水辺の本音 0章

目が覚めた時、ここはどこだ?と俺は思った。
俺の部屋じゃない。
そして、俺を見下ろす若い男の、驚愕に見開かれた目。
目が合った瞬間男は叫んだ。
「お、おまえ。ま、まだこんな所でのんびり寝てたのか?」
「へ?」
自慢じゃないが、俺は寝起きは最悪だ。ああ、まだ頭起きてない。コイツ、誰だよ…。
「修学旅行中じゃなかったのか」
若い男に言われて、俺はギョッとした。
「そうだ。俺、旅行中だ」
いきなりカッと頭が冴えた。そうだ、そうだ。ここ、どこだ?クラスの皆は、どこ行った…。
「あれ、秋ちゃん、来てたの。今、潤ちゃんにご飯作ってきたとこだよ」
川端のおばちゃん!
「お、潤ちゃん。起きたの。ちょうどいいよ。ご飯出来たよ。お食べなさいな」
おばちゃんはお盆を手にして部屋に入ってくる。そうだ、ここは川端のおばちゃんの家だ。
俺は確か、この目の前の若いみやげ屋の兄ちゃんと、ふとしたきっかけで殴り合いの喧嘩になり、そのまま近くを通りかかった川端のおばちゃんの家に収容された。
怪我の手当てをしてもらったんだ。そんで、ウトウトしてきて、そのままおばちゃんの家で眠ってしまったのだ。
「飯なんか食わせてる場合かっっ。コイツは修学旅行中なんだぞ」
若いみやげ屋の兄ちゃんに怒鳴られておばちゃんはキョトンとする。
「近くの旅館に泊まるんだろ。潤ちゃん、慌ててないもんねぇ」
「集合時間がどーのって、さっき騒いでたぞ、コイツ。おい、おまえ。のんびりしてる場合か。駐車場に急げよ」
俺はチラリと時計を見た。集合時間は、3時。あの時点で3時で、今はもう7時だ。4時間近くも、あののほほんとした担任とクラスメートが俺を探して騒いでいたとしたら、
とっくに付近の人々は気づいている筈だ。
「いや〜。もう無理でしょ。俺たぶん置いていかれたんですわ」
俺はポリポリと鼻の頭を掻いた。
「ええっ。潤ちゃん、本当に修学旅行中かいっっ。こ、こりゃ大変だ」
おばちゃんはガシャンと近くのテーブルにお盆を乗せると、部屋から飛び出て行った。
「おまえも来いっっ」
みやげ屋の兄ちゃんが手招く。
「俺はいいや。腹減っているんだ」
そう言って俺はテーブルの上の盆を見た。
「この能天気小僧」
捨て台詞を残し、兄ちゃんも部屋から出て行った。俺はおばちゃんが作ってくれた飯をパクパクと平らげた。
「うっめー」
そうだ。俺は今日とても傷ついているのだ。せめてこんなうまい飯でも食わないと元気が出ない。好きだった、村上里香。今日、一足違いの告白で、友人の梁瀬の「彼女」に
なってしまった。まさか梁瀬も、俺と同じ場所で告白しようと計画していたとは気付かなかった。断崖絶壁のこの観光地。ああ、もしかして、俺の告白が時間的に早ければ、
村上は俺の「彼女」だったかもしれないのに…。って、そんな訳もないのに、俺は悔しかった。
「ちくしょう。梁瀬のヤロォォォ」
泣きながら飯を食った。
「ちくしょぉぉ。おばちゃん、おかわり」
しかし、おばちゃんはあのまま家を飛び出していったらしく返事はなかった。


一時間後に、俺はまだ飯を食っていた。青い顔をする3人に囲まれて…。
「よくこんな時にガツガツ飯食えるな」
「秋ちゃん。アンタのせいでもあるのよ」
「違うよ、小夜ちゃん。あたしが悪いんだよ」
オロオロと川端のおばちゃんが言う。
「だって潤ちゃんが秋ちゃんのお店で買おうとしたら、秋ちゃん居眠りしてて起きなかったって言うじゃない。それは秋ちゃんのせいよ。接客態度悪過ぎ。潤ちゃんが怒るのも無理ないもん」
「そーですよね。小夜子さん」
みやげ屋で大喧嘩したのはそういう理由だ。
一足違いで村上への告白が遅かったと知った俺は、泣きたくなる気持ちを押さえてとりあえず妹へのみやげを買おうと運悪くこの態度悪い兄ちゃんのみやげ屋に足を踏み入れてしまった。
ただでさえ絶好調に気分が悪かったところに、この兄ちゃんは店頭で居眠りしてたんだぜ。話かけても起きる気配がなくって。こっちは集合時間を気にして、あせっていたんだ。
だから・・・。むかついてつい、手が出てしまった。ほとんどやつあたりと言うべきかもしれないが、接客態度が悪かったのも確かだ。
んで、俺達の大喧嘩に気づいたのが、隣で同じくみやげ屋やっている小夜子さんだった訳で俺の介抱を通りがかりの川端のおばちゃんに頼んでくれた。
彼女は態度の悪いこっちの兄ちゃんを介抱してた。どうせなら、小夜子さんに介抱されたかったが川端のおばちゃんのウマイ飯食えたから大満足。どさくさに紛れて、
俺は生来の人当たりの良さで川端のおばちゃんと意気投合してしまった。すっかり「潤ちゃん」などと呼ばれている。もう昔からの知り合いみたいだが、たった数時間前に会ったばかりの人だ。
ちなみに小夜子さんにも「潤ちゃん」と呼ばれている。彼女は20代後半ぐらいの美女だ。こんな田舎にはもったいないくらいの年上のお姉様だ。
それで、それで、何故3人が青い顔をしているかと言えば俺の学校のマイクロバスは、当たり前だがとっくのとうに駐車場を離れてしまっていて、どこを走っているかも見当がつかないそうなのだ。
ったく、あの呑気な新米教師の小川め。点呼しろよ、ちゃんと…。俺はまだここにいるって言うのにさぁ。
「しかし、呑気な学校だよね。生徒一人忘れていってしまうなんて」
小夜子さんがコロコロ笑う。
「っていうか、コイツ、存在感ないんじゃないの」
目付きの悪い兄ちゃんが、ヘッと鼻で笑う。
「あら、んな訳ないじゃない。見てよ、この潤ちゃんの超美形マスク。こんなハンサムが目立たないなんておかしいわ」
フッフッ。よくぞ言ってくれた、小夜子さん。俺になびかない女の子は村上と、クラス委員の早乙女ぐらいだ。
「んー、まあ、小夜子さんの言うことはもっともなんすけど、俺らのクラスって超個人主義なんですよ。ま、担任も新米ですし、ここは大目に見て下さいよ」
すると、目つきの悪い兄ちゃんがキッと俺を睨んだ。うっ、こわ。すげえ迫力。
「コイツ、自分の立場わかってねえ」
立場ってなんだよ。俺は可哀想じゃないか。失恋するし、バスには置いていかれるし。踏んだり蹴ったりだ。そうだ、まさにそうだ。踏んだり蹴ったり、この目つきの悪い兄ちゃんにされたのだ。
「お、俺は不幸だ〜」
「キャ。な、なに?」
いきなり俺が叫んだので、小夜子さんがビクッとした。
「聞いて下さいよ。俺って可哀想。俺、今日失恋したんです。あげくに、バスには乗り遅れるわ、置いて行かれるわ、この兄ちゃんには滅茶苦茶に殴られ蹴られで。うう」
小夜子さんが俺の頭を撫でた。
「まあ、潤ちゃん…。そりゃ不幸だ。不幸よ、うん。そんな時は、飲みなさい」
どこからともなく、ドンッと俺の目の前に小夜子さんが一升瓶を置いた。
「小夜ちゃん、あんた何時の間に」
と言いつつ川端のおばちゃんの目が、ギラリと光った。2人の視線は一升瓶に釘づけだ。
「さっきよ。駅前まで買い物に行った時。でね〜、潤ちゃん。ヤなことあったらこれに限るわよ。飲んで忘れる。コレが一番っ」
「うん、うん、そうだ。あたしゃコップ用意してくるわ」
いそいそと川端のおばちゃんが立ち上がる。小夜子さんはニッコリ微笑んだ。
「お、おまえらっ。コイツは未成年だぞ」
目つきの悪い兄ちゃんが、叫ぶ。
「今時の高校生にそんなこと言ったら笑われるわよ。ねえ、潤ちゃん」
俺はうなづいた。
「日本酒好き」
「ほーら」
「ざっけんな。アホ」
そう言って兄ちゃんは俺の背を蹴った。
「おまえの学校は、確か東京の暁学園だったよな。間違いないな。そうだよな、小野田潤!」
「間違いない」
するとさっさと兄ちゃんは部屋を出てく。
「秋ちゃんもね〜。可愛い顔して、短気なんだよね。まったく」
「まったくですね。短気だ、アイツ」
二人でウンウンとうなづき合う。
「さ、飲も。パーッと行こうよ」
入れ違いに川端のおばちゃんがコップを抱えて戻ってきた。
「今日は潤ちゃんの、失恋なんてぶっとばせパーティーだね。幸い息子もいないし、のんびりだよ」
おばちゃんの嬉しそうな顔。こりゃ相当いける口だね。俺はと言えば、もう酔うしかないと思っていた。酒は不良兄貴どもからみっちり仕込まれている。
「よっしゃ、行くぜ」
バッと一升瓶を抱え、俺はお姉様どもにお酌した。
「キャア、素敵。潤ちゃんっっ」
酒の魅力にとりつかれた哀れな酒豪どもめ。俺と共に地獄まで道連れだ〜。
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いきなり、寒気で目が覚めた。
「んあ…」
耳元で喚き声が聞こえる。
「未成年酔い潰して、どーするつもりだ」
「んなこと言ったって、この子ったら大したもんよ。私もあと少しで完全に切れるところだったし、あの川端のおばさんが潰れたのよ。楽しかったわ」
「俺はコイツを朝一で送って行かなきゃならないんだぞ。こんな酒臭いヤツを送れるか」
「そーんなの自業自得じゃないの。キャハハ」
うーむ。どうやら俺は潰れたらしい。ちくしょう。小夜子さんなんて、平気そうなのに。
「さあ、秋ちゃん、抱いていってあげなさい。潤ちゃんは歩けないわ」
「こんなデカイの、俺が運べるかっっ。こんなのはこうしてやるっ」
バシンッ。
俺は強烈な平手打ちで、ボンヤリとしていた眠りから覚めた。
「な、なにするんだ。うわっ、寒いっっ」
意識を取り戻したら、やっばりかなり寒かった。見回してみると、俺は車の助手席でのびていて、ドアが半分開いている。
「え、ここ、どこ?」
今日で二度目だ。訳のわからんところで目が覚めるのは。
「ここはね、秋ちゃんと私のお家」
二人の家?
「あんたら夫婦なの」
すると小夜子さんはキャハハと笑う。う、かなり頭に響くな、この笑い声。
「やだあ。よしてよ。ほら、ここはマンションよ。秋ちゃんの持ち物だけどね。私は格安で借りてるの」
のろのろと体を起こすと、確かに目の前には小奇麗なマンションが建っている。
「目覚めたなら、出て来い。歩け」
うるさい声にせっつかれて、俺は車から這い出た。耳に迫る海の音。しかし、暗くて海は見えない。
「海が近くにある?」
「そうよ。明るかったら、綺麗よ。目の前が海なの」
小夜子さんの明るい声。
「俺、どうしてここにいるの」
ごしごしと目を擦って、俺は辺りを見回した。
「私達が酒盛りしてる間に、秋ちゃんが責任を感じて潤ちゃんの学校の足取りを調べてくれたのよ。明日の朝、学校の人達との合流地点まで秋ちゃんが送っていくから、ここにいるの」
「ふーん」
そういう理由か。
「責任を感じてじゃない。俺は厄介なことから早く手を切りたくてしたんだ。ほら、さっさと来い」
俺と小夜子さんは顔を見合わせて苦笑した。
「小夜子さん、鍵。俺、車置いてくるから。コイツ連れていって」
兄ちゃんは小夜子さんに鍵を押し付けると再び車に戻った。
「俺、あんなヤツのところより、小夜子さんの所がいいなぁ」
などとボヤくと小夜子さんがニマッと笑う。いい感じだ。
「来る?」
「うん」
やった。あんな無愛想な男の家より、キレーなお姉さんの家の方が絶対にイイ。
「とっておきの酒があるのよ。おいで」
「うん、うん。一回潰れて、目覚めた俺はグレードアップしますぜ。どんと来い」
「きゃ〜、頼もしいっっ」
俺は足取り軽く、小夜子さんの後をくっついていった。

もつれるように、小夜子さんの部屋に突入すると、あっという間に酒飲みタイムの始まりだった。彼女の手際の良さと言ったら完璧だった。
バタバタと廊下に足音が響いて、ドアが開く。
「小夜子さん、アイツがいない。あっ」
兄ちゃんが小夜子さんの部屋に到達する頃には、俺も小夜子さんも既に目が据わっていた。
「ま、また飲んでいやがる」
ドアを開け放ったまま、兄ちゃんは呆然としている。
「あ〜きちゃん、寒い。ドア。閉めてぇ」
小夜子さんがヘロヘロと言った。
バタンッと派手な音を立ててドアを閉め、兄ちゃんはズカズカと部屋へ上がりこんできた。
「何度も言うけど、俺は明日コイツを送っていくんだ。二日酔いの未成年なんてどこにいる。小夜子さんっっ」
しかし、怒る男の言うことなど馬耳東風で、小夜子さんは彼にも酒を勧めた。
「ここにいるぅ。もう手遅れよ。アンタも飲みなさいな」
負けずに俺もヘラヘラと応戦した。
「困るなぁ、あきちゃん。俺は、生まれてこの方、二日酔いなんちゅもんには縁がないの」
俺は兄ちゃんを手招いた。
「なにモンなんだ、てめえはっっ」
その言葉に俺はピッと背筋を正した。
「小野田潤。暁学園3年。父1人に兄3人妹1人。性格、明朗活発。ルックス、完璧」
兄ちゃんはゴンッと俺の頭をグーで殴った。
「なにモンだって言うから自己紹介したのに、怒っちゃいや〜ん。痛いよ〜」
爆笑。俺も小夜子さんも大笑い。
「何よ。一人で素面なんて許さないわよ」
小夜子さんがフラフラと冷蔵庫にビールを取りに行く。
「突っ立ってないで、座りなさい」
俺は隣の空いている空間を指して、兄ちゃんの右腕を引っ張った。
「おまえは自分の立場がわかってんのか。いいかげんにしろ」
まだ説教しやがる。俺の立場なんて、ここまできたらどーでもいいじゃん。言ったろ、俺は二日酔いとは縁がねえんだよ。
「てめえこそ、いいかげんにしろ」
俺は小夜子さんからビールをひったくると、ガバァッと兄ちゃんに押し付けた。
「うぐっ」
不意を突かれたらしく、兄ちゃんはドッとフローリングの床に倒れた。俺は馬乗りになって、ヤツにビールを飲ませた。口移しの大サービスゥ。
「キャア、なんか卑猥だわ〜。でも、潤ちゃん、気をつけて。秋ちゃんに飲ませすぎると危険よぉぉ。ウフフ」
言いつつも、キャッ、キャッと小夜子さんは喜んでいる。空しくもがくヤツの手が空気を裂いた。しかし、俺は気にせずに2本目のビールに手をかけた。構わずにヤツに飲ませた。
「ぐっ」
咽せて、ヤツが音を上げると俺は体を起こした。満足した。
「ふんっ。どーだ」
俺達が暴れている間も小夜子さんは、一人でグイグイと杯を重ねていたらしく、とうとうパッタリと静かに倒れた。
「小夜子さん、小夜子さん、アレ?」
クークーと小夜子さんは寝息を立てている。潰れてしまったらしい。
「やーだーな。寝ちゃった。どーしよ」
クルリと振り返ると、床から起きあがった兄ちゃんと目が合う。一気に頬が熱をもったらしく、赤い頬をした兄ちゃんがそこにいた。
「貴様、よくも俺の禁酒の誓いを…」
「禁酒?無駄なことだって。小夜子さんは潰れたから、まあ、アンタで我慢してやっか。ほら、飲めよ」
禁酒の誓いが破れたことに、ショックを受けたのか、兄ちゃんは俺からグラスをひったくった。
「言われなくても飲む」
「いや〜。素敵ィ」
などと囃し立てていられるうちは平和だったと言えよう。実は俺は、一旦潰れてしまえば、後は怖いものはない。
飲めば飲むほど、頭が冴えていく。酔えなくなるから杯を重ねる、時間との不毛な消耗戦になる。従って俺は、どんどん素面になる。特異体質なのだ。
そんな俺とは反対に、ついさっきまで一番冷静だった、兄ちゃんが突如として一番の酔っ払いに成り下がった。ああ、酒って怖い。
「ね、ねえ。もう部屋に戻ろうよ」
「なに?俺の酒が飲めねえのかよ」
「だって、もう酒ないじゃんか」
すると、兄ちゃんはテーブルを見回してうなづいた。
小夜子さんは、ビールの空き缶に埋もれて安らかに眠っている。可愛い寝顔だ。
「なら、俺の部屋にある。来い」
俺は耳を引っ張られた。
「いてて。わかった。わかったから」
とりあえず、失礼とは思いつつ、小夜子さんの寝室に行って、タオルケットを失敬して彼女にかけてやった。兄ちゃんは玄関で俺を待ち構えている。
「早く来いっっ」
「う、は、はい」
物凄い迫力だった。酔っ払いには逆らうなという兄達の教えに俺は忠実だった。きちんと鍵を閉めて、俺はフラフラとした足取りの兄ちゃんについて行った。

改めて時計を見ると、もう真夜中だった。俺、明日起きれるだろうか…。ふとそんな不安にかられた。隣では酔っ払いがなにごとかを喚いている。
「潤。酒が切れた。買って来い」
「買ってこいって…。探せばあるだろ」
なんだか泥棒になった気分。人の家の台所を荒らしている俺。禁酒してたと言う割には、あること、あること。ほんまにコイツ禁酒してたんかいと俺は思った。しかし、ぼんやりもしてられない。
俺は探し当てたビール達を抱えてリビングに舞い戻る。
「あるじゃないか」
途端にニコニコと機嫌がよくなる。この兄ちゃん、変なヤツ。
さっき台所でゴソゴソしている時にどこぞからの請求書を見てしまった。みやげ屋の兄ちゃんは、須貝秋也という名前らしい。皆から秋ちゃんと呼ばれているのはそういう理由だ。
「あのねー。須貝さんっっ。俺、明日合流地点まで連れていってもらいたいんだけど。だから、そろそろ酒止めようよ」
このままではマジで不安だ。
「貴様、二日酔いには縁がないって豪語してたろー。情けないことぬかすなぁ」
「俺はそうだけど、アンタは違うだろ」
「俺も縁がない」
怪しい。きわめて怪しい。俺が胡散臭い目で見たのに気づいたらしく、須貝秋也はムッとした顔になる。
「俺が信じられないって言うのかよ」
「あー、っかりましたぁ。お付き合いします。お兄様。さ、どんどんいきましょー」
俺は須貝秋也、もう面倒臭いから秋也でいいや。とにかく、秋也の横に腰を下ろしてビールをグイッと飲み干した。秋也は満足そうに、自分も飲み始めた。
村上のヤツ、俺がいなくって心配してくれているかな?いや、きっともう夢なんか見てる時間だ。もしかしたら、梁瀬の夢なんか見てるかもしれない。
なのに、俺と来たらこんな所でよく知らない男と酒飲んでるなんてあまりにも不毛だ。
「む、村上ィィ」
思わず彼女の名を口にすると、秋也がピクッと俺を見た。
「村上って、誰だ」
ニコニコしている。相当気分がいいらしい。
「俺の好きな女の苗字」
「へー。彼女がいたのか」
この野郎。酔ってるくせして、しっかり意外だという顔しやがった。
「フ、フン。振られたんだよ、今日」
大爆笑を覚悟して、秋也を振り返ると、彼は神妙な顔をしていた。
「失恋ってヤツか」
グサッ。改めて他人に言われると、やはり辛い。ああ、俺、マジで失恋したんだ。
「そ、そうだよっっ。悪いか、バカヤロ」
あ、ヤバ。涙出てきた。俺は慌てて目を擦った。
「泣いてやがる」
フンッと秋也は鼻を鳴らした。
「しょうがねえだろ。悲しいもん」
悲しい、悲しい。俺ってこんな完璧な美貌だっちゅーに、なんでか失恋経験が多いんだよなあ。何度経験しても、失恋って悲しいもんなんだよ。
「泣くな、バカ」
「うるせー。涙が勝手に…」
と言いかけて俺は詰まった。ドッと秋也が俺に覆い被さってきたからだ。
「慰めてやろうか?」
「…」
小夜子さんの部屋での体制が逆転した。俺は秋也に、フローリングの床に押し倒されていた。
「慰めてやろうかって言ってんの」
マズイ。コイツ、迫り上戸だ。一番最悪なパターンでやんの。俺は恐怖にゾッとした。
「い、いいよ」
「そうか。いいのか。じゃあ」
ユラリと俺の腹にまたがった秋也が、動く。
「え、ちょっとぉ」
ぎぇぇ。俺は目を見開いた。なんで、なんで、こーなる。俺、秋也にキスされてしまった。
「ギャア。なんで、キスするんだよ」
秋也を払いのけて、俺は喚いた。
「だって。いいって言ったじゃん」
彼はケロリと言って、ペロリと唇を舐めた。
「否定の意味だったんだ。おえー、気持ち悪い。あー、俺、酔いそう」
「酔ってもいいぜ。介抱してあげる」
再び秋也が俺にのしかかってくる。
「うわぁ」
秋也は俺より背が低いし俺より細身。なのに振りほどけないのは、いわゆる酔っ払いのバカ力ってヤツ。
「おまえ、可哀想。慰めてあげる」
ギュウと秋也に抱き締められた。
「ひええ」
俺ときたら、もう情けない叫び声しか出なかった。秋也は再び俺にキスしてくる。ああ、もう、いいかげんにせー。唇が離れて、俺は秋也を見上げた。
なんで、こんな会ったばかりのヤツ、しかも男と、二度もキスしなけりゃならんのじゃ。見上げる俺を、秋也もマジマジと見つめている。
「おまえの瞳…」
言われて、俺はハッとした。
「あ、ああ。綺麗な色だろ。じいちゃんがおフランスの人だから、俺ってばクォーターなんだ」
こんな状況だというのに、ペラペラと喋ってしまった。なんとかこの雰囲気を打破したい。
「すげー。めちゃくちゃ茶色。綺麗だ」
「うん、うん。だから秋也、俺の上から退いて。ね、退いて」
だが秋也はプルプルと首を振った。
「慰めるって言ったろ」
「もう十分だって」
「十分じゃない。十分じゃ、ない」
ああ。また、キスされた。しかも、今度は首筋だぜ。か、感じる。感じちゃうぜっっ。飲んでる相手が俺じゃなく女女だったら、下手すりゃ孕むっつーの。いや、前科があるのかも。
だから禁酒?それにしてもなんちゅー、迫り上戸じゃ。男女くらい、見分けろ。見境ナシじゃあんまりだ〜。
「秋也、秋也。俺、男だぞ」
「関係ないだろ」
大有りだ。うわー、体よ、動け。金縛りにあっとる場合じゃないっちゅーの。迫りくる秋也の顔。間近で見て、よーく観察してみると、コイツすげー綺麗な顔してる。
整った清潔そうな顔に、印象的な黒い瞳。今更気付いた。このにーちゃん、超美形。ハッ。落ち着いて観察してる場合かっっ。
「なんで目潤ませてるんだよ、秋也」
しかし、綺麗でもなんでも、恐怖は恐怖だ。駄目だ。もう、逃げられない。
「わー、神様、助けてくれぇぇぇ〜」
俺の叫びは、パクリと秋也の端正な唇に飲みこまれた。

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波の音で目が覚めた。
さすがに、三度目となると、もう俺は自分がどこにいるかぐらいは把握できていた。
最悪な事態。
「はあ…」
上半身を起こして、俺はあらぬ所が痛むのを自覚した。
隣で、昨日俺を愛した男は、安らかに眠っている。俺は自己嫌悪に頭を抱えた。何時の間に寝室に移動したかはまったく記憶にない。そろそろと、シーツを捲ってみると、血・・・。
「処女喪失」
呟いて俺はキッと隣の男の寝顔を睨んだ。のうのうと寝っこけてやがる。冗談じゃねえぜ。二日酔いの頭の痛みとはまるっきり縁がないが、なんでアソコが痛まなきゃなんねーのよ。
痛い。痛い、痛い〜。こんなんで、今日一日中、マイクロバスの座席に座っていろとか言うのかよ〜。酷だぜ。あれ、今、何時だ?俺は時計を見て、ギョッとした。
「5時35分」
待てよ。一体合流地点ってどこなんだろ。この時間でも間に合うのか?修学旅行の朝は早いのだ。仕方なく俺は、秋也の顔を平手で打った。こんぐらいは許されるはず。
「いてっ。痛」
パチッと秋也の瞳が開いた。
「秋也。俺を合流地点まで連れてけ」
すると彼はジロッと俺を見た。
「何言ってんだ、エラソーに」
ムクッと起きあがってから、バッと秋也は隣の俺を見た。眉が吊り上っている。
「なんでおまえが俺のベットにいるっ」
「秋也に連れ込まれたから」
俺が答えると、秋也はハッとした。
「…」
無言のまま、俺を見つめた。
「な、なにが…あった」
彼の声は微弱だった。
「なにって…。わかるだろ。アンタは泥酔。俺は被害者。朝目覚めると二人は生まれたままの姿」
「まさか」
秋也のこめかみに、ツーッと汗が流れた。そして彼は、俺のキスマークだらけの体を見て凍りつく。
「見てみる?シーツ」
俺はシーツを捲った。赤。トドメの一撃。
「嘘だろ」
「だったら、どんなにいいか」
「なんてこった」
「そりゃこっちの台詞だ」
秋也は毛布に突っ伏した。
「あのさー、悲劇にくれるのは後にして、俺を合流地点まで連れていってよ」
その言葉に秋也は反応する。
「今、何時」
「5時40分」
「げっ」
「間に合うのか?」
「間に合わねー。しかも俺、このままじゃ飲酒運転だよ・・・。頭イテー」
「あらーん・・・」
も。なんだか、どーでもよくなってきた。尻が痛くて、動けないしよ。

携帯の存在に気付いたのは、秋也が家電にかじりついて、誰かに向って喚いている時だった。
これで連絡取ればいいじゃんか。留守電をセットしたままだった。解除すると、クラスメートの梁瀬の声が入っていた。
「潤。俺。梁瀬。てめーがいなこと、宿に戻ってから気づいたぜ。皆大爆笑。明日ちゃんと合流しろよ。村上も心配してるぜ」
ブチッ。聞くんじゃなかったぜ。次。
「小野田くん。私が悪かった。なんということだ。本当に私のミスだ。ああ、なんてことだ。信じられない。戻ってきてくれ。頼む。もう二度とあんなことしない。私を信じてくれ。お願…」
ブチッ。担任の小川だ。ったく、実家に戻った妻に言うような台詞じゃねえか。留守電には2件しか入らない。俺は小川の携帯を知らないから、仕方なく梁瀬に電話した。
「潤か?潤。おい、どこにいるんだよ」
ざわめいた雰囲気が受話器から聞こえた。
「悪い。ちょっと、案内役の人が事故って、合流地点まで行けないんだよ」
嘘ぴょーん。
「事故?あ、待て。小川に代わる」
梁瀬から小川にバトンタッチだ。
「小野田くんっっ」
キーン。馬鹿でかい声。
「聞こえてますよ、センセ」
「い、今、事故と言いましたね。言ったね?だだだだ、大丈夫ですか。大丈夫ですか。ききき、君ぃ」
おまえの方こそ、大丈夫かよと言いたいのを堪えた。
「ああ、心配ありませんよ。ただ、こっちの須貝さんも、あせっていたみたいでね。ちょっと時間かかりそうなんで、今日の宿教えて下さい。直接そこに行きますから」
「今日の宿は市内にある、赤川荘だ。ちょっとした大きな宿だからすぐにわかる。ところで、案内人のその、須貝さんは大丈夫か」
「それはちょっとわかりませんが、まあ、ゆっくり行けば大丈夫でしょ」
「なんということだ。ああ、もう私の教師人生はオシマイだ」
小川の嘆き。そんなの知るか〜。
「って訳で、合流地点には行けませんので、俺のことは無視して旅行続けて下さい。よろしく」
「わ、わかりました。必ず赤川荘に来るんですよ。小野田くん。待ってますからねっっ」
「了解。では」
ブチッ。ふー、やれやれ。これでゆっくり行動出来る。
「今、小夜子さんに連絡したから。おまえをすぐに送ってもらうから支度しろ」
秋也がよれよれになりながら、別室から現れた。
「いいよ。携帯で担任に連絡したから。今日の宿で合流する」
すると秋也は目を見開いた。
「携帯。そんなの持ってたのか。なんでもっと早くそれを使わないんだ」
怒鳴られても…。
「忘れていたんだよ。怒鳴れる立場かよ、アンタ」
俺の一喝で、秋也は唇を噛んで黙った。ふふん、いい気持ち。
「ったく、冗談じゃねえよ」
言いながら、秋也がよろめいた。
「大丈夫?」
聞いても、無言だった。俺は秋也を覗きこんだ。かなり顔色がよくない。
「秋也、おい」
「うるさい。人を勝手によびつけにすんな!」
試しに額に手をやると、かなり熱かった。
「うっそ。熱あるじゃん」
俺は驚いた。二日酔いにプラス、熱。こりゃ具合が悪い訳だ。

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結局、秋也は病院行きになり、俺は小夜子さんの車で赤川荘に連れていってもらった。
クラスメイト達は大爆笑だ。そして、担任は号泣。まったくもって、とんでもねー修学旅行になってしまった。
「なあなあ。小野田。送ってきてくれたあの色っぽいおねーさんと、なんかあった?一晩一緒にいたんだろ」
ヒヒヒと、梁瀬が笑いながら聞いてくる。
「あるわきゃねーだろ」
色っぽいおにーさんとなら、なんかありましたけどね。
「小野田くん、君は、まったく本当になにかとお騒がせね。皆にどれだけ迷惑かけるのよ」
委員の早乙女がさっそく嫌味を言ってきた。
「乙女ちゃん、ごめんね」
心をこめず謝っておく俺。
「私は早乙女です」
フンッと鼻息荒く反論する早乙女に、村上が割り込んできた。
「でも、無事でよかったじゃん。潤くん。私、すごく心配してたんだよ。てか、皆もだけどさ」
笑顔の村上。
「うん、サンキュ」
やっぱり村上は、いい子だね。でも、あれ?俺、なんか全然フツーじゃねえ?昨日まで、泣くほど好きだった女なのに。村上を目の前にしても、フツーにしていられるよ、俺。
「今日の夕飯なんだべ?昨日の夕飯、まずかったー。うまい飯食わせろ〜」
誰かがそう叫んでいる。俺、昨日川端のおばちゃんのうまい夕飯食った。ラッキーだったのね、俺。
「あーあ。だかんだ言って、明日でラストか。明後日には、東京だもんな」
「ラストナイト、かましまっせー」
ワイワイ盛り上がるやつらを適当にかわし、俺は、ふと窓の外に視線をうつした。日が落ち、真っ暗な海。波の音だけが聞こえる。
・・・秋也。大丈夫かな。なぜだかとても気になった。気になったが・・・。
「うっそ。俺ってば、秋也の連絡先知らない。小夜子さんも、川端のおばちゃんも・・・」
思わず呟く。慌てて旅行のしおりを確認した。俺が迷子になったみやげ屋付近の土地の名前だけはわかった。あらま。結構有名な観光地だったのね、あそこ。
でも、これさえわかれば、あとは、東京に帰ってから調べればいい。って、結局、今の時点では、秋也がどうなったかもわかんねーってことかよ。
ま、死んではいないだろうがさ。なんか、なんかね。気になるんだよね・・・。

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県内の観光を済ませ、いよいよ修学旅行もラストナイト。担任小川の、執拗なまでの点呼にはうんざりな一日だったが、まあ、無事に日程終了。
夕飯を済ませ、各自の部屋でダラダラな自由時間。・・・の予定だが、部屋にいる人間は少ない。大部分は、点呼後に繁華街に繰り出してしまっている。
担任らもラストナイトということで多少のことには目をつむる。というか、自分達もたぶん、最終夜打ち合わせならぬ飲み会してるはずだから、脱走兵?には気付かない。
けど、俺は、どうもその皆のノリにはついていけず、ホテルの部屋でダラダラしていた。それでもやっぱりつまらなくなり、とりあえず部屋を抜け出してみた。
大きなホテルだったが、さすがに時間も時間だったので、ロビーの明りは落ちていた。だが、目の前が海という絶好のロケーションが売りのこのホテルのロビーの大きな一面のガラス窓からは、
月明かりが差し込んでいた。
「すっげーキレイ」
こんなキレイな光景見ねーで、繁華街に繰り出しているクラスメイト達を気の毒に思う俺。ズラリと並ぶソファの一つに腰かけて、俺はまじまじと月を眺めた。
「大酒飲みの思いっきり不良少年のくせに、ホテルから逃亡はしねーのな、おまえ」
背後からの声に俺は、びっくりした。
「・・・秋也」
振り返って、俺は秋也と目が合った。
「おまえの同級生達らしきにここ来る時何人もすれ違ったぜ。繁華街に向かってるようだった」
チャリンと秋也の握った掌の中にあるものが、静かに鳴った。
「その音なに?」
聞くと、秋也は握っていた掌を開きその中にあるものを、もう片方の手でつまんで、俺に見せた。
「それは・・・」
「店に戻って、あん時おまえが買おうとしたもの、持ってきた。金はいらねー。持ってけ」
ポーンッとそれを秋也は投げてよこした。
小さなピンクの袋に入ったお守り。袋の表にはまゆ、と白い糸で書いてある。
「繭チャンへの土産・・・。忘れてた。わざわざ持ってきてくれたんだ。サンキュ、秋也・・・」
へえへえへえ。コイツ、いいヤツじゃん。なんとなく気付いてはいたけど、気付かないフリしてたけど。やっぱりイイヤツだったじゃん。
「礼を言われることはねえ」
プイッと秋也は言った。どっこい。可愛くねーな。
「そーいや、そうだ。俺ってば、殴られ蹴られしたうえに処女も奪われたし。金払うどころか、こっちが貰いたいぐれーだった」
「それは言うなっ」
「言うなって、言うよ、そりゃ」
俺が言うと、秋也は、フンッと鼻を鳴らした。
「やっぱり来なきゃよかった・・・」
そう呟くのが聞こえて、俺はニヤッと笑った。
「わざわざ来てくれたんだよな。体調悪かったのにね。そういやなんで、ここがわかったの?」
「おまえの担任の小川さんの携帯に連絡して聞いた」
げ。そーか。小川が秋也の番号知ってるのか。そーか。なるほどね。
「ふーん。ありがたいけど、礼は言わないから」
「だから、んなの、必要ねえよ。そういうことだから。それじゃ」
秋也はスパッと踵を返す。
「え?もう帰るの?」
俺は慌てた。
「長居する理由がないだろ。トモダチでもねえしよ」
言われて、納得。そーだよね。俺達って、おととい会ったばかり。でもさ。でもね。なんとなく、別れがたい。
「確かにトモダチではないけどさ。赤の他人でもねーよね?だって俺達、肉体関係ありだもんね」
「でけー声で言うなっ」
秋也は、立ち止り、こちらを振り返る。
「別にでけー声なんて出してねえっつーの」
「地声がでけーんだよ」
「アッチもでけーよ」
「関係ねーし。バーカ」
「ね。理由なんか、どうでもいいけどさ。なんか、まだ帰ってほしくないんだけど」
「言っておくがな。俺はこれでも、まだ熱が38度あんだ。さっさと帰って寝たい」
「げ。マジで?だったら、来なくても・・・」
「だよな。でも、今日来なかったら、おまえにそれを渡せなかった。二度と逢うことはないだろうからさ。だから、今日じゃねえとだめだと思ったんだ」
「なんで?逢えばいいじゃん。同じ地球に住んでるんだから、いつでも逢えるでしょ。逢いたいと思えばサ」
俺のその言葉に、秋也はキョトンとした。しばらくずっとキョトンとしていたが、やがて・・・。
「・・・ったく。最初から最後までズレたヤツだな、おまえ・・・」
そう呟いて、それから、クククと笑った。笑いながら、秋也は俺を見た。今気付いた。うわ。初めて見た。俺は、須貝秋也というこの男の。笑い顔、笑顔をこの時に初めて見たんだ。
月明かりの中で笑う、俺より少し年上の男の姿は、どういう訳か、俺の胸を疼かせた。ときめかせた。
「秋也」
俺はソファをヒラリとまたぎ、秋也の傍まで行き、そして。
「わざわざありがとう。愛してるヨ」
キス。
「永遠にアバヨ」
バシンッとひっぱたれ、秋也は振りかえらずに、ロビーを走り去った。
「うーん・・・。なんですかね、これは」
俺は胸を抑えた。この胸を駆ける、ときめきのような疼きのような・・・。今まで経験したことのないような感覚。胸を抑える指にひっかかった、ピンクのお守りがチャリンチャリンと響いていた。

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修学旅行から帰ってきても、なんだか胸のもやもやはおさまらず、考えることといえば、秋也のことが多い。大雑把経緯を説明し、経験豊富な兄達に聞いてみた。
「一体、俺、どうしちゃったんだろうね」
三人の兄達は次々に言った。
「恋患い」
三男光。
「一目惚れならぬ一夜惚れ」
次男玲。
「ようこそゲイの世界へ」
長男泪。
「あ、そーか。なーるほど」
そういうことか。へえ〜。女に失恋した日に出会った男に惚れたって訳。わかりやすくていいけど、いい加減俺も節操ないよね。
実をいうと、秋也とセックスした時すごーく気持ちよかったことだけはフワフワと覚えているんだ。どんなコトしたかはまったく覚えてないけどね。いやあ、肉体関係って、侮れないねぇ。怖いねぇ。
えーと。そんじゃ、どうしよう。未来はどうしよう。
「う〜ん。ま、とりあえず、電話しとけってとこか・・・」
ま、いっか。高校卒業して、そして、その時考えよう。
急がなくてもいいさ。だって・・・。水辺のあの人とは、いつでも、逢える。俺さえ逢いたいと思えば。
ねえ。そうだろ、秋也。って、俺がそう言えば、アンタはきっと、また笑うんだろうね・・・。




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