仕方ないよ、好きなんだから

女房に逃げられて、シングルファーザーの俺、秋城いまと。
そんな男は別段珍しくない。
俺は、そんな珍しくないパターンの一人。
働きながら5歳の息子を育てている。
そして。
今日も今日とて、呼び出しだ。
「っかりましたぁ。また熱ですね〜。すぐに迎えに行きます」
携帯を切り、そそくさと荷物を纏めた。
「社長。保育園から呼び出しくらいました。ユッキーがまた熱出したので、引き取って病院行ってきます」
「おおっ。そうか。わかった、わかった。幸裕を頼むな」
社長の本島信吾は、手元の資料から顔を上げて、頷いた。
「はい」
社長=義理の父。
ユッキー(幸裕)=息子。
子供を置いて新しい男とどこぞへ高飛びしてしまった娘の責任を取るためか、はたまた可愛い孫のためか、妻去りし後、義父は俺に自分の会社で働くように懇願してきた。
困ったことがあれば力になるし、孫の幸裕を育てるにあたって協力は惜しまないと言ってきた。義父は会社を経営していた。
下町の小さな会社だったが、義父が一代で起した会社だった。
奥さんは既に亡く、男手一つで育てた娘は、夫と息子を置いて若い男とどこぞに逃避行。
俺が言うのもなんだが、社長の心中を察するとなんとも気の毒だったが、社長のデスクに置いてある古びた写真の中で七五三姿で微笑む可愛い幸子は、
社長の宝物だったに違いない。俺はこの義父が嫌いじゃなかった。幸裕も祖父さんが大好きだったし、身内の会社はいろいろと楽なので、この話をのんだ。
おかげで、しょっちゅう熱を出す息子の幸裕を保育園に引き取りに行くのに、肩身の狭いを思いをしないで済んでいるのだ。
あれね。男の子は弱いとはよく言うもので、本気で幸裕は弱っちい。1か月に一度は小児科のお世話になっている。
保育園で、ややぐったりした幸裕を受け取り、玄関で帰り支度をしていると担任が走ってきた。
「秋城さん。かかりつけは、山田小児科さんでしたよね。山田さんは今日、臨時でお休みだとか他のお母さんが今朝言ってましたよ」
と、ご丁寧に教えてくれた。
「あ、いえ。うち、その三軒隣の横森医院なんス」
そう言うと、先生が「えっ?」という顔をした。
「あの、おじいちゃん先生の?」
「そうっす」
「あそこ、まだやってたんですか」
あらまあ、と年配の担任の先生は口に手を当てて驚いていた。
「なかなか死にませんよね、あのジジイ」
あは、と笑うと、担任の先生も「なんてこというの」と言いつつ苦笑していた。
「幸裕くん、お大事に」
「ありがとうございます」
おんぶした幸裕は、ハアハアと息が荒かった。
「ユッキー。昨日、裸でマーモッシュごっこしてたからだぞ」
「うん。ごめんね、パパ。また病院に行くことになっちゃって」
もそもそと幸裕は言った。
「いいよ、いいよ。俺もどーせ、じーちゃん先生にチケット渡さねーとと思っててさ」
「また行くの?ラブアポのコンサート」
幸裕が背中で大きな声を出した。
「いっ、いいだろっ」
落ちるなよ、と俺は幸裕を抱えなおす。
「いやだよ。ラブアポのコンサートが決まると、パパ、ラブアポのDVDばっかり観るんだもん」
「ばっかやろー。ちゃんと覚えていかねーと、あのジジーに怒られるンだよ」
「もうやめなよ。アイドルの追っかけ。いい歳こいてさ」
発熱中の5歳の息子に、冷めた声で言われ、俺はグッと詰まった。
「・・・じゃあ、もうこれで最後にするよ」
「そのちぇりふ、もう何回目?」
「ちぇりふ言うようなガキが、パパの趣味に口出しちゃイヤん」
などとやっていたら、病院に着いた。
横森医院、と書かれた斜めになってしまっている古ぼけた看板をマジマジと見て、一体いつ直すんだよ、この看板と思った。
確かに・・・。
三軒隣の山田小児科をチラ見した。
今風というより、ここは病院なの?と疑うような美しい建物、清潔そうな診察室、子供が食いつくキッズスペース、受付の姉ちゃん達も手際よく親切で、そして、なにより。
あそこは、先生が超イケメンなのだから、人気がある筈だよなぁ・・・。
なぜそんなことを知ってるかというと。
少し前。かかりつけの横森のじいちゃんセンセーがぎっくり腰で自宅から出勤できなくなり、臨時で病院が休みになった時、仕方なく山田小児科に行ったからだ。
待合室には若いママ達と子供がひしめきあい順番を待っていた。
横森医院では、ありえない光景だった。
幸裕も「病院が混んでるなんて」と驚いていたが、普通、病院は混んでいるものだ。
呼ばれて診察室に入ったら、そこには王子様が座っていたのだ。
男の俺ですら、こりゃキレーな男だわ、と思うぐらいのイケメンだった。
態度もそれはそれは腰が低く、とにかく出来すぎなくらい感じがよかった。
「お大事に」
背にかけられたその声すら、痺れるくらい良い声だった。
待合室での若いママからの遠慮のない視線を浴びつつ、会計を済まし、俺と幸裕は山田小児科を出た。素晴らしい、と思った。良い病院だとも、思った。
でも、俺には向いてない、とも思った。
俺は、あの。三軒隣にある、あかぬけない古びた横森小児科が好きだ、と思った。
キッズスペースなんて洒落たもんはなく、待合室にある雑誌は、メインがアイドル雑誌なのだから、どうしようもない。
常連は、この病院の雑誌にはなにも期待していない。みな、本を持参する。でも、子供向けの絵本は充実していて、幸裕はいつもここの絵本を楽しみにしている。
受付のロリ顔陽奈子ちゃんは、院長の大のお気に入りで、ホステスをやめて、医療事務の資格を取ったばかりのドジっ娘だし、病室の壁にはヒビが入っていたりするし、
近くの大きいビル(山田小児科)のせいで日当たりが悪い診察室だが、よく掃除はされていて清潔だ。看護師の池田のおばちゃんは、元客室乗務員だったらしい。
確かに若いころは美人だったろうと思われる派手顔のおばちゃんだ。そして、ハゲ散らかした口の悪い院長は、御歳70歳でアイドルオタクだが、とにかく子供好きだ。
俺は、この横森医院を構成するすべての要素が、どうしようもなく好きだった。
「しかし、山田さんが休みだと、さすがにここも混んでるだろ」
バアンッ。ドアを開けたが、相変わらず、陽奈子ちゃんが暇そうに受付に座っていた。
待合室には誰もいない。
たまたまいないだけかもしれない、と思った。
「ひっ、陽奈ちゃん。今日山田さん休みみたいだから、忙しかったろ?」
聞いてみると、
「え。山田さん、休みなんですか?うちはいつもどーりですよぉ」
気だるげに陽奈子は言った。
「マジかよ」
「たぶん、ママさん達、隣町の青田キッズへ流れたンじゃないですかー」
「なんで、三軒横に小児科あんのに、隣町行くんだよっ」
さすがに理解出来ない。山田が休みの日ぐらい繁盛してもいーだろが、と思う。
「青田さん、キッズスペースあるし、貫禄ある女医さんだからじゃないですか?」
「ここのハゲだって、悪くはないと思うんだけどな」
幸裕をソファに寝かせて、診察券を陽奈子ちゃんに渡した。
「誰がハゲだ」
パタンと診察室のドアが開く。
「おめーだよ」
言うと、診察室から出てきた院長の横森はガッハッハッと笑った。
「そうか。俺だよな。俺か、俺なんだなーーー」
相変わらずのテンションである。確かにこのノリは、若いママ達には無理かも、とは思う。
「お。どした、ユッキー」
ソファの幸裕に気づいた。
「どーしたもこーしたもねーよ。熱出した」
「そっか、そっか。可哀想にな。じゃあ診よう」
ソファからヒョイと幸裕を抱えると、院長は診察室へと入っていく。
「俺も付き添う?」
「いや。おまえは、いい。それよか、いまと。陽奈子ちゃんがパソコンがわからんそうだから、教えてやってあげてくれ」
「すみませ〜ん」
えへへと陽奈子が受付の方から顔を覗かせて手を振っていた。
「OK、OK。じゃあ、ユッキーをよろしく」
「頼まれた」
パタン、と診察室のドアが閉まる。
「秋城さん、またラブアポ行くんですか?」
カタタ、と陽奈子がパソコンのキーボードを用意しながら、聞いてきた。
「なんで知ってんの」
「院長先生が、今日、はしゃぎまくってましたよ」
陽奈子が書類をトントンと揃えながら、思い出し笑いをしていた。
「秋城さん、超イケメンなのに、アイドルにばっか熱あげてたら、新しい奥さん来てくれませんよ」
陽奈子の言葉に、俺は苦笑した。
「えー、俺、もう、結婚はいいもん。むしろ二次元の女でいいよ。どこわかんないの、陽奈ちゃん」
「あ、ここ。ちょっといじったら、計算式が崩れちゃって」
パソコンの画面をチョコンと陽奈子は指差した。
「ああ、ここね。んじゃ、こっちの計算式、ここにコピーしとくから。次にいじる時気をつけなよ」
「はーい。わあ、助かった。ありがとうございます」
「どういたしましてえ」
にこにこと見つめ合っていると、
「診察、終わったぞ。おっ。うちの陽奈ちゃん、口説くのは勘弁だぞ、いまと」
と、院長が幸裕を抱えて受付にやってきた。
「あたし、院長のセクハラより秋城さんに口説かれる方がいーです」
陽奈子は陽気に言い返していた。
「そんなぁ、陽奈ちゃーん」
俺に幸裕を戻し、空いた手で、ごろにゃんと院長は陽奈子に纏わりついていた。
ロリ顔の陽奈子は、院長のドストライクなのだ。
「いまと、ユッキーは風邪だからな。薬出しておく。薬をちゃんと飲ませろよ」
「へーい」
「今、腹にくる風邪が流行ってるから、気をつけておけ」
「わかった」
ふにゃん、と幸裕は俺の腕の中でおとなしくしている。
「熱下がっても1日は、保育園休ませておけよ」
「へいへい。ところで、これ、チケット」
「おおっ、いまと、愛している」
チケットを渡すと、院長は陽奈子から離れて、俺に抱きついてきた。
「うおー。気持ちわりー、やめろぉぉぉ」
ジタバタと暴れていると、
「パァパ、早くおうちに帰って寝たいです」
と、幸裕が訴えてきた。
「うおっと、ごめんな、ユッキー。じゃあ」
「お大事にな」
院長は、ぐりぐりと幸裕の頭を撫でた。
「じゃあ、コンサの件は、またのちほど連絡する」
「おう、頼むな」
会計を済ませて、バタバタと病院を後にした。
長い時間いた訳ではなかったが、それでも俺がいる間には、誰も来なかった。
マジであの病院、そろそろ潰れんじゃね?と不安になった。


家に帰り、幸裕をベッドに寝かせて、ようやく一息ついた。
義父に「心配ないのですが、明日は休むことになりそうです」と電話を入れ、スーツを脱いだ。
Tシャツとスウェット姿になり、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
下町の小さなアパート。すぐ傍には川が流れ、遥か向こうに都会の明かり。
窓に映る、自分の顔。
あと少しで30歳になる寸前に、女房に逃げられた不甲斐ない男。
妻が浮気していることなど、まったく気づきもしなかった。
自分のやや茶色がかった髪をかきあげながら、俺は長い溜息をついた。
あと10歳若かったら、あーちゃん(ラブアポ・センター)と再婚出来たかも、とずうずうしいことを考える俺。
手の届かない若い女の尻を追いかけることで、現実逃避。
わかってはいるんだ・・・。
でも。この歳で捨てられたなんて、淋しいじゃないのさ。
子供ごと捨てられたなんて、あまりに惨めじゃないのさ。
だから、誰も傷つけたり傷つけられたりしない世界で、楽しくやれれば、それでいいじゃないのさ。
「よしっ。ラブアポのDVD観るか。踊りも覚えなきゃね」
気持ちを切り替えて、窓から視線を離し、部屋を大股で横切った。
「ユッキーも寝たことだし」
といそいそとDVDをセットしようとすると、
「寝てないしっ。ラブアポ、やめて。それよか、薬飲ませてよ」
と、幸裕に大声で叫ばれた。
「そ、そっか。パパ、さっそく薬忘れてた。なんかちょっと食ってから薬飲もうな」
慌てて、ラブアポのDVDをパッケージに戻して、ベッドの幸裕の元へ駆け寄った。


続く

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アレ?攻めが・・・(笑)
まあ、いつもの、ドタバタ系の話です。
つくづく子連れ話が好きな私だよ。これで何本目だ?

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