドってるよ。
すると、いずみは、フフンと笑った。
「やだな、いまとさん。もしかして、羨ましいんでしょ。嫉妬だね」
ドキーーーーーーン!!
自分でも制御出来ないぐらい、顏が赤くなっていくのがわかった。
あうあ。止められない。ひえ〜!!
「しっ、しっ、嫉妬って」
反論したいが、出来ない。
松田が怪訝な顔でこちらを見ていた。
図星だ。
嫉妬とまではいかないけれど、俺は、松田を見るいずみの優しい瞳に、なんとなく面白く
ないものを感じていたのだ。
悟られてしまった。
「うっ」
口ごもり、俺は、思わず縋るようにいずみを見てしまった。
いずみは、キョトンと目を丸くして、こらちを見ていた。
悔しいかな、とうとううまいこと言い返せずに、俺は2人から目を逸らした。
「いや、あの。あれ?いまとさん、知ってるんだよね?みぎわの妹が、ラブアポのあーち
ゃんだってこと」
いずみの台詞が、俺の全身を貫いた。
「なんですとーーーーーーーーーーーー!!知らんわ、そんなことっっ」
「えっ。知らなかったの。俺はてっきり・・・」
弾かれたように、俺は、逸らした筈の視線を2人に固定した。
いや、正確には、松田に。
ズームアップゥゥゥ。
あまりの俺の遠慮のない視線に、松田が恐怖を感じたらしく、背中をしならせながら、
「いずみさん、それ、こちらの方は御存じないかも。隠してはいないけど、おおっぴらに
公表もしてないし」
ちょっと困ったように、言った。
「えっ。そ、そうなの?ご、ごめん。俺、世間様は、てっきり皆知ってるもんばかりだと。
芸能ネタ疎くてサ」
これまた、いずみも少し動揺しているのか、ちょっと声が上擦っていた。
「にっ、にっ、似てる!!」
あわあわ、と俺は、無礼にも人差し指をプルプルさせながら、松田に突き付けてしまった。
クスッと松田は笑った。
「ああ、はい。知ってる人には、それはもう。よく似た兄妹だねって言われます。マモの
特殊メイクばっかクローズアップされるんで、世間はあまり俺の素顔には興味ないようで、
意外と気づかれないんですけど」
幸裕が「聖みさきもかっこいいよ」とすかさず抜け目ないフォローを入れた。
だが俺は、それどころではない。
なんと。2人は兄妹だったのか。
「似てる、似てる。俺、似てるってずっと思っていたもん。すげえっっ」
「綾菜は、嬉しくないと思いますけどね、俺に似てると言われても」
松田が照れたように笑ったので、俺も笑いかけたが、ハッとした。
視線を感じたからだ。
いずみがこちらをジーッと見ている。
「・・・」
バチッと目が合い、俺は、慌てて逸らした。
待て、俺。笑ってる場合じゃねーよ。
待て、待て、待て。
いずみは、俺が、松田があーちゃんの兄だと知っていると思っていたようだ。
俺があーちゃん好きなのは、勿論いずみは知っている。
ってことはだぞ。
「羨ましいんでしょ。嫉妬だね」
のあの言葉は。
フツーに考えれば。
あーちゃんに似てる(あーちゃんの兄である)松田とこんなに親しい俺に嫉妬してるんでしょ?
的な意味でいずみは言ったに違いない。
俺の中にいるあーちゃんの絶対的位置(センター)を信じて疑っていなかったからだ。
しかし。
あーちゃんと松田の兄妹関係を知らなかった俺は、一体さっきの光景の、どこに嫉妬する
要素があったというのか。
いずみは、最近の俺の態度や言動から計算し、答えを導き出したに違いない。

チラリと俺は、いずみを盗み見た。
いずみは変わらずこちらを見ていたが。
だが、その顔は。
ちょっと困ったような、複雑な表情に変わっていた。
「!」
ああ。その顔が正解だよね。
おまえは正確に、俺のさっきの状況を解いて、出した答えに、困っているんだ。
いずみは、俺の気持ちを、それほど深刻にとらえてはいなかったのだろう。
よもや、あれだけ大好きなあーちゃんを超える存在に、自分がなっているとは思っていな
かったから言えた軽口だったのだ。
でも、出た結果は。
そりゃ驚くべ。
そうだよ、俺は。
松田に嫉妬していたんだ。
いずみの指に触れてもらっていた松田に。
いずみとの距離が近い松田に。
「・・・っ」
やべ、本気で、いたたまれないっ。
「っと。ちょっと携帯が」
傍に置いておいた、鳴ってもいない携帯を掴んで俺は立ち上がった。
本物の役者を前にして、お芝居する暴挙に出た俺。
松田が首を傾げて、俺を見上げてきたが、もう引き下がれない。
「あ。どうぞ、こちらはお構いなく。いずみ、松田さんに茶とかお菓子とかお出しして。
俺、しばらく出てくるから。松田さん、どうぞごゆっくりしていってください」
携帯を耳に当てながら、俺は財布を掴み、外に飛び出した。

恥かしい、恥ずかしい、恥ずかしい。
どうしちゃったんだよ、俺。
どうすれば、いいんだ。
アパートの階段を駆け下り、携帯を折り畳み、俺は無我夢中で走った。
行先も定めずに走った。
も、マジ、やばいよ。
なんなんだよ。
こんなことぐらいで嫉妬とか、どーなってんの、俺。
そんなに。そんなに、いずみが好きか?
なんでこんなになっちゃった。どうして。

「どーかしたんですか」
その声に、ギクリとした。
「お、王子・・・」
いつのまにか。土手に来ていた。
ここは王子のランニングコースだった。
「あ、い、いえ」
なんか前にもこんなことがあった気がする。
そうだ。あの時は、幸子のことで気持ちがグラグラしていて。
今度も、いずみのことで・・・。
なんで、俺。
いつもこういう不安定な時に、王子に遭っちゃうんだろ。
「幸裕くんはどうしたんですか」
キョロキョロと王子は辺りを見回していた。
「いずみと家にいます」
俺の答えを聞くと、キラリと王子の瞳が光ったような気がした。
「そうですか。もしかして。いずちゃんと喧嘩でもしたんですか」
「い、いえ。そんなことは」
ギクッと俺はわかりやすく、身を震わせてしまう。
今、いずみの名前を他人から言われるのは、辛いと思った。
その名前にすら、反応してしまうからだ。
「嘘つくの、下手ですね」
タオルで汗を拭いながら、王子は、ニコッと微笑んだ。
「悩んでいるのでしょう。いずちゃんとの関係」
ギクリ。
「ま、まさか、そんな」
否定はしたものの、動揺は隠しきれない。
「ハハハ。秋城さん、わかりやすいですからね。僕に話してみてください」
「えっ」
「大丈夫ですよ。前回みたいな真似はしません。今から着替えてきてここに戻ってきます。
それからのんびりどこかで飯でも食いながら、貴方といずちゃんのこと、相談に乗りますよ」
「いえ、そんな。話すようなことなど、なにも・・・。って、オイ」
王子はさっさと行ってしまい、
「すぐに戻りますから〜」
と言って、目の前のタワマンに消えて行った。
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ」
どうしよう。
別に話すことなんて。
「・・・」
でも、なんか一人でいるのは、辛い。
まだ朝だし、どこかで飯食うったって密室でもないし、大丈夫だよな。
この際だ。
なんか適当に、俺の、このもてあました時間につきあわせてやるっっと開き直った。
本当のことなど、どうせ、言えない。
王子の頭の中では、俺といずみは、とっくにつきあっていることになっているからだ。
ぼんやりしていると、王子がやってきた。
「お待たせしてしまってすみません。髪を乾かすのに手間取りまして」
相変わらず、私服姿もかっこいい、嫌味にすらならない超イケメンだ。
「ああ、いえ。ボーッとしていたので、気にしてませんでした」
こんないい天気の爽やかな朝だというのに、俺ときたら。
「それは良かった。では、行きましょう」
土手を降り、道路を横切ろうとした瞬間。
「はい、どうぞ」
すぐ傍に停めてあった車の助手席のドアを開けられた。
「えっ、これ、王子の車ですか」
前見た時に乗っていた車とは違う気が・・・。
「そうですよ、どうぞ」
俺は戸惑った。
車で行くのか?
「や。あの、出来れば歩いて」
「いえいえ、せっかくなんで、さあ、どうぞ、どうぞ」
ドカッ★
え。今、背中を膝蹴りされた!?
「うう」
助手席にほとんど倒れ込むように前のめりになった体を起こしかけたら、車が発進してし
まった。
あまりの素早さに、驚いた。
「や、待ってください。俺、あんまり遠くに行く予定は・・・」
車って。車って。
動く密室だもん、こえーよー!!
俺の恐怖を察したのか王子が
「遠くになんか」
ハンドルを握りながらチラリとこちらを見て、にっこりと微笑んだ。
「行きませんよ!?あ、シートベルトしてくださいね」
それは、見ようによっては悪魔のように美しく、そして見事な作り笑いだった。

続く

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